南酒出駅より登城しました。蒼龍寺の入口が駅の反対側にありましたので15分くらいかかりました。見学できる城域はそれほど広くないのですが、概ね整備されていて深り空堀などを楽しむことができます。
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2022/01/09 22:09
2022/01/09 21:56
2022/01/09 21:45
2022/01/09 19:47
2022/01/09 17:36
彦根城パート2 様々な石垣の工法 (2022/01/04 訪問)
彦根城は国宝天守の他、国重要文化財が多数残っており、建造物が有名ですが、石垣についても様々な工法の石垣があり、石垣好きの私の目を楽しませてくれています。5年ぶり4度目の登城ですが、何度来ても新鮮で画像に収めないと気がすみません。(家に帰って、以前の画像を見返すと同じアングルの画像が多数あり、「見てたんだぁ」となりますが)
雪の彦根城となりましたが、十分に石垣好きを楽しませてくれたのでご紹介致します(*^▽^*)
腰巻・鉢巻石垣は大手門橋から表門橋に築かれており、土手の上部と下部に築かれた石垣です。この他にも、黒門から裏門までは腰巻石垣で築かれています。登石垣も大手口と表口・他3箇所に築かれていて、防御機能の高さが伺えます。(今回は、大手口と表口の2箇所のみ確認)今回の登城は佐和山城目的で、関ヶ原付近から雪が降り始め高速道路を下りる頃には、大雪(>_<)佐和山城の情報収集のため彦根城に行きましたが、やっぱり現存天守が残る彦根城は素晴らしいと感じました。
ぴーかるさんも昨年末に椿尾上城に行かれたんですね(*^▽^*)迷うことなく行かれたとのことですが、私は散々迷った挙句にやっと見つけた次第です。椿尾城は椿尾上城と下城があるらしいのですが、散々迷ったことで下城には行かずじまいとなっています。
下城の情報があれば是非教えて頂きたいと思います。
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2022/01/09 17:15
2022/01/09 16:54
確かに遺構は見当たらず (2022/01/08 訪問)
皆さんの言う通り、遺構は見当たらず。徒歩用の登城路の途中に石垣に用いたっぽい石が沢山目に付くが、これは石垣の残骸だろうか?
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2022/01/09 16:51
遺構は無いなんてことはないです (2022/01/08 訪問)
建物や石垣はほとんど福山城に持って行ってしまい、遺構は無いと聞いていたが、曲輪の跡がとても良好に残り、関東なら名城クラス。車なら山上まで行けるが、徒歩だと駅からの案内が無く、えらい遠回りをする羽目になった。駅から直進して神辺小学校の裏手の神社から登るのが正解です。
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2022/01/09 16:19
2022/01/09 15:46
コロナ過いまだ攻城できず (2017/02/19 訪問)
3ヶ月ぶりの投稿です。7ヶ月くらい攻城していません。
コロナが落ち着いたら春に四国一周を予定していましたが、オミクロン株が広まっており、また断念せざるえない状況です。
2年くらい前にも四国一周を予定して、ホテルもレンタカーも飛行機の切符も手配済だったのをキャンセルしたことがあります。
今回は青春18キップ(春)を使用して攻城を計画していますが、少し様子見しています。春に行けなかったら夏にリベンジです。
投稿写真は2017年2月に四国の100名城を巡った時のものです。
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2022/01/09 12:26
久留里城訪問 (2004/12/26 訪問)
過去のお城巡りの振り返り、第16段は千葉県君津市の久留里城。
房総半島で最も長い小櫃川を、木更津の河口から約30km上った場所に位置する久留里エリアは、川が丘陵地から平地をつくり出す切り替わりのポイント。
その東側、比高約100mの山を城郭とした久留里城。
室町期は上総武田氏の領地でしたが、その衰退により安房の里見氏が勢力を北へ拡大。
正確な時期ははっきりしないものの、1540年ごろに義堯よって久留里城は里見氏の本拠となり、里見氏の全盛期を飾ります。
しかし秀吉の小田原征伐後、里見氏の領地は安房に縮小。
近世城郭に改修されつつ、江戸初期は土屋氏、江戸後期は黒田氏が城主を務めました。
現在も堀切などの山城遺構が残っており、二ノ丸には資料館、本丸には江戸期の雰囲気を再現した模擬天守。
17年前の訪問時の記憶はもう薄いのですが・・・
写真から1時間半は滞在しており、山城素人なりに楽しめた記憶が残る久留里城です。
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2022/01/09 07:17
2022/01/09 07:03
献血前の宇都宮市の城めぐり⑤ (2021/11/21 訪問)
献血前の宇都宮市の城めぐりのラストは、戸祭城。住宅街の中にひっそりと城址碑が佇んでいました。この後、宇都宮の献血ルームで、無事献血できました。この献血ですべての都道府県での献血回数が4回以上となりました。
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2022/01/09 01:16
赤なのに、、、 (2021/12/17 訪問)
申し訳ありません。道に迷い、神社仏閣が気色悪くなってくる時間で、善性寺しか行けず六所神社行けませんでした。赤い鳥居はありません。
赤っ恥覚悟。マーキング投稿です(;><)
念願であった尾崎豊の記念碑に時間を割き、渋谷城跡もスルーした罰を受けたのです。。。
ここは吉良の支城であったとか。いつかリベンジいたします。
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2022/01/09 00:58
🎵せたがやたがやせ (2021/12/17 訪問)
世田谷耕せよいしょ
クワを握ればワッショイ!
by爆風スランプ~しあわせ~
かつて、何故かファンでもないのにアルバムを持っていて気になっていた世田谷…城。サビが未だこだまする頭の中。ようやく行けました!
初めて東急世田谷線に乗り、途中「松陰神社前」という駅名に飛び降りかけましたが、「上町」という駅で降り歩いているとガス灯風の街灯には「城山通り」、更に進むと「城向橋」、、、これはきな臭い。いや城臭い。プンプン臭ってくる。などと思っていたら着きました「世田谷城阯公園」
ここは名族吉良氏所縁の城跡。公園には堀や土塁が残っており、チビッ子が走り回り、歴史と都会と子供達の交わりがいい感じ。
私も童心に返り歩き回ってみたところ、折からの雨に濡れた土に滑る滑る。恐るべし関東ローム層。往時を偲ばせてもらいました(;゜0゜)
公園の遺構は小規模ながら郭跡もあり大満足。ただ、井戸は当時のものなのか?その前にある木馬が感覚を狂わせる(笑)
さて、お次はLet's 豪徳寺!
チェブさんがお使いになっていたけど、使いたかったのですこのワード😝
公園の説明書きには付近の史跡が詳細に記されています。それを見て豪徳寺を目指しました。工事もしていてひっそりしていましたが、さすが井伊家の菩提寺。立派な佇まいでした。
吉良上野介に井伊直弼。非業の死を遂げた二人に所縁の地なのか、ゾワゾワする。
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2022/01/09 00:49
Time to stroll (2022/01/05 訪問)
2022年1月5日、埼玉県さいたま市岩槻区にある岩槻城址公園を訪問。城の遺構としては、黒門、裏門、堀障子でした。駐車場はかなり広い印象を受けました。テニスコートがあり、そこには数種類のパンフレットがあり、都民の私もよく聴く、さいたま市内のFM局であるNACK5のタイムテーブルもありましたが、城址公園のパンフレットもありました。朱塗りの欄干である八ツ橋のある菖蒲池は、半分凍っていました。少し移動すると、滝や小川があり、家族連れが遊べる広場がり、その一角には、東武の特急電車のDRCの先頭車も、展示されています。また、人形で有名な岩槻だけあって、人形塚と、時計塔に人形が組み込まれています。ここから車で少し行ったところに岩槻人形博物館があり、駐車場を挟んだ反対側に、ヨロ研カフェがあり、埼玉県内で作られたヨーロッパ野菜を食べる事が出来ます。人形博物館横には、築城者である太田道灌公の銅像もあります。
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2022/01/08 21:44
平成修理後の探訪と川越散歩 (2011/06/19 訪問)
10年前の平成23年6月中旬、家内から川越の蔵屋敷街を見たいとのリクエストで川越城、現存御殿の初登城も兼ねて川越に出掛けました、車で早朝出発し川越城の御殿開館前に専用駐車場に到着し利用しました。
御殿が開く前でしたので御殿の外観を撮影し周囲の郭跡を観察探訪、富士見櫓跡へ樹林で囲まれて撮影ショットが良くありません、櫓台に登り周囲を見るが木々が多すぎて見通し悪し撮影ショットも悪し。
歩いて天海、春日局、家光に所縁ある喜多院へ出向き境内を参拝見学、歩いて観光スポットである黒漆喰造りの町並みの有る通りに向かうが大勢の観光客、昔の風情の有る街並みに驚愕、時の鐘のやぐら、黒漆喰町屋と撮影、見学し木造りで孫のおもちゃに良さそうな物を購入し、街歩きを楽しみました、焼き芋も食べたような記憶です。
川越城御殿に戻る前に川越市役所の大手門跡の石碑と太田道灌の立像を確認見学、中の門堀跡を探訪、市立博物館に寄り立体模型が有るとの情報で模型観察見学撮影、撮影は許可制でしたので書類にサインして撮影させて頂きました。(個人の収集見るだけとの約定)
御殿に戻り御殿内部の見学、御殿は丁度平成の大修理(平成20年10月20日~平成23年2月18日)が終わったばかりで修復整備保全が出来上がった時期の見学でした。綺麗な状態を見られラッキーでした。
城内に御殿が現存してるのは川越城、掛川城、二条城と数少ない存在です。
約3時間半の探訪散歩で足腰も疲れましたが有意義な初登城、小江戸川越散歩でした。
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2022/01/08 17:39
千葉氏の御宿。 (2022/01/03 訪問)
2022年、記念すべき初城攻めは千葉県の「高品城」です。
マンションや住宅地、春日神社が「高品城」の御城跡です。
1月3日だというのに、春日神社は白猫ちゃん1匹が日向ぼっこしてました。
春日神社の神様を独占し戦勝祈願して来ました。突然の初詣です。
「高品城」は詳しい築城時期は不明です。千葉氏の家臣、安藤氏が御弓公方・里見氏に備えて築いたようです。
春日神社は少し高い場所にあります。マンションの敷地と住宅地の間や、道路横の不自然な土盛り等、土塁やら堀に見えてきます。小高い場所の郭だった場所にマンションが建ったような気がします。
石碑や説明板はありません。
あとは、想像力に任せます。
「高品城」は千葉氏が千葉神社で元服をする際に宿所にしていたそうです。
千葉氏が「千葉城」から「本佐倉城」に本拠地を移した後も宿所として使われてました。
今は閑散とした「高品城」ですが、戦国の世では元服式を迎える先人達の、賑やかな声が聞こえてくるようです。
おめでたい、おめでたい。
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2022/01/08 15:57
2022/01/08 15:52
約9ヶ月ぶりに御城印を求めて (2022/01/06 訪問)
友達が犬山城を行きたいと言っていたので一緒に犬山城に行きました。そのついでに御城印も買えたのでよかったです。説明をしておくと犬山城は織田信長の叔父が築城し、成瀬氏の城となりました。豊臣秀吉は小牧長久手の戦いのとき、犬山城を木曽川から攻めこの城で小牧山城の徳川家康と睨み合いをしていました。犬山城は現存天守で国宝です。
今回は時間があまりにも余ったので城下町を歩いてみました。人が多くて賑やかでした。
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