岩屋城から車で30分くらいで、三浦邸椎の木御殿駐車場(35.100211、133.700651)に着き、その後、三の丸跡駐車場(35.087832、133.690864)➡二の丸グランド前(35.088138、133.694298)の順番で廻りました。
築城年代は諸説あるようですが、延文年間(1356年~1361年)から嘉慶年間(1387年〜1389年)頃に三浦貞宗によって築城されました。
1532年(天文元年)三浦貞国が没すると尼子氏部将の宇山久信が侵攻し落城します。
1559年(永禄2年)三浦氏とその旧臣によって攻撃し落城、三浦貞勝が城主となります。
1565年(永禄8年)三村氏と毛利氏によって落城しますが、翌1566年(永禄9年)三浦貞盛と旧臣が奪還します。
1569年(永禄12年)尼子勝久が美作に入ると三浦氏もこれに従ったが、毛利氏の部将香川春継によって落城します。
1570年(元亀元年)三浦氏は尼子氏に援軍を求めまたもや復城します。
1576年(天正4年)再び毛利氏の侵攻にあった三浦氏は、浦上氏に援軍を求めるが得られず宇喜多氏の和議によって開城します。
その後、毛利の家臣楢崎元兼が入城しますが、備中高松城の合戦によって毛利氏と織田氏の和睦が成立すると、宇喜多氏の所領となり家臣が在城します。
1600年(関ヶ原合戦)によって宇喜多氏が改易となると、岡山に入部した小早川秀秋の家臣が在城します。
小早川氏が改易となると、津山藩森忠政が城番を置きましたが、森氏改易後は一時直轄領となり廃城となりました。
江戸中期の1764年(明和元年)に譜代大名の三浦明次が西尾藩より転封して勝山藩が立藩しました。
当初は高田藩と呼んでいましたが、勝山城に改称したことにともない勝山藩となり、幕末まで三浦氏が10代続きました。
この三浦氏は高田城の麓に藩庁を構え、廃城となっていた高田城の一部を改修して、二の丸に櫓などを築いたそうです、山上の整備はそれほど進まなかったようです。
なお、高田城を築城した三浦氏と江戸時代に勝山藩主となった三浦氏は同祖異系だそうです。
尼子氏や毛利氏によって何度も攻められ落城しますが、三浦氏はそのたびに奪還しています。執念を感じます。
現在二の丸が野球場になっていますが、勝山藩時代の調練場でした。このグラウンドの西端に櫓台があります。
最初、櫓台がある竹林の小径から登城しようしましたが、このルートは道が悪く危険なので、馬洗場ルートから登城しました。
山頂の本丸周辺には堀切などの遺構が残っています。南西麓の市役所付近に三の丸が置かれていたそうです。
南の太鼓山に出丸があるそうですが、時間の都合で行ってません。
また市内に最後の城主、10代・三浦顕次(たかつぐ)が暮らした「椎の木御殿(旧三浦家別邸)」があります。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=葛下城に向かいました。
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