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じゅんじん

碑がぽつん (2021/09/19 訪問)

JR新八柱駅からの通りを行くとあります。誰も気にしないでしょうね。離れた自転車屋裏手の公園に説明板があります。

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青春の巨匠

庭園が見事 (2021/10/10 訪問)

この下の城の京極氏の居館の庭園が水と植木が無いだけの完璧な形で残っているのに、びっくり。でもお楽しみは詰めの城です。

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ひで

駅から徒歩はかなり遠い (2021/10/10 訪問)

最寄り駅は成城学園前か用賀のどちらかですが徒歩だと30分以上ありそうです。自分は仙川沿をランニングで攻めてみました。他の人の投稿にあるように遺構はなく、高台は東名高速で分断されています。館跡付近の高台の一部が大蔵六丁目公園になっていて写真二枚目のような少し居館跡を感じられる雰囲気でした。成城学園前より用賀駅からの方が途中に砧公園や岡本公園民家園等の他の見所があるので良いかもしれません。

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青春の巨匠

地元のボランティアが運営されてます (2021/10/10 訪問)

下坂さんは元国人領主。江戸時代に帰農して郷士となったという。ボランティアさんの話では後継がいなくなり、土地建物を市に寄贈したそう。運営は地元有志のボランティアによるので、土日しか見れないそうです。単なる方形館でなく、江戸時代の建物が現存していることが貴重だし、二の丸や二重土塁があったりして、良く中世の国人館を留めています。

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青春の巨匠

古代人の壮大な墓場の上に造られた陣城 (2021/10/10 訪問)

呆れるほど多数の古墳が集まっている山です。その古墳の上に陣地が作られているので、古墳だか土塁だか空堀だか、訳が分からない事になっています。信長の陣跡からの眺望はとても良いです。駐車場は麓の公園駐車場でなく、神社脇の坂道を登って中腹まで車です行けるので、そちらがお勧めです。

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いんげん丸虫

猿ヶ城 長野県大町市 (2021/10/09 訪問)

木崎湖と青木湖の間にある標高1195mの高所に築かれてます。
2重堀切で主郭を守ってますが全体的にこじんまりとした遺構です。
烽火台には案内板があります。
舗装された林道が近くまでついてます。

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しげっち

岡山城 (2014/07/05 訪問)

前に行きました。

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ぴーかる

向島城 (2021/07/25 訪問)

【向島城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>京阪観月橋駅より徒歩

<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用の旅5城目。向島城は地震で倒壊した指月伏見城の支城として築城されました。現地説明板の通り秀吉がこの地を気に入り、月見や公家達を招いて遊興するような別荘的なお城だったと思われます。秀吉没後は家康が統治していたようですが豊臣氏滅亡後は廃城となったようです。現在は巨椋池とともに干拓され遺構は残っていない。駅から徒歩で観月橋を渡り宇治川の眺望を楽しんだ。

<満足度>◆◇◇

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にのまる

渋沢栄一ゆかりの煉瓦建築「誠之堂」「清風亭」 (2021/09/07 訪問)

 大河ドラマ館を出て渋沢栄一記念館に向かう途中で寄りました。小山川の手前の大寄公民館の敷地内に2棟のレンガ建築があります。平成11年に都内から移築されたそうです。わりと近所でしたが全然知りませんでした。
 どちらも洗練された素敵な建物です。飛鳥山公園の晩香廬によく似た雰囲気で、ヨーロッパのどこかの国の小さな町の洋館のイメージ(行ったことないけど)。2種類のパンフレットをいただけました。

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じゅんじん

公園 (2021/08/19 訪問)

真夏は避けたほうが良いね。

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城山台第2児童公園 (2021/10/09 訪問)

 信貴山城の帰りに行きました。奈良交通バスにて信貴大橋から王寺駅行きに乗車して西和清陵高校にて下車。バス停から徒歩5分くらいの所に「城山台第2児童公園」があり、その付近が城址とのことです。遺構はありません。

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じゅんじん

門限17時 (2021/08/07 訪問)

到着が17時。ちょうど閉門時間でした(;'∀')

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朝護孫子寺より (2021/10/09 訪問)

 朝護孫子寺から本丸のあった空鉢護法堂までは整備された道を上がって行きます。途中縄張り図で雌嶽と書いてある曲輪の跡があります。腰曲輪と浅いですが堀切らしき地形を見ることができます。 本丸には石碑と案内板があります。その後、松永屋敷方面へ向かいました。郭は広く数段にわたって作られていました。松永屋敷の東側の尾根にも削平地が展開していて堀切などを見ることができます。切岸もいい感じでした。縄張り図にある石垣、水の手はよくわかりませんでした。

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赤い城

信玄と戦った城 (2021/09/26 訪問)

駐車場に説明板があり、南城脇の道を進むと主郭手前に東西に走る堀があります。
土橋がかかっていて下にトンネルがありました。
主郭と二郭の間にも堀、歩きやすく整備されています。
北城と主郭の間にも堀があり、今でも広いですが当時はもっと深かったと思われます。
主郭は三段になっています。ちょうど彼岸花が咲いていて綺麗でした。
諏訪氏分流の藤沢氏の居城で信玄の軍勢と戦った城です。
武田の攻撃により開城しましたが武田氏滅亡により藤沢氏が復帰しました。
帰りに県道へ降りる道の下に竪堀もありました。
なかなか素敵な城でした。

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ヒロケン

国宝・現存12天守の一つ松本城 (2021/10/02 訪問)

松本城は戦国時代の初めに造られた深志城が始まりとされています。1550年武田信玄によって深志城は陥落し、馬場信春を城代として、大規模な拡張工事が行われ近世松本城に至る縄張りが整いました。
1582年、織田信長の武田氏征伐征伐によって、深志城は小笠原氏が城主に返り咲き松本城と改称しました。1590年には、元徳川家康の重臣、豊臣大名の石川数正が8万石で入城し、石川氏二代によって本格的な城郭普請が行われ、天守・本丸御殿・二の丸・三の丸が完成した。その後、小笠原氏・戸田氏・松平氏・堀田氏・水野氏・その後、再度戸田氏が入城し、明治を迎えました。

松本城は現存12天守の内、五層天守は姫路城・松江城とこの松本城だけで、遺構としては、現存天守(大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓)石垣・復元門・水堀が残り松本城公園として、観光地化されています。

松本城へは5度目の攻城ですが、最近は松本周辺の林城をはじめとする山城を攻城し、2016年以来の攻城です。9月に放送された、タモリさんのブラタモリを見て、総堀と云われる堀跡を見逃していたので、5度目の攻城を決めました。
北門馬出しに残る湧水は確認したのですが、現存天守に魅了され本丸周辺を歩き回り、なんと靴擦れ((+_+))なんとも痛い((+_+))それでも我慢して散策したのですが、防災訓練の関係で月見櫓にヨウジョウがされていて、まことに残念((+_+))、(家に帰り画像を確認したところ、2016年9月17日の画像にも月見櫓にヨウジョウがされていました)でしたが、堀跡は確認できたのと、現存天守を見れたので満足しています(*^▽^*)

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牛若丸

ただの公園です。 (2021/07/05 訪問)

住宅地の中にある公園となっており、ちょっと期待外れでした。
駐車場はなく、車で行くと停める所に困ります。

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牛若丸

家康、初陣の地 (2021/07/05 訪問)

家康が、初陣として兵糧を運び入れた城です。
桶狭間の戦いの各砦が見やすい丘にあり、今川義元が重要視していた事がわかります。

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すけきよ堂

江戸時代の郷士館と中世城郭 (2021/10/09 訪問)

お城expo出張版の講演で、紹介された現地に行きました。
鎌倉期以来の地頭の下坂氏の館で、建物自体は江戸期の茅葺き館と、中世以来の方形居館を土塁と堀が囲んでおります。
親切な現地ボランティアの解説と案内で知的好奇心を充足し、ご当地ビールで至極の一日となりました。
ちなみに駐車場は停めやすいです。

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ひで

遺構はないが居館跡だった雰囲気は感じる (2021/10/09 訪問)

つつじヶ丘駅から徒歩15分ぐらいで晃華学園の敷地に到達。ランニングで立ち寄ったので駅からの時間は想定です。
この敷地の中が居館跡のようですが、中には入れずそれを示す遺構は外部からは分かりません。敷地の周りを一周歩きましたが、かなりの急坂で小高い丘になっていて居館がたっていた雰囲気は感じられます。写真は学校の裏門と裏門近くのお稲荷さん。あと敷地のすぐ隣にある上ノ原公園です。
上ノ原公園もなんだか居館跡の雰囲気を感じられて撮りました。

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チェブ

増尾と幸谷は仲良し。 (2021/05/04 訪問)

前回、投稿した「戸張城」で城内に踏み入れる事ができず、(旧柏学園でフェンス越しの見学。)目的地を、「増尾城」にロックオンすると、
芝浦工業大学柏中学高等学校、、、の隣。
またしても、学校かぁ~と期待半分で向かいました。

高城氏の家臣、平川 若狭守の居城です。
平川さんを調べても、「増尾城」が検索されてしまい、どんな方だったのか謎です。
高城氏が北条家の配下だったので、秀吉さんの北条家征伐は免れないのですが、、、。

「増尾城」は城址公園として整備されてます。
グラウンドが広がるような公園ではなく、森の中を散策できる印象です。
期待半分を撤回し出陣です。
私は学校側から攻城しました。左手に『城址』と、小さな看板がありますので、迷いません。
虎口があり、曲輪を囲む土塁等が「増尾城」の想像を豊かにしてくれます。
土塁には、木の根っこが覆うように伸び、長い時間を共存してるかのようです。
櫓台があり、「増尾城」の御城印にも櫓が描かれているんだとか。
「増尾城」の御城印に描かれている櫓からは「幸谷城」が見えるそうです。
それでもって「幸谷城」の御城印にも「増尾城」が見える櫓が描かれているそうです。

「幸谷城」行ったかなぁ?
残念な事に『お城を探す』に未登録のようです。
「増尾城」の櫓から、平川 若狭守は仲間と連携が長けていると勝手に想像する事にしました。

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