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hironobu23

仙台城跡 (2021/05/05 訪問)

伊達政宗の銅像が見れただけで満足でしたが、石垣も素晴らしかったです。
見学後は、たんや善治郎にて牛たんワンタン麺と牛たんを食す。

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織田晃司

千葉県唯一の (2021/05/01 訪問)

三之丸の石垣。土の城が多い千葉県においてこのように石垣が残っているのはめずらしい。

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牛若丸

きれいに整備されています。 (2018/02/10 訪問)

きれいに復元されています。
もうちょっと、資料館などのボリュームがあるといいとおもいます。

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牛若丸

障子堀が見事です。 (2019/05/04 訪問)

保護のために植栽がほどこそされていますが、北条系の城郭がよく分かる城趾です。
入れるなら、障子堀に入ってみたいです。

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牛若丸

女子校になってます。 (2021/04/24 訪問)

訪れたときは土曜日だったので良かったのですが、平日だと怪しまれるかも。
遺構はほとんどかくにんできませんでしたが、腰曲輪っぽいものがありました。
校門に案内板があります。
車で行くと道が細いので、山を登る前にコインパーキングがいくつかあるので、そこに停めてから徒歩で行くのがいいでしょう。
コインパーキングからは5分くらいです。

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カズサン

探訪叶った三の丸櫓台石垣 (2014/04/13 訪問)

 当日は房総太平洋側ドライブいすみ、御宿、勝浦、鴨川、野島崎灯台と渡り目的の館山城模擬天守閣登城探訪を終えて、途中に鋸山日本寺参拝と日本一の大仏石像参拝を経て2泊3日千葉県城廻りラストの佐貫城を初登城、長年石垣が残ってる櫓台を是非観察探訪をしたいと思って居りましたがやっと叶いました。
 
 駐車場:佐貫城3の丸下駐車場、砂利舗装ですが余裕は有ります。
 
 所見:3の丸櫓台の石垣観察、草に覆われ良く分からないがしっかり石垣を確認目的達成、3の丸曲輪、奥の3の丸、2の丸に向かうが登城路に大木が倒れ道を塞いで居る、無理をすれば通れたのかしれませんが諦め撤退、帰り駐車場で同好の士に会い倒れた大木を潜り本丸まで登城された方に遭遇、この状況で本丸登城された方に敬意を表します、数語話して別れました。

 歴史:案内板をご覧下さい。(案内板の寄贈は最後の藩主阿部氏の末裔の方かな?)

 今回はアクアラインを初体験し横浜町田IC経由で帰宅へ、空白地帯の千葉県で佐倉城、本佐倉城、大多喜城、久留里城、館山城、佐貫城の探訪旅でした。

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ぴーかる

津田城 (2021/05/03 訪問)

【津田城】
<駐車場他>国見山登山口駐車場5台分程あり。
<交通手段>車

<見所>土塁・曲輪
<感想>津田城は築城年は定かではないが、戦国時代に津田正信が国見山山頂部分に築いたのが始まりとされる。津田氏はその後三好長慶属したが4代目正時の1575年に信長に攻められ津田城は落城、津田氏は山崎の戦いで明智光秀に属して衰退した。
 国見山はハイキングコースとなっていて整備されているので登るのにスニーカーで十分です。登山道中程に夫婦岩という2つの巨石があり見所があります。山頂手前サクラデッキ周辺横に土塁があります。ここら一帯から城跡らしく曲輪跡と思われる感じがします。山頂部分は小さいのでかつてあったとしたら物見程度かと思います。
 近郊で大阪ではまあマイナーな場所なので人も少ないと思いきや、城目的ではないハイキング、ピクニックのような人が沢山訪れていました。帰宅後ニュースで関東は高尾山、近場の山や公園に人が多く出て集中しているのを見て、これは反省でした。

<満足度>◆◆◇

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小城小次郎

波多野城はどこにあるのだろう (2021/02/11 訪問)

波多野城だと伝わる台地には立派な石碑が立つが遺構が出ず、1kmほど離れた東田原中丸遺跡から立派な屋敷が出土した。これを素直に波多野氏の屋敷と特定できないのが歯痒いところ。

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hironobu23

多賀城跡 (2021/05/05 訪問)

ICからも近く、跡にもきちんと説明があるので
見学しやすい城跡でした。

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hironobu23

要害山 (2020/08/14 訪問)

訪れた時期とタイミングが悪かったのか、草木で道が覆われていたので、探検をするかの気分で楽しめました。
次回は、草木の成長がない時期に再度訪れたいと思います。
短パン🩳は要注意!

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todo94

谷村計介 (2021/04/25 訪問)

この城は西南戦争の田原坂で戦死した谷村計介の少年時代の遊び場だったそうで、主郭下の郭には谷村計介の胸像がありました。大淀川に面していて主郭から望むことができますが、城の遺構としては倉岡神社あたりの空堀がいい感じです。

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るるパパ

石垣もいいけど眺めが最高 (2021/05/06 訪問)

今日は快晴で、黒井駅から気分良くスタート。駅から城がよく見えます(山の上が平らなので)。15分ほどで登山口。無料の駐車場が5台分ほどあり、近くの興禅寺前の案内施設にはかなり丁寧なパンフレットがあります。山の立体地図や改修前の山頂の航空写真など。感謝です。2つあるコースのうち緩やかコースで。最初は急ですが尾根道に出る前から緩やかに。登山口から20分ほどで石踏の段という曲輪に到着。けっこう汗が出ます。ここで休憩し山頂部へ。10分もかかりません。あっという間です。先日行った岩尾城と比べると大変さは半分ぐらい。ここから次々と石垣が。二の丸も本丸もかなり広いです。権勢を感じます。そしてとにかく見晴らしがいいです。東側、南側、西側の3方向が平野になっていて遠くまで見渡せます。なぜここに城を築いたのかよくわかります。今は田んぼに水が入ったばかり、キラキラ光ってきれいですし癒されます。景色だけで1時間は楽しめます。丹波の山城では1番だと思います。石垣や土橋に加えてよく見ると、瓦も落ちてます。保存のため改修され、あちこちはしご状の通路があるので瓦なんかないのかと思いきや、意外と落ちてます。立派な建物があって斎藤利三さんがいて、春日局もいたんでしょうか。いろいろ感動です。光秀が苦戦の末に落としたという歴史性、登るのは簡単、瓦も含めた良好な保存状態、最高の景色、その割には人が少ないという独占感、5拍子揃った素晴らしい城です。実は3回目なんですが、毎回、感動します。また行きます!(緊急事態宣言中につき、同じ県内の比較的近い城に行きました。平日ということもあり人は少ないです。滞在中、出会ったのは10人ほどでした)

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赤い城

模擬天守しか無いけれど (2021/05/02 訪問)

館山ファミリーパークが今月末で閉園と聞いて訪問。
花摘みも出来て楽しませて頂きました。
残念ですが仕方ないですね。
で、ここまで来たなら一応立ち寄り、城ファンには物足りない館山城です。
遺稿は無いけど地元の方たちの憩いの場になっています。
ちょうど連休で鯉のぼりが。
かなりの強風で飛ばされそう。
何も無いと思っていてもつい立ち寄ってしまう場所でした。
たぶんまた来ます。

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朝田 辰兵衛

しりとりで,その存在と読み方を知りました。 (2021/05/03 訪問)

しりとりで気になっていて調べたら,アクセスはそんなに悪くないな…と思っていて,松山で時間が空いたら行ける準備だけ整えておいてありました。まさに今回が使用するタイミングとなりました。
愛媛県内は知事からの協力要請で,GW期間中は観光名所や飲食店等の強力な閉鎖措置が取られていました。私は,福祉関連で前日まで愛媛県内某所にて。そして延泊にて,お城ツアーズ。外出自粛要請が発出された時には,すでに越境していました…。たぶん,todo94さんも似たような状況かと推察します。
ここ愛媛県では,事あるごとに「翔んで●●」的な状況になり,居場所が見当たりませんでした…。

松前城ですが,エミフル松前から徒歩約25分。住宅街を抜け,アップダウンもありません。東レ愛媛工場や松前病院を目印にすれば迷わないと思います。

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T-Shionoya

龍岡城展望台にあった城跡 (2021/04/24 訪問)

龍岡城五稜郭の展望台に辿り着くと、周囲は人工的につくられたいくつもの削平地。
後で調べるとそこが田口城跡で、個人的にはお城巡りの103城目となりました。

佐久盆地の南端、秩父山地の裾野の1つの比高約150mの尾根の上。
室町末期に土豪の田口氏が築いたとされ、武田信玄の佐久侵攻による落城後は、武田方、北条方、徳川方(依田信蕃)の城と移っていき、戦国末期に廃城となりました。
依田信蕃時代には麓の蕃松院に館があったようです。

訪問時は、龍岡城五稜郭から歩いて尾根の北に回り登ったため片道約45分。
一応車道ですが、クルマでは擦れ違い不能な未舗装路で、車種によっては走行不可能でしょう。

ミルフィーユ状の岩壁を要害とした城で、城郭東部に石祠のある本丸がありました。
しかし全体的に受けた印象は曲輪群の違和感。説明板もなく、城跡なのか後世のものなのか悩むような状態。
更に東へ行けば、また堀切があったらしいが、広さの割に堀や土塁が見られないからでしょうか。

国土地理院HPで航空写真を見ると、1950年頃や70年代の田口城一帯は畑。
遺構は姿を変えているのかもしれませんね。

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カズサン

模擬天守登城を主目的に❣ (2014/04/13 訪問)

 前日に鹿島神宮、香取神宮、大多喜城、久留里城を終えて、いすみ市で一泊、房総半島はほぼ初めての旅でしたので太平洋側に出て御宿、勝浦、鴨川を経て先端の野島崎灯台を見学して、主目的の里見氏の城館山城模擬天守閣に登る、初登城です。
 
 駐車場:麓の広い芝生広場横に広い駐車場を利用、トイレ有り。
 
 登城ルート:駐車場⇒児童遊園地横の階段を登る⇒クジャク園⇒だらだらと長い階段を登る⇒天守曲輪本丸⇒模擬天守登城⇒登城の反対側の道西側?⇒博物館⇒駐車場。

 感想:桜の時期はちょっと過ぎてましたがツツジ、草花が咲き市民の公園として広く活用され大勢と人で賑わってました、以前から観たかった模擬天守、登って見学やっと念願が叶いました、博物館は里見八犬伝の展示が主と成ってるみたいで里見氏より滝沢馬琴の南総里見八犬伝が主体です。
 里見氏は小田原征伐後安房一国と成り館山城を築城、慶長19年(1614年)大久保忠の罪に連座する形で安房一国没収され我が故郷鳥取県倉吉に3万石で移封、里見忠義が没すると嗣子なく断絶と成った。江戸期初期は大名の改易、断絶厳しかったですね!
 駐車場に鹿島堀の案内板が有りましたので掲載します。

 館山城を終えて次の佐貫城に向かう途中に日本一の石仏参拝に日本寺に寄りました、31メートルの高さ大きくて立派です、よく拝んで置きました。

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カネゴン

要害山城 (2021/05/05 訪問)

武田信玄公生誕の城です。
躑躅ヶ崎館の詰城ですが…
登城口から次々に門跡が出てくるので
アドレナリンがダダ漏れです。

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カズサン

模擬天守は閉まってました (2014/04/12 訪問)

 大多喜城を終えて久留里城へ初登城です、ナビは久留里城の駐車場を目的地、同駐車場を利用大型の駐車場で無料。

 探訪ルート:駐車場⇒現登城路⇒途中から尾根筋登城路⇒各曲輪⇒二の丸、資料館⇒本丸登城路⇒男井戸・女井戸⇒本丸、模擬天守、元天守台、本丸登城路はミツバツツジが満開でトンネル状、綺麗でした、天守には入れないようです。

 歴史:小田原征伐前は真里谷武田氏、北条氏、里見氏の攻防、小田原征伐後家康配下の大名が支配、大須賀氏、土屋氏、黒田氏と続き明治を迎える。

 登城は結構歩いた感は有りますが途中の尾根路登城に入り色々見ていくと時間を忘れ、二の丸、資料館、二の丸より三の丸を見下ろす等探訪に夢中になります、本丸登城路にも見所有り、ミツバツツジの満開は素晴らしい、模擬天守に入れなかった事は残念ですが堪能しました。

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カズサン

近世本多忠勝の大改修 (2014/04/12 訪問)

 写真イメージで大多喜城天守、いすみ鉄道、菜の花を合わせたような想像を頭に描き初登城、前日佐倉城、本佐倉城を終え佐倉に一泊、当日は午前中は未参拝の鹿島神宮、香取神宮を初参拝、立派なお社で歴史と粛然としたものを感じます、また城郭に構えてもおかしくない立地と構えです。
 香取神宮の近くで昼食を取り、いざ大多喜城へナビの目的地は大多喜城麓の町営駐車場、同駐車場を利用(当時は無料).

 探訪ルート:駐車場⇒二の丸公園⇒本丸天守閣博物館大多喜城分館、周辺と館内⇒大多喜高校、大井戸、写真が天守閣中心で大多喜高校に有る薬医門の写真は撮って無い、大井戸は近づき過ぎて井戸の石囲いが目立ちすぎ、7年ぶりに写真を見ると粗さが目立ちました。

 歴史:阿波里見氏の領有で以前は小田喜と呼ばれていたそうです、小田原征伐後家康の関東移封で本多忠勝に小田喜城を10万石で与え10万石に見合った大改修し大多喜城に改めた?、本多氏の後、阿部氏、青山氏、稲垣氏、松平氏(大河内)と続き明治を迎える。
 当城郭様式の博物館は昭和50年9月に開館。

 時間も無く、いすみ鉄道車両と大多喜城、菜の花のイメージを求めて彷徨う事も出来ず陽も傾き退散、次の久留里城へ。

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にのまる

春です。 (2021/04/04 訪問)

牛ヶ淵の桜🌸はまだ咲いているかなぁ…と思って、近くまで出かけたついでに清水門に寄ってみたのですが、すっかり散っていました。
が、大きな玉ねぎの中で大学の入学式が行われており、昨年は見られなかった春の風景が╰(*´︶`*)╯♡
一日も早く、たくさんの人と出会い、穏やかで楽しい日常を過ごせるようになるといいですね♪

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