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イオ

歴史の大きな舞台 (2021/05/04 訪問)

平安末期に平通盛が木曽義仲に対するべく築いた城で、南北朝初期には恒良親王、尊良親王を奉じた新田義貞が入城して足利軍と戦うも、尊良親王と新田義顕(義貞嫡男)は自害、恒良親王は捕縛され、落城しました。戦国後期には朝倉氏の城となっていましたが、織田信長の侵攻を受けて支城の天筒山城が落城したことにより開城。しかし、浅井長政の離反により織田軍は挟撃を避けるべく撤退、金ヶ崎の退き口の舞台となりました。

天筒山から敦賀湾に張り出した半島部に築かれており、往時は三方を海に囲まれた要害で、突端の最高所に本丸を配し、天筒山方向へ続く尾根には3つの木戸と堀切を設けて防衛しています。

金崎宮バス停のある金ヶ崎公園駐車場(無料)に車を駐めて登城開始。駐車場西隣の旧敦賀港駅ランプ小屋には金ヶ崎城と周辺の城のパンフレットが置かれていますので、金ヶ崎城の縄張図をお持ちでない方はまずこちらからどうぞ。
参道の石段を上がって行くと5分ほどで金崎宮に到着。金崎宮は尊良親王と恒良親王を御祭神とし、境内には金ヶ崎城と天筒山城の模型や、金ヶ崎の退き口についての説明板が展示されています。また、お市の方が兄・信長に夫・長政の離反を知らせたとする逸話にちなんで、袋の両端を縛り小豆を入れたお守りが難関突破守として授与されています。
金崎宮から花換の小道を進んで鴎ヶ崎へ。かつては海中に突き出した尾崎だったため、幕末には台場として整備されたようですが、今は周囲も埋め立てられ、台場の遺構も見当たりません。
鴎ヶ崎から少し上がったところに案内標識があるので道をそれて行ってみると、尊良親王御陵墓見込地の碑が建てられていて、親王の自刃の地と考えられるようです。南北朝期の歴史には詳しくありませんが、太平記に描かれたようなことがこの地であったのだとすると…ひと時ただただ手を合わせてきました。
もとの道に戻って5分ほど登って行くと金𥔎古戦場の石碑があり、その先が月見御殿(本丸)です。月見御殿という名は、散在する石灰岩を庭石に見立てて月見の宴をしたとする伝承によるものだそうです。突端からは敦賀湾が一望でき、麓には恒良親王が落ち延びる際に松の木に御衣を掛けたと伝わる絹掛崎があります。
月見御殿から天筒山へ続く尾根を進むと三の木戸と堀切(竪堀)があり、その先の水の手と呼ばれる曲輪からは炭化した米が出土していて、兵糧庫があったと考えられています。また、水の手曲輪の東斜面には畝状竪堀群があり、朝倉氏の頃に設けられたもののようです。その先の二の木戸、一の木戸で金ヶ崎城はひと巡りになりますが、そのまま尾根道を進んで天筒山城に登城した後、二の木戸から金崎宮に下りて駐車場に戻りました。

遺構も期待以上にはありましたが、何より南北朝期にも戦国期にも歴史の大きな舞台になった地であり、南北朝期を描いた小説を読むなりしてもう少し知識を得た上で、また訪れたい城でした。
 

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刑部

予想以上の城址 (2021/05/02 訪問)

とても良かった!

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todo94

上高地からの帰りがけに (2021/04/30 訪問)

4月30日に休みを取って7連休としましたが、もはや県外に出かけるわけにはいきません。この機会に上高地デビューを果たした後、この城に立ち寄ってみました。鉄塔の辺りから竪堀が下っているように見えました。その後も堀底道のような登城路を登っていきましたが、まさか麓からの比高が450mもあるとはつゆ知らず、頂上は極めずじまい。またの機会に再チャレンジします。

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のん

高石垣と六段壁が見応えあり (2019/08/02 訪問)

岩村城→苗木城と二つのお城を廻りました。どちらも山城のため、車でないと行かれません。

高石垣と六段壁が有名な岩村城。
間近で見ると、高さ、段々になっている形ら石の量など迫力満点でした。

スタンプは歴史資料館にあります。
駐車場が資料館ともう少し上までいける駐車場と二箇所えりますが、資料館から続く石畳の道が風情があり、オススメです。 

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ikkobasan

広島城で勉強しました (2021/05/02 訪問)

緊急事態宣言前に行ってきました
お城の中にはトイレがないので、済ませてから入るといいですね

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城好きのメガネ

「松田城」 (2020/03/30 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
松田城は国衆であった松田氏が築いたとされる。松田顕秀は後北条氏の家臣であり、小田原衆の筆頭でもあった。松田憲秀は伊勢宗瑞以来の股肱の家臣であり後北条氏を支えた。現在、遺構の多くは高速道路により破壊されている。また、城内も畠となっているため遺構の確認は難しい。

<アクセス>
JR松田駅・小田急新松田駅 徒歩40分

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のん

是非ぜひみなさん行ってください! (2019/08/04 訪問)

駐車場から天守台まではかなり歩きます。真夏の暑い日に行ったため、お城までの遠さと暑さに途中くじけそうになりました。が、これが最高に見応えあり大感動!
いままで見た中で一番感動したお城です。
日本のマチュピチュとはよく言ったもの。その通りでした。

天然の岩盤があちこちゴロゴロする無骨な箇所と、人の手で緻密に計算された石垣 で造られた箇所とのアンバランス感。木曽川を見下ろす断崖絶壁に建てられた天守台、見上げれば真っ青な空。自分がどこにいるのか不思議な気分でした。

一体どんな人が、どんな風に造ったのか、人数や期間…当時を覗いてみたいものです。

ここに住んでいたら、戦国時代の戦も忘れてしまうのではと思うほど、世俗と隔離された仙人のような気分になりそうです。でも、ここは戦に明け暮れた緊張感溢れる場所だったんですよね。

山登りの支度で、飲み物や軽食を持って行くことをお勧めします。
スタンプはふもとの資料館にあります。
トイレやベンチ、ドリンクの自販機などもここにあります。山の方にはありませんでした。


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のん

偶然の出会い (2021/04/26 訪問)

横浜周辺のお城や史跡巡りをして、Googleマップを見ながら駅まで歩くうちにたまたまひどく急な坂道に出くわしました。ここは城向きの地形だわ…などと思っていたら、帰宅してから気付きました。青木城でした。

偶然の発見に嬉しくなりました。

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のん

看板が見応え、読み応えあり (2021/04/26 訪問)

横浜周辺のお城めぐり。
小机城と同じく、北条氏傘下のお城ですので、雰囲気が似ていました。空堀の深さや土塁が見応えあります。

見所は、お城のあちこちにある丁寧な説明の看板です。
お城を愛する方が作った物なのではないでしょうか。当時高さや深さを正確に記したり、現在との違いを比較できるようになっており、看板一つひとつ見ているだけで楽しい物でした。続100名城などに入ってなくても、地元で愛され、大切にされているお城なのではないでしょうか。

トイレも入り口入ってすぐにあり、広場あり木陰あり、気持ちの良い場所です。

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のん

石垣 のみあります (2021/04/26 訪問)

権現山城からの帰り道、立ち寄りました。石垣 のみが残っていました。台場公園もありますが、工事中ではいれませんでした。
大通り沿いに進むと魚の市場があり、通り沿いには海鮮丼の看板が何件か立っていました。朝イチ行くと食べられるのかな。

近くにイギリス領事館あとや神奈川宿などもありました。

さすが横浜、お城以外にの史跡があちこちにありました。

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のん

大手門跡が公共の施設として… (2021/04/26 訪問)

おそらく大手門跡だった場所に公共の子ども用の施設ができていて、櫓をくぐるような気分が味わえ、思わずシャッターを切りました。

わかっていてあえて建てたのか、ここを建築された方と意向を聞いてみたい(笑)

普通の公園になって、あまり遺構的な雰囲気はありませんが、門側の急坂あたりはお城らしさを感じ、ワクワクします。

この坂の下にある小さなカフェの珈琲、注文してから豆を引いて入れてくださいます。人柄の良いマスターがお一人でやられているようです。美味しかったです。

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のん

深い堀が美しい! (2021/04/26 訪問)

柔らかな若葉の色をした竹林が本当に美しく、4月終わりのこの時期に訪問してよかったです。
小机城→茅ヶ崎城→権現山城→横浜台場と廻りました。

この城の見所は、とにかく空堀の深さと土塁の高さ!
空堀の底を歩き回ることができるため、高さが実感でき、ため息をつくばかり。石垣 も好きですが、空堀と土塁の迫力を感じたい方、こちらのお城オススメです。

城跡を楽しむために綺麗に保存されており、歩きやすく、立て看板や説明などもあちこちにあります。広いため長い時間歩き回ったのですが、二の丸広場などに雰囲気壊さない程度に休憩できるベンチやテーブルもあります。平日ということもありましたが、人もほとんどいなかったため、満喫しまくりました。 

三の丸は第三京浜で完全に分断されています。急な階段を上り降りして向かったのですが、三の丸側から見ると、地形の断面図のように横から見る形になり、もともとあった地形をうまく利用した城だということが実感できて、また、楽しいです。こちら側は、個人の所有地なのか、畑になっていて住民の方がいらっしゃいました。お気をつけください。

この後近くの茅ヶ崎城にも行きましたが、同じ北条氏の作りからか、規模は全く異なりますが、似た雰囲気がありました。

また、すれ違う方から挨拶されて、横浜でもこんな見知らぬ人に挨拶するような地域なのかと、親しみが湧きました。

注意!スタンプは城から15分ほど離れた小机地域センターにあります。設置場所は入ってすぐの玄関です。(コロナ感染予防のための変更かもしれません。確認してください)小机駅からは近く数分歩いたところです。
電車で行く方は通り道ですが、車などで行く方は注意してください。駐車するにもコインパーキングを利用するようにとの注意書きがありました。センター閉館日、開館時間外にはスタンプできないそうです。

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ぴーかる

古河藩陣屋 (2021/05/09 訪問)

【古河藩陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。大念仏寺は山門前に参拝者駐車場あり。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾5城目。古河藩陣屋は天明年間(江戸中期)に下総国古河藩主が土井家の時河内国平野郷を飛地として与えられ、その知行所として置かれました。廃藩置県後郷役場→警察署→現在は平野小学校になっていて遺構は残っていません。陣屋屋門が西に少し行った大念仏寺南門として移築されています。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

中の御門表門竣工、見学して来ました (2021/05/14 訪問)

 令和3年3月13日竣工公開成った中の御門表門を見学して来ました、昨年11月末には工事中で表門が描かれてる仮設テント張りの所を九州城廻りの帰りに鳥取に寄り見学しましたが、復元された表門を平成30年9月に復元された擬宝珠橋と共に見学出来、且つ久松山山上の郭と共に見れる景観はまた素晴らしい、新しい景観が揃いました。
 竣工公開直ぐの桜の頃に行きたかったのですが母の13回忌法要に合わせて5月の探訪と成った次第です。
 後令和3年度末には完成予定ですが中の御門枡形石垣の完成、渡櫓御門の完成で中の御門枡形が完成形ですが現在の進捗状況を見ますと遅れ気味の様子ですが完成が待たれます。
 下馬場、太鼓櫓門と復元計画は続きます、此処までは元気な内に見れるでしょう❣

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ヒロケン

金川城の出城⁉ (2021/05/06 訪問)

徳倉城の築城時期は不明ですが、備前の守護代松田元隆の四男元資が1476年頃には居城していたといわれています。元隆のの子で元成の代に金川城が戦国大名の居城として整備された段階で、徳倉城も金川城の出城として整備され、松田氏の重臣宇垣氏が代々居城した。
しかし、1568年頃、宇喜多直家により松田氏が滅ぼされると直家の重心遠藤河内守が都倉城主になった。
1600年の関ヶ原の戦いで宇喜多氏が没落し、小早川秀秋が備前国主になったころに徳倉城は廃城になったとされています。

徳倉城は、遠藤山の山頂に築かれた連郭式山城で、曲輪、土塁、石垣、井戸、空堀等が残り、現在に伝えています。
駐車場はありませんが、大手道登城口と案内板がある道路脇に駐車スペースがあり、駐車することができます。トイレはありません。
大手道登城口から、約20分程で本丸に到達できます。

この城の最大の見所は、何と言っても本丸虎口の高石垣です(*^-^*)。結構、急峻な登山道を登ってきても、この石垣を見ると疲れも吹っ飛んでしまいます(*^-^*)。この城は建物を除く城郭遺構はほぼ完存していて、見所の多い城跡です。
ただ、残念なことに大手登城口から登城し、大手登城口に下山したため、搦め手道沿いの竪堀を見逃してしまい、再訪しようと考えています(;´д`)トホホ

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さかたか

水戸城 登城

仕事の合間に登城

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朝田 辰兵衛

この惑星では… (2019/06/29 訪問)

「この惑星では,ダジャレで使った言葉が本来の言葉に代わって市民権を得るようだ…」
お台場エリアを歩くと,「台場シティ」という言葉をよく目にします。最初に使用した人は「ダイバーシティ」に引っ掛けて売り込んだのだと思いますが,すっかり定着している感があります。そもそも,元となった「ダイバーシティ」を知らない人も多いハズ。うまく,どちらも共存してもらいたいものだ。
それが,多様性(ダイバーシティ)というものだろう…。

ここは,レインボーブリッジを徒歩で渡り,第三台場を眺望するのが宜しいかと思います。

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ぴーかる

正覚寺城/畠山政長墓所 (2021/05/09 訪問)

【正覚寺城】
<駐車場他>旭神社西側駐車場あり。
<交通手段>バイク

<感想>バイクでちょこ城巡りのツーリング、大阪府内限定第2弾4城目。正覚寺城は1493年、畠山政長が10代将軍足利義材と幕府軍と共に高屋城に籠城する畠山義豊(畠山義就の子)を攻めるのに本陣を置いた場所です。しかし、義豊に味方した細川政元が謀反を起こすと、味方であった筈の幕府軍4万余の軍勢が敵方にまわり、政長らが籠る正覚寺城に攻め寄せて落城し畠山政長は自害した。畠山政長の墓地は正覚寺城跡(旭神社)西に少し行ったところの住宅地内にひっそりとあります。
 現在旭神社には正覚寺城の城跡碑しかなく遺構は残っていない。また畠山政長墓地は墓石の横から雑木が大きく伸びてきており手入れされておらず寂しい感じだ。

<満足度>◆◇◇

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にのまる

3カ所セットで。 (2021/04/10 訪問)

 一年ぶりの訪問ですが、今回は説明板のある新川・島屋敷通り団地には寄らず、春清寺と勝淵神社に行ってきました。
 島屋敷(金子氏館跡)はこの地を与えられた柴田勝重(柴田勝家の孫)が館を構えた場所で、春清寺には柴田家墓所があり、勝淵神社には勝重が勝家に与えられた兜を埋納したという伝承があります。どちらも現在見ることができるのは「石」のみですが、北ノ庄の戦いを思いながら碑文を読んだりなどしていると、遠くの山城の苔むした石積みを拝むのと同じくらいじーんとしてきました。
 写真①~③が春清寺で、④~⑨が勝淵神社です。位置関係は⑩のとおりで充分歩いてまわれる範囲です。「金子氏館は説明板だけらしいからわざわざポチしに団地に行くのもなんだかなぁ」と一年前まで思っていましたが、長い間大切にされてきた史跡だったのだと知り、自分の無知と下調べの足りなさを思い知らされました。しかし現地を訪れて新しいことを知り、次はあそこに行こうと計画を立てるのも楽しみのひとつではあります。

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小城小次郎

年々 (2021/02/14 訪問)

1989年に現況遺構調査(表面調査)報告がなされた際に伐採されたはずだが、四の曲輪や五の曲輪など足柄城のダイナミックさを伝えるエリアの視界が年々悪くなっているのは残念。探せばまだ石積みも出てきそうだが。

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