長篠の合戦のときに重要なポイントとなった砦です。遺構はよくわかりませんが、案内板の周辺は削平地と思われます。駐車場と反対側の尾根を下っていくと眺望が開け長篠城が一望に収めることができます。
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2020/12/11 17:07
2020/12/11 16:59
2020/12/11 16:40
発掘調査復元整備された南肥後の山城 (2020/11/25 訪問)
麦島城を終えて八代ICから九州道導経由、宮原SAでトイレ休憩と昼食熊本ラーメン、松橋ICから国道218号を東行、4年前に城郭放浪記さんの月毎の放浪記で発掘調査復元整備後の写真と掲載が有り何時か行きたいと脳裏に刻み今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第19城へ初登城。
ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんの俯瞰図に依り今回の道案内は古城盛衰記さんの案内通り到着、 道順は松橋ICから国道218号線東に約8~10km程の交差点「神国」南入る、県道105号線を南進約1km程の路傍に案内表式有り進行から逆方向に坂を登り梅林神社、横を通り道なりに約1km、舗装され細いがアップダウン有り砂利が散乱枯れ枝が散乱してるが1郭下の帯曲輪駐車エリアに到着する。(ナビは梅林神社に合わせ標識を見つける)
既に駐車エリアには軽ワゴン1台城跡崩落の測量調査を依頼されてと言ってました。
探訪は余湖図コレクションさんの俯瞰図で1郭の帯曲輪で東の4曲輪を望む、3郭で連続堀切を望むが草が茂り見えない案内説明板を確認、1郭に登り内部の確認、北奥の1郭土壇、櫓跡か建物の地中表示有り、土壇から2郭曲輪内部を遠謀確認、同堀切も草叢で良く見えない、また4郭の復元柵列を1郭より遠望、4郭、2郭への通路は「ブラタヌシさん」投稿の様に崩落していて行く事が出来ませんテープ等で閉鎖指示。
1郭本丸だけでしたが4年前から行って見たいと思ってた事が叶い充分に満足です、車で本丸まで行ける事も素晴らしい、早く復旧して他の曲輪が探訪出来る事を願います。
歴史的には肥後国阿蘇大宮司の阿蘇氏の南肥後の国境城、相良氏、島津氏との抗争で阿蘇氏敗退天正13年(1585年)落城し島津氏の番城と成る、天正15年(1587年)秀吉の九州征伐で島津氏撤退、肥後国人一揆の間に廃城。(ガイド3者の方の抜粋)
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2020/12/11 13:51
2020/12/11 12:30
小西行長夢の跡 (2020/11/25 訪問)
鹿児島市に3連泊し、前日は二十数年馴染み店で飲食喋りを楽しんでお互い元気な顔を確かめ安堵、勿論感染症対策はバッチリ。翌朝食事を済ませ7時半にホテルを出発、鶴丸城御楼門を車窓見学しながら鹿児島北ICより九州道経由八代ICを降りる。
今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第18城目、ガイドは何時もの城郭放浪記さん古城盛衰記さん等の情報により天守台近くのキリシタン殉教者公園近くが駐車出来そうとの情報でGoogleMap航空写真を微調整して(熊本県八代市古城町2055)に合わせて走行、公園の北に出来立て綺麗な駐車場有り10台弱は可能か?トイレ無し。
城郭放浪記さんGoogleMap片手に天守台跡、地元TVクルーが撮影中、天守台石垣跡を見て感激(後でパンフレット見てモニュメントと知る)ぐるっと観察し、南、西に約200m程の通り沿いに麦島コミュニティセンター案内板を確認、同センターよりパンフレット、小冊子を頂く、もう一つの案内板が有るシルバー人材センターへ、通りを東に約400m程、通りの善定寺(浄土真宗本願寺派)横道を南に並行してる通りの南通り約100m程でシルバー人材センター、石垣の入口に案内板、当地は二に丸跡地と有る、発掘の石垣が見学出来ると案内に有りセンターを訪ねると玄関ホールの展示がそうだとの事実物石垣は見れず、写真を撮り資料を頂く。
駐車場への帰り麦島神社に寄り石碑には小西軍に神社を壊され江戸期、明治後の再建の碑が記されてた、切支丹殉教の記録が公に成ってるがキリシタン大名が社寺仏閣を壊した歴史は余り表に出ない、これも歴史。
歴史的には秀吉の九州征伐後佐々成政に肥後を与えたが肥後の国一揆の鎮圧不手際により肥後は北は加藤清正、南を小西行長を配置、八代には古麓城を廃して球磨川の中州に麦島城を総石垣、天守閣小天守を構え、九州最古の石垣造りの織豊系城郭の城を築く、関ヶ原で西軍の小西行長は刑死、肥後一国は加藤清正の治める所と成り麦島城も加藤氏の城へ、一国一城令でも麦島城は熊本城と共に残るが元和5年(1619年)大地震により崩壊、城主加藤正方は麦島城を離れ現在の八代城を新しく築く、麦島城は土中に埋まれ400年平成の発掘調査で概要が分かるが、発掘調査後は埋め戻され現在土の中。
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2020/12/11 11:07
長野県_上田城 (2020/11/26 訪問)
真田神社の御朱印&御朱印帳を買った。
戸倉上山田温泉♨荻原館にも宿泊した。https://www.ogiwarakan.com/
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2020/12/11 11:00
長野県_松代城 (2020/11/27 訪問)
真田邸・真田宝物館を観覧した。
善光寺も行った。
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2020/12/11 09:30
次男と二人で1泊2日の関西遠征② (2018/09/22 訪問)
次男と二人で1泊2日の関西遠征の2城目は大和郡山城です。続100名城スタンプは「柳沢文庫」で押しました。
和歌山城からの転戦です。大和郡山城は筒井順慶によって築かれた城で、秀吉の実弟である羽柴秀長の居城となりました。徳川時代には譜代大名が歴代城主を務め、柳沢吉里が入封後は柳沢氏が明治維新まで居城としたそうです。
攻城ルートは鉄御門跡➡水掘と遠く東隅櫓を見る➡表門跡➡竹林門跡➡柳澤神社➡厩向櫓跡➡埋門跡➡天守台➡柳沢文庫で続100名城スタンプ押印➡毘沙門郭跡➡久護門跡➡追手門➡城址会館➡追手門/追手向櫓➡陣甫郭跡➡鉄御門跡➡柳御門跡➡近鉄郡山駅。
大和郡山城の中心部分を見学しましたが、時間の都合上(膳所に向かう列車の都合)、西側部分を見ていないので80点というところです。
見所は天守台の野面積みの石垣です。説明板によると自然石の他に石仏や礎石、墓石などの転用材が多く使われたようですが、探し方が悪いのか自分には石仏/墓石が明確に見つけられませんでした。
あとは復元物ですが、追手門/追手向櫓/多聞櫓や東隅櫓がいい味出しています。攻城時間は60分くらいでした。
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2020/12/11 07:50
次男と二人で1泊2日の関西遠征① (2018/09/22 訪問)
「次男と二人で1泊2日の関西遠征」の1城目は和歌山城です。100名城スタンプは天守閣の受付で押しました。
今回の遠征は自分の誕生日(9/22)にあわせて、次男が城好きな私に付き合ってくれた二人旅です。
和歌山城は2回攻城しています。1回目が今回で次男と二人で天守付近を中心に攻城しました。
2回目は今回の2カ月半後に「クラブツーリズム関西2府4県ぐるっと日本100名城完全制覇5日間」ツアーで攻城。(すでに投稿済です)
今回は関西遠征ということで、和歌山駅でICOCAカードを購入しました。(後で知ったのですが関西エリアでもPASMO使用できました。➡今回の遠征での残高分は次回以降の遠征で使用し、記念にICOCAカードは今も持っています)
和歌山駅から和歌山バスを利用して市役所前で下車して攻城。
攻城ルートは西の丸跡➡砂の丸跡➡護国神社➡新裏坂を登る➡天守閣➡天守閣内部を見学➡新裏坂を下りる➡不明門跡(説明板が歪んでましたが、もう修理されていますかね)➡南の丸跡➡岡口門➡岡中門跡➡表坂前を通る➡伏虎像➡一中門跡➡大手門/一の橋➡外に出る。
(後で確認すると西の丸庭園と二の丸跡、御橋廊下を見学していませんでした。➡2回目の攻城時に見学しました)
やはり、連立式天守がいいですね。個人的には遠くから見る天守の方が好きです。石垣も野面積み、打込み接ぎ、切込み接ぎが確認でき、新裏坂周辺では石垣の刻印もいくつか見れました。
あとは旧藩時代の遺構である岡口門、徳川家が建造した二階建ての門。重厚な感じを醸し出しています。攻城時間は90分くらいでした。
帰りは市役所前から和歌山バスで和歌山駅に向かい、天王寺駅を経由して郡山駅に向かい、郡山城に行きます。
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2020/12/11 07:07
リーフレットゲット (2020/11/08 訪問)
明智光秀出生地を争う恵那市明知町の明智城(白鷹城)に比べると城としての魅力は遥かに劣るのですが、人出はこちらの方が多かったです。明智光秀博覧会会場の花フェスタ記念公園駐車場から徒歩でアプローチしましたが、大勢の観光客が行き交っていました。明智光秀の銅像をチェックできたし、第3回お城EXPOでゲットできなかったリーフレットを兼山城のスタンプ置き場でゲットできたので、言うこと無しです。
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2020/12/10 23:19
発掘調査と整備がされ、畝状竪堀などの遺構がよく残る山城 (2016/01/10 訪問)
城びとで投稿がお一方のみでしたので、2016年に行った時のもので恐縮ですが投稿させて頂きます。
戦国時代に野辺氏の居城とされ、和歌山県では規模の大きい城です。
道の駅みなべうめ振興館には、よく造られた復元模型が展示されています。
麓から畑沿いに、かなり急な坂道を登って行きます。
行きは、まだよいですが、帰りは滑り落ちそうになりますので注意が必要です。
北東側から城域に入っていくと何本かの大きな堀切があります。
北側にある畝状竪堀が見事で、綺麗に残っていました。
主要部は発掘調査で木が伐採され、その後、定期的に草刈りがされているようで、地元の方に感謝です。
時期によっては草がボウボウらしいですが。
山頂の主郭まで4段位の曲輪が連なっています。
刈られた草が長年置かれているせいか、切岸や横堀が丸まっていたり、虎口が分かり辛いですが、見晴らしが良く気持ちのいい所でした。
平須賀城は、今まで行った和歌山県でも、かなり素晴らしい山城だと思いました。
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2020/12/10 22:36
【日向穆佐城】宮崎県宮崎市 何と縄張図は千田教授作画❕ (2020/11/22 訪問)
日向、薩摩、大隅の投稿が清色城投稿で一応終りますので「日向穆佐城」の縄張図作画が奈良大学教授千田嘉博氏との事を報告しようと鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り第5城目の投稿に記載してませんでしたので今回投稿しました。前回投稿しなかった写真を掲載します。
千田教授と一緒に成って穆佐城保存会の方々と綺麗に保全され皆に愛され歴史に誇りを持ち訪ねやすい山城を目指してほしいと思ってます、ホントに登城しやすい良い城です、また登城時には保存会の方にお世話に成り感謝です。
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2020/12/10 22:13
獣除けの柵を越えて直登 (2020/12/05 訪問)
蓬山ビレッジセンターの裏手に城址があります。
職員さんに聞いても「ここから行く人はいないよ」と。
めげずに獣除けの柵を越えて直登。
結構な急斜面でした。
途中からハイキングコースの跡があり、尾根筋を進むと主郭にたどり着きました。
主郭は狭く、西側に堀切と土橋もあり、さらに尾根伝いに進むと堀切もあります。
全体的には簡素な造りで戦国期の佐野氏の出城とも考えられています。
麓のレストランでちょうど新そばの季節。
美味しいざる蕎麦を頂くこともできました。
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2020/12/10 20:26
石和陣屋・本陣 [山梨県笛吹市石和町市部721−5] (2014/11/01 訪問)
JR中央本線石和温泉駅から南に1㎞程の場所・石和南小学校の門の脇に石和陣屋の石碑と解説版があります。
当時甲府宰相だった徳川綱重によって造られ、その綱重が江戸に居住していた事から石和陣屋は代官所として利用されていた事が解説に書かれております。
合わせて石和陣屋から北にある県道302号線沿いには石和本陣の解説版と石碑があります。
名前は似ておりますが、こちらは高遠城城主だった内藤大和守が参勤交代の際の休憩所として本陣を設けたもので、徒歩5分圏内の近場ですが一応別物としてカウント出来そうです。。。
ま、どちらも遺構が残っている訳では無いのでセット扱いで問題無いですが(^ω^;)
石和温泉駅からは徒歩圏内に、武田信虎が躑躅ヶ崎館を本拠地にする前に拠点としていた川田館、城びとにも登録されている八田家書院、更に武田勝頼の後妻である北条夫人が嫁入りの際に持ちこんだ遺愛の松、更に駅からちょっと距離ありますが、武田晴信の弟で影武者をやる程晴信に似ていたとされる逍遥軒こと武田信廉のお墓のある逍遥院等、史跡が沢山あるので、1日かけて史跡巡りされるのも良いかと。
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2020/12/10 18:48
所用にかこつけた城巡り 4城目 (2020/11/14 訪問)
前日は 移動と、 ”昭和の町” 豊後高田市、と 温泉の 純然たる観光で過ごした。
近いという事で、角牟礼城へ
豊後森藩資料館駐車場に着くとすぐそばの三島公園で小学生高学年と父兄たちが朝礼をしている。
どうやら本丸まで歩いて登るようだ。
森藩陣屋跡(三島公園)庭園の紅葉と石垣を観賞しつつ、9時開館と同時に資料館に入る。
係りの方から懇切丁寧な説明を拝聴し、村上海賊との関係や来島家が豊後の地に来たいきさつ、
秀吉や福島正則との関係など大いに勉強になりました。 ありがとうございました。
ちなみに地名の”牟礼”の意味を伺ったら、古代朝鮮語で”山”や”丘”を意味するとの事でした。
日本各地にあるということは、はるか弥生の昔から渡来人が住み着いた証なんですね。
下から登るか、三の丸駐車場まで車で行くか迷った挙句、楽な方を選択。
いまこうして自宅に戻り、城びとの皆さんの投稿を拝見して大失敗したことを知りました。
下から登って行った方が、見どころ満載でした。
三の丸駐車場では本格的な大型ビデオカメラやドローンを持っている人たちがいた。
町の観光ピーアールで甲冑を纏った武将隊の面々が来るので、撮影係りで待機しているそうな。
間近にみるドローンに興味をそそられ、しばしテスト飛行を見学の後、登城開始。
(三の丸の石垣は、車やら撮影機材やらが映り込み、良くないので掲載なし)
(伝)三の丸では破城の痕跡なのか、石がゴロゴロ転がっている。
竪堀を横目に穴太積み石垣、(伝)水の手曲輪の長い石垣を見つつ(伝)搦手門跡へ。
資料館で頂いたパンフには(伝)搦手門跡と書かれているのに、大手門跡の案内板が。
頂いたパンフを見ると、以下のように読み替えをするようにシールが貼ってあった。
表記 読み替え
(伝)本丸 → 本丸
(伝)二の丸 → 二の丸西曲輪
(伝)大手門 → 西門
(伝)搦手門 → 大手門
搦手が大手に出世したわけだ。
二の丸を歩いていると、ブーン・ブーンと羽音が。
スズメバチのテリトリーに入ってしまったかと身構えるも、音はすれども何とやら…
三の丸上空のドローンであった。
本丸へ行く途中の(伝)大手門跡⇒西門枡形虎口は、かなり荒れていて立ち入りを断念。
その本丸には低い土塁が巡り二の丸や三の丸のような石垣や枡形虎口で防御されておらず
その単純な造りに中世城郭の趣きが感じられる。
ただ北側の斜面は石垣で造られていた。
駐車場に戻ると、女武将もいる本格的な武将隊が十人ほど勢揃い。
なかでも大将は黑一色の胴具足で、面頬までもが黒の ”目の下頬” で固めている。
「弥栄・弥栄・弥栄」 と三唱し、皆で気勢を上げながら勇躍登城していくのを見送った。
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2020/12/10 18:15
秀吉の家臣、中村一氏が築城 (2020/11/21 訪問)
駐車場もあり、看板も要所に設置されてます。
曲輪跡に児童公園があったり家族で遊びに来てる方もいます。本丸の北には石垣も見られます。現在は少し崩壊しているようで立ち入り禁止の箇所がありますね。
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2020/12/10 16:07
2020/12/10 15:39
大手虎口の垂直堀切が圧巻 (2020/11/24 訪問)
大隅半島の高山城を終えて桜島フェリーまで戻るこの間2時間の観光走行、桜島の直近、裏表、洋上で桜島を眺める事が出来ました、昼飯はGoTo地域クーポン券で買った弁当を桜島を眺めながら船上で美味しく頂きました、次は今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り17城目入来の清色城を目指す、フェリーを降りて鶴丸城御楼門の前を通り車窓見学し国道3号線を北上、途中に国道328号線を出水方向へ約1時間超、入来麓郵便局通り樋脇川を渡って直ぐに入来麓観光駐車場が在るここに駐車、トイレは前の薩摩川内市入来支所外のトイレ完備。 ガイドは何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん古城盛衰記さんに依ります。
先ずは清色城山城部を目指す、入来小学校を通り北側の通りを山側に清色城の案内板,横に杖が備わってます、案内に従って大手虎口へ写真で良く眺めていたシラス台地を切り刻んで垂直で人一人が通れる深く高い堀切、なんか懐かしく興奮状態、良く刻んだものです、虎口横の松尾城曲輪が在るのですが登城路が急峻で登りが危険状態、断念し本丸を目指す、その間もシラス台地の深い堀切の中、本丸の登城路は2段に成っていて最初の階段はなんとかセーフ、中段踊り場から本丸までの丸太土の目階段は急峻で階段が一部崩れて居り二段跳び張って有るロープとストックでやっと登れてクリア、ちょっと危険です。
本丸を見学してたら若い女子学生が登って居たので訪ねると中の城下の別ルートで登ってきた様子余湖図コレクションさんの俯瞰図を携帯して居たのですが細かい所は分からないので中の城とその下から入来小学校の北西に降りるルートで下城、シラス台地の狭く深い堀切を体験探訪出来ただけで十分満足です。
入来麓を見学し入来支所で清色城、入来麓の資料、パンフレットを頂き1時間半滞在。
歴史的には、鎌倉時代相模国の渋谷氏が地頭職として入来へ入部し入来院と名乗る、清色城を築き居城とし島津氏と抗争も有るが降伏従い、城は元和の一国一城令で廃城、以後城下に入来麓御仮屋で明治まで統治する。(パンフレット抜粋)
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2020/12/10 15:14
花倉の乱 (2020/12/10 訪問)
本曲輪および二の曲輪を中心に東西南北に細い曲輪などが展開している縄張りとなっています。東から登城になりますが、すぐに土橋があり、そこを過ぎると上り坂となります。本曲輪近郊には堀切や竪堀があり楽しく散策できます。北側は土橋のように細い尾根ですが、先には曲輪と思われる跡があります。堀切もあったようですが、そこまで行っていないかもしれません。南側は比較的広い曲輪があり下りて行くと右手に堀切を認めます。西側は階段状に曲輪が展開しています。下山後、縄張り図を見ると井戸跡があったようですが確認できていません。よく手入れされていて標識もあり比較的歩きやすい城址です。
登城口までは舗装された農道があり車でも行けますが、もよりのバス停から歩くと登城口まで1時間近くかかると思います。
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2020/12/10 13:19
有馬城山【神奈川県川崎市宮前区有馬5丁目】 (2020/11/17 訪問)
この有馬城山の歴史に出てくるのは、日本城郭体系に『新編武蔵国風土記稿』によれば、有馬村の北にあり、恐らくは北条家臣の窪田又五郎が城跡とされている。また『小田原衆所領役帳』には、北条家臣の御馬廻衆で、小机衆に属している。
城跡は、日本城郭体系では、鷺沼駅より南東へ800mの地点で、有馬川の北側の高台にあり、高台へ登る道は、周辺の道よりも傾斜があり、城跡を偲ぶ事ができます。宅地造成によって10m位削られて、現在では、住宅地と畑になっており遺構は残っていません。
今は、地元の方が作った小さな看板が、畑に面した道路に立っています。
目安は、ライフ有馬5丁目店の北側の高台が城跡になります。
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