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こーた

復元素晴らしい。足助七城の詳細解説あるとなお良し (2020/12/07 訪問)

休城日、営業時間を確認してから行きましょう。飯盛城もそうですが、紅葉の時期は周辺道路は混むと思いますので、時間に余裕を持って。先日(12/7)はまだ紅葉がきれいでした。平日に行けたので渋滞もなくスイスイと。

足助中学校の裏山、真弓山。駐車場までの坂は軽自動車ではターボ付きでも唸りをあげて上ったほど。バス停で降りた人はあの坂を登るのでしょうから、しんどいですよ。

入場料を払って、もらったパンフレットに目を通すと、城址復元構想はむしろ飯盛山が第一候補だったとのこと。県指定史跡の飯盛山を避けて真弓山が選ばれたと。大人の事情があったようです。飯盛城を復元していたなら、そっちが足助城になって真弓山城は真弓山城としか呼ばれなくなっていたのかも。足助七城に序列があったのか? おそらくオンリーワンで足助城を指す城は、往時の武士や農民にはなかったのでしょうね。そうそう、パンフレットには”別名「松山城」「足助松山の城」とも呼ばれていたようです”とありました。周囲の山々に城・砦があり、どれが足助城ということはなく足助七城で足助の地を守っていた、と私は解釈しました。

四の五の言わず、調査に基づいて再現された山城を手軽に見学できるありがたさ。順路がしっかり記されています。長屋、厨(くりや)や高櫓に入れるのがまたうれしい。スリッパが用意されています。鉄塔は少々興ざめだけど、眺めもよし。多くの人に来てもらいたい山城です。

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しろちゃん

亀之甲山陣城【神奈川県横浜市港北区新羽】 (2020/11/17 訪問)

この亀之甲山陣城は、鶴見川の北岸の台地の先端に陣を構えた陣城です。この鶴見川の南岸の西南西には小机城があり、この小机城を攻略する為、江戸城から出撃し陣を構えました。

現在は、台地を利用し工場地帯となり、遺構は見当たりません。
唯一、陣城の南岸に鶴見川に掛かる橋の名前が亀ノ子橋となっておりのみです。
陣城から、小机城を見れるといいのですが、工場などが建ち並んでいて見る事が出来ませんでした。


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湖東平野を見渡す立地 (2020/12/05 訪問)

犬上川が湖東平野に作った扇状地の要に近い、南から伸びた尾根上にある。麓に佐々木道誉の墓がある勝楽寺あり、「道誉の郷」をアピール。
郭は、痩せ尾根に並んでおり、鞍部を挟んで、北側のⅠ〜Ⅲ郭群と、南側のⅣ〜Ⅷ郭群がある。勝楽寺脇から登っていくと、鞍部に至る。南北朝時代の築城ながら、Ⅲ郭周囲には低い石垣がある。この山体は、湖東カルデラ噴火の際にできた、流紋岩からできており、Ⅲ郭には流紋岩の露頭があって、石が現地調達できる。
扇状地の要だけあって、登城途中の狐塚や南端の上ろう落としからの眺望はとても良い。北西に彦根城が見えた。
山頂の説明板には、畝状縦堀ありと紹介されているが、「その後の調査で自然地形の誤認であった」との文献あり。

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しろちゃん

土肥館【神奈川県湯河原市城堀】 (2020/11/10 訪問)

この土肥館は、湯河原駅前を中心にした高台を利用しての鎌倉時代の館跡です。

土肥氏は源頼朝が、伊豆へ追放された後、機を見て挙兵します。それに合わせ、土肥実平も追従します。
伊豆から小田原へ進もうとすると、それを阻止する為、平家方の相模の武将達が、石橋山合戦に至りますが、過小だった源頼朝方が多くの家臣を失いながら敗北し、箱根の山中へ逃亡します。この時、土肥城近くのししどのいわやで隠れタイミングを見て、房総へ逃亡するまで、土肥氏が大いに手助けし発揮しています

現在は、湯河原駅前で遺構は残っていませんが、地形は高台に位置し、眺望もきくので館の場所に相応しい場所と感じます。

駅前には土肥実平の銅像が立っています

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イオ

紅葉の名所 (2020/11/26 訪問)

近くまで来る用事があったので、ちょっと高取城に寄り道してみました。…ちょっと?(笑)

高取城は紅葉の名所として知られ、この日も紅葉目当て(私もですが)と思われるシニアのハイカーが多く訪れていました。残念ながら見頃には少し遅かったようですが、それでも紅葉の朱や黄が苔むす高石垣の濃緑に映えて鮮やかでした。

この日は前回登城時には台風被害で立ち入り禁止だった七つ井戸から登城しましたが(道が土砂崩れのため車は手前の八幡口に駐車)、七つ井戸とそこから見上げる高石垣を見られたのは良かったものの、登り始めてあっという間に着いてしまって、いささか拍子抜け…。やはり麓から登って登って登ったあげくにふり仰ぐ高石垣! のほうがありがたみもあるでしょうから、次の機会には壺阪山駅から歩いて、城下町も含め隅々までめぐり尽くしたいと思います。
 

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昌官忠

信州日帰り攻城③ (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の3城目は上原城です。松代城からの転戦です。
車は上原城の駐車場(36.009438、138.149841)に駐車して攻城しました。

上原城は諏訪氏によって築かれた城です。1542年に武田信玄が進行すると、諏訪頼重は上原城を焼き払って桑原城へ退去して降伏しました。
その後、板垣信方➡室住虎登(信方の実弟)➡長坂虎房と変遷し、虎房が高島城移ったので諏訪郡の政治的拠点は高島城に移転されました。その後、1582年の小田・徳川連合軍による甲州征伐の際に廃城となりました。

現在、城址には土塁や空堀などの遺構が残っており、堀切や竪堀の確認もできました。
3郭には金比羅神社、2郭には大きな物見岩があります。攻城時間は60分くらいでした。

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昌官忠

信州日帰り攻城② (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の2城目は松代城です。荒砥城からの転戦です。
旧白井家表門横の駐車場(36.562169、138.196381)に駐車して攻城しました。

松代城は2回目の攻城です。1回目は2017/4/8にクラブツーリズムの「信州8つの桜吹雪」で桜を見るツアーです。(この時の攻城分は別途、投稿します)
2回目は今回の攻城で、前回攻城時に松代城跡は見学済なので、今回は100名城スタンプが目的で、真田邸で押印しました。
攻城時間は15分くらいで、スタンプ押印後、次の目的地(上原城)に向かいました。

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昌官忠

信州日帰り攻城① (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の1城目は荒砥城です。
上田駅からレンタカーで荒砥城入口(36.479039、138.136244)より駐車場に着きました。
荒砥城は駐車場のすぐ上です。

荒砥城は村上義清配下の山田国政の居城ですが、武田信玄によって村上義清の葛尾城が落城した際、荒尾城もこの戦いで城主を失い、山田氏は滅亡しています。
その後、川中島の戦いを経て荒砥城は上杉氏の治める城となりますが、海津城の副将であった屋代秀正は上杉方に背き、海津城を出て荒砥城に篭ります。
1584年、上杉郡に攻められた荒砥城は落城して廃城となり、城としての役割を終えます。
以上、パンフレットからの抜粋

現在、荒砥城は「千曲市城山史跡公園」として整備されており、館や見張り台、兵舎、門などが復元されています。
荒砥城物語のビデオ(8分)が見れます。攻城時間は45分くらいでした。

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todo94

お手軽に攻城 (2020/11/08 訪問)

魅力的なラインナップが並ぶ可児市の山城ですが、お手軽に攻城できてそれなりに満足できる今城は体力に自信のない方にもお薦めできます。今公民館に車を駐めサクッと攻城して参りました。リーフレットは第3回お城EXPOで頂いてあったので、漸く訪れることができて感慨無量です。

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朝田 辰兵衛

気になったのは… (2020/11/15 訪問)

某マンション敷地内にある標柱は,価格をつり上げているのかな…ということ。駅近なので,それなりだとは思いますが,歴史的価値も反映されるものなのか,知りたいところでありました。

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masaya

飯盛城 御朱印ゲット (2020/11/29 訪問)

登城3回目。今回は、御城印をゲット。

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masaya

高取城登城 (2020/12/06 訪問)

2020年12月6日朝5時に東大阪のアパートを出て、高取城に登城。紅葉が終わっていて少し残念。
石垣は素晴らしいけど、昔はすごかったのだろう。もう少し保全出来ていれば。
御乗印を壺坂寺でもゲット。

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ぴーかる

高安城 (2020/11/14 訪問)

【高安城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>信貴山城跡から徒歩

<見所>礎石建物跡(古代)
<感想>信貴山城跡からハイキングコースを歩き訪城した。信貴山城跡から20分程で古代の礎石建物跡のある倉庫跡一帯にたどり着く。6箇所程発見されているらしいが、礎石が見られるのは現在は2箇所程になっている。草刈が施され、説明板もあり充実している。倉庫跡からさらに進み、信貴山ドライブウェイをまたぎ、10分程歩くとアスファルト舗装された大きな道に出ます。舗装路をまたいで山頂と書かれた小さな立て札からまた山道に入り少し登ると山頂にたどりつきます。ここが中世の方の城跡の本丸らしいがかなり鬱蒼としており、眺望も見えず、また小さな削平地も藪化していて城跡の雰囲気はつかめなかった。舗装路が堀切跡らしく舗装路反対側が二の丸・三の丸跡となっているようです。ここも藪化していて入り込める場所が見当たらず断念した。近くの気象観測所駐車スペースに城跡の説明碑があります。直接高安城跡のみに車で行く場合はここに少し駐車できそうです。

古代の城跡は倉庫跡のみしか発見がされていないので、新羅から奈良の都を守る最終防衛ライン、きっと巨大な遺構がこの山に埋まっているロマンを感じた。

<満足度>◆◆◇

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じゅんじん

お寺 (2020/09/26 訪問)

河川敷でした。

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じゅんじん

淡路の御所 (2020/09/26 訪問)

土塁の一部が現存。城址碑を見落としました(;^ω^)

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じゅんじん

現存模擬天守と登り石垣 (2020/09/26 訪問)

石垣が素晴らしすぎます✨。特に本丸石垣階段と東登り石垣。いつまでも残していただきたいと思います。眺めも好き。

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姫街道

凄い数の曲輪群 (2020/12/05 訪問)

十数箇所の曲輪が四方八方に作られている珍しいお城だと感じた。縄張り図にも曲輪だらけ。城自体はこじんまりとしているが、曲輪群のおかげで大きく見える。驚く事に城をトンネルが抜いている。しかも、道の駅が隣接しており、国境の城として戦火に明け暮れた城にしては、どこか明るさすら感じる。城の麓を塩の道「中馬街道」が通り、情緒あふれる地域だ。
さて武節城と言うと、長篠の戦いで敗北した勝頼が、田峯城主菅沼定忠と田峯城に逃げ帰ろうとしたら、家臣の裏切りによって入城出来ずに、武節城に逃げ込んだ事は有名だ。この山深い三河の最北端とも言える城までの田峯城からの道中、さすがの勝頼も辛かっただろう。

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姫街道

大給松平家 (2020/12/04 訪問)

〇〇松平家が多くて、なかなか覚えきれませんが、「徳川氏の祖、松平4代親忠の次男 乗元を城主として分立した大給松平家の城」です。親忠とは、安城城主、安城松平家の初代と言われ、安城松平家から家康が出ているとの事。
さて、遺構は陣屋跡との事で移築書院ばかりが目立ちますが、、、
少し坂を登り歴代のお墓を巡ると、立派な土塁が残存しています。書院や庭園に気を取られて危うく貴重な遺構を見落とすところでした。
土塁内側は、段々曲輪だったのでしょうか。
結構高低差もあります。
歴代の大給松平家の立派お墓が、功績順でしょうか、段々曲輪に分かれて立ち並んでいますが、、、墓石や塀など、もしかしたら近年の物かもしれません。

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カルビン

箕輪城 [栃木県下野市箕輪339] (2016/05/22 訪問)

JR東北本線自治医大駅から東へ徒歩15分程度のところに薬師寺城がありますが、西に25分くらいの場所には城びとに登録の無い箕輪城があります。

群馬県にある日本100名城の箕輪城と比べるのは酷ですが、一応栃木県に多い居館タイプの土塁と堀で囲まれたお城が見られます。

ただ恐らく風化による影響で、堀は浅く土塁は低いです。。。場所によってはほぼ平坦になってしまっている場所も・・・
一応城域に解説版があるのが救いか。。。
ま、全く全体像が見えなくなってしまっている訳では無いので、あまり過度の期待しなければそれなりのものが見られますので。

駅からお城への案内は無いので、城域内にある磐裂根裂神社を目指して行くと宜しいかと。
※ここからすぐ北東にある「みのわ古城公園」は関係無いのでご注意を。


この箕輪城は落城したのが5月だった事から、地域では縁起を担いで5月に鯉のぼりを上げないんだそうな・・・(・ω・´;)

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いんげん丸虫

遺構も雰囲気も最高 (2020/11/21 訪問)

丘陵に築かれた城で大規模な曲輪、堀切、土塁、石積等しっかりと堪能できます。獣避け柵を開けて訪城します。過度な整備はなく最小限の看板ですが、実に雰囲気が良く素晴らしい城跡だと思います。

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