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久しぶりに甲府城へ (2021/05/08 訪問)

今回は、防災会館の地下にある展示室でジックリと石垣を鑑賞しました。
ひとりきりだったので、ひとりじめ状態でした。
そして、甲府城を訪問しました。
何回も来ていると勝手が分かって来て、短時間でしたが満足でしたね。
甲府城開府500年だそうで、展示もしていたので拝見致しました。
武田信玄公生誕500年でもあるのですね。
それで、にのまるさんの武将クイズの答えは武田信玄公と思います。

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カズサン

現在の長岡城は桜満開、城郭風郷土史料館 (2014/04/19 訪問)

 平成26年4月春日山城を満足の初登城を終えて北陸道経由長岡城へ向かう。
 長岡城は蔵王堂城から長岡城に堀直竒が移し元和4年(1618年)牧野氏が入封し7万4千石の藩領を幕末まで継承、幕末の北越戊辰戦争は苛烈で現在も語り継がれてます。城址は現在のJR長岡駅、再開発で面影は有りませんが城石碑が駅前に在るそうです。(私は見てませんが)
 建物主体の私としては悠久山頂上に建てられてる城郭風の長岡市郷土史料館へ直行しました、丁度桜の盛りで上から下まで桜の海に覆われてました人出も多く、駐車場は公園駐車場が沢山有りますが野球場に近くて神社道に近い所を選択利用。
 下から桜と模擬天守を写そうとぶらつき長岡大学の裏辺りから登ろうと登城路を探すが分からず悠久山をぐるっと回って池と公園に成ってる側から風景写真を撮りながらやっとこさ城郭風史料館に到着。
 郷土資料館内は長岡城の展示は勿論ありますが、主は幕末北越戊辰戦争と軍事総督河合継之助、大東亜戦争の山本五十六元帥の展示に力が入ってる様子。(私は嫌いでは有りません)

 史料館見学の後は天守最上階より桜と天守建物、下界の桜模様を撮影し降りても天守と周辺を同様に撮影。雲行きが怪しく成り山沿いは雲が黒く荒れそうな雰囲気、下城は蒼柴神社側から駐車場へ登りとえらい違いでした。

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イオ

巨石ごろごろ (2021/04/25 訪問)

戦国中期、近江国甲賀から入郷した佐々木宇右衛門(六角氏の一族)が曽根弾正を名乗り築いた城で、当初は伊勢国司北畠氏に、北畠氏の滅亡後は新宮から勢力を伸ばしていた堀内氏に従いましたが、関ケ原の戦いで西軍に属した堀内氏が改易されたことに伴って没落したようです。

賀田湾に面した曽根集落背後の城山と呼ばれる山頂部に位置し、主郭部から西にのびる尾根上にいくつかの曲輪を連ねています。また、山麓には曽根弾正屋敷と呼ばれる居館の跡が残っています。

飛鳥神社の前から細い道路に入り、随所にある案内標識に従って城山公園の駐車場へ。駐車場上の立派な猪垣を眺めた後、まだ車で行けそうなのでさらに上って行き、登城口の駐車場に駐めて登城開始。登城口から曾根城西端の堀切までは急な坂道が続きますが、賀田湾と曽根集落の眺望や城山夫婦石などの巨石を楽しみつつ10分あまりで尾根に到達。城内には巨石が散在していて、登城路を挟んだ巨石は城門のようです。西尾根の曲輪群は三条の堀切で隔てられ、堀切のところどころは石垣になっています。二条目の堀切(外堀)に架けられた橋を越えて進むと主郭部に至ります。主郭部の北辺には巨石列が壁のように連なり、物見岩の案内標識に従って巨石列の上を進むと賀田湾を一望する絶景が! 主郭部東下の曲輪には石組みの井戸がありますが、危険になったため大きな石で塞がれています。井戸の反対側には楯石と呼ばれる巨石があり、その名の通り南辺に続く石列と併せて南辺の防御を担っていたと思われます。東にもう一段下の曲輪には貯水施設と思しき窪地があり、そこから石段を下りた先の広い曲輪には一面に巨石が散乱しています。その中でも最大の「鯨石」を眺めつつ進むと、堀切に架かる橋の下に着きます。これで城内一周です。

曾根城は「つつじが城」とも呼ばれるようにオンツツジの名所として知られ、今回のお目当てのひとつでしたが、訪れるのが当初の予定より1~2週間遅れたこともあって、見頃は過ぎてしまっていました…。それでも、もうひとつのお目当ての巨石は期待以上で、壁のような巨石列とそこからの眺望は大いに見応えがありました。
 

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たら吉

小諸散策

懐古園は以外と広くて1日楽しめ小諸駅の反対側には大手門や陣屋もありコンパクトに観光出来ます。駅でレンタサイクルを借り布引観音まで足を延ばしてみました!

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たら吉

お堀の蓮が見事! (2018/08/17 訪問)

お盆休みに来訪。お堀をぐるりと回って散策。蓮が綺麗でしたよ。ボランティアガイドの方のお話しも楽しかったです♪

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てぃあの

名古屋城 (2022/04/03 訪問)

御城印めぐり

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カズサン

謙信公の城へ初登城、林泉寺と監物堀編 (2014/04/19 訪問)

 春日山城本城を終えて謙信公に由来有る林泉寺による、惣門春日山城の城門と言われる、謙信公の信条第一義の額の掛かった山門、本堂を参拝、見学。
 駐車場:林泉寺駐車場利用

 林泉寺を終えて平成20年に発掘調査復元整備された監物堀、春日山城の惣掘りで壮大な春日山城だったことが分かります、続く東城砦も合わせて探訪し、同施設ものがたり館を見学。
 駐車場:ものがたり館駐車場利用

 ここまでは天気に恵まれ良好な城廻り桜も満開文句なしです。

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1X

伊庭御殿(未登録) (2021/05/09 訪問)

安土駅から朝鮮人街道を歩いて向かいました。
わずかに石垣が残っていました。
昔は、琵琶湖がこの辺りまで入り込んでいたので、きっと夕日が奇麗だったことでしょう。

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こうちゃん

非常に丁寧な作りの山城 (2021/05/09 訪問)

表通りの安木歴史博物館駐車場から山腹の曲輪を巡って山中御殿後に向かう。山中御殿後の下にも月山富田城駐車場があるが本来の城全体を把握するなら手前から行こう(トイレもそこに行くまでに3箇所もある。山中御殿後の左に軍用山道が有りそこから登り、帰りは正面の七曲山道(オール階段)で降りる。上がり切ると三の丸→二の丸か、三の丸から本丸かになる。二の丸から本丸にはつながっていない(現状)。とにかく丁寧に作られている。居城にしていた尼子氏を毛利が打ち、毛利が萩に追いやられ堀尾元春が入場し、松江城に移動する。その堀尾元春の墓がここにある。なんてロマンチックな!

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こうちゃん

毛利のルーツをしっかり頭に入れて伺うべし (2021/05/09 訪問)

安芸高田市歴史民俗博物館から山側に曲がり少し行くと大通院谷川砂防公園駐車場に着く(トイレ最終)。そして突き当たりまで行くと(小スペース)駐車場有りここがNICEポジション。行きは毛利元就公墓所参道からの登山道(険しい)から登り、元就公、一族の墓前でご挨拶、帰りは郡山公園、清神社(すがじんじゃ)登山道で降り、郡山公園(小さい)で毛利隆元公墓を目指すと駐車場に着く。日本100名城にあるから行くのと、毛利家のルーツをしっかり頭に入れて行くのとは100倍楽しさが変わる!

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カズサン

謙信公の城へ初登城、春日山神社~直江屋敷編 (2014/04/19 訪問)

 車を停めた春日山神社下の駐車場から馬場跡茶屋、謙信公銅像、春日山神社、同記念館、千貫門跡、虎口、空堀、直江屋敷のルートを投稿します。
 ゆっくり歩いて案内板観て実物現場を確認して足の疲労を極力抑える様に登城しました、時間は掛かりましたが楽しい疲れです。

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こうちゃん

豪雨での復旧での仮設の足場道で! (2021/05/08 訪問)

津和野城リフト駐車場目指す。1人乗りのリフトで上がって15分ほど歩く(高低差そんなになし)。軽い演出があった後に気付けばそこは天守台後!見所はそこから太鼓丸→三十間台(最高地)に着き観望。この2つの曲輪がメインそこから見下ろす人質櫓→三の丸。夜のライトアップを見てその残像がつながるのだ!

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こうちゃん

地の利を活かした最高傑作 (2021/05/08 訪問)

海沿いにぽこんと飛び出た指月山。3方を海で囲み、正面に内堀、からの外堀の梯郭式平城。山頂に詰丸を設け睨みを効かす。完璧!さらに突き出た両サイドに川が内地に向かって有り、城下町が形成されている。芸術作品としか言いようがない萩城下町!広島から追いやられてよっぽどの思い出作られたのが伝わってくる。予定外の毛利家のルーツである吉田郡山城に向かうことにした。

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カズサン

謙信公の城へ初登城、二の丸三の丸曲輪群編 (2014/04/19 訪問)

 本丸の実城周辺を降り二の丸、三の丸、景虎屋敷、米蔵と土塁、甘糟近江守屋敷、謙信公像と本丸、本丸下から落ちる竪堀、下城途中に目を引き付けた草花を投稿します。

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こうちゃん

観光の3点セットで楽しもう (2021/05/07 訪問)

本来の縄張りは地の利を活かした4つの曲輪からなる梯郭式山城、しかし二の丸から本丸にあっさり天守到着!
錦帯橋→ロープウェイ→天守の3点セット!見応え有り!

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こうちゃん

毛利巡りのスタート(広島城→萩城→郡山城) (2021/05/07 訪問)

広島市中央駐車場目指す(場内お土産屋で割引有り)。裏御門からでは無くまずは御門橋から二の丸表御門(復元)へ向かう。天守の外装は木造かと思うしあがり。見所は二の丸表御門周りと、天守内展示物!毛利氏の圧倒的な支配力が伝わってくる。

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カズサン

謙信公の城へ初登城、実城編 (2014/04/19 訪問)

 山城攻めは建物、石垣の現存、復元を問わず優先して全国廻ってましたがいよいよ巡る城郭が乏しく成り謙信公で著名な山城を訪ねようと7年前ですが直前に信濃飯山城を訪ねた後に春日山城初登城しました、飯山城は若干湿った様な空模様でしたが妙高山を越えると雲は有りますが晴天、城探訪日和でした。

 駐車場:春日山神社下の駐車場を利用

 探訪ルート:春日山神社駐車場⇒車道を通って馬場跡茶屋⇒謙信公の銅像を拝む⇒春日山神社、同記念館⇒同裏手より千貫門跡⇒空堀⇒直江屋敷虎口⇒直江屋敷数段の曲輪⇒お花畑⇒毘沙門堂⇒諏訪堂跡、護摩堂跡⇒本丸帯曲輪⇒本丸、天守台、大井戸、残雪を被る妙高山遠望する⇒大手道から二の丸、天守台、本丸を見上げる⇒三の丸、景虎屋敷⇒米蔵、土塁観察⇒甘糟近江守屋敷⇒帰路車道より実城周りを見上げ竪堀を2筋確認⇒謙信公銅像下⇒馬場跡茶店で昼食⇒春日山神社下駐車場⇒林泉寺⇒監物堀、東城砦⇒ものがたり館

 所感:謙信公の大城郭を足の負担を考えてゆっくりと歩き実感させて貰いました、本丸実城からの眺めは素晴らしい、残雪を被った妙高山も素晴らしい、まだ廻って無い所も沢山ありますが取り敢えず大満足です、案内板も要所要所に有り読みながらゆっくり観察出来ました、林泉寺にも寄り謙信公の青年時代、第一義の額の有る山門、春日山城からの移築門である惣門、桜もまだ盛りで美しい、終わりに発掘調査復元した総構跡の監物堀、土塁、東城砦も合わせ探訪立派な復元です、ものがたり館により見学復習しました、大変充実した時間でした。

 写真投稿:本丸実城周辺編、二の丸三の丸曲輪編、登城口から直江屋敷編、林泉寺、監物堀編へと逐次投稿します。だらだらと申し訳ございませんがご容赦ください。

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るるパパ

大阪最北、秀吉に攻められた土の城がそのままに (2021/05/09 訪問)

大阪最北の能勢町、田んぼと里山が広がる大阪とは思えないのどかな地域です。少し離れた場所からホタテ貝を立てたように見えるのが丸山城。比高はわずか50メートルですが、本丸、二の丸、その下の曲輪と三段に整地されていて、その美しさ、当時のままの保存状態に驚かされます。本丸と下の曲輪高低差は5メートル以上。簡単には攻略できません。城の最北の狼煙台からは下を見ると20メートルはあります。堀切や竪堀もきれいに残っています。特にすごいのが本丸。幅30メートル、奥行50メートルが真っ平らです。どんな権力者がいたのか?実は能勢さんだそうです。光秀の配下となり山崎の戦いの後、秀吉軍に攻められ落城。各地を転々とした後、家康に召し抱えられ旧領を与えられました。徳川の世では大名、町の名前にまでなったそうです。戦国時代には何度も何度も戦いの舞台となりました。リアル戦国の城ゆえにこの作り、納得です。なお木がないと、城は横から見るとワッフルのような形(諏訪原城をかなり小さくした舌状台地風)。城の東側の駐車場からはワッフルの背中から登る感じでかなり急です。南側に民家がありその横から西側に回ると大手門跡と大手道があります!こっちのほうが、道路から遠いこともあって、当時の雰囲気を味わえます。なお、石垣や、入り組んだ虎口はありません。土だけです。だからこそ、リアリティーを感じます。行ってみて損はないですよ!それにしても、都会のすぐ近くにこんなに素晴らしい城があるとは思いませんでした。

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にのまる

【武将の像クイズ】

御年500歳

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ぴーかる

若江城/木村重成・山口重信公墓所 (2021/05/09 訪問)

【若江城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾1城目。先日のGWの郊外の山城ハイキングコースでの密を反省し、非接触のバイク旅を実施しました。
 若江城は1382年河内守護となった畠山基国が北朝方の拠点として築城し、守護代の遊佐氏が城代を務めた。戦国末期には三好義継→池田氏と城主が変わり、織田信長軍の猛攻を受けるなどして度々激戦の拠点の城となっている。また足利義昭が信長に京都を追われて入城した城でもある。1583年に大坂城築城に伴い石垣・建物等を持って行き廃城されたとされる。
 若江公民分館から小学校にかけてが城域らしく、公民館にある説明板によると1972年の発掘調査で2重の堀、土塁、瓦片が発掘されたとあります。説明板の発掘写真の場所が説明板のある場所という感じがして、瓦片が大量に写っているので若江城の建物は瓦葺きだったことが分かります。現在残る遺構はありません。公民分館から道路を挟んで南側に城跡碑があります。
 調べなければ気づかなかったのですが、先達のイオさんの投稿が有難く、近くの木村重成・山口重信墓所にも寄りました。木村重成公墓所は幸第一公園内、山口重信公墓所は川を挟んで北側の墓地内にあります。

<満足度>◆◇◇

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