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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅳ⑥:岡本城 (2019/06/26 訪問)

造海城から転戦。車で30分くらいで着きました。
登城口向かえ側の倉庫の前(35.049895、139.834019)に路駐して攻城しました。
登城口(35.050559、139.834135)

岡本城は安房里見水軍の基地として利用された城です。
築城年代は定かではありませんが、1570年(元亀元年)に里見義弘はこの地の豪族・岡本安泰から居城を譲り受け、これを改修して子の義頼を置きました。
義弘の死後、1580年(天正8年)に義弘の晩年の子・梅王丸との家督争いに勝利した里見義頼は岡本城をそのまま居城としました。
1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐のあと、上総を没収された義頼の子・義康が翌年に居城を館山城に移すまで里見氏歴代当主の居城でした。
現在は里見公園として整備されています。

駐車場、トイレなし、公園です。
攻城時間は15分くらいでした。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅳ⑤:造海城 (2019/06/26 訪問)

佐貫城から転戦。車で20分くらいで着きました
三柱神社駐車場?(35.205662、139.842318)に駐車して攻城しました。

1461年(寛正2年)、真里谷信興により築城されました。
1534年(天文3年)、真里谷信隆と信応の間に家督争いが起こると、信隆の子信政が拠ります。
1537年(天文6年)、信応に付いた里見義堯に攻められ開城し、里見氏方の正木氏が入ります。
1590年(天正18年)、小田原征伐の後、里見氏が安房一国に減封され廃城となります。
1810年(文化7年)、異国船の出没に備えて、老中・松平定信が幕命により竹ケ岡台場が設けられました。
現在、城址には空堀や石垣、土塁など遺構が良好な状態で保存されています。

登城口が分からず近所の人に三柱神社横からの登城口を教えてもらい登城を試みるが倒木に道を閉ざされ途中で断念。
別の人に大師口からの登城ルートもあると言われたが通れるがどうかわからないと言われ、こちらも断念。
しかし、石垣、土塁、空堀は確認できました。攻城時間は50分くらいでした。

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まーやん

宍人(小畠氏)館・小出氏館(京都府南丹市園部町宍人平 宍人公民館後背地) (2020/09/24 訪問)

中世と近世の居館が併存する貴重な遺構。これまで全く脚光を浴びなかったが、なんと大河ドラマで小畠永明の名が連呼され注目を浴びた❗

中世居館は小畠氏のもの。戦国期に明智方に与し波多野氏の軍勢と戦ったことから実践的な居館跡で丹波地方最大級とも言われる大堀切が残っている。山頂には宍人城があるが未踏(^-^;)
遺構は土塁、櫓台、横堀、石垣と良好。本丸は土塁で南北に仕切る用心さか?波多野との戦いで命を落とした城主小畠越前守の墓も大事に残されており地元では越前墓と呼ばれている。
一方、越前墓北側に隣接する小出氏館は出石から移封された小出氏が園部城を築くまでの居館として造営されたが、警戒感が全くない徳川の治世の館跡で対比が面白い。
市で赤色航空測量も行われ整備が決まっているらしい。専門家の評価も高く、今後注目を浴びるか?
(杉で遺構がうまく写せません。スミマセン)

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小城小次郎

そのポテンシャルは限りなく高い (2020/11/28 訪問)

応仁の乱の趨勢をも左右したとされる斎藤妙椿が構築したとされ、当時の姿を留めているのであれば守護代クラスの居館としてはびっくりするぐらい良好な遺構を残す「超」重要なお城だということ。そのポテンシャルは限りなく高い。

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カルビン

勝手に第二次籠城企画 [手取川古戦場] (2019/04/13 訪問)

「はねる謙信 逃ぐるとぶ長」
信長と同盟を組んでいた能登畠山氏の重臣・長続連の要請により柴田勝家を将とした織田の援軍が近づいて来ていたのに対し、それに気付かれずに畠山氏を下して松任城まで進軍していた上杉謙信軍。

織田軍が、上杉軍がすぐ近くまで進軍していたのに気付いたのは手取川を渡った後で、急遽撤退しようとした織田軍を後ろから急襲したのが手取川合戦になります。

追撃に加えて手取川が増水していた事・織田軍が上杉軍をハナから恐れていて逃げ腰だった事が合わさって織田軍は惨敗した訳で・・・それをもじって後世に残った詩が最初の句。。。ま、それなりに有名なお話ですね(^ω^:)


JR小舞子駅から徒歩15分弱で手取川古戦場跡地にたどり着きました。

現地には遺構や史跡は殆ど残っておらず、呉竹文庫の駐車場に詩碑と解説碑が残るのみです。

古戦場を思わせるものは何も残っておらず(殆どの古戦場が碑石とか解説くらいしか無いのは同じですがw)、ここで追撃戦があったとは思えない程のどかな場所でした。

遠くからここだけを目当てに訪問するにゃ勿体なさすぎるので、周囲の史跡訪問の際のついでに立ち寄る程度で宜しいかと。
(勿論呉竹文庫目当てならそれに越した事は無いかと)


最近TVで軒並み情報番組のMCが東京都のコロナ感染者数が少ないと言ってますが、言うてもまだ400人前後ですからね?全然少なくないですからね?
・・・勘違いする人が多いし、増長する人増えるから、もっと考えてコメントして欲しいもんです。(こっちの方が謝罪もんだと思う)

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釜次郎

遺構も案内板も無いけど立派な石碑が建っています。 (2021/02/13 訪問)

二塚城(太刀城)越中守護・名越時有の居城であり、放生津城の支城。近くには名越時有に殺害された後醍醐天皇の親王・恒性皇子の陵墓があります。

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リトルボブ

小田氏関係のお城巡り・4個所目 (2021/02/13 訪問)

小田氏関係のお城巡り4個所目は茨城県石岡市にある城びと未掲載の片野城です。
削られているところもありますが土塁も多く残っています。

藪が深いのと、私有地の雰囲気があったのであまり深入りしませんでした。
周囲には沢山の遺構が残っているように感じます。

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リトルボブ

小田氏関係のお城巡り・3個所目 (2021/02/13 訪問)

小田氏関係のお城巡りでここは外せません。

小田氏の居城であることはもちろん、ここを舞台にして幾度も他勢力と奪還戦を行っています。
本丸跡地が整備されて公園化されていますが、他の曲輪も一部失われているものの良好な状態で残っています。
障害物が無いので、櫓台に上って眺めると城の広さが実感できます。

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リトルボブ

小田氏関係のお城巡り・2個所目 (2021/02/13 訪問)

小田氏関係のお城巡り2個所目は茨城県つくば市にある城びと未掲載の金田(こんだ)城です。
詳しいことはわかっていないようなのですが、小田城の近くにあることから小田家の勢力圏だったのかもしれないと思い訪問しました。

訪問時は主郭への道?が立ち入り禁止に見受けられたので、やむなく別の道を行きました。
道に沿って大きな堀がありましたが、生い茂る大量の藪に阻まれて突入できず、見通しも良くありません。
私は主郭部突入を諦めましたが、猛者が堀に突入した跡が残っていました。
彼(彼女?)の攻城は無事に成功したのでしょうか。

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リトルボブ

小田氏関係のお城巡り・1個所目 (2021/02/13 訪問)

「戦国最弱」「不死鳥」等、様々な呼び方をされている小田氏治さんに何となく興味が出てきたので、関係するお城をいくつか巡ってみることにしました。
1個所目は配下である菅谷氏の居城と言われる土浦城です。
攻城前に、まずは隣接する土浦市立博物館に寄りました。
ついでに立ち寄っただけのつもりでしたが、展示物が面白くて気が付いたら1時間近く経過していました。

続いて城跡の見学です。
ここは「亀城公園」と呼ばれています。
土浦城は水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城の別名があったそうです。
東西の櫓は復元されたものですが、太鼓櫓門は当時モノだそうです。

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ぴーかる

三石城 (2021/01/10 訪問)

【三石城】
<駐車場他>専用駐車場はなし。三石運動公園駐車場が利便
<交通手段>車

<見所>石垣・堀切・土塁・曲輪
<感想>緊急事態前の駆け込み攻め城1城目。投稿がやっと年明けました。今年の城攻め初めは三石城。
 三石城は守護代浦上氏の居城として室町時代から戦国時代にかけて機能した。1519年に赤松家の宿老、浦上村宗の時、主家に反旗を起こした際に赤松義村に三石城を包囲されたが、包囲軍を敗走させた時がこの城最大の活躍をみせた。その後城は村宗の次男宗景に引き継がれたが、1554年に天神山城を築き居城を移したので三石城は破棄された。
 登城口にある民家の軒先に城跡の案内のコピーがありますので有難くもらえます。登り始めるとすぐに第2見張り所曲輪があります。15分程で千貫井戸へ行くルートとの分岐になるので、まず千貫井戸へ。井戸は行って戻る形となります。分岐から5分程登ると今度は三叉路になっていて、西は第1見張り所曲輪、北は大手門跡、東は曲輪群の最西端に出ます。まず西方向へ進んで第1見張り所へ行きます。ここは眺望がよいです。添付写真の主郭のある山頂部分も見れます。ここも行って戻る形となります。また分岐に戻り東方向の曲輪群の道を行って山頂を目指します。分岐からすぐに添付写真の櫓台の石垣が見えてきます。北の大手門ルートを選び、帰りも同じルートを通ると見落としがちなので気を付けるべしです。櫓台石垣から曲輪群に入ります。まず東西に細く、南北に上下段に分かれた曲輪があります。北の下段が馬場、南の上段が三の丸から伸びた曲輪となっていて土塁上が道になっています。進んで三の丸、二の丸も比較的細長く、曲輪全体で北方向に90度曲がっています。曲輪間の仕切り土塁があります。主郭は南北に少し伸びた楕円形で東側はくっきりと土居が残っています。西側は曲輪がホゲたようになっている箇所があるので、虎口なのか竪掘りの始まりなのか良く分からない遺構があります。主郭北側の帯曲輪も道は無いですが行ってみて下さい。石垣の井戸跡と添付写真の石垣が僅かですが残っています。主郭を北側へ降りると左手は主郭横堀と土塁が100㍍程あり、右手は北の鶯丸との大堀切がある。堀切下の堀はそのまま下に落ち込み竪掘りとなっている。この辺の連続した防御遺構は見応えがあります。北の鶯丸の曲輪は最北の曲輪でここも東西に上下段に分かれている。さらに鶯丸の北側に堀切を備えている。最後に主郭西側の横堀に沿って南に行き大手門跡へ行った。大手門跡がこの城跡で一番石垣遺構が残っています。大手門跡は3方を石垣で囲んでいたであろう枡形で、入るとすぐに右手に道が折れている。廃城から470年もの長い間崩れずに残っている浪漫感じます。以前から行ってみたかった城跡で期待通り大満足で満喫しました。

<満足度>◆◆◆

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チェブ

赤山城と赤山陣屋。伊奈城と伊奈陣屋。 (2021/01/02 訪問)

こちらも、車より交通機関を利用した方が良いと思われる「赤山城」です。
東京外環自動車道が通る大きな街道の横にあります。
この辺りは、いつも渋滞しているイメージです。

まず、家康さんの関東移封に伴い、伊奈 忠次さんが「伊奈城」を築きます。関東代官頭として検地等しました。
「伊奈城」は、こちらから車で小一時間の場所にあります。
忠次さんが亡くなります。嫡男 忠政さんが継ぎますが、またも亡くなります。忠政さんの子は8歳。
まだ幼かったので、忠次さんの次男、伊奈 忠治さんが関東代官のお仕事を引き継ぎました。
忠治さんは すでに赤山を拝領していたので、拠点を赤山に移し「赤山陣屋」としました。

以前「伊奈城」攻めをした事がありました。
同じ伊奈氏だったので頭の中がごちゃごちゃし、調べてみると、こんな理由があったんですね。

私は『赤山歴史自然公園』改め『いいなパーク』の駐車場を期待したのですが、「赤山陣屋」の説明板を見つけ、あわてて路駐してしまいました。
ちなみに『いいなパーク』の『いいな』は"伊奈氏" と "良い " から名付けられたそうです。
レンガの遊歩道があり、車で通って良いか分からず、ぐるっと回り反対側に行きました。
そちらに「赤山城」の石碑と説明板があります。
石碑の前で地元の御老人3人が日向ぼっこしてました。
お一方が車椅子だったので、邪魔しないように写真を写しました。
駐車できるか聞きたかったんですが、世間話とコロナの話になり、お礼をして退陣しました。
広く整備されているようで、歩いたら気持ち良さそうです。

伊奈 忠治さんは関東の治水業務に貢献した方です。
江戸の街を作った、誇り高い伊奈の名前はいろんな場所で使われてます。

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pascal

予想外に大きく、整備の行き届いた城 (2014/10/11 訪問)

松井田城と安中城の中間にある後閑城です。 新田氏の末裔の後閑氏の居城でした。

【アクセス(車)】
 安中市立後閑小学校が目印になり、校舎の北の丘陵が城址で、後閑城址公園になっています。
駐車場は東西に2ヵ所あり、短時間で中心部を見るなら西駐車場、足元からじっくり攻めるなら東駐車場がお奨め。

【城の歴史】
 戦国初期、山内上杉氏に与力した信濃の依田氏が築いたと伝わります。
北条氏が奪取した後に、西上野に侵攻した武田信玄が奪い、傘下に居た新田信澄にここを与えて、後閑氏を名乗らせたそうです。
後閑氏は武田滅亡後は北条氏に従い、小田原征伐で改易・廃城となりました。

【見どころ】
 全山800m四方が曲輪で要塞化され、規模は箕輪城にも匹敵しそう。
多数ある城内の曲輪群を大堀切で分断し、一城別郭(六郭)にした縄張りは珍しい。
それぞれの郭と堀はよく整備されて見やすく、軽装で手軽に登城できるハードルの低い城です。

【感想】
 小規模な豪族の城で、特に大きな合戦や歴史小説にも名前の出て来ないノーマークの城だったので、現物を見て大きさに驚嘆。
北条氏の大道寺さんも、これが有るなら松井田城は要らなかったのでは?…(^^;
主郭には大きな東屋が幾つもあり、お花見公園の整備かと思われます。
“多少盛った”感も残りますが、お陰で足元に不安なく見学できました。

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しげさん

本丸跡 (2021/02/13 訪問)

本丸跡です。結構広いですね。

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二条城 (2020/11/27 訪問)

日本百名城

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富山城 (2020/11/22 訪問)

続日本百名城

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姫路城 (2020/02/22 訪問)

日本百名城
現存12天守

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名古屋城 (2020/01/19 訪問)

日本百名城

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岡崎城 (2020/01/13 訪問)

日本百名城

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岐阜城 (2019/12/23 訪問)

日本百名城

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