【中国・四国編】必見のお城をピックアップ!日本100名城・続日本100名城の見どころガイド

公益財団法人日本城郭協会では、日本を代表する文化遺産であり地域の歴史的シンボルでもある城郭・城跡をより広く知ってもらうことを目的として、各都道府県から1~数城ずつ「日本100名城」「続日本100名城」を選定しています。いわば100名城は「見ごたえあり」というお墨付きのようなもので、これからお城めぐりを始めたい方にぜひオススメ! とはいえ「200城もあると選べない」「地元の近くにどんな100名城があるか知りたい」という方も多いはず。そこで城びとが、注目の日本100名城・続日本100名城をエリア別にご紹介! 今回は【中国・四国編】です。

「日本100名城」「続日本100名城」についてもっと知りたい方はこちらの記事もチェック!

【鳥取県】さまざまな時期の遺構が残る、まるで城郭の博物館「鳥取城」(日本100名城)

豊臣秀吉による徹底した兵糧攻めの舞台として知られる鳥取城。戦国時代から江戸時代の約270年間かけて増改築が繰り返された結果、広大な城域には各時期の遺構が残っています。

なかでも目を見張るのが、球型に積み上げられた天球丸跡の巻石垣。亀の甲羅のような形状に積み上げられ、ほかでは見られない大変珍しい形なのです。戦国時代の山城と麓の近世城郭からなる「城郭の博物館」は見どころが尽きません!

鳥取城、天球丸の巻石垣
亀の甲羅のように球状に石垣が積み上げられた「天球丸の巻石垣」

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【鳥取県】連続する大規模な石垣群にワクワクが止まらない!「米子城」(続日本100名城)

戦国時代末期に石垣造りで築かれた米子城。登城口入口から標高90mの本丸跡まで、次から次へと大規模な石垣が待ち受け圧倒されっぱなし! 打込接から切込接へと石の積み方の変化も垣間見られる「四重櫓台」など、技もスケールも必見です。

また、本丸跡からの眺望も石垣に引けを取りません。名峰・大山や日本海まで見渡せる360度の大パノラマは感動モノ! 商人の町として発展してきた米子の歴史が、今も残る城下町にもぜひ足を延ばしてください。

米子城、天守台、石垣
さまざまな年代の石垣が見られる天守台。四層五重の天守閣が、四重櫓の小天守と並び立っていた


【岡山県】宇喜多秀家が築いた漆黒の天守がシンボル「岡山城」(日本100名城)

戦国武将・宇喜多直家が基礎をつくり、直家の子・宇喜多秀家が改修し完成させた岡山城。不等辺五角形の天守台に築かれた漆黒の天守は「烏城」とも呼ばれ、見る角度によってその姿が変わるという複雑な形になっています。

本丸は本段・中の段・下の段によって構成され、天守が立つのは最も高所にある本段。中の段には全国的にも珍しい角が尖った鋭角の石垣が残っていて、本丸唯一の現存建築物である月見櫓と復元された廊下門も見ることができます。

岡山城、天守
大規模改修に伴い岡山城天守は2021年6月1日から休館し、2022年秋頃リニューアルオープン予定

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【広島県】毛利元就が山全体を要塞化した大城郭「郡山城」(日本100名城)

中国地方を平定した戦国大名・毛利元就が本拠地として本格的に城郭化した郡山城。山頂の本丸を中心とした12の尾根を中心に山全体が要塞化され、なんと270もの曲輪が築かれていました。実際に、次から次へと遭遇する曲輪を歩いていると、その複雑な構造を実感できます。

また城内には、案内標識の矢印に「三本の矢」を用いるなど、毛利家にちなんだデザインが随所に散りばめられています。その粋で微笑ましい「毛利愛」が、きっと登城に疲れた身体を奮い立たせてくれるはず!

郡山城
郡山城内に数多く設置されている「三本の矢」が描かれた案内標識

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【広島県】戦後に再建された復興のシンボル「広島城」(日本100名城)

中国地方を治めた毛利元就の孫・輝元が築いた広島城。昭和20年(1945)8月6日に投下された原子爆弾によって天守が倒壊しましたが、昭和33年(1958)にコンクリート造りで再建。同じく原爆で被害を受けた二の丸も平成6年(1994)には復元され、戦後復興のシンボルとして市民に愛されています。

ちなみに、広島市内を走る路面電車は、広島城の堀を埋め立てて敷設されたのだとか。広島城と戦後復興の歴史に思いを馳せながら、路面電車で市内を散策するのもおすすめです。

広島城
近代的な街並みに溶け込む広島城。水堀に天守がよく映える

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【広島県】天然の要害を攻略すれば絶景が待っている!「新高山城」(続日本100名城)

毛利元就から「三本の矢」の教えを説かれた三男・小早川隆景が戦国期に築いた巨大な山城。隆景は山全体を城塞化し、曲輪の総数はなんと60以上もあったのだとか。山上部には岩がゴロゴロ露出し、斜面には急峻な崖が…簡単に攻め登れそうにない天然の要害です。

山上の本丸までは登城口から歩いて約30分。今は石垣は残っていませんが、本丸の土の表面に埋まっている礎石などが往時の面影を感じさせます。本丸より高い位置にある詰の丸まで頑張れば、沼田川と本郷の町を望む絶景が待っています! 

新高山城
沼田川の岸に築かれた山城。これからこの山を登ると思うとワクワクするような…ゾッとするような…

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【広島県】シンボルの巨大天主台は石の積み方の違いにも注目!「三原城」(続日本100名城)

新高山城と同じく毛利元就の三男・小早川隆景が築いた三原城。こちらは瀬戸内海に面した地に島をつないで築かれた「海城」。水堀には海水が入り込んでいるため、潮の香りを感じながら散策できます。

そんな三原城のシンボルといえば、最寄りの三原駅から直結で行ける巨大な天主台。よく観察すると、石垣の角の隅石の積み方が方角によって違うので、ぜひじっくり見比べてみてください。

三原城
天主台の大きさは、広島城の天守ならば6基分も入ってしまうほど巨大

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【山口県】毛利輝元が再起を期して築いた、美しくも実戦的な城「萩城」(日本100名城)

関ヶ原の戦いに敗れて大幅に所領を削られた西国大名・毛利輝元が、再スタートの居城として築いた萩城。火山の噴火によって生成された花崗岩を積んだ天守台の石垣は、扇のように勾配をもつ高石垣が美しく必見です。また、天守台の背後にそびえる指月山には、周囲を石垣と土塀で囲った詰丸が築かれ、その実戦的な造りから「要害山城」と呼ばれています。

かつての三の丸にあたる堀内地区は、近世城下町の武家屋敷としての地割がよく残っています。屋敷に植えられた夏みかんの実が土塀の上からのぞく風景は、萩ならではの景観。防御のため道を直角に曲げた鍵曲(かいまがり)を歩きながら、往時をしのんでみるのもいいかもしれません。

萩城
天守台跡の背後には詰丸があった指月山がそびえる

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【香川県】3つの“日本一”に注目!現存天守の「丸亀城」(日本100名城)

現存12天守の一つに数えられる丸亀城。その注目ポイントは、3つの“日本一”。日本一高い石垣、日本一小さい現存の三重三階の天守、そして日本一深い井戸です。

特に見ごたえがあるのは、あわせて60m以上になる四段の高石垣。「扇の勾配」と呼ばれる美しい曲線、様々な技術が見られる石垣の積み方、各地から集めた石に刻印された文字や家紋など、スケールも技も見る者を飽きさせません! 江戸時代の丸亀城を体感しながら見学できるARアプリもぜひ活用しましょう。

丸亀城
現存12天守の貴重なお城・丸亀城

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【香川県】織豊系城郭ならではの石垣が見どころ!讃岐国を守った「引田城」(続日本100名城)

阿波(徳島県)との国境を守備し、讃岐国(香川県)の重要な役割を担った引田城。「山城」でありながら三方を海に囲まれた「海城」でもあり、天守台跡からは播磨灘や淡路島を望むことができます。

引田城の見どころは眺望だけではありません。織豊系城郭の特徴とされる石垣や、女性たちが化粧用に使っていた池など、当時の城内の様子に思いを馳せたくなります。レトロな町並みが広がる城下町にもぜひ足を運んでください。

引田城
本丸跡に残る古式の算木積み

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【愛媛県】櫓の多さにビックリ!堅い守りの工夫が随所に見られる「松山城」(日本100名城)

加藤清正や福島正則と同じ「賤ヶ岳の七本槍」の1人に数えられ、築城名人としても知られる加藤嘉明が築いた松山城。「本壇」と呼ばれる天守曲輪に目を奪われますが、松山城の特徴は櫓の多さ。その数はなんと復元されたのも含めて22棟!

そして、数々の激戦を乗り越えた加藤嘉明だけあって、その経験を存分に活かしているのも特徴的。進入路は攻めづらいよう屈曲し、また麓の二の丸御殿を囲うように山上まで登り石垣が延びています。猛将が築いた難攻不落の名城に挑む気持ちでめぐってみると、その実戦的な造りを実感できるはずです。

松山城、天守曲輪
「本壇」と呼ばれる松山城天守曲輪。現存の建物は後世の再建です

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【愛媛県】村上海賊が海の孤島に築いた城塞「能島城」(続日本100名城)

戦国時代に瀬戸内海で活動した村上海賊が拠点とした能島城。土塁や空堀のない海城ですが、周囲の荒々しい潮流が天然の要害となり、島全体が要塞となっています。平成に行われた発掘調査では、14世紀後半〜16世紀後半まで使用されていたそうです。

島には建物の遺構は残っていませんが、発掘調査によって礎石や当時の生活道具が確認されています。それらの発掘成果およびレプリカ(小早船の模型や岩礁ピットなど)が村上海賊ミュージアムに展示されているので、ぜひお立ち寄りください。

能島城
宮窪瀬戸に浮かぶ能島城

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【高知県】天守と本丸御殿が日本で唯一ダブル現存!見どころ満載の「高知城」(日本100名城)

四国には高知城を含む4つの城が現存12天守に数えられます。その中でも高知城は日本で唯一天守と本丸御殿がダブルで現存し、さらに本丸全体もほぼ完存しているという貴重な城! なお天守は江戸時代に築かれたものですが、それ以前の時代に主流だった望楼型が採用されています。

そんな天守に目を奪われがちですが、細部の造りも実に特徴的。敵兵を迎撃する忍返と石落とし、土塀に設けられた物見窓、石垣が崩落しないよう雨水を排水する石樋(いしどい)、さらに石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」が築いた野面積みの石垣など、見どころたっぷり!

高知城、天守、本丸御殿
享保12年(1727)の火災で天守は焼失。寛延2年(1749)に再建された。手前が本丸御殿

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執筆/城びと編集部
写真/藪内成基(鳥取城、米子城、岡山城、郡山城、広島城、萩城、引田城)、いなもと かおり(新高山城、三原城、能島城、高知城)、yotusiro(丸亀城)、福永素久(松山城)

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