【高田城】
<駐車場他>三の丸跡:城内観光駐車場 出丸跡:<35.086987, 133.693900>道路脇 二の丸~山頂主郭:二の丸グランド前にそれぞれ移動して駐車するのが良いでしょう。
<交通手段>車
<見所>二の丸櫓台跡石垣・三の丸陣屋跡・主郭虎口跡
<感想>日帰り今シーズン山城攻めラスト5城目。高田城の築城は1501年頃に三浦貞連による説が有力です。三浦氏は室町時代の初期に国人領主となり支配してきました。三浦氏の高田城は戦国時代、尼子氏や毛利氏に城を奪われ、奪還したりを繰り返しますが、ついに毛利氏に城を明け渡します。備中高松城攻め後の秀吉と毛利氏の協定により美作国は宇喜多氏のものとなったので高田城も宇喜多氏のものとなります。ちなみに宇喜多直家の妻の円融院の前夫が高田城主の三浦貞勝である。江戸時代に入ると、小早川秀秋⇒津山藩主の森氏が城代城番を置きます。森氏が改易後は幕府領となり一旦廃城となります。1764年に三河西尾城から遠い支族同氏にあたる三浦明次が2万3千石で転封して勝山藩を立藩します。現在残る麓の三の丸の居館跡と二の丸の櫓台・郭壁の立派な石垣はこの時改修築造されたもののようで勝山城と改称しました。
勝山城の三の丸麓居館跡にまず行きました。石垣跡や石組井戸が現存しています。居館跡から徒歩で中世の出丸跡まで行きました。1つの小さい城程の規模で主郭に大きく腰曲輪が巻いて所々に腰曲輪があります。堀切も大きく見事です。車を移動して二の丸のグランド前のスペースに駐車し二の丸櫓台の石垣を堪能し、また車を移動し<35.090791, 133.695954>ポイントに2台の駐車スペースがあるので、そこから堀切・三郭を通過し山城の方の主郭に到りました。反対方向の小屋の段という曲輪には二の丸跡から登城した方が近いので二の丸跡に駐車しそこから徒歩で小屋の段⇒主郭主要部⇒三郭跡から舗装道を降りて戻る方が楽に全ての遺構を巡れるかと思います。
山城の方は三郭が藪化でほぼ進入不可、主要部は主郭に舌状の二郭の腰曲輪、帯曲輪が巻いています。西方向に下って段曲輪があり、中腹に小屋の段があります。主郭の虎口跡も含めて廃城した時か、勝山城築城の時かに破却されているようで、石垣がほぼ残されていません。
この城にて今シーズンの山城納め。熊に遭遇することや事故になることもなく無事に沢山の山城を攻めきりました。涼しくなるまで平城・平山城にシフトしてお届けします。走行距離463㎞無事走破。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む