津山城至近です。
堆積物や藪化で遺構は判然としません。
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2020/12/20 15:10
神楽尾城 (2020/12/14 訪問)
津山城至近です。
堆積物や藪化で遺構は判然としません。
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2020/12/20 14:24
所用にかこつけた城巡り 6城目 (2020/11/15 訪問)
佐伯城の南方には、延岡、佐土原、都於郡、飫肥、志布志、と候補が目白押し。
高や、綾も、興味をそそられるし…。
全部まわっていたら所用のある火曜日に福岡入りもできないし、日曜日の熊本城にも行けない。
(日曜にこだわる理由は、熊本城の稿を参照してください)
悩みぬいたすえ、飫肥城と、19歳の夏、独り旅で行った思い出の地を訪ねることにした。
(青春時代の思い出の地なんか、どうでもいいって? そりゃそうだよね。(汗)
なんせこの歳なので、50年ぶりの二度とないチャンスだったものだから・・・ スンマセン。)
朝8時半に駐車場に行くと大勢の小学生と父兄たちが集まっていたので話を伺うと、この町では
6年生になると数日間、規律が厳しめの宿泊研修をする伝統があり、その出発式だそうだ。
いつからかは聞きそびれたが、歴史のある町には連綿と続く伝統が残るものですね。
駐車場を出たところの ”おび天 蔵” で ”おび天定食” を朝食でいただいた。
おび天とは魚のすり身に豆腐を混ぜて揚げた郷土料理で、薩摩揚げよりもふわりとした食感です。
朝イチに到着するようにと、まともな朝食をせずに移動してきたので9時オープンは有りがたい。
大手門からみる、ひと気のない大手門通りが、好い。
江戸期の大手門は明治初期に取り壊されたが昭和30年代には別の城門(藥医門)がここに移されており
しばらく存在したそうで、今の大手門は昭和53年にまったくの推定による再建だそうです。
でも、これも雰囲気は悪くない。
枡形虎口の鍵型に曲がった控え塀は、あまり見かけ無いように思うのだけど、気のせいか?
枡形を抜けた左の曲輪には、飫肥杉が整然と並んでいる。
このようになるように計算して植えたのか、はたまた伐採したものか?
旧本丸は苔が一面に覆い、飫肥杉が林立する独特の雰囲気。
眼下に酒谷川が見える西側の土塁にも木の根が地表を這い、歴史を感じさせる。
北門の外の下方にはグランドが広がり高校球児が練習をしている。
この稿を書くのに少し調べていたら、飫肥城は知覧城などと同じくシラス台地を空堀で区画した
南九州型(群郭式)城郭 と書かれているではないか。
何気なく撮影したグランドも、かつては曲輪であったものが削平されてできたそうな。
してみるとグランドの周囲の、こんもりとした森も曲輪群であり、かつての城域となるわけだ。
小学校を含む、今見て回った城域だけが、飫肥城というわけでなかった。
知覧城や志布志城に見られる(私は、いまだ未踏ですが)、土、つち、ツチの壁だらけの城と
飫肥城が同じ顔を持った兄弟のような城だったとは…。
武骨な地肌を白漆喰でお化粧していたなんて、飫肥城、侮れない。
この飫肥の町は九州で初の 「重要伝統的建造物保存地区」 に指定されたそうだ。
(ちなみに、私の”重伝建地区巡り”も、此処でやっと25ヶ所目となった)
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2020/12/20 13:05
水戸線で分断されている (2020/12/12 訪問)
水戸線の小田林駅から徒歩で25分くらい。
県道から細い道を入ったところに説明板が立っています。
そばに藪となった堀と土塁があります。
この土塁は物見台でしょうか。
近くの踏切を渡って線路南側に主郭があります。
こちらも藪。
虎口ぽい部分も見られます。
こちら側の遺構は良好に残っていいます。
他の曲輪は畑となっていました。
小山城の支城とされ、国の史跡にも指定されていますが・・・。
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2020/12/20 10:19
2020/12/20 08:19
お城expo2日目 (2020/12/19 訪問)
駅や電車はいつものごとく混雑していますが、会場内は例年になく静かで空いていて、感染対策もばっちりで寒いくらいでした。
午後から行ったので、観光ゾーンを少しまわって、厳選プログラムひとつと物販の下見をしました。
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2020/12/20 08:14
伊勢湾沿岸遠征日帰り④ (2018/08/07 訪問)
「伊勢湾沿岸遠征日帰り」の4城目(ラストです)は桑名城です。亀山城からの転戦です。
亀山城から、亀山駅➡桑名駅➡徒歩で桑名城に到着。
桑名城は徳川四天王のひとり、本多忠勝の居城として知られています。本多氏が姫路城に移ってからは松平氏が桑名藩主をつとめました。
忠勝の孫である忠刻と徳川家康の孫娘である千姫は、この城で結婚したそうです。
現在城址は本丸・二の丸一帯が「九華公園」として整備されており、「蟠龍櫓」が外観復元されています。攻城時間は60分くらいでした。
城近隣のアーケード商店街で「名物 焼きハマグリ」が食せるとの情報があり、商店街を覗いた記憶はありますが、「焼きハマグリ」の写真が残っていないので食していないと思われます。➡たぶん店が閉まっていたと思います?
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2020/12/20 07:52
2020/12/20 07:45
伊勢湾沿岸遠征日帰り③ (2018/08/07 訪問)
「伊勢湾沿岸遠征日帰り」の3城目は亀山城です。津城からの転戦です。
津城から、三重会館前(三重交通バス)➡津駅前/津駅➡亀山駅➡徒歩で亀山城に到着。
亀山城は1265年に関実忠が若山の地に築いたと伝えられます。中世の亀山に勢力を誇った関氏の居城で、現在の場所に16世紀中ごろまでに移っていたと考えられるそうです。
1590年、岡本宗憲によって天守を築造するなどの修築を行い、本多俊次が1639年から3年をかけて行った大改修によって、ほぼ現在の城地が確定したそうです。
なお、亀山城の天守を壊すよう幕府に命じられた出雲松江城主堀尾忠晴が間違えて亀山城の天守を取り壊したと伝えられ、以後天守は再建されなかったそうです。
現在は本丸東南隅の多聞櫓と石垣、外堀、二の丸から西出丸の北側の土居が残っています。
亀山市には東海道の四十六・四十七・四十八番目にあたる三つの宿場町「亀山宿」、「関宿」、「坂下宿」があったそうで、亀山駅から亀山城に向かう途中に「亀山宿標識」がありました。攻城時間は45分くらいでした。
桑名城に向かうまで電車の時間があったので、JR亀山駅の近くのお店で「亀山B級グルメ みそ焼きうどん」でビールを飲みました。真夏の暑い中の攻城なのでビールが美味しかった(もちろん、みそ焼きうどんも美味しくいただきました)。
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2020/12/19 22:37
登城始め急な切岸で圧倒される (2020/11/29 訪問)
久美浜陣屋、松倉城を終えて東に直線約25km程弓木城を目指す、ナビは岩滝小学校と農免道路をはさんで城山公園駐車場(京都府与謝郡与謝野町弓木1542でナビ微調整)を目指す、今回の九州未踏の城廻り累計40城目を初登城。
駐車場は大型車も可能な大型駐車場でトイレも完備。今回のガイドは古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図に依る。
駐車場から道路沿い西へ案内登城路、側面南に尾根筋東の伸びる3郭曲輪群の北面急峻な切岸に圧倒される裾に横堀、神社階段を登り本丸北裏に神社の有る曲輪、南に1郭本丸に登る、本丸は低いが二段に成って南の伸びてる、南端に裾まで伸びる長い竪堀、両側は切岸、南斜め下に下城路にて2郭、1郭本丸南面、竪掘りを渡り本丸東面切岸へ、そこには広い大横堀を挟んで4郭二の丸?、本丸東切岸裾道を元の神社へ、神社下に土塁が残ってる、本丸西下に西曲輪群を挟んで大堀切が在るように見える。戻り駐車場南裏に土塁と横堀で出丸跡。
認識なく初登城でしたが大変良い造りの山城を探訪させてもらいました満足の行く山城です、主な所は草刈りもされており安心して探訪出来ました。
歴史は鎌倉期に稲富氏が築城、代々居城とし、丹後の守護となった一色氏に従属、戦国期細川氏に攻められるが防戦し、本能寺の変の混乱の中、和議開城したと伝わる。
今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り、途中に播磨、山陰と廻る11月20日から9泊10日の探訪も40城目弓木城を以ってエンディングです。
浜松を出発し帰宅まで総走行距離は4,044kmでした。城探訪時間より車に乗ってる走行時間の方が格段に多い車での城廻りです。
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2020/12/19 22:03
八幡平城 (2020/11/21 訪問)
【八幡平城】静岡県御前崎市新野
<駐車場他>想慈院駐車場30台分程あり。
<交通手段>レンタカー
<見所>堀切・横堀
<感想>1泊2日武田・徳川攻防の城旅4城目。この城跡は新野古城とも呼ばれ築城年代は定かではない。この城跡の西南尾根続きにある舟ヶ谷城は今川系新野氏の城でそれ以前の新野氏の最初の城であったかと思われる。想慈院駐車場にある城跡の説明板には戦国期に武田軍により高天神城の軍道のおさえとして改修されたとありますので戦国期に今見る遺構になったと思われます。
城跡は想慈院の西側に登城口があり城跡を縦断して想慈院の墓地に出てきます。曲輪は大きく主郭と二郭の2つあり、主郭南側は横堀が縦断して高さのある切岸になっています。この横堀の縦断の仕方が武田軍が造った感があります。そして主郭・副郭にいくつかの腰曲輪があります。主に東西に走る尾根には沢山の堀切で仕切っていて踏破していて楽しいです。
旅行前にGoogleマップで朝比奈城までの経路を見たり御前崎半島を見ていたりして偶然発見した城跡でした。整備もよくなされており、堀切・横堀等の遺構の立て札もあるので見やすく見応えあります。比高もそんなにないので1周1時間程で巡れます。是非城びと登録してほしい城跡でした。結局朝比奈城には夕方タイムアップで行けず仕舞いでした。
<満足度>◆◆◇
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2020/12/19 21:48
数少ない遠征先の城郭1 (2020/11/29 訪問)
昨年は筑紫氏館周辺に城郭が7箇所存在しているのを知らず、勝尾城と葛籠城のみ廻りました。今回は他の5か所を廻ろうと向かった先の一つが鬼ヶ城です。
筑紫氏館前の駐車場より筑紫氏館を廻り林道を西に歩いて行くと小さな橋を渡ります。左手流れる川沿いを歩くと右手に小高い山があり、その山頂が本丸です。勝尾城などと違い案内板は見当たらず、パンフとログを見比べながら登れそうな場所を見上げながら探していると何やら石積を見付けました。長さ50m程の範囲に石積が点在していて中には円形状の物もありました。当時の遺構かどうか分からず写真を取り一旦林道へ。ロッククライミング用の岩盤脇を登って暫く行くと崩れた石積のある虎口があり、その先を歩き進めると本丸に辿り付きます。本丸東に大きな曲輪が1か所これが二の丸扱い、北側に小さな曲輪が1か所、共に虎口は確認できますが確信出来る土塁は見付けられなかったです。
一通り見て廻ったので降りていきます。二の丸扱いより倒木で塞がった虎口を通り過ぎ、道であったろう場所を辿って降りていくと林道脇にある石積の場所に出てきました。下から見上げるのとは違い上から見下げると大手口に見張台が点在している様に見えてきて、石積は遺構なのか?ロッククライミング上の虎口は搦手口なのか?と答えの無い事を考えながら元来た林道を戻って行きました。筑紫氏館を含め高低差190m、往復2km、所要時間は90分でした。
案内の無い、縄張り図の無い城郭を見て廻ると遺構かどうか悩んでしまう事が多くあります。自然地形の横堀かどうか、竪堀かどうか、段々畑の跡ではないか等。今回は石積が遺構かどうか確信が出来ません。初め円形の石積を見て当初はなぜかよくある後世の焼物釜跡かと思いましたが火入れする所が無いので違う、それでは人が隠れる場所か?様々な事を考えます。円形の石積を見なかったら遺構と思えたと思います。
今は答えの無い、そのうち解決するかもしれない、今は謎のままで当時を想像するのが浪漫に感じます。
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2020/12/19 21:01
2020/12/19 20:48
天領久美浜代官所 (2020/11/29 訪問)
豊岡城、京極陣屋を終えて北東約10km程の久美浜陣屋を目指す、今回の九州未踏の城廻り累計39城目、ナビは久美浜小学校校門(京都府京丹後市久美浜町3366)に合わせ走行、駐車場は有りません丁度日曜日で職員駐車場が浜側に空いてましたので利用させて頂きました、車は久美浜公園駐車場が宜しいかと約500m程離れてます。
遺構は小学校前に在る陣屋橋、堀、表に在る説明板、校庭裏に在る城山が松倉城(久美浜城)跡です、北側は久美浜湾で日本海に繋がってまおり風光明媚な景観です、町屋が残り城下町の風情が良く残ってます。
松倉城には細川氏の武将松井氏が居城、後に細川氏肥後に転封後、松井氏は八代城代として明治まで続く。
代官所は元禄10年(1697年)久美浜に設置、陣屋は大津・京都にあったが享保20年(1735年)陣屋をこの地に移し明治まで続く、天領所領は丹後、但馬7万石であった。現在陣屋門は豊岡図書館の前に薬医門として移設保存されている。
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2020/12/19 20:33
前田利家誕生址の大きな石碑がある城 (2020/12/13 訪問)
あおなみ線 荒子駅には前田利家とまつの銅像があります。
荒子観音寺は、前田家の菩提寺で、利家が修造し、自身の甲冑を寄贈したと云われます。
荒子城跡は冨士大権現天満天神宮となっています。
利家誕生址の石碑があり、これまで見た中でもかなり大きな石碑だと思いました。
ただ、誕生地はこの後に行く同じ中川区の前田城との説もあり、どちらであるか結論は出ていないらしいです。
利家はそろばんが得意だったとも云われ、合格神社でもあるそうです。
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2020/12/19 17:59
三木城開城後まで持ちこたえた別所氏側の城 (2020/12/14 訪問)
城びと先達、ふくちんさんが、巨大な堀切と急峻な切り岸をレポートされているのを読み、行きたい城にノミネート。三木城と織田方の付け城を訪れた後に、別所氏側の淡河城と端谷城を訪問しました。
レポート通りのすごい土木作業量で、別所軍と織田軍の戦いの緊張感を感じました。要所要所に、説明板があり、草刈りもされてよく管理されていました。説明板の写真をアップします。二の丸と本郭には、くぬぎの木があり、繰り返し、椎茸のほだ木に切り取られたのでしょうか、根本が膨らみ、いわゆる山親父になっていました。
本郭から、城主の衣笠氏が治めた谷と、その先の播磨灘が眺望されます。
城の三方を川が侵食し急峻な斜面になっています。櫨川の城側は、狭く、段々の平削地があります。城主と家臣団の屋敷であったと。今でもとても立派で大きな家が建っています。石垣上の白塀も長く、かつてもこんな感じであったかと思わせます。
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2020/12/19 16:55
2020/12/19 16:51
35次発掘調査 (2020/12/19 訪問)
35次発掘調査が行われていました。本丸を囲む堀と石垣の構造や本丸の規模などが確認されたとのことです。
現在(2020年12月)、浜松城天守閣はリニューアル工事を行っていて休館中です。リニューアルオープンは2021年1月1日とのことです。入場券の他に入場整理券が必要となるようです。
天候もよく、季節的には絶好の山城シーズンですが、新型コロナウィルス感染症拡大のため勤務先より感染拡大地域への移動自粛を求められています。というわけで久しぶりに比較的近い浜松城に行って来ました。ここの野面積みの石垣は好きです。
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2020/12/19 12:52
2020/12/19 10:23
鉄筋コンクリート製の模擬天守 (2011/06/01 訪問)
伏見城は1592(文禄元)年8、豊臣秀吉が隠居後の住まいとするため築かれました。
しかし、地震によって倒壊しため、新たな城が1597(慶長2)年に築き直されました。
秀吉はその2年後に城内で没しました。
関ヶ原の戦いの際には家康の家臣鳥居元忠らが伏見城を守っていましたが、石田三成派の西軍に攻められて落城し建物の大半が焼失してしまいました。
1602(慶長7)年ごろ家康によってみたび再建されたが、1619(元和5)年に廃城とされた。
明治時代になり、城跡は宮内省の御料地とされ、明治天皇桃山陵、昭憲皇太后桃山東陵となったため、遺構調査も容易ではなく、年代によっては史料が不明な点も多いそうです。
1964(昭和39)年、伏見城花畑跡に遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」が建設されました。
やがて、閉園することになりましたが、京都市に贈与され、現在では伏見桃山城運動公園として整備されています。
小高い丘を登っていくと妙に立派な駐車場の門が目に飛び込んできます。
バイク・自転車は無料です。
大天守は姫路城を模したものであり、小天守は彦根城を模して作った全く史実に基づかない鉄筋コンクリート製の模擬天守です。
耐震基準を満たしていないことから模擬天守は内部非公開となっています。
2007年、映画撮影のため東映が約1億円を負担し、装飾を直して大坂城に見立てた改修がなされたそうです。
このため、表からは綺麗に見えるのですが、
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2020/12/19 08:31
伊勢湾沿岸遠征日帰り② (2018/08/07 訪問)
「伊勢湾沿岸遠征日帰り」の2城目は津城です。続100名城スタンプは「高山神社」で押しました。
松坂城から、松阪駅➡津駅➡津駅前から三重交通のバス➡三重会館前で下車➡津城に到着
津市役所にパンフレットがあるとの情報で、津城に行く前に市役所に寄りましたが「模型のパンフレット」しかなく確認したところ、三重県教育文化会館(だったと思います?)にいろんなパンフレットがあると言われました。自分は時間の都合上、行っていませんが、津駅の近くのようなので、時間のある方は寄ってみてはいかがでしょうか。
津城は織田信長の弟である信包の居城として知られています。お市の方とその娘たちが信包とともに伊勢上野城からこの城に移り、お市の方が柴田勝家と再婚するまでの2年間を過ごしたそうです。
江戸時代には藤堂高虎によって近代城郭として大改修され、その後は明治時代まで藤堂氏の居城となりました。
現在は「お城公園、お城西公園」として整備されています。
最大の特徴は最大100mにも及ぶ幅広い内堀と本丸北側に代表される直線的な稜線を持った高石垣だと思います。
城址東側にある丑寅櫓は再建ですが、いい味出しています。攻城時間は60分くらいでした。
帰りは三重会館前から三重交通のバス➡津駅前/津駅➡亀山駅に行き、亀山城に向かいました。
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