ひえびやまじょう

比叡尾山城

広島県三次市

別名 : 比海老城、畠敷本城
旧国名 : 備後

投稿する
①堀切
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征24日目:比叡尾山城 (2026/06/03 訪問)

楢崎城から車で50分くらいでで、熊野神社駐車場(34.813741、132.881507)に着きました。
そこから、登山道入口(34.814473、132.884162)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代に藤原兼範(三吉氏)によって築かれたと云われています。
兼範は承久の乱後に三次に入り、2代兼定が三吉大夫と称して三吉氏を名乗りました。
以後、兼家-信兼-秀高と続き、三吉周辺に所領を広げて備後北部でも有力の国人として勢力を誇ったようです。
1540年(天文9年)、翌1541年(天文10年)と出雲の尼子晴久が吉田郡山城の毛利元就を攻めたとき、尼子方として加わりましたが敗れました。
1542年(天文11年)周防の大内義隆が出雲の尼子晴久を攻めた時には大内氏に従って尼子氏を攻めたが、大内方が劣勢となると尼子方から大内方に靡いていた国人衆が離反して総崩れとなった敗れました。
1544年(天文13年)尼子氏は三吉氏を攻めたが毛利氏の援軍により撃退し以後毛利に属するようになった。
その後、1591年(天正19年)比隈山城を築城し居城を移したため廃城となりました。

本丸近くまで車でいけるようですが、道は狭く離合困難とゆうことで、熊野神社の駐車場を利用して歩いて登りました。熊野神社前に説明板があります。
「登山道」の案内標識&赤いテープがたくさんあり、迷うことなく主郭まで行けます。
巨大な山城で高土塁を用いた曲輪があり、堀切とそこから伸びる竪堀があり、数条もの竪堀が谷底まで伸びておりまさに圧巻です。
攻城時間は80分くらいでした。次の攻城先=高杉城に向かいました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

弾丸帰省の前に (2026/03/08 訪問)

3月になり暖かくなったので日帰りでの帰省をしてきました。
その前に尼子十旗の城へ行こうかな、と。
が、峠部分がまさかの冬用タイヤ規制😯
予報では気温も上がりそうだったので三次市の比叡尾山城で時間をつぶすことにしました。

熊野神社に車を置き、少し東側に進んだところの登城口から登ります。
登城路は綺麗に整備されており、急坂部分はあるものの歩きやすかったです。
途中、竪堀を見ながら登ると曲輪部分に到着。
まずは下に向けて段になった曲輪を降りてみます。
先端部から竪堀が落ちていました。

引き返し、虎口から広い曲輪を経て堀切に、深い堀切でした。
さらに進み、三の丸、二の丸を経てようやく本丸に着きました。
本丸には石積も残っています。
本丸背後、北の丸は広く、主郭を見上げると朝日が射していて綺麗でした。

もう少し散策、北の丸から北側に降りると北側の登城口に。
この辺りにも石積が見られます。
西側にも進んでみました。
こちら側は何条かの竪堀が守っています。
深さもあり見応え充分でした。

ちょっと寄るつもりでしたが意外な大きさ、三吉氏の巨大な山城、結構な時間を費やしました。
冬用タイヤ規制が解除されるには充分過ぎる時間、無事に日帰り帰省をしてきました。
お土産はかまぼこ、出雲名物の「あごの焼き」です😊

【見どころ】
 ・西側の竪堀群
 ・南尾根、曲輪を隔てる堀切
 ・主郭の石積

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

国重

堀切や曲輪の姿がよく残っていました。 (2020/01/11 訪問)

中世、三次盆地を支配した三吉氏代々の居城で、1591(天正19t)年に比熊山城に移るまでの約400年間続きました。標高410m、比高220mの山頂からの眺望は素晴らしいものです。【現地案内板より】

まっつんさんの投稿を見て行きたくなりました。熊野神社近くから登りました。登山道の標識が各所にあり迷うことはありません。ただ三ノ丸付近は100mほど藪になっています。三ノ丸手前の大きな曲輪に土塁と大きな堀切が有ります。見所の一つです。
残念ながら穴蔵跡は見つけられませんでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

まっつん

想像していたよりも大きな城でした! (2018/12/08 訪問)

備後国三次は我が生まれ故郷ですが、比叡尾山城に足を踏み入れるのは初めてです!
比叡尾山の麓にある熊野神社に駐車して、大手道と伝わる登山道から本丸を目指しました。
まずは東側の尾根の曲輪群とその南の竪堀を確認。
そこから三の丸、二の丸、北の丸、屋敷跡へ。
屋敷跡には石垣がきれいに残っており、これは必見です!
また屋敷跡の西の巨大な堀切もすばらしいです!
本丸には土塁が見事に残っており、虎口には石積みも見られます。
城主は、藤原氏の末裔である三吉氏。周防国の大内氏と出雲国の尼子氏の狭間で揺れ動いていた安芸・備後の国人たちの中でもかなりの力を持っていたことがこの城の規模から伺えました!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 藤原兼範
築城年 鎌倉時代
主な城主 三吉(藤原)氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 市史跡
住所 広島県三次市畠敷町