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T-Shionoya

挙母城訪問 (2004/11/11 訪問)

過去のお城巡りの振り返り、第15段は愛知県豊田市の挙母城。

挙母城があるのは矢作川の西、童子山と呼ばれる河岸段丘の縁。
岡崎から信州へ向かう伊那街道が通り、古くから矢作川水運の湊もあったエリア。

江戸初期は1万石だった衣藩。
本多氏時代に挙母藩と名を変え、1749年に内藤氏が2万石の領主となると築城を開始。
当初は現在の元城町付近にあった陣屋を改築する計画(通称桜城)でしたが、矢作川の氾濫等にあい高台へ移転。
三河・尾張・美濃・信濃・伊賀・伊勢・近江が望めることから七州城とも呼ばれます。

現在は復元された隅櫓のみが城の面影でしょうか。
本丸半分は美術館となっており、残り半分には博物館の建設が計画されているとのこと。
更に今は御殿坂や大手門跡などに説明板が設置されているようですね。

また桜城の櫓台が公園に残されています。写真を見返すまで、この櫓台を見に行ったことはすっかり忘れてました。

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カズサン

ナビに深谷城址公園が入りチョイ寄り (2021/10/11 訪問)

 2泊3日の群馬県埼玉県未踏の城廻りチョイ寄り登城で岡部陣屋、渋沢栄一の生家、記念館を終えてTポイント扱いのエネオスGSに寄り給油、自宅にナビをセットして帰路へ花園IC方向へ向かうが進行中、ナビに深谷城址公園が入ってきて前を通るのでついつい寄ってしまいました。
 車は深谷城址公園南の道を東に入り深谷市民文化会館敷地/深谷市保健センター南の小駐車場を利用、冨士浅間神社の西隣。

 深谷城は4年前初登城して2回目、夕陽が傾き沈む手前の登城、南東虎口から外を南から通りに出て中央虎口に入り内部を見て、唯一深谷城の遺構が残ってる冨士浅間神社境内、浅くなった外堀跡と巡りました、夕刻で子供達がお母さんお父さんに見守られて遊んでいます、城址公園の利用では理想の環境です、それと無く城跡に触れて城廻り城研究の道に一人でも歩んで呉れたらなぁ~と思ったりもしたり。

 帰りは関越道の花園ICより入り、SAで夕食、関越道鶴ヶ島JCTの手前から圏央道の事故大渋滞、八王子JCTの大渋滞に遭遇。

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カズサン

大河ドラマ「青天を衝け」話題にて寄りました (2021/10/11 訪問)

 本庄城を終えて南東に国道17号線を約8km程、グーグルマップで岡部陣屋史跡マークをナビに定めて走行する、国道17号線を南に折れJR上野東京ラインの手前、道は狭いが岡部陣屋跡/高島秋帆幽因の地の案内指示板が出ている指示に従いゆくと高島秋帆幽因の地の石碑、説明板、最近建てられたであろう標識、案内板、3台程の駐車場(36°12'07"N 139°15'05"E)が完備、周りはネギ畑です。
 写真は陽が傾き逆光気味日陰を見つけて撮るが今一、周辺を見渡し2階移築門が有るとの情報で近く約1.6km程の全昌寺(深谷市岡3313)を訪ねる、門前に駐車場完備、大河ドラマの幟旗がたなびいている。
 全昌寺を訪ね参拝するが2階移築門は無し、山門は四脚門、肉球さんの投稿(2021/9/11訪問)で解体されたの情報を知る、古城盛衰記さん岡部陣屋のブログで移築2階建長屋門の写真を確認、早く来たかった。

 この後は4km程北の利根川手前にある渋沢栄一の生家「中の家、ナカンチ」と記念館を訪ねる、大勢の人が訪れていました流石人気の大河ドラマです。

 これで2泊3日群馬県埼玉県未踏の城廻りチョイ寄り登城は終了、未踏城郭17城再登城3城、小川城、長井坂城、ミスった鷹留城
、神梅城/深沢城、彦部屋敷が見応えが有り心に残りました。

 追伸、赤い城さんへ
 小川城は一日違いで赤い城さんが登城されて居りタイミングが合えば城話など体験談をお聞きしたいものです、投稿楽しみに見ています。

 

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マダム卑弥呼 

石段きつい

秋に行きました。大量の石段で足が痛かったです
登る価値ありました。

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亥鼻公園 (2021/10/23 訪問)

 JR本千葉駅から徒歩10分くらいで行くことができます。土塁が一部残っています。主郭と神明社の間は堀切でしょうか。
郷土資料館は他の方も投稿されていますが、無料というのはすごいですね。

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長福寺 (2021/10/23 訪問)

 米ヶ崎城址から徒歩15分くらいで城址である長福寺に行くことができます。長福寺に「木造聖観世音菩薩立像」の案内板があり、その記述の中に夏見城のことが少しだけ書かれています。土塁が一部残っています。ただ柵があり中には入れません。

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意富比神社 (2021/10/23 訪問)

 高根城跡から徒歩10分弱で城の中心部と伝えられている意富比神社行くことができました。西側には土塁を見ることができます。

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高根寺 (2021/10/23 訪問)

 金杉城跡から徒歩で20分くらいで高根寺に着きます。船取県道を渡って遺構が残っているという城域へ向かいました。遺構は土塁ですが、「古城盛衰記」さんのHPを参考に散策しました。他のHPでは空堀もあるとの情報がありましたがよくわかりません。

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神明社 (2021/10/23 訪問)

 船橋駅から京成バスに乗り「金杉町」で下車すると、目の前が城址とされている神明社です。諸先輩方のHPを見ると見事な土塁があるのですが、周囲を散策しましたが、私有地が多くよくわかりません。

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古墳 (2022/10/22 訪問)

 京成津田沼駅から徒歩10分くらいのところにある「鷺沼城址公園」が城址です。

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一夜城公園 (2021/10/22 訪問)

 京成臼井駅より徒歩5分弱で一夜城公園に行くことができます。「上杉謙信公 一夜城史跡」の石碑があります。

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小竹氏の城 (2022/10/22 訪問)

 臼井城より徒歩に移動しまた。案内板と標柱があり、周囲に土塁と空堀を見ることができます。私有地で中には入れませんが、周囲を見ると切岸かなと思う所もありました。雨の中、傘をさして写真を撮っていたらぶれてしまいました。

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城嶺夕照 (2021/10/22 訪問)

 主郭、二郭付近が城址公園として整備され歩きやすい城址です。主郭と二郭には土橋(舗装されていますが)がかかり空堀を見ることができます。残念なのは二郭周囲の空堀で、深くて見事な空堀だと思います。しかし、諸先輩方のHPでは雑草などなく整備されていたのですが、私が行ったときには藪になっていました。
 師戸城から徒歩に登場しました。室町末期から戦国にかけて、たびたび戦場となった城で、以前から来たかった城址です。

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印旛沼公園 (2021/10/22 訪問)

 印旛沼公園として整備され、空堀や土塁が残っています。雨が降っている中、散策しましたが歩きやすい城址です。

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ぴーかる

物集女城 (2021/07/25 訪問)

【物集女城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>阪急駅洛西口から徒歩

<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用の旅8城目。物集女城は現地案内板によると、中世の国人物集女氏の居城と考えられています。織田信長が細川藤孝に桂川西部一帯を与え勝竜寺を拠点としますが当時の当主の物集女忠重入道宗入は領土安堵の参上を拒絶したため誅殺されその後物集女氏は衰退します。
 現地城跡は私有地となっており立入禁止、畑化しております。畑前に城跡説明版があります。
 近くに古墳時代の豪族居館跡が発見された場所があります。現在は公園化し何もないですが、見つけたのでついでに。

<満足度>◆◇◇

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ぎりょう

秋田三城巡り 秋田城 (2021/10/08 訪問)

三城巡りの三ヵ所目は秋田城。言わずと知れた最北の古代城柵官衙遺跡である。まずは基礎知識を仕入れに「秋田市立秋田城跡歴史資料館」へ。なにぶん私は古代城柵についての知識を持ち合わせておらず、秋田城も胆沢城や志波城のように平地に築地塀と大溝を巡らせ、四方に門と櫓を配置した構造と思いこんでいた。秋田城は平野部の東端旧雄物川に近い高清水岡と呼ばれる丘陵部に位置している。
また、出羽の国府として行政・軍事機関としての役割のほかに、北東北(津軽地方)や蝦夷(北海道)など当時律令国家の支配の及ばない地域や渤海国(中国東北部)との交易や外交の窓口としての役割を担っていたという。その証しとして大陸からの来航者が使用した奈良時代の水洗トイレの遺構が発掘され、復元されている。
また外郭の東の門や政庁跡も見どころ。

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朝田 辰兵衛

山口ポチっとな②~やっちまったナァ~ (2021/10/11 訪問)

見どころの土塁画像を削除してしまいました…。詳細は,中荒城の書き込みを参照ください。

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小城小次郎

歴史に残るもてなしが行われたらしい (2021/08/09 訪問)

古くからの豊島氏の居館だが近くに豊島郡衙跡があり、豊島氏は郡衙の機能を継承する身として平塚城を占地したのだろう。なお後三年の役当時、源義家・義綱・義光の三兄弟が揃ってここで豊島氏のもてなしを受けたらしい。

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カズサン

城びと1100城目は本庄城 (2021/10/11 訪問)

 城びと登録城郭の登城1100城目は本庄城と成りました。 城びと登録以外の城と合わせと1550城目の登城と成ります。
 伊勢崎陣屋を終えて本庄市役所を目指し市役所駐車場を利用、本庄市役所が本庄城そのもの2の曲輪に成ります、本曲輪は市役所の東、一部私有地で城山稲荷神社の敷地に成ってます、北側に流れる元小山川が外濠代わりで河岸段丘に城跡が連郭式に成って居ます、東に3の曲輪は住宅地、城山稲荷神社は本郭の北側の凹み地、枡形内に鎮座してる模様で欅の大木が聳えてる。
 全体遺構は消滅してるようですが北側の元小山川の段丘の反り上がった北側が城塁らしさを醸してる。

 歴史は弘治2年(1556年)本庄実忠によって築かれて、本庄氏は山内上杉氏に属し永禄10年(1567年)北条氏に攻められ落城、北条氏に従属し天正18年(1590年)秀吉の小田原征伐で落城、家康関東移封後信濃松尾城主小笠原信嶺が1万石で入封、慶長17年(1612年)小笠原氏古河城へ移封され、本庄城は廃城となった。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

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チェブ

528点の宝物。 (2021/05/04 訪問)

先日、投稿した「根木内城」から「小金城」に転戦しました。
築城主の高城 胤吉さんも「根木内城」から拠点を「小金城」に移します。

小弓公方 足利 義明さんに対抗します。
享徳の乱で上杉氏と対立しました。
関東進攻してきた、上杉 謙信さんに対し備えます。
秀吉さんの北条征伐時、小田原城で籠っていた高城氏の命で、「小金城」は戦わずに、明け渡しました。
と、ざっくり60年位を簡単に書きました。

「小金城」は『大谷口歴史公園』です。
入口から階段を上りました。
「小金城」、小高い所から睨みます。
虎口には、復元された木製の門があります。
畝掘や障子掘も説明板の解説があり、見逃しません。
北条家傘下の時に強化したのでしょうか?

「小金城」をネット検索していたら、
『令和2年3月に、小金城主 高城氏に関する古文書が松戸市立博物館に528点、寄贈されました。』
と、、、、!!!。
1点が戦国時代の古文書で、残りが江戸時代の古文書なんだそうです。

私は千葉県の歴史は、正直あまり分かりません。
高城氏の生活の営みを知れば「小金城」の見方が変わるかもしれません。

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