美濃金山城からこのまま浜松へ帰ろうと思ったが、ちょっと寄り道。
以前から行きたかった伊那大島城へ。 この旅、最後の城に決めました。
大島城といえば巨大な馬出しと二重の三日月堀が有名だが、馬出しの中は民家となっており
なるべく写さないようにしようとすると、私のカメラの画角に入れ切れず上手く絵にならない。
気のせいか城内より城外の方が若干高いようにも感じる。
もしそうなら距離を保ち仰俯角を小さくするために大きな二重の三日月堀にしたのだろうか。
本来なら馬出しが大手なのだろうが、駐車場トイレ横から入る道が造られている。
しかし土塁や堀を断ち切ってこの道が伸びているので、どうなっているのかよく分からなかった。
伏兵曲輪ともいわれる馬出しもイメージができない。
駐車場トイレの前に縄張り図が置いてあったので助かった。
三の丸で地元の方々が、なにやらゲームを楽しんでいたので尋ねるとマレットゴルフというらしい。
ゲートボールほど競技性が高くないのでギスギスしなくて良いと仰っていた。
ただ本丸に行って感じたが、土塁などに影響がないようなコース作りに神経を傾けてほしいと思う。
大きく損なっているわけではないが、城好きとしては残念でならない。
三の丸と二の丸の間の馬出しの三角形の頂点から堀底道へ下りていくと城外へ誘導されてしまった。
ということは、こちらからも攻め込まれるわけだが周囲の曲輪から狙い撃ちされるので大丈夫。
小さな曲輪や土塁が目隠しになって堀底道の何処を歩いているのかよく分からない。
縄張り図を手に入れておいて良かった。
二の丸櫓台跡は三角形馬出しへ渡る土橋に側射がかかり、伏兵曲輪を突破されてもケアできる
両睨みできる絶妙な位置にある。
二の丸と本丸の間の大きな堀を降りた井戸曲輪は周囲からは見えないように土塁で隠されている。
大島氏の時代からなのだろうか、それとも武田氏の時代からなのだろか?
この城は武田氏によって大修築され現在に至る、とある。
情勢の変化によって戦略的意義も変わり、その都度縄張りが変化したとある。
そして織田軍の侵攻により一戦も交えず自落した経緯を持つが、止むを得ないことだったろう。
いかに堅城を誇っていても、鳥居峠を破られては南北から攻められ敵中に孤立する。
後詰めも期待できないとなれば逃げだして正解だと思う。
ただ、高遠城を置き去りにすることはなかろうに、と思うのだが・・・・。
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