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しろちゃん

土肥館【神奈川県湯河原市城堀】 (2020/11/10 訪問)

この土肥館は、湯河原駅前を中心にした高台を利用しての鎌倉時代の館跡です。

土肥氏は源頼朝が、伊豆へ追放された後、機を見て挙兵します。それに合わせ、土肥実平も追従します。
伊豆から小田原へ進もうとすると、それを阻止する為、平家方の相模の武将達が、石橋山合戦に至りますが、過小だった源頼朝方が多くの家臣を失いながら敗北し、箱根の山中へ逃亡します。この時、土肥城近くのししどのいわやで隠れタイミングを見て、房総へ逃亡するまで、土肥氏が大いに手助けし発揮しています

現在は、湯河原駅前で遺構は残っていませんが、地形は高台に位置し、眺望もきくので館の場所に相応しい場所と感じます。

駅前には土肥実平の銅像が立っています

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イオ

紅葉の名所 (2020/11/26 訪問)

近くまで来る用事があったので、ちょっと高取城に寄り道してみました。…ちょっと?(笑)

高取城は紅葉の名所として知られ、この日も紅葉目当て(私もですが)と思われるシニアのハイカーが多く訪れていました。残念ながら見頃には少し遅かったようですが、それでも紅葉の朱や黄が苔むす高石垣の濃緑に映えて鮮やかでした。

この日は前回登城時には台風被害で立ち入り禁止だった七つ井戸から登城しましたが(道が土砂崩れのため車は手前の八幡口に駐車)、七つ井戸とそこから見上げる高石垣を見られたのは良かったものの、登り始めてあっという間に着いてしまって、いささか拍子抜け…。やはり麓から登って登って登ったあげくにふり仰ぐ高石垣! のほうがありがたみもあるでしょうから、次の機会には壺阪山駅から歩いて、城下町も含め隅々までめぐり尽くしたいと思います。
 

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昌官忠

信州日帰り攻城③ (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の3城目は上原城です。松代城からの転戦です。
車は上原城の駐車場(36.009438、138.149841)に駐車して攻城しました。

上原城は諏訪氏によって築かれた城です。1542年に武田信玄が進行すると、諏訪頼重は上原城を焼き払って桑原城へ退去して降伏しました。
その後、板垣信方➡室住虎登(信方の実弟)➡長坂虎房と変遷し、虎房が高島城移ったので諏訪郡の政治的拠点は高島城に移転されました。その後、1582年の小田・徳川連合軍による甲州征伐の際に廃城となりました。

現在、城址には土塁や空堀などの遺構が残っており、堀切や竪堀の確認もできました。
3郭には金比羅神社、2郭には大きな物見岩があります。攻城時間は60分くらいでした。

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昌官忠

信州日帰り攻城② (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の2城目は松代城です。荒砥城からの転戦です。
旧白井家表門横の駐車場(36.562169、138.196381)に駐車して攻城しました。

松代城は2回目の攻城です。1回目は2017/4/8にクラブツーリズムの「信州8つの桜吹雪」で桜を見るツアーです。(この時の攻城分は別途、投稿します)
2回目は今回の攻城で、前回攻城時に松代城跡は見学済なので、今回は100名城スタンプが目的で、真田邸で押印しました。
攻城時間は15分くらいで、スタンプ押印後、次の目的地(上原城)に向かいました。

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昌官忠

信州日帰り攻城① (2018/10/07 訪問)

信州日帰り攻城の1城目は荒砥城です。
上田駅からレンタカーで荒砥城入口(36.479039、138.136244)より駐車場に着きました。
荒砥城は駐車場のすぐ上です。

荒砥城は村上義清配下の山田国政の居城ですが、武田信玄によって村上義清の葛尾城が落城した際、荒尾城もこの戦いで城主を失い、山田氏は滅亡しています。
その後、川中島の戦いを経て荒砥城は上杉氏の治める城となりますが、海津城の副将であった屋代秀正は上杉方に背き、海津城を出て荒砥城に篭ります。
1584年、上杉郡に攻められた荒砥城は落城して廃城となり、城としての役割を終えます。
以上、パンフレットからの抜粋

現在、荒砥城は「千曲市城山史跡公園」として整備されており、館や見張り台、兵舎、門などが復元されています。
荒砥城物語のビデオ(8分)が見れます。攻城時間は45分くらいでした。

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todo94

お手軽に攻城 (2020/11/08 訪問)

魅力的なラインナップが並ぶ可児市の山城ですが、お手軽に攻城できてそれなりに満足できる今城は体力に自信のない方にもお薦めできます。今公民館に車を駐めサクッと攻城して参りました。リーフレットは第3回お城EXPOで頂いてあったので、漸く訪れることができて感慨無量です。

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朝田 辰兵衛

気になったのは… (2020/11/15 訪問)

某マンション敷地内にある標柱は,価格をつり上げているのかな…ということ。駅近なので,それなりだとは思いますが,歴史的価値も反映されるものなのか,知りたいところでありました。

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masaya

飯盛城 御朱印ゲット (2020/11/29 訪問)

登城3回目。今回は、御城印をゲット。

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masaya

高取城登城 (2020/12/06 訪問)

2020年12月6日朝5時に東大阪のアパートを出て、高取城に登城。紅葉が終わっていて少し残念。
石垣は素晴らしいけど、昔はすごかったのだろう。もう少し保全出来ていれば。
御乗印を壺坂寺でもゲット。

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ぴーかる

高安城 (2020/11/14 訪問)

【高安城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>信貴山城跡から徒歩

<見所>礎石建物跡(古代)
<感想>信貴山城跡からハイキングコースを歩き訪城した。信貴山城跡から20分程で古代の礎石建物跡のある倉庫跡一帯にたどり着く。6箇所程発見されているらしいが、礎石が見られるのは現在は2箇所程になっている。草刈が施され、説明板もあり充実している。倉庫跡からさらに進み、信貴山ドライブウェイをまたぎ、10分程歩くとアスファルト舗装された大きな道に出ます。舗装路をまたいで山頂と書かれた小さな立て札からまた山道に入り少し登ると山頂にたどりつきます。ここが中世の方の城跡の本丸らしいがかなり鬱蒼としており、眺望も見えず、また小さな削平地も藪化していて城跡の雰囲気はつかめなかった。舗装路が堀切跡らしく舗装路反対側が二の丸・三の丸跡となっているようです。ここも藪化していて入り込める場所が見当たらず断念した。近くの気象観測所駐車スペースに城跡の説明碑があります。直接高安城跡のみに車で行く場合はここに少し駐車できそうです。

古代の城跡は倉庫跡のみしか発見がされていないので、新羅から奈良の都を守る最終防衛ライン、きっと巨大な遺構がこの山に埋まっているロマンを感じた。

<満足度>◆◆◇

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じゅんじん

お寺 (2020/09/26 訪問)

河川敷でした。

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じゅんじん

淡路の御所 (2020/09/26 訪問)

土塁の一部が現存。城址碑を見落としました(;^ω^)

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じゅんじん

現存模擬天守と登り石垣 (2020/09/26 訪問)

石垣が素晴らしすぎます✨。特に本丸石垣階段と東登り石垣。いつまでも残していただきたいと思います。眺めも好き。

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姫街道

凄い数の曲輪群 (2020/12/05 訪問)

十数箇所の曲輪が四方八方に作られている珍しいお城だと感じた。縄張り図にも曲輪だらけ。城自体はこじんまりとしているが、曲輪群のおかげで大きく見える。驚く事に城をトンネルが抜いている。しかも、道の駅が隣接しており、国境の城として戦火に明け暮れた城にしては、どこか明るさすら感じる。城の麓を塩の道「中馬街道」が通り、情緒あふれる地域だ。
さて武節城と言うと、長篠の戦いで敗北した勝頼が、田峯城主菅沼定忠と田峯城に逃げ帰ろうとしたら、家臣の裏切りによって入城出来ずに、武節城に逃げ込んだ事は有名だ。この山深い三河の最北端とも言える城までの田峯城からの道中、さすがの勝頼も辛かっただろう。

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姫街道

大給松平家 (2020/12/04 訪問)

〇〇松平家が多くて、なかなか覚えきれませんが、「徳川氏の祖、松平4代親忠の次男 乗元を城主として分立した大給松平家の城」です。親忠とは、安城城主、安城松平家の初代と言われ、安城松平家から家康が出ているとの事。
さて、遺構は陣屋跡との事で移築書院ばかりが目立ちますが、、、
少し坂を登り歴代のお墓を巡ると、立派な土塁が残存しています。書院や庭園に気を取られて危うく貴重な遺構を見落とすところでした。
土塁内側は、段々曲輪だったのでしょうか。
結構高低差もあります。
歴代の大給松平家の立派お墓が、功績順でしょうか、段々曲輪に分かれて立ち並んでいますが、、、墓石や塀など、もしかしたら近年の物かもしれません。

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カルビン

箕輪城 [栃木県下野市箕輪339] (2016/05/22 訪問)

JR東北本線自治医大駅から東へ徒歩15分程度のところに薬師寺城がありますが、西に25分くらいの場所には城びとに登録の無い箕輪城があります。

群馬県にある日本100名城の箕輪城と比べるのは酷ですが、一応栃木県に多い居館タイプの土塁と堀で囲まれたお城が見られます。

ただ恐らく風化による影響で、堀は浅く土塁は低いです。。。場所によってはほぼ平坦になってしまっている場所も・・・
一応城域に解説版があるのが救いか。。。
ま、全く全体像が見えなくなってしまっている訳では無いので、あまり過度の期待しなければそれなりのものが見られますので。

駅からお城への案内は無いので、城域内にある磐裂根裂神社を目指して行くと宜しいかと。
※ここからすぐ北東にある「みのわ古城公園」は関係無いのでご注意を。


この箕輪城は落城したのが5月だった事から、地域では縁起を担いで5月に鯉のぼりを上げないんだそうな・・・(・ω・´;)

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いんげん丸虫

遺構も雰囲気も最高 (2020/11/21 訪問)

丘陵に築かれた城で大規模な曲輪、堀切、土塁、石積等しっかりと堪能できます。獣避け柵を開けて訪城します。過度な整備はなく最小限の看板ですが、実に雰囲気が良く素晴らしい城跡だと思います。

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カズサン

肥薩境目の城 (2020/11/23 訪問)

日置市一宇治城を終えて熊本県南端の水俣城を目指す、今回の鶴丸城御楼門と九州未踏の城廻り13城目、ナビは古城盛衰記さんの情報で東福寺の駐車場(熊本県水俣市古城1丁目6-88)をGoogleMap航空写真を微調整して合わせ出発、国道3号線を北上すると思いきや高速九州道の指示時間に変わりなければと九州道栗野ICを降り国道268号線を水俣市へ約2時間半、すんなり駐車場に着いたのですが1台分ぎりぎり、微調整を誤ったのか高城裏のシラス台地崖下でテニス場の駐車場でした。
 
 ガイドは古城盛衰記さん、駐車場から高上の裏虎口から登り高城頂上を確認し、西段丘に在る忠霊塔、グランドに回り発掘調査で発見されたという石垣の列、案内板、城名石碑、西にグランドを降りて加藤神社、井戸跡が分からず地元の方に伺ってグランドの南裏の小高い丘の神社が本丸、二の丸の残り跡らしく稲荷神社本丸、荒神社二の丸の奥に石垣の井戸が残って居り確認、破城が加藤氏時代、不充分で細川氏時代と二回行われ堀も埋まられ、近代の改修など遺跡は殆ど無くなってる、グラウンドの建設でせめても石垣根石列が発掘発見されただけでも加藤氏時代の面影が偲ばれる。

 歴史的には戦国期相良氏と島津氏の抗争、境目の城と位置し天正9年(1581年)島津氏の攻撃で落城し相良氏は葦北の失った、関ヶ原の戦いの後肥後51万石の領主と成った加藤清正により領内の他の支城と共に整備されたが慶長17年(1612年)幕命で破城、寛永15年(1638年)細川氏により加藤氏の破城不充分であったと改めて石垣を撤去、堀を埋めたてられてる。(案内板より抜粋)
 石垣の根石などを見ると近くの佐敷城の石垣を思い起こされさぞ立派な清正流石垣の城が在ったのではと思ったりしたり⁉

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じゅんじん

民家 (2020/11/08 訪問)

入口に城址碑があります。

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じゅんじん

模型天守 (2020/10/27 訪問)

東京研修の翌日はあいにくの雨。予定を変更して江戸東京博物館と江戸城へ。雨でスーツに荷物はつらいが江戸城は大きいなあ。本丸に行くのは2度目でした。天下の巨城です。

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