【日本100名城・岡山城編】令和の改修目前!不等辺五角形の天守台にそびえる黒い天守

史実に基づいて復元された、迫力満点の「黒い天守」がシンボルの岡山城。天守が立つ本丸に3つの御殿があった大規模な城郭で、不等辺五角形の天守台や、発掘調査で見つかった鋭角の石垣など、全国的に珍しい遺構が残っています。なお、2021年6月1日から「令和の改修」に入るため、天守は1年以上のリニューアル休館に入ります。

宇喜多秀家が築いた黒い天守

岡山城(岡山県岡山市)は、戦国武将・宇喜多直家が基礎をつくり、直家の子・宇喜多秀家が豊臣秀吉の意見に従って改修をおこない、8年がかりの工事によって慶長2年(1597)に完成しました。黒漆塗りの板を取りつけた漆黒の天守から、「烏城」の別名で親しまれています。

完成からわずか3年後の慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで西軍の主力をになった宇喜多秀家軍は壊滅し、戦後に秀家は八丈島へと流され、「戦国大名」宇喜多氏は滅びてしまいました。

岡山城、天守
大規模改修に伴い岡山城天守は2021年6月1日から休館し、2022年秋頃リニューアルオープン予定

池田氏に城主が替わると、17世紀末には岡山城沿いを流れる旭川の対岸に、大名庭園「後楽園」を築造しました。天守は第二次世界大戦で焼失しましたが、戦後に再建され、外観は旧来の通りに復元されています。

岡山城、天守
宇喜多秀家時代の天守(現地案内板より)

焼失前の天守では、現在の入口の部分に石垣が続き、塩蔵の1階が入口でした。塩蔵から入って階段を上がり、1階へ進むのが本来の登城順路だったのです。

三段から構成される本丸

岡山城、天守
不等辺五角形の天守台に築かれた天守

天守が立つのは、本丸のなかで最も高所にある「本段」とよばれる区画です。かつては本段の中央に本段御殿があり、宇喜多時代にほぼ全体が完成したあと改造されました。藩主の私邸として日常生活の場であったため、本段御殿へは一般の藩士の出入りは厳しく禁止され、本段に設けられた不明門(あかずのもん)は常時閉鎖されていました。

岡山城、本段、石垣
本段南面には鈍角の石垣がそびえている

本段の石垣は、北から東、南面にかけての面に、鈍角に折れ曲がる角を多用しているのが特徴です。西面は細かく折れ曲がった屏風折れの形状をし、周長に対して櫓が2棟と少なく、豊臣秀吉が築いた大坂城(大阪府大阪市)本丸によく似た形状で、秀家による岡山城築城が、秀吉の影響を強く受けたという考えを裏付けています。

「中の段」に埋もれた鋭角の石垣

本段より一段低い「中の段」(表向)は、表書院の御殿が建てられた場所でした。藩主の公邸兼藩庁として、城内で最高の格式を有する御殿であり、南に玄関を設け、北には広間や書院が続き、奥には藩主公邸である中奥と台所が立ち並んでいました。

岡山城、中の段中の段
中の段をのぞむ。手すりがある場所に、宇喜多時代の石垣が露出展示されている

平成5年度の発掘調査によって地中に埋もれていた石垣が見つかりました。戦国時代(宇喜多秀家の時代)に築かれた石垣であり、江戸時代に中の段を拡張した際に埋め立てられ、地上には台所がありました。

岡山城、石垣、宇喜多秀家時代
中の段の発掘調査で見つかった宇喜多秀家時代の石垣 

この石垣の辺がなす角度は約70度であり、全国的に珍しい角が尖った鋭角の石垣です。もともと石垣の東(上記写真左側)は当時、藩主の休養の場だった「下の段」から中の段に上がる道筋であり、城門を構えていました。一方で、南西からのびる石垣(上記写真右側)は、裏に埋めこまれた丘の形に沿って築かれたため、特異な石垣の隅になったと考えられています。

中の段は直角に曲がる石垣上に多数の櫓が配置されているなど、鈍角の石垣に囲まれた本段とはまったく意匠が異なっています。

「中の段」に立つ現存建造物

岡山城、月見櫓
月見櫓は表向内から見ると3重になっているが、実際には外観2重櫓

本丸唯一の現存建築物である月見櫓が、中の段の北西隅に立っています。1・2重目とも唐破風出窓や出窓格子を採用し、城内に数あった櫓の中でもひときわ優美な姿をしていたと考えられています。岡山城の裏口を守備する役割を担い、江戸時代初期の岡山城主・池田忠雄によって建てられたもの。鬼瓦には池田家の家紋、アゲハチョウがあしらわれています。

岡山城、廊下門
廊下門は中の段の搦手で、本段と中の段の御殿をつなぐ渡り廊下の役割も果たした

月見櫓の東には、廊下門が復元されています。本丸内の3つ(本段・中の段・下の段)の御殿は、それぞれ高さが異なる区画に築かれているため、移動を楽にするために渡り廊下が造られました。おかげで藩主は天候に関係なく、また藩士に出会うことなく御殿の私邸部分を移動できたのです。

岡山城に運ばれた名産地・犬島の石

廊下門をくぐって外に出ると、大きく蛇行する旭川にぶつかります。天然の堀代わりの旭川の対面には、岡山藩2代藩主・池田綱政(つなまさ)が築いた大庭園、後楽園が広がっていますので、岡山城とともにぜひ足を運んでみたいですね。

岡山城、月見橋、後楽園
旭川に架かる月見橋を渡れば後楽園

後楽園へ通じる月見橋から、旭川に沿って西に約250m歩くと、石川公園にたどり着きます。平成9年(1997)、史実に基づいて石を運んだ修羅と筏によって犬島(岡山県岡山市)から運んだ石が、石川公園に展示されています。

岡山城築城に際し、岡山城から南東約20㎞に浮かぶ犬島の石を使用しました。犬島は石の名産地で、大阪(坂)城の巨石にも使われたとされ、現在も大阪城の石垣の修復には犬島の石が切り出されています。

岡山城、石山公園、修羅
石山公園に展示されている修羅

そして石山公園は、戦国時代に宇喜多直家が築城した時代の岡山城(石山城)があった場所に当たります。宇喜多親子の足跡をたどりながら、岡山城のスケールの大きさを体感してみてはいかがでしょうか。

住所:岡山県岡山市北区丸の内2-3-1
電話:086-225-2096
アクセス:市電「城下」電停から徒歩10分

執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
国内・海外で年間100以上の城を訪ね、「城と旅」をテーマに執筆・撮影。『地図で旅する! 日本の名城』(JTBパブリッシング)や『「地形」と「戦術」で見る日本の城』(イースト・プレス)などを執筆。城めぐりツアー(クラブツーリズム)の監修・ガイドを務める。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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