城びと未踏の阿内城(宿阿内城)を初登城して南東の未踏の城「今村城」を目指す、南東に直線で約5km程、関東平野田圃の中、民家の前に城名石碑と案内板が並んで立っている。
遠く北方向には赤城山、西方向に榛名山、妙義山を望む関東平野のど真ん中、関東平野は広い。
駐車場:無し、トイレ無、案内板・城名碑の前に路駐(36°19'38"N 139°06'34"E h=70m)
参考資料:余湖図コレクションさんグーグルマップに依る。
余湖図コレクションさんの俯瞰縄張図によると広瀬川(現地案内板は韮川)西岸段丘に三角形の本丸を中心に周りを囲む曲輪で輪郭式の縄張だった様です、案内場の説明に東西南北約400mの範囲と記述されていた。
現地は現在耕地整理で田圃に成っており堀や、曲輪の遺構は確認できない。
歴史は、戦国時代に在位、那波の両郡を領有した那波氏の居城の一つ、伊勢崎風土記によれば那波宗俊が築城、上杉氏、武田氏、織田氏、北条氏の勢力に翻弄された様です。案内板には最後の行に「現存する城郭遺構の少ない中世平城遺構として、大変貴重なものと成って居る」と記述も有ります。
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