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カズサン

織田信包柏原陣屋 (2012/06/11 訪問)

 平成24年6月三木城を終えて柏原陣屋へ、前回は知識も無く太鼓櫓を見て無かったので綺麗に成った長屋門、御殿車寄せを是非観覧探訪と車を走らせました。
 車は前回も世話になった柏原自治会館前の無料駐車場を利用、そこから大手通りの突き当りに陣屋が在ります。

 慶長3年(1598年)織田信長の弟織田信包が3万6千石で入り4代続き嗣子なく廃絶、途中天領に成り元禄8年(1695年)大和松山藩織田信雄の流れ織田信休が2万石で転封以後明治まで継承される。

 長屋門、御殿も一部残っている、遺失部分は地表に平面表示で遺構を表してる、大手道西に約300、400mの所、太鼓櫓が大歳神社に移築され残ってる。
 前回の登城時より長屋門、土塀、御殿、表面表示、通りが綺麗に整備されて居ました、大切に守っていきたい文化財です。
 通り、城下町の家並みは古き良き風情を残してる。

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カズサン

三木城は肥後守の産地 (2012/06/11 訪問)

 最近の登城投稿も一段落し過去ものですが平成24年6月の三木城初登城を投稿致します。
 車で廻り駐車場は三木城の西の丸に当たる図書館前の無料駐車場(現在はみき歴史資料館)を利用。
 
 直ぐにに本丸に在る三木城主別所長治騎馬像が目を引きます、少し高まった天守台跡、三木合戦絵図のパネル展示がまた目を引きます、本丸、西の丸を見て北西面の崖に模擬土塀が造られて居り美囊川方面に降り土塀撮影、三木城を降りて雲龍寺を参拝し別所長治夫妻の墓を拝む。
 別所氏の離反で上月城の尼子勝久、山中鹿之助が命を落とす事に成り、三木城の兵糧攻め、落城後の鳥取城の兵糧攻めに歴史は刻まれていきます。
 
 美囊川沿いの三木市観光協会に寄り資料と物産を品定め、そこで懐かしい肥後守を見つける秀吉が別所氏を滅ぼし三木城は秀吉弟秀長が治める所と成り、鍛冶職人を堺から引き鍛冶産業を発展させたと(売店の人の話)そこで小学生時代に世話になった鉛筆削り小刀肥後守に久しぶりに対面、小刀肥後守が三木市の産物と初めて知りました、懐かしさのあまりキーホルダーの肥後守を購入よく切れます。

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いんげん丸虫

大築城 長野県長野市戸隠 (2021/10/24 訪問)

荒倉キャンプ場の西の山頂にあります。舗装された林道から30分位登ります。
主郭には巨岩が点在しています。土塁のように利用してたのかな。
20年前に書かれた縄張り図に照らすと北の堀切等は分かりにくくなってますね。

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新ろくべえ

衣笠城に行ってきました (2021/10/24 訪問)

[注意]
この城では蜂がいました。気を付けてください。
(その為城の主郭には行っておりません。
ご了承願います。)
衣笠城に行ってきました‼
この城は平安時代後期~鎌倉時代前期にかけて使われていた城です。
川と川に挟まれ、東に出た半島状の丘陵一帯が城で、まさに天然の要塞です。
源頼義(源頼朝の先祖)に従っていて前九年合戦の役に出陣した、
村岡平太夫為道が戦功によって三浦の地を与えられ、所領となった三浦の地の、
中心にあり、要害堅固のこの地に、両川を自然の堀とし、康平年間(1058~1064)に
築城されたといわれています
その後は為継、義継、義明の四代にわたり三浦の中心地であった
そして1180年に源頼朝の旗揚げによりこの城に平家側の大軍を迎えての攻防戦は、
衣笠合戦と言われている。
丘陵の一番裾が衣笠城の大手門で、緩やかな坂を登り、滝不動に達します。
そして居館は水の便のよい下の写真の一番の付近で、あると言われています。
そして一段上には不動堂と大善寺城があったと伝わり、さらにその裏山には、
衣笠城最後の拠点の詰の城で、金峯山蔵王大権現を祀った社があったといわれている。
その最後の拠点の、最も高いところが物見櫓と呼ばれるところに、
大岩がありその西が急峻な谷になっている
要害の地形を利用し一部に堀や土塁が残っている。
〔城情報〕
・築城年   1058~1064(康平年間)
・種類    山城
・築城者   村岡平太夫為道
・主な城主  村岡氏
・主な遺構  堀、土塁
・看板、石碑 あり

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小城小次郎

お城の適地だったとは思う (2021/08/09 訪問)

源頼朝が陣を敷いた伝承を残す場所に豊島氏一族の滝野川氏が居館を構えたが、太田道灌の豊島氏討滅によって館もろとも歴史の闇に消えた。遺構も何もないが蛇行する旧石神井川がお城の適地だったことを示しているように思う。

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沖縄県中城村のふたつのグスク(城) (2021/10/25 訪問)

中城村護佐丸歴史資料図書館で過去に開催した、
★『中城城跡新たな発見』
★『もうひとつのグスク 中城村の新垣グスク』
ふたつの企画展を、沖縄県立博物館・美術館で開催することになりました!

中城グスクと新垣グスクにおける発掘調査から、新たに分かった事実を紹介すると共に、両グスクに関する資料を
あわせて公開いたします。

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期間:2021年11月30日(火)~2022年1月10日(月)
開催場所:沖縄県立博物館・美術館
入場料:常設展示室 大人530円 高大生240円 県内小中高生無料
*常設展示室〈歴史部門〉「中城城跡展」→有料
*エントランスホール「新垣グスク展」→無料
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◆展示解説会◆
日時:2021年12月26日(日)
場所:沖縄県立博物館・美術館

・午前の部:10:00~11:30
 (解説者:中城村教育委員会 渡久地真)
・午後の部:13:30~15:00
 (解説者:中城村教育委員会 新城卓也)

【お問合せ先】沖縄県立博物館・美術館
       098-851-5401 担当:山本

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イオ

一日とことん彦根城(第一郭・再訪部分) (2021/10/03 訪問)

関ケ原の戦いでの功により石田三成の旧領を与えられた井伊直政が佐和山城に替わる居城として計画し、家督を継いだ井伊直継が天下普請により築いた城で、豊臣氏や西国大名への抑えとしての役割を担いました。明治になって天守や櫓は破却される予定だったところ、明治天皇の彦根行幸に随行した大隈重信の上奏によって保存が決まり(諸説あり)、現在に至ります。

琵琶湖畔の彦根山(金亀山)に築かれた平山城で、本丸を中心とした丘陵部を内堀で囲んだ第一郭、内堀と中堀の間に藩主庭園や重臣屋敷を置いた第二郭、中堀と外堀の間に武家屋敷や町屋を配した第三郭(内町)、外堀と芹川(大外堀)の間に足軽組屋敷を設けた第四郭(外町)で構成される惣構の巨大城郭です。

彦根城には一昨年、昨年と登城していますが、昨年は家族と一緒で思うようには見て回れなかったので、今日は一日かけてとことん彦根城です。いつものように表門橋から内堀を渡り、表御門の登り石垣を見上げつつ城内へ。この辺りは何度も来ているので、さらっと流すつもりが、天秤櫓内から佐和山城を見渡したり、城兵気分で登城路を見下ろしたり、やはり天秤櫓はスルーできませんでした。

太鼓門櫓も何度も通っているはずが、ぴーかるさんと同様に、門前の岩盤を組み込んだ石垣はこれまで特に意識していなかったので、今回しっかりと確認。昨年までは工事中だった櫓内にも初めて入ることができました。

本丸に着くとまずは天守内へ。一昨年は多聞櫓から附櫓を経て入りましたが、耐震診断の結果、現在は附櫓と多聞櫓の公開は中止されており、昨年6月からは天守台横の玄関棟の鉄の門扉を潜って地階から入るようになっています。梁を見上げて大津城からの移築の痕跡を探しつつ、急な階段を二回登るともう最上階です。やっぱりちょっと小ぶりだよね…と思う一方で、その小ぶりな天守にあの巨大な姫路城大天守をも上回る数の破風をこれでもかと詰め込んだところに、比類ない華麗さを感じるんだろうな、とも。一昨年の登城時は台風で剥落した漆喰の修復工事で天守に足場が組まれていましたが、今回は天守の周囲を回って、角度によって表情を変える天守の姿を存分に堪能することができました。

西の丸は一昨年も行っているのでスルーのつもりが、三重櫓の三階まで上がったばかりか、北端の大堀切を越えて出曲輪まで行ってしまいました。一昨年はここから観音台の脇を下り、西の丸北東の登り石垣を見上げて、黒御門を出て玄宮楽々園に向かいましたが、今回は水手御門まで戻って井戸曲輪に下り、未訪の山崎曲輪や米蔵跡、大手門に向かいます(続く)。
 

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AJ

いきものばかり (2016/10/17 訪問)

東京港十三号埋立地。その一角にあるのが「お台場」。ペリー再来航に備えて品川沖合に築かれた砲台場の一部で、「第三台場」が国指定史跡公園として整備されていることはご存知の通り。写真は隣接する第六台場。約1世紀にわたって立ち入り禁止となっている魅惑の生き物天国です。

厳密には都が管理する野鳥保護区。夕暮れ時には数種類の群れで帰宅ラッシュさながらに混み合います。手付かずの自然に不慣れな都民の目には少々不気味に映るかもしれません。写真は首都高一号線からレインボーブリッジを徒歩で渡る途中に撮影したものです。

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マダム卑弥呼 

篠山城 (2021/10/24 訪問)

気持ちいい一日を過ごせました。城より城下町も良かった~

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赤い城

整備されすぎ感もあるが。 (2021/10/10 訪問)

ご存知真田の名城。
般若郭が駐車場になっていて脇から堀に降りることができます。
深さもあって見応えあり。
戻って案内所でスタンプとパンフレットをゲット。
馬出しから三の丸、二の丸と進みます。
各曲輪の間の堀切は薮で降りれない。
曲輪は整備されすぎ感があるけど堀の藪は刈って欲しい。
二の丸と本丸の間の虎口や木橋が復元されています。
ささ曲輪からの見晴らしは良く、沼田城を見下ろす位置にあります。
名胡桃城の戦いで北条氏のものとなったものの真田の城のイメージが強い続100名城です。
案内所のパンフレットにみなかみ町の山城我紹介されているものがあり、これを見て予定変更、猿ヶ京城に向かいました。

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マダム卑弥呼 

気持ちいい空でした (2021/10/24 訪問)

光秀が攻めた城。
今日攻城

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釜次郎

石碑と解説板が残るのみ。 (2021/10/24 訪問)

ひっそりと城跡碑と解説板があります。駐車場は特にありません。

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釜次郎

ただの天空の城撮影スポットではない。 (2021/10/24 訪問)

天空の城・越前大野城の撮影展望台のある戌山城。実際は大きな堀切や空堀を多数配置した本格的な山城でした。涼しくて気持ち良く歩けました。

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じゅんじん

伐採 (2021/09/25 訪問)

以前の森が伐採されていました。縄張りがよくわかります(^O^)
ついでにおにやんまくんデビュー。虫を回避できました☆彡
でも木をきっちゃたんで山の保水力大丈夫かなあ

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T-Shionoya

挙母城訪問 (2004/11/11 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第15段は愛知県豊田市の挙母城。

挙母城があるのは矢作川の西、童子山と呼ばれる河岸段丘の縁。
岡崎から信州へ向かう伊那街道が通り、古くから矢作川水運の湊もあったエリア。

江戸初期は1万石だった衣藩。
本多氏時代に挙母藩と名を変え、1749年に内藤氏が2万石の領主となると築城を開始。
当初は現在の元城町付近にあった陣屋を改築する計画(通称桜城)でしたが、矢作川の氾濫等にあい高台へ移転。
三河・尾張・美濃・信濃・伊賀・伊勢・近江が望めることから七州城とも呼ばれます。

現在は復元された隅櫓のみが城の面影でしょうか。
本丸半分は美術館となっており、残り半分には博物館の建設が計画されているとのこと。
更に今は御殿坂や大手門跡などに説明板が設置されているようですね。

また桜城の櫓台が公園に残されています。写真を見返すまで、この櫓台を見に行ったことはすっかり忘れてました。

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カズサン

ナビに深谷城址公園が入りチョイ寄り (2021/10/11 訪問)

 2泊3日の群馬県埼玉県未踏の城廻りチョイ寄り登城で岡部陣屋、渋沢栄一の生家、記念館を終えてTポイント扱いのエネオスGSに寄り給油、自宅にナビをセットして帰路へ花園IC方向へ向かうが進行中、ナビに深谷城址公園が入ってきて前を通るのでついつい寄ってしまいました。
 車は深谷城址公園南の道を東に入り深谷市民文化会館敷地/深谷市保健センター南の小駐車場を利用、冨士浅間神社の西隣。

 深谷城は4年前初登城して2回目、夕陽が傾き沈む手前の登城、南東虎口から外を南から通りに出て中央虎口に入り内部を見て、唯一深谷城の遺構が残ってる冨士浅間神社境内、浅くなった外堀跡と巡りました、夕刻で子供達がお母さんお父さんに見守られて遊んでいます、城址公園の利用では理想の環境です、それと無く城跡に触れて城廻り城研究の道に一人でも歩んで呉れたらなぁ~と思ったりもしたり。

 帰りは関越道の花園ICより入り、SAで夕食、関越道鶴ヶ島JCTの手前から圏央道の事故大渋滞、八王子JCTの大渋滞に遭遇。

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カズサン

大河ドラマ「青天を衝け」話題にて寄りました (2021/10/11 訪問)

 本庄城を終えて南東に国道17号線を約8km程、グーグルマップで岡部陣屋史跡マークをナビに定めて走行する、国道17号線を南に折れJR上野東京ラインの手前、道は狭いが岡部陣屋跡/高島秋帆幽因の地の案内指示板が出ている指示に従いゆくと高島秋帆幽因の地の石碑、説明板、最近建てられたであろう標識、案内板、3台程の駐車場(36°12'07"N 139°15'05"E)が完備、周りはネギ畑です。
 写真は陽が傾き逆光気味日陰を見つけて撮るが今一、周辺を見渡し2階移築門が有るとの情報で近く約1.6km程の全昌寺(深谷市岡3313)を訪ねる、門前に駐車場完備、大河ドラマの幟旗がたなびいている。
 全昌寺を訪ね参拝するが2階移築門は無し、山門は四脚門、肉球さんの投稿(2021/9/11訪問)で解体されたの情報を知る、古城盛衰記さん岡部陣屋のブログで移築2階建長屋門の写真を確認、早く来たかった。

 この後は4km程北の利根川手前にある渋沢栄一の生家「中の家、ナカンチ」と記念館を訪ねる、大勢の人が訪れていました流石人気の大河ドラマです。

 これで2泊3日群馬県埼玉県未踏の城廻りチョイ寄り登城は終了、未踏城郭17城再登城3城、小川城、長井坂城、ミスった鷹留城
、神梅城/深沢城、彦部屋敷が見応えが有り心に残りました。

 追伸、赤い城さんへ
 小川城は一日違いで赤い城さんが登城されて居りタイミングが合えば城話など体験談をお聞きしたいものです、投稿楽しみに見ています。

 

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マダム卑弥呼 

石段きつい

秋に行きました。大量の石段で足が痛かったです
登る価値ありました。

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亥鼻公園 (2021/10/23 訪問)

 JR本千葉駅から徒歩10分くらいで行くことができます。土塁が一部残っています。主郭と神明社の間は堀切でしょうか。
郷土資料館は他の方も投稿されていますが、無料というのはすごいですね。

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長福寺 (2021/10/23 訪問)

 米ヶ崎城址から徒歩15分くらいで城址である長福寺に行くことができます。長福寺に「木造聖観世音菩薩立像」の案内板があり、その記述の中に夏見城のことが少しだけ書かれています。土塁が一部残っています。ただ柵があり中には入れません。

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