永禄13年、武田信玄の駿河侵攻時に最後まで抵抗したのが徳之一色城(田中城)とこの花沢城。武田・徳川が深い爪痕を残す駿河にあって今川の香りを残す数少ないお城に本当に今川の幟が立っていたのはちょっと感動した(泣いた)。
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2023/10/28 21:09
2023/07/31 08:24
籠城戦23日‥武田軍相手に奮闘 (補足)酷いことをすれば返って来るようで‥ (2021/03/05 訪問)
花沢城は今川の城です。
武田氏の今川領進行の際、城将小原肥前守透資良は
がんばって持ちこたえましたが、永禄13年(元亀元念)
正月27日に陥落しました。
城の西側から登城道が続いていて、すぐに一ノ曲輪につきあたります。
西に三ノ曲輪、東に二ノ曲輪があり
二の曲輪より尾根上を南にいくと六ノ曲輪に突き当たります。
目だった遺構はないですが良く整備され
気持ちよく散策できると思います。
補足‥小原肥前守透資良は大原資良ともいわれ、かつての
吉田城代、小原鎮実と同一人物とされています。
この御人、かつて龍拈寺門前で東三河の豪族から預かっていた
人質を串刺しにして処刑しており、おおいに恨みを買っていた
人物であります。花沢城落城後、鎮実は高天神城の小笠原氏助(与八郎)
を頼って落ち延びましたが、すでに徳川氏に帰属を決めていた氏助に
よって妻子ともども惨殺されたと言います。
やはり戦国の世とはいえ、あまりにもひどいことをすると
後々ロクなことにはならないということでしょう。
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2023/04/30 05:47
2022/03/31 20:42
分類・構造 | 山城 |
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築城主 | 不明 |
築城年 | 明応・文亀年間 |
主な城主 | 小原鎮実(今川氏家臣)、武田氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 静岡県焼津市高崎字城山 |