ふちゅうじょう

府中城

茨城県石岡市

別名 : (府中陣屋)
旧国名 : 常陸

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チェブ

大木と獅子頭。 (2024/02/10 訪問)

1346年、大掾 詮国さんが築城した「府中城」。
三の丸に小学校。正門横が写真③の土塁です。残った土塁も立派ですが、その土塁に根をはる大木も立派でした。
ぐるっと裏手に回りフェンスの向こうにも、高低差があり、見ようによっては空堀にも感じられます。

現存している陣屋門を見学しようと思い、駐車場を探していると、工事現場の塀の向こうに屋根だけ見えました。路駐してパチリッ。
市民会館が解体中で、陣屋門も まるっと囲われてました。陣屋門は残ります。陣屋門も大切にされているようで、解体されずに、お引っ越しを繰り返してました。市民愛が感じられます。

「府中城」を後に土橋通りを通ります。
「府中城」の回りはお城跡に道ができているようで、見通しが悪く、ゆっくり走行。土橋通りはまっすぐです。
少し走り、信号待ちをしてたら視線が、、。
写真⑤の獅子頭が交差点を監視中です。
近くの、常陸國總社宮の大祭で大きな獅子舞が見られるのだそうです。

大木と、大きな獅子頭が見守る「府中城」攻めでした。

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しんしんちゃん

常陸一千有余年 (2023/05/04 訪問)

府中城は石岡小学校が三の丸跡とされ、本丸は市街地化
されているようです。かつては常陸国国府が置かれ学校内に
石碑と「常陸のみやこ一千有余年之地」の碑が建っています。
小学校には陣屋の門があり、南側には土塁が残っています。
府中城は大掾詮国によって築かれたとされています。
小田原攻めで豊臣秀吉に従わなかった咎で、天正18年(1590)
佐竹義宣に攻められ大掾清幹は自害し、一族も滅亡したとあります。
江戸時代には陣屋となり、六郷政乗が一万石で入封、その後皆川氏が
入りますが嫡子無く除封、天領となりますが元禄13年(1700)
徳川光圀の弟、松平播磨守頼隆が二万石で入り、明治維新まで続いたと
いうことです。

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おっちゃん

江戸末期ごろの陣屋略図 (2017/03/11 訪問)

現地案内板より抜粋

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シェル

常陸国府の跡=府中城の跡 (2022/08/04 訪問)

JR常磐線石岡駅から徒歩12分程度
旧石岡市民会館(現在は閉館しています)の手前に江戸時代後期に作られた陣屋門があります。
そこから道をまっすぐ行き、石岡小学校の校門付近に府中城の土塁が良好に残っています。
また陣屋門の正面の道を左に行くとふるさと歴史館の入口があり、石岡小学校の敷地内にふるさと歴史館があります。
常陸国府や常陸大掾氏について詳しく取り扱っていました。(入場無料)

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 大掾詮国
築城年 正平元年〔南朝〕/貞和2年〔北朝〕(1346)
主な城主 大掾(馬場)氏、佐竹義尚、六郷政乗、皆川氏、松平氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、移築門
指定文化財 市史跡(府中城の土塁)
再建造物 石碑(石岡の陣屋門跡)、説明板
住所 茨城県石岡市総社1
問い合わせ先 石岡市生涯学習課
問い合わせ先電話番号 0299-43-1111