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カズサン

9年前の初登城桜満開花盛り (2012/04/28 訪問)

 平成24年4月の連休太田金山城、高崎城を終えて関越で一路沼田へ、車は人出も多く少し駐車場を探し回りましたが何とか臨時の駐車場に停める事が出来ました。
 
 早く登城したかったのですがやっと今回の初登城、駐車場の関係で二の丸グランドから攻城、二の丸土塁の桜は満開か散り気味、高崎城と違い標高差の違いでまだ桜が楽しめました花見客も大勢、本丸内堀横を通って本丸へ花壇にチュウリップ、花が咲き誇り沼田城址公園は植物園の模様、本丸跡、鐘楼、真田時代の復元想像図は薄く擦れてるが当時関東には唯一の5層天守が描いておりそれも金箔瓦と成れば真田氏の当時の勢いが感じられる、発掘発見されて復元整備された西櫓台、石垣も見事、城跡の先端捨曲輪からは谷川岳方面新潟県境の山々の残雪が見事に眺望出来ます、桜と残雪絵になるシーンです。
 歴史はさて置き沼田城跡の桜と花の情景と雰囲気に大満足の初探訪でした。

 投稿が今月二回とダブりますが9年前の古い写真を見て頂ければ幸いです。

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イオ

一日とことん彦根城(第三郭) (2021/10/03 訪問)

(続き)

中堀と外堀の間の第三郭には武家屋敷や町屋が配され、内町と呼ばれていました。現在でもあちこちに武家屋敷や城下町、外堀の痕跡が見られるようなので、自転車でめぐってみました。

旧池田屋敷長屋門
佐和口の東に位置する中級武家屋敷で、池田氏は伊賀者として召し抱えられたとされます。長屋門内部は無料公開(土日祝の9時~17時)されていて、馬屋があるとのことながら馬屋というより……トイレ? もしや「厠」を「厩」と見間違えた!? とも思いましたが、馬の排泄物が流れ込む仕組みになっているとのことで、やはり馬屋だったようです。説明板がなければわかりませんでしたが、珍しいものを見ることができました。

旧鈴木屋敷長屋門
中堀の南端付近に位置する中級武家屋敷で、鈴木氏は大津蔵奉行や書物奉行などを務めたようです。主屋などは取り壊されましたが、江戸末期に建てられた長屋門が現存しています。外観のみで内部は非公開です。

金亀会館
藩校弘道館の講堂を外堀南端の現在地に移築したもので、藩校唯一の現存建物です。保存・活用に向けて建物調査が実施されており、現在は外観のみで内部の見学はできません。

宗安寺
井伊直政が転封に伴って上野国から移した寺院で、夢京橋キャッスルロード沿いにあります。赤門と呼ばれる表門は佐和山城大手門の移築、本堂は長浜城の御殿を拝領して再建したものです。また、本尊の阿弥陀如来立像は、大坂夏の陣の際に淀君の念持仏を持ち出したものと伝わり、墓所には夏の陣の若江の戦いで井伊直孝隊との激戦の末に討死した木村重成の首塚があります。朝鮮通信使の彦根における宿所としても知られています。

城下町の屈折(どんつき)
城下町には道の屈折や斜交は定番ですが、彦根でも随所に見られます。この日は彦根幼稚園の西側、説明板が設けられた旧白壁町のどんつきに行ってみました。

外堀跡
彦根城の外堀は戦後のマラリア対策で埋め立てられて道路(昭和新道)となり、往時の姿はほとんど遺されていませんが、護国神社前(彦根観光センター裏手)に外堀跡(と説明板)が見られます。また、金亀会館の南にある外馬場公園は外堀を埋め立てたもので、金亀会館との間の水路は外堀の名残と思われます。外馬場公園から西に徒歩3分行くと、外堀の土塁(藪御土手)がなかなかの規模で遺っています。

おまけ・近江ちゃんぽん
まだ近江ちゃんぽんを食べたことがなかったので、近江ちゃんぽんの元となった彦根チャンポン発祥の店、「麺類をかべ本店」で昼食にしました。どう見てもスナックそのままの店内に入り、チャンポンとミニチャーハンのセットを注文。和風だしのスープはガツンとくるようなインパクトはありませんが、野菜と相まってほのかな甘みのある優しい味わいで、いくらでも食べられます。大盛にすれば良かった…。彦根のちゃんぽんは「をかべ」が発祥ながら、店によってそれぞれ特色があるようですので、当面は彦根での昼食はちゃんぽん食べ比べになりそうです。

腹ごしらえも済んだので、城めぐり再開。昭和新道(外堀跡)を越えて、第四郭の足軽組屋敷に向かいます(続く)。
 

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赤い城

牡丹寺で有名な正蓮寺 (2021/10/10 訪問)

渋川駅から徒歩で15分、正蓮寺が城跡で駐車場もあります。
境内に石碑があり、お寺周囲には堀跡かもしれない水路が廻っていました。
別名は寄居城で真田幸隆が白井城攻めのために築いたとされます。
この寺、牡丹寺とも言われていて本堂裏手に牡丹園があります。
シーズンに行って見たい。

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カズサン

乾櫓と東門の初登城 (2012/04/28 訪問)

 平成24年4月末からの連休に太田金山城を終えて出張で何回となく訪ねてる高崎市の高崎城に初登城、車は何処に駐車したかは記憶がはっきりせず分かりませんが東門近くの公共施設駐車場を当時は利用。

 高崎城の本丸に在った乾櫓と東門が音楽センタ通り南の外濠の土塁上に乾櫓が移築され隣接西に東門が移築されて居ます、同場所の北隣接地に模擬石垣などで高崎城の案内板などを掲示し城の雰囲気を醸しています、外濠の土塁上を南北に歩き満開のツツジと濠を眺め天気は晴天、気分はルンルン、城内はイベントで賑わって居ましたが私の周りは城探訪で人無し静かなものです。

 また高崎城は故郷井伊谷城出身井伊直政が家康関東移封後箕輪城を与えられ現在の箕輪城に大改修しましたが家康の命、経済の要所である高崎に高崎城を大改修築城、西の利根川支流烏川を西の外濠とし東に本丸、二の丸、三の丸外周を大土塁と外濠防御、現在外濠、土塁がぐるっと残ってる様です、古写真には明治期練兵場と成り石垣櫓台上に御三階櫓が写されてました、破却は惜しまれます。
 直政は関ヶ原後佐和山城へ彦根城築城を計画するが関ヶ原の鉄砲傷で2年後の慶長7年(1602年)亡くなり惜しまれました。

 

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ぴーかる

寺戸城 (2021/07/25 訪問)

【寺戸城】
<駐車場他>駐車場はなし。正面にコンビニがあるので買い物ついでに寄れます。
<交通手段>物集女城跡から徒歩

<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用のラスト旅9城目。寺戸城は室町時代に竹田氏の居城だったそうです。遺構は残っておらず、現在は家一戸分程の公園の片隅に説明柱があるのみです。地形的には東側より少し丘陵になっています。

<満足度>◆◇◇

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朝田 辰兵衛

山口ポチっとな③ (2021/10/11 訪問)

築山館の南側にほぼほぼ並列というカンジです。大内氏館内の龍福寺には立ち入りませんでした。土塁の高さは,約1mです。

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いんげん丸虫

大昌寺山城 長野県長野市戸隠 (2021/10/24 訪問)

鬼女紅葉の伝説がある大昌寺の裏山にあります。
長方形の主郭に大きな堀切、寺側の斜面には約100mの横堀があります。
大昌寺の駐車場を利用して寺の左手お墓の前の林道を配水施設まで行くと
城の南東から訪城できます。

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肉球

本丸・二の丸以外の見所 (2021/10/15 訪問)

前日訪れた天守閣内部が工事で少しガッカリ。
消化不良を解消するために街中の遺構を散策しました。
市役所の展望台から天守閣を眺め北総堀土塁へ
そのすぐ近くには総堀を埋め立てた後に湧き出た北馬場柳の井戸。
武家屋敷高橋家・こちらは土曜日、日曜日だけの開館。
その後お城の東側にだけ残る総堀へ。北門跡脇には北門大井戸があります。
こちらの画像は最近投稿のヒロケンさんと重複するので省きました。
総堀ぞいを南へ歩くと東馬出し跡にもビルの横に東門の井戸があります。
縄手通〜中町通り〜大手門跡〜西堀公園井戸〜西総堀公園。
西総堀公園には整備される前の総土塁の案内があり勉強になります。
その近くには保護されるのを待っているかのような90石新井家の門が残されています。
松本市内ではバブル崩壊後に武家屋敷や武家屋敷門が何棟か解体されたようで残念です。

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カズサン

関東には珍しい石垣の城 (2012/04/28 訪問)

 平成24年4月の連休に未踏の城廻りに出掛け一番目は群馬県太田金山城高速を車で飛ばし、太田金山城山頂の駐車場を目指し同駐車場を利用、連休と言う事も有り駐車場はそこそこの満車に近い状態。
 
 案内登城路に従い尾根筋を登って行くような感じで登城口からは山城の様子、堀切が西矢倉台西、西矢倉台下と有り遊歩道には山ツツジが咲き綺麗です、進んで行くといよいよ石垣の在るエリア、物見台下虎口の石垣、土橋には石街で補強、上には物見台、物見台下には岩盤を切り抜いた堀切、見所です、物見台下通路を通り竪堀木橋を渡り馬場曲輪へ復元っ建物が有る、西に物見台曲輪と連結しており物見台を見学、眺望は良好、子供たちが団体で登城して居ました、馬場曲輪から降りて有名な月の池へ月の池の上は大堀切に成ってる。
 
 いよいよ本城大手虎口、石垣の段曲輪が眼前に聳えてるここまで復元整備されたのかと感激のシーンです、各曲輪、土塁が石垣で覆われて居り、発掘調査の結果の建物復元、月の池より大きい日の池、上部からの石垣曲輪群の眺めも素晴らしい、詰めに新田義貞を祀って有る新田神社参拝、ここは実城本丸に当たる、人の出も多く出来るだけ人が映らない様にと苦心するが中々難しい。
 素晴らしい登城探訪でした。

 下城して麓に在る金山城ガイダンス施設を訪ね見学と資料を収集頂く、金山城の模型も有り大変勉強になります、先にガイダンス施設に寄って行けば良かったと後悔。

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higekam

三木の干殺しで悲劇的に開城した三木城の出城 (2021/10/26 訪問)

あの織田信長が攻めてくるとなって城を強化したと思われる、小城ながら大規模な土塁、堀切がある。実際に登城してみると、城主衣笠氏の戦いに臨む決意、信長に対する恐怖すら感じさせる規模だ。曲輪、土塁、堀切など遺構が良く残る山城ファン必見の城だ。

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イオ

一日とことん彦根城(第二郭) (2021/10/03 訪問)

(続き)

内堀と中堀の間の第二郭には、藩校弘道館や重臣の武家屋敷、藩主の下屋敷と庭園が配され、中堀には長橋口、船町口、京橋口、佐和口の4つの虎口が設けられていました。

さて、大手門橋から内堀沿いに北へ。以降の移動はそこそこ距離もあるので、車に積んできた折りたたみ自転車です。米蔵跡の水門や山崎御門を内堀越しに眺めながら北端の長橋口に向かいましたが、未整備で近づけませんでした(山崎曲輪から内堀越しに門跡の石垣を見ることができます)。

西に向かい船町口を出ると、幅の広い中堀が北と南東方向に広がっています。第二郭の中堀側は犬走のある石垣が続いていて、中濠東西通り沿いの説明板のあたりからは中堀越しに天守を仰ぐことができます。

南部の京橋口から中堀を渡って第二郭に戻ると、京橋口御門の両側にあった多聞櫓に続く雁木が見られます。雁木を横目に進んだ先には旧西郷屋敷の長屋門が続いています。旧西郷屋敷は現在は裁判所になっていますが、何の気なしにのぞき込んでみると、長屋門の内側には「交通事件受付」や「執行官室」の表記が。長屋門は非公開ですが、裁判所の庁舎の一部として活用されているんでしょうか?

内堀の鉢巻腰巻石垣を眺めつつ東側に回り、馬屋はスルーして東部の佐和口へ。これまで何度も通っていながら意識していませんでしたが、櫓門の礎石がしっかり遺っています。

そして、第二郭の締めくくりに玄宮園と楽々園へ。何度も訪れているので今回はさらっと流しましたが、玄宮園から仰ぐ天守はやはり絵になりますし、楽々園も保存修理を終えて公開される日が楽しみです。さらに少し足を延ばして金亀公園へ。金亀公園からは山崎曲輪の石垣や、楽々園と玄宮園の東側に回って裏手の石垣を見ることができます。

これで第二郭もひとめぐり。続いては、城下と外堀めぐりです(続く)。
 

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小城小次郎

さてお城はあったのかどうか (2021/08/09 訪問)

城めぐりアプリ等では筑土城と別々に登録されているが仮にそれぞれのお城が実在したとしてもスペース的には重なっていた(というより同じ場所だった)のだろう。さてお城はあったのかどうか。

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肉球

天守閣内工事中でした (2021/10/14 訪問)

ご存知国宝松本城。
耐震工事が終了していることは知っていましたが
天守閣一階、乾小天守閣はスプリンクラー工事を実施中。
予定では来年3月までのようです。
黒門は鉄骨丸見えで補強され景観がイマイチ。
月見櫓も外側をシートで覆われ内部は工事用具がいっぱいで消化不良ぎみ。
外堀復元計画は平面復元で進行中のようです。

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にのまる

鎌倉城~鎌倉七口切通しめぐりの続き~ (2021/10/19 訪問)

 年始に5か所(亀ヶ谷・巨福呂坂・化粧坂・大仏坂・極楽寺坂)まわったところで力尽き、行けなかった朝夷奈と名越の切通しに行ってきました。
 朝夷奈(朝比奈)切通しは京急線の六浦駅から3kmくらい。一昨年の大雨と台風で通行止めになっていたことは承知していましたが、入り口の確認だけでもと行ってみました。鉄工所の横の入り口から見える切通しはものすごく惹かれるものがありましたが、ちょっと覗いてみるだけで我慢です。生活道路ではないので改修は急がれないかもしれません。
 名越切通しは朝比奈インターから金沢街道を通って鎌倉方面に5km強のお散歩。いくつかある入り口のうち、法性寺側から登っていきましたが、ここは楽しい!細くてカーブだらけでごつごつの岩の道を登ったり下ったり……。(多分)竪堀や(おそらく)堀切、(きっと)曲輪などの城要素もあって、ただの抜け道じゃないよ感満載。置石トラップも面白かったし、お猿畠の大切岸は元は石切り場だったようですが、近くで見ると大迫力でかっこよかったです!
ただ、午後の早い時間だったので大丈夫でしたが、夕刻の訪問は厳しいと思います。7か所の切通しを一日でまわられるのでしたら、名越はなるべく早めの明るい時間に行かれた方が安全かと思います。
鎌倉はあてどなく、適当に歩いていても何かしらあって楽しいところです。また行こ♪

<追記>七切通しには数えられていませんが、釈迦堂切通し(通行止め)の入り口とその近くのやぐら(お墓)も行ったので写真をUPします。

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しろこびとくん

武家屋敷門 (2021/10/25 訪問)

東京を歩いていたら、唐突にドドンと現れた武家屋敷門。
え、隣の女子校の敷地!?女子校に武家屋敷門??
よくわからないまま、とりあえずパチリ。
帰宅後、学校のHPを検索したら、2016年に移築されたものだそう。
老中本多美濃守忠民の屋敷門で、代々老中職の役屋敷の表門として使用されていたとのこと。
大名屋敷として国内に現存するのはこれをいれて3門のみ。
何気に超貴重でした。
往時は大名屋敷が並んでいたんだろうなあ。

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赤い城

北条の城に真田街道の旗がなびく (2021/10/10 訪問)

国道145号線の広くなったスペースに駐車。
ここに石碑と説明板が立っています。
案内板にに沿って進むと登城口に。
北条氏の城なのに真田街道の幟がはためいていました。
少し登るとすぐに主郭、下草が覆っています。
祠があり、その先の土塁から深い空堀を見下ろすことができました。
となると降りてみるしかない。
主郭周りは三方が堀に囲まれていてその外側にも細い郭が設置されています。
北側はさらにその外側にも堀が残っていました。
畑になっている曲輪もありますがなかなか良好な遺構が残る城でした。

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響ちゃん

三ヶ郷城跡 群馬県みどり市東町花輪 (2021/10/24 訪問)

黒川八城(座間城・沢入城・草木城・神戸城・小中城・三ヶ郷城・五覧田城・神梅城)の一つで、花輪交差点から国道122号を草木ダム方面に100m程進んだ所の林道から徒歩で30分程で行けるぽい。
構造は南北に堀切、東西に虎口、北側に土塁を確認。
林道は途中分岐が幾つかあるけど、コンクリート舗装を辿って舗装が無くなった先の分岐を右側を選び暫く歩くと獣道になり、獣道をひたすら登っていくと南側の堀切に行けるっぽい。
国道沿いは路駐不可。
林道入った所も多少広そうな場所はあるけどお薦めはしないっぽい。
私は花輪地区運動広場(261 383 574*03)に車を停めさせてもらったぽい。

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カズサン

復元大書院と二の丸 (2012/06/11 訪問)

 平成24年6月三木城、柏原城を廻り篠山城を訪ねました、平成12年大書院が復元され兄夫婦と登城してから12年目の登城です、今回は大書院は外側からの観察、見学、12年経って復元書院も日に焼け経年変化して来ました、二の丸、天守台、三の丸と巡り沢山写真を撮りましたので先に高石垣の天守台で投稿しましたので、続きとして復元大書院、書院の在る二の丸を主として投稿させて頂きます。
 いつもながら素晴らしい城郭ですまた城下町も賑わい家並みの風情も有り名物のぼたん鍋は逸品です時々は堪能してます。

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小城小次郎

築土神社が九段下にあるのでややこしい (2021/08/09 訪問)

新宿区筑土八幡にある筑土八幡神社のある場所にあったらしいが九段下にも築土神社があるので実は筑土城は九段下にあるものと思い込んでいた。築土神社も筑土八幡神社に同居していた時代があってこんな名前になっているらしい。

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カズサン

高石垣の天守台と本丸 (2012/06/11 訪問)

 平成24年6月三木城、柏原陣屋を廻り何度と訪ねてる篠山城を訪ねました、大書院が復元された平成12年に兄夫婦と訪ねじっくりと大書院を観察、鑑賞しましたので今回は二の丸周りから大書院を眺め、二の丸、本丸、天守台と廻り、三の丸に降りて周囲と天守台の高石垣をじっくり眺め、内堀が発掘調査され復元作業が少しずつですが進んで居ります、今現在も進行中です。 
 写真を沢山撮りましたので惚れ惚れする高石垣天守台、本丸編で先ず投稿します。
 続きあり。

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