派手さこそありませんが、カッコいい大手門です。
懐古園からの景色を見れば、守りの固さがわかります。
上田まで電車あるので、あわせて上田城も来訪できます。
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2022/01/23 16:27
2022/01/23 11:07
三の丸武家屋敷、伝統的建築物群保存地区 (2011/05/05 訪問)
萩城探訪で車を萩博物館駐車場利用し、本丸、二の丸間を往復しましたのでその間の三の丸上級武家屋敷堀内の重要伝統的建築物群保存地区で目に付いた建物、白漆喰土塀、漆喰が剝がれた土塀、土塀が壊れて石積塀、土塀と土塀の間の通り、夏ミカンを静けさの中でしっとりとした景観風情を気のまま撮りました10年前の平成23年5月上旬の写真を投稿致します。
北の総門、萩博物館、本丸二の丸三の丸探訪を終えて17時前で約4時間の歩きっぱなし、翌日の下関市長府探訪で今夜は長府泊り。
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2022/01/23 07:59
備中の覇者 三村氏所縁の城を巡る 国吉城 (2021/01/09 訪問)
国吉城は、高梁川の支流 成羽川沿いにあり、備中松山城の前に三村氏の本拠であった、鶴首城の上流に位置します。谷の街道を進むと、南方の猿掛城に至ります。備中兵乱で、猿掛城を落とした毛利軍は、次に国吉城を目指しました。
成羽川から、少し北へ谷を入って行くと、国吉城が見えてきます。頂上が平らで斜面が切り立っており、山城に最適な山容です(写真1枚目)。
山頂近くまで車道があります。車道は、城跡のためでなく、高所にある、民家や畑作地のためのようです。北側の大手以外は、急峻な斜面に囲まれており、200mに亘って郭が並びます。城主であった三村政親らの供養碑がある郭までは草刈がされています。手前の切岸の竹藪を突破してください。
国吉城大手に至るすぐ近くで同じくらいの標高に、民家や畑作地があります。やや遠くにも緩やかな谷を挟んで同じくらいの標高に民家が見えました。吉備高原は準平原を河川が激しく浸食した地形なので、河川がある谷底は平地が少なく、山の上の比較的平なところも耕作されています。
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2022/01/23 07:14
2022/01/22 23:57
2022/01/22 23:53
会津若松城もんだい
① 地形の高低差のため東側に高石垣が必要。
② 保科正之がスゴイ人だから。
③ 水に強い鉄分を含む釉薬を塗った赤瓦を使用。
④ 日新館で見ましたが覚えていません!
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2022/01/22 21:40
伊予の江ノ島 (2021/01/09 訪問)
伊予の江ノ島こと鹿島。ここは、島城だった。
来島氏の居城、鹿島城である。
山の頂を主郭とし、北東に向かって、曲輪が配されている。
二の段は、ハッキリと判る大きな曲輪で、周りに石塁が巡っている。
そこから登って、腰郭のような曲輪を横目に10分くらい登って主郭に達する。
主郭の南端には、必勝祈願でもしたのであろうか、旗を立てたとされる穴のある岩がある。
いろいろ伝承があるみたいだ。
南西に向かって下ると、崩れかけた石塁が多く見られる。
この城跡を巡る季節だが、夏はお勧めできない。
海水浴場がある為、人で賑わう。虫も多い。
渡船料は210円。季節や時間によって異なるが、20分から30分ごとに運行している。
駐車場は520円(運転手、一人分、渡船料を含む)である。
鹿島城を楽しんだ後には、私なら『シーパまこと』という海に開けた温泉に入って汗を流したい。
とても近くにあるので、個人的に、おススメしたい。
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2022/01/22 21:15
二の丸東門、東西海岸沿の城塁、櫓台探訪 (2011/05/05 訪問)
10年前の平成23年5月上旬、復元整備成った萩城北の総門、萩博物館探訪見学後、折角訪ねたのでと本丸を廻り、過去の探訪で余り廻って無かった、二の丸東門枡形石垣、指月山の西側の海岸側石垣城塁、櫓台跡、東側の海岸側石垣城塁、現存白漆喰土塀、櫓台跡に重点を置いて巡りました。
日本海に浮かぶ石垣城塁、櫓台跡に指月山の緑が絵画を見てるように美しい景観です、ここを見てるだけで満足癒されます。
当時撮った写真を投稿致します。
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2022/01/22 20:32
岩屋城・高橋紹運墓地 (2022/01/08 訪問)
【岩屋城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車
<見所>眺望・高橋紹運墓地
<感想>1泊2日国土防衛筑前国の旅2城目。岩屋城は天文年間(1532~1554年)に大友氏の家臣高橋鑑種によって築城されたとされる。高橋鑑種は大友宗麟の傲慢な振る舞いに愛想をつかして反旗を翻す。その後吉弘鑑理の次男が高橋氏の名籍を継いで高橋鎮種(のちの紹運)となり宝満城・岩屋城の城主となる。有名なのが岩屋城の戦いで、1582年島津氏の進攻により高橋紹運は本城の宝満城ではなく防備の薄い岩屋城に700名程で立て籠もり2週間程耐えたが落城、紹運は自刃した。
岩屋城は大野城のある四王寺山の南端にあり、焼米ヶ原駐車場の1㎞程手前の道路脇に登城口がある。南の麓市民の森から登山コースにても来れるようです。まず登城口の階段が竪堀になっていて少し登って堀切があります。左手に3条程竪堀があり少し広い削平地・巨石があります。主郭部?は背面が高土塁になっています。眺望側以外は鬱蒼としていて遺構が分かりません。眺望は抜群で大宰府政庁跡からこの岩屋城が見えていたようにこちらからも大宰府政庁跡や水城が見えます。道路から上部の見れる遺構は少なく、道路を挟んで南側に高橋紹運の墓地があるのですが、墓地を含めて数段段曲輪になっているのでこの辺りも城跡の範囲内だったと思われます。
<満足度>◆◆◇
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2022/01/22 18:03
朝日神社と田んぼ。 (2022/01/03 訪問)
あまり資料がない、千葉県四街道市の「木出城」です。
築城年数は不明です。千葉氏一族の原氏の「木出城」のようですが、どんな先人がいらっしゃったのか、これまた不明です。
いつもの如く車で向かいました。
少し坂を下り、田んぼの向こうに少しだけ高い場所に「木出城」はありました。
田んぼの向こうの道は、車はすれ違えないと思います。ヒヤヒヤです。
まずは、「木出城」の説明板を見つけて路駐して、パチッ。
誰もいないし、車も来る様子がありませんが移動しました。
と、言うのも「木出城」の説明板の場所も何だか私有地のようなんです。
奥を覗くと住宅のお庭でした。他の細道も、住宅に続きます。
近くの『朝日神社』に移動しました。
こちらは土塁と堀が見られます。
私が堀だと思った場所は、田んぼと神社の間です。
でも、戦国の世では田んぼが湿地だったとしたら、堀を造らなくても良いのではないかと疑問。
田んぼの、のどかな風景に戦国の戦う「木出城」が想像できません。
『朝日神社』の推定樹齢300年の、けやきの大木も当時を知りません。
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2022/01/22 16:49
大手門、二ノ丸角櫓に行ってきました (2021/12/26 訪問)
前回2019年9月4日に行ったとき(詳しくはそのときの記事をご覧ください)
大手門が復原工事をしていて、今回その大手門とその少しあとに、
復原工事を始めた二ノ丸角櫓にいって来ました。
【大手門】
二ノ丸にあり、国内も屈指の規模を誇る大手門は城内の中で最も格式が高い門です。
佐竹氏が水戸城主だった慶長6年(1601年)頃に建てられ、その後の何度もの工事をえて
徳川時代にこの形となりましたが、明治時代に取り壊されてしまいました。
〔建築情報〕
・大きさ 木造二階建て 13.34M
・建築面積 158.28㎡
・延床面積 118.79㎡
・復原完成年 2019年9月30日
【二ノ丸角櫓】
二ノ丸角櫓は水戸城二ノ丸にあった櫓です。
水戸城には江戸時代に4つの角櫓がありました。
(本丸北西櫓、本丸南西櫓、下の丸角櫓、そして二ノ丸角櫓です。)
この4つの櫓は全て明治時代にとり壊されてしまい、今回二ノ丸角櫓が復原されました!。
この角櫓は全て城下町側によっていて、城下の武士や町人が見上げたときの眺望を意識していました。
二ノ丸角櫓は北多聞櫓、角櫓、南多聞櫓にわかれています。
ここは中に入れて、中には水戸城についての説明文があります!(撮影不可)
〔建築情報〕
・大きさ ❘木造
❘両多聞櫓1階建て
❘角櫓二階建て
・建築面積 ❘124.17㎡
・延床面積 ❘128.01㎡
・復元完成年 ❘2020年10月28日
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2022/01/22 12:07
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