2020/04/27
「総選挙」シリーズ ランキング 【21位~30位編】「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」ベスト30の順位結果発表!
2020年4月27日、昨年末に放送されたテレビ朝日系列で放送された「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」がパワーアップして帰ってきました。今回は、前回放送されなかった21~30位が発表! 全国10万人による大規模な投票で、ベスト30にランクインした戦国武将は誰か? 【21位~30位】をランキング形式でご紹介します。
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「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」とは?
テレビ朝日系列で放送されている「総選挙」シリーズは、あらゆるジャンルの人気No.1を投票で決するガチ企画。「戦国武将」をテーマに、約2700人の武将から1位を決める総選挙が実施されました!
※詳しくは「日本人が最も愛する戦国武将は?「国民10万人がガチ投票!戦国武将総選挙」」の記事をチェック!
■30位 柳生宗矩 大名までのぼりつめた最強の剣豪
柳生十兵衛の父。徳川家剣術指南役。大名までのぼりつめた剣豪です。2代将軍・徳川秀忠の兵法(剣術)指南役として活躍し、慶長20年(1615)の大坂の陣では、秀忠の案内人を務めたとされます。
宗矩が誕生した柳生には、柳生陣屋(奈良県奈良市柳生町)跡が残ります。また、父・柳生石舟斎が真っ二つに割ったとされる「一刀石」は、人気アニメ「鬼滅の刃」の名シーンを再現できる撮影スポットとしても人気です。
▼徳川家といえば、江戸城ですね! 江戸城が現役のお城で、見学ができるってご存知ですか?
・「江戸城ってどこにある? はじめての江戸城見学」https://shirobito.jp/article/529
■29位 柴田勝家 上杉謙信を苦しめた信長の重臣
北の庄城址(柴田公園)に立つ柴田勝家像
織田家筆頭家老として織田信長を支え、加賀一向一揆や上杉謙信と対峙する北陸方面軍司令官を任されました。天正5年(1577)の手取川の戦いでは、上杉謙信と戦い敗北。柴田勝家が甥の勝豊に築かせたのが、現存12天守のひとつでもある丸岡城(福井県坂井市)です。
天正10年(1582)の本能寺の変後、清州会議で豊臣秀吉に主導権を握られてしまうと、翌年の賤ヶ岳の合戦で敗れ北ノ庄城(福井県福井市)で自刃。ともに自害した正室・お市の方は信長の妹です。
▼現存12天守に登閣しよう
・「現存12天守に登閣しよう 北陸地方唯一の現存天守」https://shirobito.jp/article/391
■28位 本多忠勝 「家康に過ぎたるもの」と呼ばれた猛将
桑名城跡(九華公園)にある本多忠勝像
▼大多喜城には、今お城ファンに話題の御城印があります
・「お城のご朱印!?登城記念に「御城印」を集めてみませんか?」https://shirobito.jp/article/417
■27位 山内一豊 秀吉と家康に信頼された勇気ある武将
高知城の山内一豊像
戦いの時に左ほほに矢が刺さっても、そのまま敵に向かっていったという逸話の持ち主。豊臣秀吉のもとで出世を重ね、掛川城(静岡県掛川市)を築城。関ヶ原の戦いでは徳川家康に味方し、戦後に初代土佐藩主となります。現在の掛川城は「日本初の本格木造天守閣」として復元され、再建にあたっては、山内一豊が築城した高知城(高知県高知市)が参考にされたとされます。
また、山内一豊の妻・千代は郡上にゆかりがあるため(諸説あり)、郡上八幡城(岐阜県郡上八幡市)にも山内一豊と千代の像があります。
▼萩原さちこの城さんぽ 〜日本100名城・続日本100名城編〜
・「郡上八幡城 清流に心洗われる城下町と、激戦の舞台にもなった城」https://shirobito.jp/article/800
■26位 斎藤道三 「美濃のマムシ」とよばれた梟雄
戦国時代最も出世した下克上の代名詞。明智光秀とは親戚関係、娘は織田信長の正室。番組では、時代的に簡単に身分を克服することはできない状況の中で大変身した、実力社会を切り開いた先駆け的存在と解説されました。また、織田信長の才能を見抜いた人物でもあります。信長は普段だらしない格好をしたり、食べ物を食べながら歩いたりなど、うつけものといわれていましたが、道三との会見の場に、きちっと正装してきた姿を見て、その人となりを見抜き、今川との戦いに援軍を出したりするなど、信長を世に出しました。
道三が整備した稲葉山城は、道三の死後に信長が攻め落とし、岐阜城(岐阜県岐阜市)と改称。「天下布武(てんかふぶ)」の朱印を用い、天下統一へ踏み出すきっかけになったとされています。
▼「麒麟がくる」の時代考証を担当されている小和田哲男先生の記事をチェック!
・「斎藤道三の稲葉山城」(小和田哲男)https://shirobito.jp/article/715
■25位 真田信之 父弟と敵になっても「真田」の名を残す
関ヶ原の戦いでは、真田の名を残すために父・真田昌幸、弟・真田信繁(幸村)とはわかれ、東軍(徳川方)へついた武将。28位で紹介した本田忠勝の娘・小松姫が正室です。
▼明治の明治の廃城までの真田家の居城・松代城についてはこちら
・「お城紀行〜城下と美味と名湯と【松代城】武田信玄と上杉謙信が激突した 八幡原の戦跡」https://shirobito.jp/article/248
■24位 大谷吉継 石田三成との友情を貫いた義に厚い武将
豊臣秀吉のもとで活躍し、秀吉の「吉」の字を自身の名に用いています。天正13年(1585)に従五位下・刑部少輔に任じられ、「大谷刑部」の名で知られるようになります。秀吉の天下平定時には、敦賀城(福井県敦賀市)主に加え、奉行職も拝命しています。関ヶ原の戦いでは、石田三成との友情を貫くため、徳川家康と戦ったら負けると知りながら参戦。西軍の一角として善戦しましたが、東軍に寝返った小早川秀秋の攻撃を受け自害しました。
▼関ヶ原の戦いって?
・「関ヶ原の戦い・決戦~徳川と豊臣の運命を賭けた戦い~」https://shirobito.jp/article/486
■23位 今川義元 武芸にも公家文化にも通じた大大名
「東海一の弓取り」と称された戦国大名。内乱の中で勝ち取って、家督争いで勝った後、領地を駿河・遠江・三河へと広げました。蹴鞠をしたり、移動の際に輿に乗ったりしたということから貴族的な弱々しいイメージがありますが、当時としてはそれらは上流階級としての格式をあらわしたものだったそうです。今川氏の居館(今川館)があった場所に徳川家康が駿府城(静岡県静岡市)を築いれたとされますが、詳細は分かっていません。
■22位 足利義輝 壮絶な最期を遂げた「剣豪将軍」
室町幕府第13代将軍であり、15代・足利義昭の兄。剣豪・塚原卜伝に師事し、「剣豪将軍」とも呼ばれる剣の達人でした。30位で紹介した柳生宗矩も大きく評価していたとされます。ちなみに、NHK大河ドラマ「麒麟が来る」では向井理さんが演じています。
京都御所近くにある二条古城(京都府京都市)は、織田信長が足利義昭のために築いたとされますが、足利義輝の館があった場所で、ここで壮絶な最期を遂げたのでした。
▼京都には二条城がいくつもあるのをご存知ですか?
・「京都の二条城はいくつもあったってどういうこと?」https://shirobito.jp/article/809
■21位 山本勘助 武田信玄が信頼した謎多き軍師
兵法や築城に長けており、武田信玄の軍師として活躍されたとされます。武田信玄と上杉謙信が争った川中島の戦いでは、海津城(長野県長野市)が武田軍の拠点となりました。最大の激戦が繰り広げたとされる永禄4年(1561)の第四次合戦で「啄木鳥(きつつき)戦法」を立案。しかし、謙信に見破られ、武田軍が大きな被害を受ける中で討死したといわれています。
▼山本勘助は高遠城や小諸城、松代城を築城するなど、築城名人としても知られています。
・「築城名人って何をした人?」https://shirobito.jp/article/252
執筆/城びと編集部 編集協力・写真/藪内成基(やぶうちしげき)