過去のお城巡りの振り返り、第15段は愛知県豊田市の挙母城。
挙母城があるのは矢作川の西、童子山と呼ばれる河岸段丘の縁。
岡崎から信州へ向かう伊那街道が通り、古くから矢作川水運の湊もあったエリア。
江戸初期は1万石だった衣藩。
本多氏時代に挙母藩と名を変え、1749年に内藤氏が2万石の領主となると築城を開始。
当初は現在の元城町付近にあった陣屋を改築する計画(通称桜城)でしたが、矢作川の氾濫等にあい高台へ移転。
三河・尾張・美濃・信濃・伊賀・伊勢・近江が望めることから七州城とも呼ばれます。
現在は復元された隅櫓のみが城の面影でしょうか。
本丸半分は美術館となっており、残り半分には博物館の建設が計画されているとのこと。
更に今は御殿坂や大手門跡などに説明板が設置されているようですね。
また桜城の櫓台が公園に残されています。写真を見返すまで、この櫓台を見に行ったことはすっかり忘れてました。
+ 続きを読む