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姫街道

小牧長久手戦の功労城 (2020/12/20 訪問)

後方撹乱を狙った豊臣方の先鋒である池田氏を阻止して、小牧長久手の戦いを勝利に導いた丹羽氏以下戦死した300名の武功がなければ歴史は変わっていたかも。
さて、城は本丸、ニの丸、西の丸を囲む深い堀や土塁が見事。井戸跡や隅櫓跡、城内で発見された古墳の復元もわかりやすく展示さている。模擬天守は勿論当時は無かったが、大手門を含めて迫力がある作りになっている。本丸跡地には岩崎城歴史記念館もあり、見所満載だ。

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姫街道

桶狭間の戦い前夜 (2020/12/20 訪問)

今川義元が最後に入った城、沓掛城。
有名な桶狭間の二城五砦や桶狭間古戦場の前に行ってきました。城は非常に綺麗で整備されてます。
スケールの大きな平城で、堀も土塁も大きい!縄張りはシンプルだが、曲輪が階層的で迫力がある。古地図では大手門のところに馬出しが書かれているが、消滅してしまったのか現況ではない。
鳴海城に向かう鎌倉往還、大高道、東海道と、街道が分岐する要所に位置する立地環境は要塞である事の由縁でもあるだろう。

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小城小次郎

いろんなことがわかってきたがわからなくもなった (2020/11/07 訪問)

発掘と整備が進み、かつて見えなかったところがよく見えるようになってきた。一方で、庭園だと思っていた石組みが庭園でなかったり、想像以上に大規模な造成がなされていることもわかってきた。誰のお城なんだ、ここ。

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しらさぎ

小松城跡 (2020/01/19 訪問)

天守台の他に周辺に移築建造物・石碑有り

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ぴーかる

黒田代官屋敷 (2020/11/22 訪問)

【黒田代官屋敷】
<駐車場他>資料館専用無料駐車場あり。
<交通手段>レンタカー

<感想>1泊2日武田・徳川攻防の城旅6城目。屋敷の横に資料館がありますが、来訪時が朝8時過ぎだったので資料館も開館していなかった。黒田家は戦国時代以前よりここの領主だったようですが、江戸時代は旗本本多日向守四千石の代官として二千石を受け屋敷を造ったようです。現存建築物では長屋門が18世紀に建てられ最もふるいようです。現在も黒田家のお住まいになっているので外観を半周したのみとした。

<満足度>◆◇◇

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姫街道

刈谷道沿いにある知立城 (2020/12/20 訪問)

江戸時代前期の古地図から、池鯉鮒宿の石碑が立つ場所まで城の形状が東海道刈谷道沿いにどのような形状であったかが今も昔の道路形状を残しているため、わかりやすい。
今川義元が沓掛城に入る前に陣を張った地である。楽勝ムードで堂々と東海道を下ってきたんだろうと思うと感慨深い。

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姫街道

知多湾への支流、猿渡川を見下ろす陣屋 (2020/12/20 訪問)

寛政の一揆によって18ケ村が福島藩と村替え。依頼、福島藩がこの地に陣屋を置いて、この地をおさめたとの事。
石碑碑が「重原陣屋跡」と「これより東、福島領」の二つが並ぶ少し珍しい感じ。周辺は古い街道筋という感じか。
陣屋があった箇所は現在は農協があり、目立った遺構は特にない。その場所にたつと河岸段丘の端っこにあり、猿渡川や集落を見下ろす陣屋であった事がしのばれた。

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姫街道

行きがけの駄賃 刈谷城 岡部元信 (2020/12/20 訪問)

刈谷城と言うと、今川義元の家臣であった猛将岡部元信が、桶狭間の敗北後に100騎程度で落として帰った城のイメージが強い。
ただ、江戸時代の刈谷城は譜代大名が入り、大きな城であったのは残された堀を見てもよくわかる。城跡は公園となり、土塁など残ってはいるが、明治以降あまりに変革が激しかったのだろう、城であった面影は薄く感じられる。せっかくの於大ブーム。刈谷城も於大が育った城としてもっとPRすればいいのにと思った。

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零汰

【聖典:大系】一行書の城郭:いいもの見せて貰った。

一行書きを廻っていると、稀に驚く見落とされたかの様な城郭に当たる事があります。

生活県にある、トレイルルート上に城郭が有ったので、その近くにある城郭2か所を続けて廻ってみました。高低差435m、往復4.9km、2時間45分の攻城です。(城名の前の数字大系の城番号)
写真1~9   385 高城
写真10    350 片城

藺牟田池外輪山トレイルルートに片城は存在しており、城域に近い入口より登城。途中は普通に歩けるようになっており、時折岩に設置してあるロープを伝いながら主郭であろう最高地点に到着。限定的に平滑でしたが、周囲にはほぼ自然地形のまま使用していたようです。次にルートを引き返しログを見ながら高城へのショートカット、道を外れて進みました。ナビに無い林道に出たのでそこを利用し城域近くまで移動、そこから登りやすい場所を見付け直登しました。

今回は直登位置は正解でした。暫く登って行くと樹木の間から斜面を沿って土手が見えてき、近くに行くと石が斜めに積んでいます、見上げると上まで続き、見下げると見える範囲下迄続いています。一瞬登り石塁か?と思いましたが、大分の長岩城でしか見たことが無くあそこまで立派では有りません。その後石積沿いを登って行き平らな場所に出ると通路の様になっており、石積は通路沿いに石塁、時には石積となって段郭の現れる場所まで延びていました。長さは3~400m程あったように思います。

そのまま通路らしい場所を歩いて行き、折返して左側の崖の脇を過ぎて行くと石積の虎口が現れました。先には大きな曲輪が2か所、どうやらここが主郭と二の丸だろうと思います。周囲にはいくもの段郭があり、何か所もの石積がありました。虎口の内部には高さ4m程の鏡石があり上部に登れるようになっていたのですが、写真は撮り忘れていました。他にも段郭を繋ぐ虎口等見るべき遺構はふんだんにあります。そして先の登り石塁の件、自分の結論ではそうだと思います。

普段は全く築城者や城主などは興味ないのですが、生活県ではあまり見る事の少なかった石積を目のあたりにして帰宅後確認。この一族他にも豪快な城郭の持ち主です。こんな思ってもみない良い場所が味わえるので一行書きの城郭廻りはやめられないです。






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いんげん丸虫

小川西ノ城 滋賀県甲賀市 (2020/11/22 訪問)

小川城、小川中ノ城、小川西ノ城の3城が信楽町小川の小川集落の背後の山地にあります。甲賀市特有の単郭方形ではなく複雑な構造です。この西ノ城は横堀、長い竪堀、土橋、薄くなってますが畝状空堀など複雑で規模も大きいです。

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居眠狂四郎

葛西城

遺構は環七の下に。
碑がある以外は城の痕跡は皆無。

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イオ

2年半越しのリベンジ (2020/12/06 訪問)

南北朝初期に赤松貞範が猪ノ口山山頂に砦を築いたのが始まりとされ、戦国後期に「丹波の赤鬼」こと荻野(赤井)直正が現在の姿に大改修して明智光秀の攻撃を一度は撃退するも、直正の病死もあって光秀の再度の丹波攻めにより落城。光秀の重臣・斎藤利三が入って本城部を改修したのも束の間、山崎の戦いで敗れた後は堀尾吉晴が入り、小牧長久手の戦いの際に徳川方に呼応して赤井氏の残党が立てこもったのを最後に廃城となったようです。

黒井城は猪ノ口山頂部を「本城」とし、中腹に本城を囲むように複数の「出丸」を配し、出丸から四方にのびる尾根に「出城」を設けた猪ノ口山系全体を城域とする巨大山城で、南麓には「下館」と呼ばれる居館跡(現在は興禅寺)があります。

興禅寺は七間堀と呼ばれる水堀や高石垣が城主の居館跡を感じさせますが、斎藤利三が城主の頃に娘のお福(後の春日局)が生まれた地として知られ、春日局出生地の石碑のほか、産湯の井戸や幼いお福が座ったと伝わる腰かけ石があります。また、南に徒歩1分の惣門は黒井城の門材を使って建てられたものだそうです。興禅寺の南には春日局庵という休憩所があり、黒井城や興禅寺、黒井城下町のリーフレットが置かれています。トイレも併設され、春日局庵の南下には興禅寺(黒井城もOK)の無料駐車場があり10数台駐車できます。

実は、黒井城には続100名城のスタンプラリーが始まった頃に一度来ているんですが、福知山城に行った後、近くにもうひとつ続100名城があるようだし、ついでに行ってみよう程度の気持ちで、何の下調べもなくTシャツにジーンズ、スニーカーで登り始め、ゆるやかコースの防獣柵を越えたあたりで熊鈴を鳴らしながら降りてくる完全登山装備の人に出会い、こんな舐めた格好で挑むべき城でないことにようやく気付いて慌てて撤退したという苦い思い出があり、この情けなさ(元 登山部としてはあまりにもお粗末)を忘れないために、春日住民センターで登城日を記入せずにスタンプだけは押して、スタンプ帳の登城していないのに押されている黒井城のスタンプを見るたびに、いつかリベンジしてやるとの思いを強くしていましたが、他の丹波国三大山城の八上城、八木城を攻略するなど、それなりに山城攻めの経験も積み、下調べも充分に、装備も万全に整えて、2年半越しでついに黒井城再挑戦の運びとなりました。

興禅寺の駐車場から七間堀を横目に登城口に向かい、迷わず急坂コースへ。いきなり急傾斜の階段がありますが、この程度は承知の上です。登っていくうちにほどなく三段曲輪に到着。三段よりもっとあるようにも思いますが、段状に整地された曲輪が続いています。さらに登っていくと右手に太鼓の段への分岐があり、そちらに進むと斜面の途中と思えないほどに広い曲輪がありました。元の道に戻って少し登ると石踏の段へ。急坂コースからだと石踏の段の最上段東部でゆるやかコースと合流しますが、ゆるやかコースを少し下って赤門を見上げる定番のアングルを確認。段状の曲輪に散らばっている小石は石敷きの名残でしょうか。

黒井城は南側の中腹に三段曲輪、太鼓の段、石踏の段を、南東側に東出丸を、北東側に北の丸を、北西側に西の丸を配し、各出丸は山頂の本城だけでなく近接する出丸との間にも連絡道を設け、連携して本城を守る構造になっていたと考えられるところ、太鼓の段と東出丸を結ぶ横移動の道は失われているようで、やむなく一旦 本城に上ってから北の丸を経て東出丸に行きました。北の丸は、本城北東下の帯曲輪状の出丸で、崩落跡と藪と伐採された木が散乱していてよくわからない状態でした。東出丸は南東端に土塁と堀切を設け、現在は登山道が土塁を分断して通っていますが、土塁は高く分厚く往時の堅い守りが感じられます。

さあ、中腹の出丸を突破すると、いよいよ山頂の本城です!(続く)
 

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昌官忠

横浜線沿線日帰り① (2018/07/15 訪問)

「横浜線沿線日帰り」の1城目は滝山城です。続100名城スタンプは「滝山城跡中の丸」で押しました。

自宅最寄り駅から八王子駅に行き、八王子駅(北口)から西東京バスで「滝山城址下」下車し、大手口から攻城しました。

パンフレットによりますと、滝山城は1521年に武蔵守護代の大石定重が築城し、後に大石氏の養子になった小田原北条氏・四代氏政の弟の氏照が拡張・改修したとされてきました。しかし、近年の研究により、北条氏照は油井領を支配していた大石綱周の養子になり、「浄福寺城(油井城)」に居城し、その後、1567年までに滝山城を築城して移転したと考えられてきています。

攻城ルートを写真から辿ると、大手口➡天野坂➡三の丸➡二の丸➡東馬出➡行き止まりの曲輪➡大馬出➡二の丸➡本丸➡本丸への木橋➡中の丸(ここでスタンプ押印)➡二の丸➡千畳敷➡三の丸➡小宮曲輪➡山の神曲輪➡小宮曲輪➡天野坂➡大手口で下城です。
後から案内図を見ると屋敷群と搦め手側を見学していませんでした。

現在城址は「滝山自然公園」として整備されており、遺構として本丸・中の丸・千畳敷跡空堀などが残っています。
大堀切、空堀、虎口、土橋など素晴らしい城跡です。東京都にこんな素晴らしい城跡が残っているなんて感激ですね。攻城時間は2時間弱くらいでした。

加住地域には「滝山三城」と言われる「滝山城」、「高月城」、「根古屋城(城びとには戸吹城で登録されています)」があるようですが、攻城したのは滝山城だけなので、機会をみて残り2つについても攻城したいと思っています。
皆さんの投稿メモを見ると、この近辺は「カルビンさん」、「にのまるさん」、「チェブさん」皆さんの領域内でしょうか?
コロナの影響でいつ攻城できるか不明ですが、攻城時は領域内をまかり通ることを、ご容赦願います。

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todo94

第一水門のみ (2020/11/22 訪問)

とりあえず第一水門のみチェックさせていただきました。ぐるりと一回りはまたの機会に。

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ぴーかる

高田大屋敷 (2020/11/22 訪問)

【高田大屋敷】
<駐車場他>駐車場はなし。古川神社前に1台分程の駐車スペースあり。
<交通手段>レンタカー

<感想>1泊2日武田・徳川攻防の城旅5城目。この屋敷跡は添付写真の説明板の通りです。見える土盛は外郭の土塁の一部だろうか。居館内部は草がかなり鬱蒼として方形の土台らしきものがうっすらとは見えるが定かではない。この辺り周辺は茶畑ではなく田んぼだった。

<満足度>◆◇◇

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よっぴー

お城EXPO行きたかった😭

お城EXPO行きたかったです。コロナの影響で横浜に行くことができませんでした。早くコロナが収まって欲しいです。

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零汰

トレッキングコースを兼ねているので散策し易いです。 (2020/11/24 訪問)

猿の住み家らしいので何も取られないようにガードしながら散策。トレッキングコースにもなっていて、歩きやすいように一部登城路を迂回して数多くある竪堀を横断した位置に歩きやすい遊歩道が施されています。高低差は210m、往復3.3km、ゆっくり見て廻り1時間50分程の攻城です。

11月の三連休の最終日、取引先との接待バイクツーリングで阿蘇・やまなみを走破し熊本に一泊、そのまま帰るのが勿体なく、平日で人はいないだろうと考えて5時前に大分に向かいました。それでも平日なのにハイカーいるんですよね。

登山口に繋がる林道のフェンスゲートを開閉しトイレ付の駐車場(7~8台程度)より散策開始、山頂の紅葉は散っていましたが、途中のの紅葉は残っていました。緩やかな遊歩道を歩いて行くと左右に幾つもの竪堀を見る事ができ、大手門跡周辺から本格的に遺構が現れ、登りは左側に石塁・土塁、右手には段郭のある登城路を歩き本丸へ。

二の丸に着き本丸が見え、追って別府湾が望める場所に辿り着きミーハー系攻城者の私は絶景に興奮、眺めながら暫し休憩。攻城には予想しないオマケが付いて来る時があるのでやめられないです。

本丸は思いの外広く、よく分る虎口、周囲には土塁が残っており、東側斜面に一部登り石塁も、それに戦争時の軍事施設跡があります。西側には登城路から続く土塁付帯曲輪、全体的にとても分かりやすいです。下りは遺構を探しながら各曲輪の内部を通り大手門へ。二の丸と三の丸の境には堀切があり東側の斜面の竪堀に続いています。三の丸の見どころは石積の遺構ですがよく探さなければ見つかりません。大手門からは本来の登城路を下山、勾配が少々急ですが普通に歩けます。

山一帯が城域で歩く距離は長く感じますが、整備の行届いた良い城郭でした。

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しらさぎ

冬の松根城跡 (2020/02/02 訪問)

城跡の周囲にも凹凸とした地形が多く、どこまでが遺構かわからず

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しらさぎ

大聖寺城跡 (2020/01/19 訪問)

馬出曲輪→本丸→二の丸→戸次丸→三の丸→西の丸→鐘が丸→東丸→対面所跡の順で見学

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キンヤ

前田利家が生まれたと伝わる兜風の本堂がある寺の城跡 (2020/12/13 訪問)

今は速念寺がある前田城は、荒子城と、もう一つの利家の誕生の候補地です。

前田氏発祥の地と云われ、前田氏のお墓もあります。

利家の兜風の本堂がユニークでカッコいいです。

遺構は残っていませんが、なかなか楽しめる城です。

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