りゅうせんじじょう

竜泉寺城

愛知県名古屋市

別名 : 龍泉寺城
旧国名 : 尾張

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しんしんちゃん

模擬天守は日曜・祝日 (2024/04/06 訪問)

竜泉寺が城址とされ、弘治3年に織田信長の異母弟・織田信勝(信行)によって築かれたとされています。信勝が信長に殺された跡、廃城になりましたが、小牧・長久手の戦いの際にも羽柴秀吉に陣所として利用されています。
池田恒興・森長可らの討死の報を受けた秀吉が大軍をもって竜泉寺城に陣を敷き、短期間に堀を巡らせたが、家康が小幡城に兵を引いたため、秀吉も陣所に火を放って楽田城に引き上げたそうです。竜泉寺にはミニチュアの名古屋城のような模擬天守(円空の仏像などを展示)がありますが土曜日なので入れませんでした。桜が咲いているのに少し残念です。2019年の8月にも訪れているので、その時の写真も掲載しておきます。

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豊公一夜堀 (2022/02/23 訪問)

JR大曽根駅からガイドウェイバスゆとりーとラインに乗り竜泉寺口にて下車して登城しました。模擬天守(天守風宝物館)以外なにもないかと思っていましたが、ネットで空堀が残っていることを知りました。「シニアハウス竜泉寺」という施設の方からしか行けないと思います。わかりにくいのですが道があり、宝物館東側下に「豊公一夜堀」の碑と空堀を見ることができます。
この日は祝日でしたので宝物殿に入ることができました。

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カズサン

庄内川東岸丘陵の城址 (2021/12/11 訪問)

 尾張新居城を終えて直線で約4km程の所に在る龍泉寺城を目指す、車は門前の参拝者無料駐車場を利用。

 龍泉寺域が城域の様です、馬頭観音、国宝地蔵菩薩、円空佛などで有名な名古屋の名刹です、庄内川東岸の小高い丘陵で東は崖と成り低地は県道15号線が走ってる、見晴らしも良く防御に適した砦、城址だったのでしょう。
 
 信長の弟、信行が城を築いたともいわれている、小牧長久手合戦では家康の小幡城進出に対して秀吉が龍泉寺に陣を張り改修したが、城跡利用を恐れ火を放って退いたと言われてる。

 現在本殿奥に模擬天守閣風の宝物館が有る、その西崖丘陵上に見晴台も有りますが、日曜日と祝日しか本殿横の木戸を通って入る事は出来ません。
 土曜日の探訪でしたので当然入れませんが、庭掃除等されてた女性の方がカメラを持ってウロウロ窺って居ましたので、撮り(天守閣)に来たのと言われ返事しましたら、そこの砂利の所までなら良いよと許可を頂き急いで樹間の模擬天守閣を撮影しました。有難うございました。
 その方に見晴台からの眺めは鐘堂からの眺めと同じだよと言われ、鐘堂から庄内川越しに眺める素晴らしい眺望です。
 本堂参拝、多宝塔、鐘堂、東門、仁王門などで見学して次の城へ出発。

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くっしー

平日は入れないのわかったいましたが… (2021/02/22 訪問)

この城びとの投稿を見ながら城攻めやっているので、わかってはいたのですが、

近くまで来て、アプリの「ニッポン城めぐり」で石高と100貫が稼ぎたくてやってきました。

竜泉寺が由来のあって、美しく素晴らしいお寺ですね。

駐車場に周辺の史跡マップの載った看板がありました。また時間があれば行きたいなと思います。

模擬天守は境内の奥にあって資料館(宝物館)になっているみたいですね。

蛇足ですが、猫がたくさんいました。なんか、それ目的で写真を撮りに来てる人がいました。

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城郭情報

分類・構造 丘城
天守構造 独立式望楼型[3重3階/1964年築/RC造模擬]
築城主 織田信勝
築城年 弘治2年(1556)
主な改修者 豊臣秀吉
主な城主 織田氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)
再建造物 模擬天守、石碑、説明板(龍泉寺)
住所 愛知県名古屋市守山区大字吉根字松洞(竜泉寺)
問い合わせ先 龍泉寺
問い合わせ先電話番号 052-794-3647