三国同盟破棄後に武田晴信が無謀ともされていた小田原城攻略を試みましたが、落とせるハズもなく武田軍は撤退。
勿論北条軍は追撃したわけですが、実はこれが武田晴信の仕掛けた罠で、三増峠で北条氏康・氏政軍を徹底的に叩いて動けなくし、駿河侵略する事が本命だったとされています。
北条氏康に気付かれて北条軍の本体は無事だったものの、北条軍2万のうち1万を撃退した武田軍の快勝だった戦が三増峠の戦いです。
神奈川県愛甲郡愛川町の、その名も「三増合戦みち」という道沿いに三増古戦場碑と解説があり、近辺の道路沿いには合戦に関わる首塚や胴塚がありました。
近場には田代城や細野城もあり、この合戦に何らか関わっていたと思われます。
ただ古戦場としてはそれだけで訪問するのは勿体ない気がしますが、この古戦場碑があるところから北にある東名厚木カントリー倶楽部のコース内に、合戦時に武田晴信が陣を敷いていたとされる場所があり、「信玄旗立松」の史跡が存在しております。
既にその時の松の木は火災(落雷の為?)により焼失してしまった様ですが、解説と石碑(これも上部が欠けていた)がありました。
ゴルフコース内にある山林なのでちょっとした登りの地にあったので、戦いの指揮を取るには丁度良い場所だったと推測されます。
この戦いで武田軍の損失といえば譜代家老衆だった浅利信種が鉄砲の流れ弾で討たれた事。。。この方の菩提かどうかは定かではありませんが、この方に関係の深いお寺の墓地に自分の祖父母が眠っており、毎年新年にお墓詣りしていたのですが・・・コロナの為に昨年・今年と行けて無いんです。。。早くコロナが片付くといいな(ー人ー)
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