荒子城は富士天満社の周辺に築かれていたとされ東西約68m、南北約50mほどの規模で周囲に堀を巡らせていたようです。天文年間(1532~55)前田利昌によって築かれたとされ、利昌の子・利久、利家、利家の子・利長と親子三代に渡って居住し、天正3年(1575)利家が越前国府中に移り、天正9年に利長も同地に移った後に廃城になったようです。
境内には大きな「前田利家卿御誕生之遺址」の石碑がどーんと立っています。ちなみに前田利長の生誕の地でもあるようなのですが、それらしい石碑は有りません。利長公もなかなか知名度はあるのですが偉大すぎるオヤジの前では霞んでしまっているようです。
二代目の宿命ですかね。
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