今月は、私のお城巡り101城目として山梨県都留市の谷村城&勝山城に行ってきました。
ほとんど平地がない郡内において、桂川沿いは古代から生活の場があったとのこと。
郡内の北寄りは甲州街道が走っており、桂川は相模川の上流部であるため相模国との交流もあったエリア。
その郡内の中心地が都留。
戦国時代は小山田氏が統治し、火災に遭った中津森の居館を1532年に谷村に移したのが谷村城&勝山城の始まり。
桂川を挟み、平地の居館が谷村城、対岸の比高90mほどの山に築かれた詰城が勝山城です。
小山田氏滅亡後は鳥居氏などが城主となり、豊臣方の浅野氏重の時代に大修築を実施。
江戸期の1633年からは秋元氏が入り、1704年に秋元氏が川越城へ移ると廃城となりました。
現在の勝山城は、桜で飾られた城山公園となっており、本丸周囲には所々で石垣が確認できます。
また大沢見張り台手前の堀切(竪堀)も山城らしい遺構。
源生見張り台は行くことができませんでしたが、全体をゆっくり回っても1時間半で十分な大きさでした。
谷村城は遺構がほぼないものの、小学校辺りが本丸。
水堀の名残として家中川が流れています。
さて、私の先祖は秋元氏の馬廻衆だったとの話。ボディーガードのような役割でしょうか。
しかし市役所前に立っていた秋元氏時代の谷村城絵図を見ると、武家屋敷の中に我が名字はありませんでした。
足軽屋敷に住んでいたのかな?
それとも谷村城内で警備員として暮らしていたのかな?
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