おだのじょう

小田野城

東京都八王子市

別名 : 小野田館
旧国名 : 武蔵

投稿する
トンネル南東住宅地の西から、フェンスあり
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

イタさん

遺構はフェンス内に (2024/04/19 訪問)

浄福寺城・千手山山頂でお会いした方に、高尾駅まで乗せて戴いた。途中で小田野城跡を案内します、と言われ甘えることにした。城跡の南に位置する稱讃寺(シュウサンジと読む?)の駐車場に駐めさせて貰い、南東の住宅地の先から、フェンスに設けられた扉を開けて入る。すぐに左上には郭らしき数段の平地が見える。道はやや上り加減で北から主郭に入るが、虎口なのだろうか。主郭は広大で桜などが植えられており、現在は葉桜だが、半月前は綺麗だったらしい。北側は削平せず一段高く、土塁では広過ぎるのでは。案内して戴いていたので、時間を掛けて周囲を確認せず観栖寺台公園側に向かう。左は自然の谷で仕切り、ハッキリしないが、案内板のような土橋・空堀が見て取れる。フェンスの外に出て、住宅地(グリーンタウン)からバス通りに下り立つ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

観栖寺台公園 (2024/02/15 訪問)

 観栖寺台公園よりイノシシ対策の柵を開けて登城しました。遺構としては曲輪跡、土塁、空堀の跡でしょうか。

 高尾駅北口よりバスに乗りタウン入口バス停下車。徒歩3分くらいで観栖寺台公園に行くことができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

退会済み
ユーザー

小田野城 (2016/07/05 訪問)

観栖寺台公園より登城

+ 続きを読む

にのまる

八王子城の出城 (2020/03/12 訪問)

 浄福寺城登城を途中で棄権したため、この日のメインとなりました。
 小田野城はトンネルの上の城跡ですが、なぜトンネルの上なのか、というのがこちら
↓↓

『昭和54年から55年にかけて、都道建設に伴って発掘調査をしたところ、16世紀後半と考えられる数段の腰曲輪、枡形状の遺構や空堀等が発見されました。その結果、都道はトンネル構造に設計変更され、これらの遺構は保存されることになりました。そして昭和58年3月28日、八王子城跡の一部として国の史跡に追加指定されました。』(現地解説板より抜粋)

いい話だなあ…。
遺構保存に尽力された方々、計画変更に同意された地域の方々に思いを致します。
独立した小田野城ではなく八王子城跡(出城)と認められて国史跡になったのもきっとたくさんの方々の熱意の賜物。

 解説板のある公園側の入口のフェンスには「イノシシ侵入防止のため出入りの後は扉を閉めて!」とあります。「出入りするな!」ではないので入っても大丈夫です。向こう側も住宅街です。なので、この扉と注意書きは公園で遊ぶお子たちを守るため(誤って空堀に落ちないようにとか、連れ込まれないようにとか…)の意味もあるのではないかと思います。反対側の住宅街から城山のまわりをぐるっとまわっていると、案内板などはありませんがフェンスなしで城跡に入れる道が見つけられます。広い主郭から見下ろす腰曲輪が良き眺めでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 小田野源太左衛門
築城年 天正15年(1587)頃
主な城主 小田野氏(北条氏家臣)
遺構 曲輪、横堀(空堀)
再建造物 碑、説明板
住所 東京都八王子市西寺方町