かくしゅじょう

鶴首城

岡山県高梁市

別名 : 成羽城、(成羽陣屋)
旧国名 : 備中

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二ノ丸 太鼓丸 三村氏居館跡 (2025/12/11 訪問)

 二ノ丸、太鼓丸、三村氏居館跡を追加で投稿します。
二の丸と表記されている場所は小曲輪群からなり、一部には石積みもみられます。出丸といった方がいいような気もしますが、日本城郭大系にも二の丸と書いてありました。

  成羽美術館近くの成羽川にかかる橋を渡って5分くらいの場所に三村氏居館跡があります。三村氏居館跡は三村家親が築営した平城で、成羽城とも呼ばれていました。鶴首城は有事の詰の城、三村氏居館跡は平時の館と考えられています。土塁に囲まれた居館で、土塁、石垣、堀の一部が残っているようですが、下調べ不足で行っていません。説明板と井戸跡を確認して退却しました。

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三村家親 (2025/12/11 訪問)

 文知5年(1189)河村四郎清秀が奥州攻めの軍功として源頼朝よりこの地に知行を得た際に築城したとされています。天文2年(1533)に三村家親が成羽に入ると拡大整備しました。城は標高320mの山頂に位置しています。高梁市立成羽小学校の裏にあるなりわ太鼓丸公園に登城口があります。倒木を越えなければいけない場所もありますが、登城路は概ね整備され案内標識も多くあり迷うことはありません。太鼓丸を経由して登って行き、途中で二の丸との分岐があります。いくつかの資料で二の丸と表記されていますが、出丸のような位置にあります。まずは本丸方面に向かい散策しました。本丸周囲には曲輪が展開し周囲には石積みが少し残っています。南側には二重の堀切、竪堀などがありました。西側にある竪堀群などは落ち葉の堆積もありわかりにくい状況です。近くには井戸跡と思われる場所もありました。

 
 

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成羽陣屋 (2025/12/11 訪問)

 鶴首城の麓にある陣屋跡です。寛永16年(1639)水谷勝隆により築城が開始されましたが備中松山に転封となったため、後にこの地を治めた山崎氏により完成した陣屋跡です。成羽小学校から成羽美術館付近に築かれていました。石垣がよく残っています。
 
 赤い城さんの投稿で陣屋の存在は知っていましたが、予想以上に石垣が残っていました。

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赤い城

三村家親の居城 (2025/02/23 訪問)

成羽陣屋の裏手の公園に登城口があります。
整備されていて歩きやすくなっています。
東屋のある太鼓丸から急坂となり、脚を使ってしまいます。
急坂を登り切ると左手に出丸、右手が本丸へ向かう道です。
この辺りから天気が急変、雪が降ってきました。
冬用タイヤを履いていないので不安を抱きつつ「戻っても同じ」という思いでとりあえず登ることに。

ようやく主郭部にたどり着きます。
主郭部は幾つかの小曲輪で構成され、石積もみられます。
南側の曲輪を進むと二重堀切がありました。
帰りは西側の畝状竪堀を見ながら、というルートをとります。
畝状竪堀も相変わらず写真にならないですが見ごたえある遺構でした。
ここから主郭まで直登で戻り下山しました。

戦国時代に三村家親、元親親子が拠点とし、備中制覇を目指した城です。
しかし、宇喜多氏や毛利氏との攻防の末落城。
その後三村親成、親信親子が入りましたが関ヶ原後に廃城となりました。

さすがに備中松山城(大松山城まで)の後と寒さで脚を使い切った感がありましたが行って良かった城でした。

【見どころ】
 ・主郭部に残る石積
 ・段になった主郭部
 ・主郭部南の二重堀切
 ・西側の畝状竪堀

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城、(陣屋)
天守構造 なし
築城主 河村秀清、山崎豊治(陣屋)
築城年 平安時代後期、万治元年(1658)(陣屋)
主な改修者 三村家親
主な城主 河村氏、三村氏、岡氏、山崎氏(陣屋)
廃城年 元和3年(1617)
遺構 曲輪、堀切、石垣(陣屋)
指定文化財 市史跡(成羽陣屋跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県高梁市成羽町下原
問い合わせ先 高梁市社会教育課文化係
問い合わせ先電話番号 0866-21-1516