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中川藤兵衛尉

赤松氏館 (2020/07/27 訪問)

だそうです。よく分かりません。この用水路は堀の名残でしょうか

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中川藤兵衛尉

来住(きし)城 (2020/07/27 訪問)

別所氏傘下・来住氏のお城。現在は農地となり、北部に神社があります

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中川藤兵衛尉

阿形城 (2020/07/27 訪問)

別所氏傘下・油井土佐守勝利の居城です。現在はお墓や畑が造られています

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中川藤兵衛尉

粟生城 (2020/07/27 訪問)

摂津国上郡ではなく、播磨国小野市です。同国守護・赤松氏の家臣である粟生氏の居城でした。等覚寺の南らしいです

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中川藤兵衛尉

岡城 (2020/07/27 訪問)

豊後竹田ではなく、播磨国小野市の城です。現在は天満宮とのことですが、入れませんでした

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中川藤兵衛尉

千歳山城 (2020/07/27 訪問)

加西市にある平山城で、現在は神社です。三段の曲輪群から成っています

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ひろ

高田城 (2020/07/26 訪問)

公園がキレイ

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ひろ

春日山城 (2020/07/26 訪問)

かなり疲れた

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トリウィス

篠山城 (2020/07/27 訪問)

お堀が立派で、綺麗に整理されてます。
リサーチ不足で月曜日に訪問したらお休みでした。
入り口に100名城スタンプは有り。
駐車場は200円

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城好きのメガネ

「常陸府中城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
常陸府中城は大掾詮国が築城したとされる。大掾氏の居城として代々増改築されてきた。1590年、佐竹義宣に攻められ、約650年続いた常陸大掾氏は滅亡、大掾清幹は自害、主な一族も常陸太田城で謀殺され、廃城となる。関ヶ原の戦い後、佐竹氏移封に伴い、初代本荘藩主・六郷政乗、皆川広照を経て徳川光圀の弟・松平頼隆が陣屋を置き、常陸府中藩となる。現在、陣屋門・土塁等が遺されている。
*府中城から徒歩圏内に常陸府中藩松田家墓所(照光寺)、常陸国分寺(国特別史跡)、常陸国分尼寺(国特別史跡)なども併せて散策したい。

<アクセス>
JR石岡駅 徒歩20分

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dougen

2017.11.3登城 (2017/11/03 訪問)

豊田館から東北道で南下し、一ノ関ICで降り、一ノ関駅方面に行くと釣山公園があり、一関城址となります。

城址公園というより市民公園として整備されており、遺構は少なめですが、郭跡や土塁が確認できます。

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ケンケン星

本丸裏の残存石垣 (2020/07/26 訪問)

見逃してしまいそうな場所にあり、まるでお宝探しのよう!
詳細な場所は金山城跡のパンフレットに載っています。
パンフレットは史跡金山城跡ガイダンス施設にて入手できますよ。

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城好きのメガネ

「木田余城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
木田余城は、信太範宗によって築かれたとされる。信太範宗は小田氏治に臣従したが不和となり、1554年に佐竹氏に内通したと疑われ小田氏の家臣・菅谷政貞により土浦城で謀殺された。その後、木田余城は小田氏の支配下に入るが、1578年、佐竹義重に攻められ廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR土浦駅 徒歩30分

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城好きのメガネ

「石岡城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
鎌倉幕府から地頭職を与えられた大掾資幹が居館を築いたとされる。大掾詮国の代には府中城を築き、本城を移したため石岡城は「外城」と呼ばれる。その後、札掛兵部之助、田島大学などが城主をつとめる。1590年、佐竹義宣に攻められ大掾氏が滅亡し、廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR石岡駅 徒歩20分

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城好きのメガネ

「河和田城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
河和田城は大掾氏の家臣であった鍛冶貞国(川和田入道)が築いたとされる。その後、小山若犬丸の乱の功績により江戸通高が河和田城の城主となる。通高の孫・通房は上杉禅秀の乱の際に、常陸守護・佐竹義憲に従い乱の鎮圧に加わる。戦後、名門・大掾氏の所領が没収され、水戸は通房に与えられる。水戸に本拠を移し、弟・通常は武熊城、以前までの居城であった河和田城には春秋氏を置き、水戸全域を支配した。1590年に佐竹義宣が江戸氏を水戸から追放し、河和田城も廃城になった。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR赤塚駅 徒歩30分

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城好きのメガネ

「武熊城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
武熊城は豪族であった石川望幹が築城したとされる。戦国時代には、水戸城に佐竹氏が入ると一族の東義久の居城となる。東義久は佐竹義堅の次男で佐竹家では東殿と呼ばれる。佐竹義重に従い各地を転戦する。外交官としても活躍し、石田三成を通じて豊臣秀吉と誼を結ぶ。関ヶ原の戦いの後、徳川家康と交渉し本領安堵を取り付けたが、直後に死亡。徳川家康による暗殺説もある。武熊城は佐竹氏移封後に廃城となる。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR水戸駅 徒歩20分

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刑部

こんな処に城址! (2020/07/25 訪問)

ここは見つけずらかった というより、えっ!ここから入るの? 不安の中住宅の駐車場脇の細道を歩くと30m程で城址の案内板と標柱があります。

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カルビン

武田氏館 [茨城県ひたちなか市大字武田566−2] (2015/06/13 訪問)

皆様の知っている武田氏館といえば山梨県の躑躅ヶ崎館の事を指すのが大半だと思いますが、実は茨城県にも武田氏館があります。

同じ名前とはいえ場所が違う為にお互い関係無いと思われるかもしれませんが、実は多いに関係があります。

信虎・晴信・勝頼の時代に栄えた甲斐武田氏の始祖は武田信義となっておりますが、そもそも源性から武田性に変わったのは信義の祖父・義清及び父・清光の時であり、その拠点だったのは茨城県ひたちなか市だった為、コチラの武田氏館の方が元祖になる訳です。
(山梨県の武田氏館が後付っていうのは意外に思われる方多いかと)

・・・と、知った風な書き方してますが、自分も実際行くまで知らなかったわけで(ーωー。;)


常陸武田氏館にはお城としての遺構がある訳では無いのですが、庵のような小さな居館が復元されており、中がちょっとした資料館のような感じになっております。

復元厩とかもあり、入口には碑石もあるので雰囲気満点です。。。が、規模は小さいのでここメインでの訪問はちょっと。。。(汗)

最寄りの駅がひたちなか海浜鉄道の工機前駅で水戸駅からそれ程離れていないので、水戸周辺の史跡とのセット訪問がオススメです。
(個人的には大洗水族館のバーターでの訪問でしたww)


ちなみにコチラには武田神社は併設されておりませんのであしからず。

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カズサン

平成修理GO後初登城白亜の天守蘇る (2015/05/29 訪問)

 姫路城天守閣が平成の修理を終えてグランドオープンしてからもう5年経ちますが平成27年5月JRフルムーンパスを利用して5日間残りの1日、日帰りで浜松より姫路行ひかり号で岡山駅途中下車し金箔眩しい漆黒の岡山城を探訪し、姫路駅下車し駅北2階展望エリアで姫路城を遠く望む眺望するだけで胸が熱くなる歩きは結構時間が以前掛ったのでタクシー利用。
 
 昼食遅くなり登城前に大手門前の食堂エリアの小ざっぱりした喫茶店で昼飯、平成の修理中には2回訪ね天空の白鷺で修理工事中を見学し、工事近くで見学出来る見学会に参加し見てはいましたが工事用の大屋根が取られ青空に映える白亜の天守は白さが増して今しか見れない神々しさ素晴らしく感激の一瞬でした暫く3の丸広場で眺め脳裏に収め、高校2年生の時、昭和の大修理を3の丸広場で眺めていた記憶が甦ってきました。

 当日は金曜日でしたが多くの人出、天守閣には登らず真っ白な天守を十分に見たいと外側をぐるっと天守南面から官兵衛時代の石垣と言われてる石垣を観察して天守東面の井戸曲輪の高石垣越しに白亜の天守を撮影、喜斎門側から細見の天守東面を望む、初めて「との四門」を意識して観察、との四門登城口は公開されてない。
 戻って西の丸下、3の丸居館エリアの高みで展望、大手門桜橋を出て内堀からも時間が経ち疲れも出て来たので、今まで入場して無かった隣の好古園に入り喫茶と庭園鑑賞、西御屋敷跡見学、江戸時代の武家屋敷内に紛れ込んだ様な雰囲気時代劇に使われそう。
 大満足の真っ白になった姫路城天守閣探訪でしたその後訪ねてませんので少しは雨などで白さがグレー化して来たのでしょうか?時間を見て寄りたい城です。

 下城後は土産物、夕食を物色する為大手道路東のアーケード街を徒歩でぶらぶらと姫路駅へ食事処は中々良い所が見つからず、土産物も物色するが今一、結局駅まで戻り駅弁、ビールを買い車中食、グリーン車では城好きの大阪芸人に遭遇し声掛け姫路城でイベントが有った旨の会話を二言三言家内は喜んでいました。

 一日岡山城、姫路城満足の城巡り。

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犬御前

石垣山一夜城 (2020/07/19 訪問)

駐車場が城址公園前にありトイレも完備されている。一夜城ヨロイヅカファームもあり飲食にも困らない。城址はよく整備されて歩きやすい。ボランティアガイドの方もいて詳しく説明してくれる。このような山上に巨大な石垣の城を築いたことに驚かされる。天気の良いときに行って城址からの小田原、早川方面、真鶴岬、三浦半島運が良ければ房総半島までの眺望を秀吉の気分で味わってください。

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