玉造城の城主、玉造氏も大掾氏の一族で佐竹氏に太田城へ呼び出され殺され、滅亡しました。
南方三十三館と呼ばれる大掾氏一族の館の一つです。
大場家住宅の駐車場から坂道を登って行くと内宿集会所があり、その背後の高台が主郭です。
北側に説明板が立っています。
東側に回ると二郭との間の堀切があり、道路が続いています。
主郭に登る道がありますが郭内は藪。
薮の先には高い土塁がありましたがすぐに撤退しました。
二郭の南には神社があり、さらに進むと三郭との間にも堀切があります。
曲輪を三つ並べた造りになっています。
遺構の状況は今ひとつですが、このエリアの他の城から想像するとそれぞれの堀ももっと深かったのでは無いかと思います。
冬ならもう少し歩けるかな?
+ 続きを読む