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イオ

海に突き出た岬の城 (2021/08/01 訪問)

詳細は不明ながら、室町期に越賀氏によって築かれた城で、九鬼嘉隆の侵攻に対して、越賀隆俊は越賀城に籠城して抵抗した後、和睦して九鬼水軍の一員となり、隆政、隆春と三代にわたって九鬼氏に仕えました。

太平洋に突き出た小さな岬に位置し、三方を海に囲まれた単郭方形の城で、北側の集落との間を堀切で断ち切っています。堀切の西端に主郭に至る登城路が設けられていますが、時季的に藪に沈んでいて突入するのはためらわれます。それでも勇を鼓して、藪をかき分け蜘蛛の巣を払いながら進んで行くと…主郭もやっぱり藪の中でした。下調べでは中心部は畑とのことでしたが、もう何年も放置されているようで、笹藪が激しく茂っていてとても入り込めません。かろうじて北東隅の土塁に石組みの穴(井戸? 古墳跡?)が見られたくらいでした。

なお、越賀城から西に車で約3分の普門寺は、隆春が隆政のために建立したとされる越賀氏の菩提寺で、境内には越賀氏三代の墓所があります。普門寺の寺紋は越賀氏の家紋と同じ桧扇(七本骨扇)のようですが、門の脇には桧扇紋の瓦が並べられていました。
 

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じゅんじん

汗だく (2021/07/23 訪問)

箱根を越えて小田原城行く前に石垣山城へ。3回目ぐらいですがここからの海の眺めはいいですね。荒々しい石垣も見もの。小田原攻めのために築くとはよく考え付いたものだ。

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朝田 辰兵衛

しりとりロスもあった… (2019/07/16 訪問)

今回は,川柳ロス…。
それも「性(サガ)」ということで,佐賀城を。

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新ろくべえ

今村城石碑が民家に (2021/08/17 訪問)

たまたまネット検索で見つけた今村城に行ってきました
石碑があると聞いて車で登城しました
あるていど遺構があると思い調べようとしましたが
雨でいけず、さらに石碑が民家の前にあり行きにくかったので
あきらめました。
そのご城びとで今村城があり、赤い城さんやチェブさんが石碑を取っている人がいて
つぎは石碑の写真と遺構の状況を調べたいとおもいます
(城情報は情報が無かったのでまたのきかいに載せることにします
ご了承願います)

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あまり

竹田城 石垣 (2021/08/15 訪問)

竹田城ってすごいよね!
私は評価ニキみたいに批評できないけど、とにかくすごいよね!ね!(圧)

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higekam

真田氏の山城に石垣が (2020/10/03 訪問)

真田幸隆は真田本城を拠点としたとされるが、さらに山奥の松尾古城を根城という説もある。この城の本丸は石垣で囲まれていると知り、違和感を感じながらも訪問。

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higekam

小笠原流石垣 (2020/11/15 訪問)

小笠原家の拠点からさらに北方向に位置するこの城の石垣を見るために訪問。

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イオ

九鬼岩倉神社 (2021/08/01 訪問)

戦国後期に波切城主・九鬼泰隆が鳥羽進出のために築いた城で、その孫・浄隆の代に北畠氏の支援を受けた志摩七党と呼ばれる地頭たちに攻められ、戦の最中に浄隆が病死(討死とも)し、まだ幼い澄隆が家督を継いで叔父・嘉隆の補佐を受けるも落城。澄隆と嘉隆は朝熊山に落ち延びました。その後、織田信長に仕えた嘉隆が北畠氏を破ったことで、澄隆は田城城を回復しましたが、九鬼氏の実権を嘉隆に握られたまま病死(嘉隆による毒殺とも)し、嘉隆が本拠地を鳥羽城に移したことで廃城となりました。

加茂川と河内川に三方を囲まれた丘陵地に築かれた城で、かつては周囲は湿地帯だったようです。国道の九鬼岩倉神社前交差点近くに石鳥居があり、その脇に田城城跡の標柱と説明板があります。鳥居をくぐり階段を上って行くと神社の境内に至ります。ここが主郭のようです。東西に細長く広がる主郭の北辺と南辺には土塁(状の土盛り)が見られ、東奥に九鬼岩倉神社の社殿が建てられています。

九鬼岩倉神社は嘉隆の子・守隆が澄隆を祭神として祀ったとされますが、そうせずにいられないあたりが毒殺説を裏付けているようにも思えます。ともあれ、訪れた時も氏子の方々が境内の整備をしておられました。今なお大切にされているようです。
 

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小城小次郎

現地に立てばわかることもある (2021/05/29 訪問)

松平元康が兵糧入れに成功した舞台の城として有名だが現地は「もー」っとした緑の平原でしかない。堀底の木を伐採するだけでも景観が変わるのだが。ただ現地に立つと桶狭間前夜の緊張感だけは味わうことができる。行けばわかる。

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tshimojima

毛利の中国支配のための城 (2019/03/17 訪問)

毛利輝元の創建のお城だけあって、時代が騒乱から安定に向かう時代に建てられています。それゆえ防御よりも広島の水路を利用したつくりになっています。

現在も広島の都市の中心にあることから城下町の経済・物流の中心的な役割を果たしているのがよくわかります。

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higekam

備中高松城から南に数kmのところ (2021/03/16 訪問)

水掘で囲まれた小さな四方形の郭が残っている。現在さらに住宅が堀までせまっているため撮影に苦労した。
石垣は西面によく残っている。戦う城の石垣にしては優しい。

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higekam

宇喜多家の武威を誇示 (2021/03/16 訪問)

この地区に散在する国衆を臣従させるために作ったたといわれる本丸石垣。そうは言ってもと思いながら初めて目にした時は唖然とした。

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higekam

徳川御三家の城 (2021/03/29 訪問)

とはいえ戦国時代に藤堂高虎が築いてから幾度となく手が加えられており、折々の時代の石垣が楽しめる。

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新ろくべえ

村岡城に行ってきました

村岡城に行ってきました
ここは平将門の叔父の平良文が築城しました
そのご後北条氏の手により支配され玉縄城の支城となり
豊臣秀吉の小田原征伐により廃城となりました
〔城情報〕
・平山城
・築城者 平(村岡)良文
・築城年 平安時代中期〔900~1000年程度〕
・主要城主 平家、後北条氏
・主な遺構  なし(消滅)

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higekam

天下普請の力 (2021/06/17 訪問)

大阪の陣を控えた家康が短期間で作りあげた城。なんといっても高石垣だが、内外堀、そして二つ残る馬出も見事。

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tshimojima

兼六園から映えるお城に戻ってほしい (2014/07/01 訪問)

明治期に陸軍の施設が置かれ、その後は金沢大学が置かれていました。しかし現在、金沢大学は移転していますし、すこしずつお城の施設も復元されつつあるようです。

金沢観光となると兼六園が有名ですが、もともとは金沢城と兼六園はワンセットですから、資料がの残っているなら、ぜひ天守まで木造で戻るといいなと思います。

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イオ

鳥羽湾を見渡す (2021/08/01 訪問)

織豊期に九鬼嘉隆が本拠地として築いた城で、江戸前期に九鬼氏がお家騒動で国替えになって入封した内藤忠重により改修され、その後、城主は次々と替わりましたが、江戸中期以降は稲垣氏のもとで明治に至ります。明治に天守をはじめとする建物が取り壊され、昭和には本丸南下に小学校、西麓に市役所、家老屋敷跡に幼稚園が建てられました。

伊勢・志摩の国境の妙慶川河口南岸の丘陵地に築かれた城で、鳥羽湾に面した東側を大手とし、水門や舟蔵を設けた海城でした。さすがは水軍を率いて戦功を挙げた海賊大名の城ですね。

鳥羽城には3年ほど前にも登城していますが、本格的に城めぐりを始めたばかりの頃で見落としもあったので、再訪しました。家老屋敷跡下の無料駐車場に車を駐めて登城開始。まず家老屋敷跡の石垣と案内図を眺め、城山公園を抜けて本丸へ。本丸は小学校の運動場になっていたため目立った遺構は見られませんが、小学校移転後の発掘調査で、天守台や本丸御殿、大井戸が確認されています。また、本丸の周囲には野面積みの石垣が状態良く残っています。前回は本丸南側(小学校側)の石垣は未確認でしたが、こちら側にもなかなか見事な石垣が見られます。城山公園に戻って、前回行った三の丸広場には今回は行かず、ハートTOBAのモニュメントや天守型のライトアップを横目に北麓に下りて、堀代わりだった妙慶川と相橋の下の石垣を確認し、堀と堀代わりの蓮池を埋め立てた錦町通りを歩いて駐車場に戻りました。

それにしても、本丸から鳥羽湾を見渡していると、いつか九鬼嘉隆の首塚と胴塚がある答志島や坂手村砲台のある坂手島、神島、菅島などの離島めぐりをしてみたくなりますね。
 

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赤い城

練馬城址公園になると (2021/08/09 訪問)

西武豊島園駅から徒歩で少し。
閉園した豊島園が城址です。
隣接する向山公園の池が堀跡と言われています。
石神井城の支城として豊島氏が築いた城。
数年後には練馬城址公園として生まれ変わるようです。
遺構は発掘されませんかね。
出てきたらいいな。

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higekam

さすが丹波三大山城のひとつ (2021/07/25 訪問)

一日かけても回り尽くせないくらいの規模。
今回は全体感をつかみながら、特に残存石垣の探索をメインに城域を徘徊。明智光秀が奪い取ったのち補強した石垣も無残な姿ではあるが、思ったよりも残っていた。

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higekam

高石垣に感動 (2021/07/20 訪問)

丹波平定を目指した光秀の意気込みを感じる高石垣! 高さにも驚いたが、単なる四方形ではない多角形の技巧も駆使した石垣だ。

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