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こうちゃん

国宝納得 (2021/04/14 訪問)

城の周りが昔は湖だったとは驚き
天秤櫓のお出迎えに圧倒された

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赤い城

コンパクトだけど見どころ多し (2021/04/17 訪問)

小さいけど駐車場あり。
公園として整備されています。
牛久城に移る前の岡見氏の居城とされています。
入口に石碑と説明板が立っています。階段を登っていくと三郭、説明板もそれぞれの場所にあり分かりやすくなっています。
堀や土橋も良好に残っています。
堀には随所に横矢ががかかっていてコンパクトながらも防御に優れた城になっていました。
二郭の南側には竪堀状の遺構も。ちょっと探しました。
常陸の城らしさ溢れる城跡。
歩きやすさも含めこれからの時季でもおすすめです。

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にのまる

三増合戦場と。 (2021/03/30 訪問)

 愛川中学校前にある説明板に「城址には石塁跡と守護神の八幡社があり…」と書かれていたので学校の裏山にまわってみましたが、左手の墓地の先の川を見下ろす平場は耕作地で、八幡社も石塁跡もこちら側ではなかったようです。中学校のお隣の竹林や大きな桜の木があるあたりは当時の何かを留めているのかもしれないという雰囲気がありました。
 中学校まわりの散策を切り上げてグラウンド横の道から三増合戦場跡碑へ。黄砂で空がどんよりとしていましたが目の前には菜の花畑が広がり、遠くの山には満開の山桜も望め、春の空気がとても穏やかでした。
 10分ほど歩いたところに合戦場碑や四阿の整備された一角があり、合戦のあらましと陣立図の傍らにはフレグランス線香の香りが爽やかな新しい供養塔。主戦場だった桑畑で今から20年前に見つかった人骨をここに埋葬したとのことです。現在ののどかな風景からは想像しがたいのですが近くに首塚もあり、犠牲者が4,000人を超える激戦地だったということに思いを致します。
 田代城の狼煙台へも行けそうだったので地図を頼りに登城口らしきところを探して踏み跡のある道を少し入ってみましたが、確信が持てないうえに藪。しかも近くの茶畑に刺してあったたくさんのマネキンの首が450年前の合戦で果てた人たちの首級に思え、時空を超えて落ち武者狩りにあうかもしれないという恐怖で退散しました。戦場のリアルはその経過や結果を知識として得るだけではなくて、ひとりの人間の生き様死に様に思いを馳せることで見えてくるものもあるのではないかと思った次第です。
 …最後はちょっと怖かったけど、でもやっぱり狼煙台や石塁、八幡社、胴塚、信玄の旗立松、卵菓屋さんと心残りのところがいくつもあるので再訪したいです。

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ぴーかる

大高城 (2021/04/10 訪問)

【大高城】
<駐車場他>駐車場はなし。近隣は住宅街のため大高駅周辺のコインPに駐車するのがよいかと。
<交通手段>青春18切符

<見所>空堀・郭
<感想>日帰り18切符の攻城旅2城目。大高城は松平元康の「兵糧入れ」で有名。廃城後は1616年に尾張藩家老の志水家が大高城跡に館を設けて代々住むようになった。遺構は本丸・二の丸の郭とその間の空堀と郭の土塁が残る。本丸は2段構造で下段は非常に広い。上段は神社と館時代の庭園跡のような凸凹が見受けられる。二の丸も2段構造となっており、下段が広くなっている。信長が包囲の為に築いた丸根砦・鷲津砦が東~東北方向の丘陵地に見えます。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

伊賀未踏の城廻りⅣ 服部半蔵誕生の碑も在るが? (2021/04/11 訪問)

 名張の桜町中将城を終えて北北西に約7km程、地道を通り途中名張街道沿いのコンビニで昼食トイレ休憩、道の良い名張街道から地道へ県道686号線から687号線に入り工場横の空き地をナビの目的地にしましたが工場の駐車場兼資材置き場、暫く687号線を走って地元方に路駐出来る所、登城路を聞き込みました。

 路駐場所:県道686号線687号線分岐点から約400m先の県道687号線山側の三角コーナー(N34°42'35" E136°06'14")2台可

 概要案内:路駐場所から約300m程戻り県道沿い山手に千賀地城跡入口の自然石碑が在る、上ると角々に案内標柱が有り、崖補強した壁に登り階段が付いている、登り切ると登城口、登城坂から虎口へ、主郭は大きくは無い、北に高い土塁、西、東に低い土塁、案内板と服部半蔵・藤堂采女(伊賀上野城代家老)の名を刻んだ石碑が大きな自然石で建ってる。後供養塔の様なものが北側土塁側に小さく建ってるが内容が分からない。
 北土塁裏側に回って土塁と堀を確認するも灌木藪も有り遠目で見るだけ。
 先程地元の方の話では服部半蔵誕生の話は懐疑的でしたが?良く分かりません、主郭に在った伊賀市の案内板には藤堂采女の誕生は記されてましたが半蔵の誕生は記されてません、藤堂采女が千賀地氏の出自と有り千賀地氏は服部氏の流れを汲むと案内板では読み取れます。

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カズサン

伊賀未踏の城廻りⅢ 信雄陣城薄暗い! (2021/04/11 訪問)

 滝川氏城を終えて徒歩で南東直線約200m程に在る、桜町中将城登城を試みるが2ルート供民家庭先なので車で大回り、来た道を引き返し田植え前の農作業の軽四が農道に横付けして有り車にぶつからない様、田圃に落ちない様ゆっくりと慎重運転、県道692号線に出て南東500m程の所に目的路駐場所を定めて走行、目的の路駐は無理なので農作業されてる婦人に桜町中将城の登城路と路駐可能場所を尋ねる。

 路駐場所:名張市下小波田1018宅の西石垣下、県道692号線沿い側溝蓋の上白線側道の内側に1、2台可能。

 概要案内:路駐場所から30m程北に戻り集落の細い道を東に約100m程、途中細い堀切道に成り婦人に教えて貰った「車1台が駐車できる場所から登る」と、場所はぬかるんで居り薄暗いが眼前に城塁が入り坂道を上がると主郭の南側堀、東側土塁確認し、南側の虎口にたどり着く、前に滝川氏城を見てるので落差は有り過ぎ、薄暗く杉林は乱立、主郭は狭いと成ってしまいますが、土塁の幅は広く、南虎口の横は櫓台が有った様な広さ、主郭北西角に虎口状のスロープが在り土塁に登り観察、南を除く三方に空堀が巡る、南虎口から来た道の反対西側に登城路が有りそうなので西側北の別集落に降りる、直ぐ北西は滝川氏城か?を通って路駐場所へ戻る。
 杉林が乱立して観察しにくい又暗くて鬱蒼としてる、曲輪土塁空堀の残りは良いがもう少し景観と案内板の設置を願いたい。またお尋ねしてお答えいただいた方に感謝申し上げます。

 歴史:天正9年(1581年)第2次天正伊賀の乱で伊賀土豪衆が立て籠もった柏原城に対して信雄の命で滝川雄利が滝川氏城と信雄の陣屋、陣城として築いた。

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やなぎぶそん

富士山の頭が見えるお城 (2021/04/18 訪問)

天守台の石垣や土塁、大空堀など城好きには見所が多い城です。
晴れてると後方に富士山の頭が見えます。
曲輪の草刈りをしてほしい。

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やなぎぶそん

桜が見頃 (2021/04/10 訪問)

お城の周囲を囲む桜が満開間近で一番きれいな時期でした。
展望台へは車で行きましたが、舗装されていない林道ですれ違いが困難な道路なので、歩いて登った方が無難かもしれません。

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やなぎぶそん

2回目の登城 (2021/04/10 訪問)

城カードを買うの忘れました。

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やなぎぶそん

撮影するなら午前中に (2021/04/10 訪問)

水堀越しの天守は素晴らしいが、反対側は天守のすぐそばに道路や住宅があり、ちゃっちく感じます。

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Sui

瑞泉門塗り直し完了 (2021/03/30 訪問)

先日訪れた首里城。
瑞泉門が塗り直しを終えて
輝きを取り戻していました。
行った際はぜひ見上げてみて下さい♪

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小城小次郎

複雑な形状の天守が唯一無二の存在感を放つ (2021/01/27 訪問)

複雑な形状の天守台に複雑な形状の天守が建つ姿は唯一無二。古図を基に丹念に外観復元されたものと聞く。同じように複雑な形状を持つ天守台の上に建つ天守を想像する際、大いに参考になるだろう。

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たにgucci

絶景かな (2021/04/18 訪問)

お城からの風景は絶景。
いい場所にお城をきづいたって感じです。
綺麗に整備されていて、造った感満載です。

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昌官忠

都区内5城巡り④:中野城山居館 (2021/04/16 訪問)

都区内5城巡り4城目は中野城山居館です。
東中野駅より徒歩12~13分位で城山説明板前(35.702414、139.675140)に着き、それから堀江氏の菩提寺・宝仙寺山門前(35.698225、139.679211)へ向かいました。

天正4(1576)年頃に後北条氏の支配下にあった堀江氏が周辺を治め、後世の江戸期(延宝3・1675年)の記録として「中野村のうち900坪ほど土手を築き、から堀を掘ったところがあり、これを昔から城山と申し伝えている。そこはもともと名主堀江卯右衛門の先祖からの屋敷地で、いまは年貢地になり、代だい卯右衛門が所持している。」
さらに解説板の後半には、平安時代の武将で、後の名門千葉氏などの祖でもある平忠常や、またさらに後世には、扇谷上杉氏の重臣・太田道灌などの砦跡だった可能性もあると記載されています。
堀江氏は後北条傘下であったとされていますが、豊臣秀吉の命も受けたと記されているので、おそらく天正18(1590)年の小田原の役で秀吉方につき、しばらく秀吉政権下では存続したものの、その後の徳川家康の関東入り後に、なんらかの理由があって廃城になったものだとは思われます。

現在の公園は周辺も開発されており、遺構は残っていません。唯一、説明板があるのみです。
城山説明板前から宝仙寺に移動する経路上に堀越高校がありました。
芸能人が数多く卒業されているようですが、自分は山口百恵ファンだったこともあり、目黒駅近くの日出高校推しです。(ちなみに1980.10.5の武道館ラストコンサートは2階席正面で見ました。ミーハーでした)
宝仙寺には堀江家の墓所がありました。
攻城時間は20分くらいでした。(城山説明板前から宝仙寺までの移動時間を含みます)

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まるチョコ

かろうといわ (2021/04/18 訪問)

櫃岩の読み方、しびれました。木で良く見えませんが。その先の大手門から降りようとしたらゴルフ場との境界で戻るはめになった。ゴルフ場の協力で保護されてもいるので感謝ではある。

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朝田 辰兵衛

バーター攻城。 (2021/04/17 訪問)

JR羽前小松駅から東へ約5km。のっぺりと変化のない景色で,倍ぐらいの疲労感。ローソンが見えるとホッとすると思います。あえて来るまでもなかったのですが,チェブさん攻城時の不安を解決したいな…という思いもあり向かいました。
城域は畑と墓地に変わっていると思います。標柱もパネルもないので,下調べもないと不安だらけ間違いありません。南端の櫓台と思われる土塁に祠が祀られており,ここから周囲を見渡すことでとりあえず達成感というところでしょうか。
良く見ると,南北に延びる堀跡と土塁跡の延長線が畔道となって改変されてます。

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カズサン

伊賀未踏の城廻りⅡ 最大級の方形単郭城郭 (2021/04/11 訪問)

 伊賀の乱最後の籠城戦を戦った柏原城を終えて北東へ約9km程の所にある滝川氏城を目指す。
 情報とガイドは城郭放浪記さん余湖図コレクションさんGoogleMapに依る。

 駐車場:滝川氏城の北側土塁下(三重県名張市下小波田869)をGoogleMapで確認しナビにセット。
     北の帯曲輪の様に成って居り奥に遊戯設備あり手前に5、6台?は駐車可能、道が狭く入り込みに切り返し必要。

 概要:案内板がフェンス内側に架かってるこれ一枚だけ。主郭の内部はグラウンドに成ってる、約70m四方で日頃見慣れてる方形単郭城郭の4倍の広さ、国内最大級の広さ大きさでしょう!初の体験です。
 周囲は厚い高土塁と深い堀で囲ってる、南西角外に馬出的出丸が在る現在果樹園、外曲輪の東側と西側から主郭を囲ってる空堀と土塁を確認、重厚な造りで圧倒されます。

 歴史:天正9年(1581年)織田信長が伊賀に攻め入った「天正伊賀の乱」に総大将信雄の家臣滝川雄利が築いた城郭、県内最大で兵の駐屯地と考えられる。道を挟んだ南側には信雄の陣屋と言われる桜町中将館が在り、天正12年秀吉に追われるまで、南伊賀の支配の拠点と成りました。(案内板より抜粋)

 出丸西、東より南の桜町中将城への道を探したが民家庭、私有地の様でここに駐車して次の探訪はを試みたがNG、車で路駐探しに向かう。
 投稿写真の順番が投稿クリック時に前二枚が消え編集で後の二枚を追加、ちょっと投稿時の小さなトラブルが在ります。

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小城小次郎

ワンダーランドなだけではない (2021/01/26 訪問)

日本最小級の模擬天守や石垣撮影スポットのきめ細かな掲示など、知識がなくても普通に楽しめるワンダーランドだが、実は美濃守護土岐氏の拠点として、観音寺城や一乗谷城にも比肩すべきポテンシャルを持つ、すごいお城なのだ。

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牛若丸

桜満開、小田原城 (2021/04/01 訪問)

ちょうど、桜が満開の時に訪れました。
石垣山城とともに訪れるのがおすすめです。

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牛若丸

3度目の登城です。 (2021/04/01 訪問)

初めて登城したのが20年以上前で、その時は全然整備されていませんでした。
今は整備され、関東では珍しい石垣も見事です。
一番最初の画像は、本丸から見た小田原城です。秀吉もこうした光景をみていたのでしょうか。もっとも当時は天守は無かったでしょうが。

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