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yuriyuri

歴史民族資料館 (2021/05/03 訪問)

入場が無料の日でした。

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yuriyuri

高知城 (2021/05/03 訪問)

ひろめ市場の近く

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yuriyuri

中城城 (2019/10/07 訪問)

#日本100名城
#26城目
#中城城跡

受付ギリギリやったのにみんな優しくてカートのオジイの助手席に座る。

オープンカーみたいやなぁ。

言うたらオジイ、喜んでしゃべるしゃべる。
あ。
もちろんカートの後ろには5名程乗ってます(笑)

続きは写真にて。

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yuriyuri

今帰仁城 (2019/10/08 訪問)

2019.10

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ぴーかる

泉頭城 (2021/07/10 訪問)

【泉頭城】
<駐車場他>本丸跡駐車場あり
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀跡
<感想>1泊2日沼津・三島の城巡り旅3城目。泉頭城は弘治年間に北条氏康が築城し城将を置いて武田氏の進行に備えた城です。南西にある戸倉城とは柿田川を船で連携していたそうです。小田原征伐の時は後北条氏は城を放棄焼いて、城兵は山中城・韮山城に撤収したそうです。後年家康が泉頭の地を大変気に入って隠居所にしようとしましたが、駿府に変更になったようです。側室お万の方の出会いの地でもあるそうです。
 柿田川公園の北にあるショッピングモールで昼食を摂って徒歩できた。城跡としての案内板・説明板が巡った後に見付けたので、公園内の湧水箇所を一通り巡り、南曲輪跡の方へは行かなかった為もあり、あまり城跡感は感じとれなかった。それにしても湧水で出来たての川は美しい。

<満足度>◆◆◇

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:伊奈城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目も18城目は伊奈城です。
田原城から転戦。伊奈城址公園入口付近(34.793907、137.334648)に路駐しました。

伊奈城は徳川家の家紋「三葉葵の紋」発祥の城という説がある城です。
室町時代に本多定忠・定助によって築かれてから約150年間、伊奈本多氏の居城でした。
1590年(天正18年)の徳川家康の関東移封にともない、8代城主・本多康俊も下総国小篠に移封となり廃城となりました。

現在は本丸の部分が「伊奈城趾公園」として整備されており、模擬櫓が建てられいます。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:田原城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の17城目は田原城です。
高縄城から転戦。田原市博物館駐車場(34.674343、137.269131)に駐車し、桜城門(34.673129、137.269267)に向かいました。

1480年(文明12年)ころに戸田宗光(全久)によって築城され、戸田氏の三河湾支配の拠点となった城です。
16世紀になると近隣の戦国大名の拡大に伴って、はじめは松平氏に属し、さらに今川氏に転じました。
城主が戸田康光のときの1547年(天文16年)に、松平氏から今川氏に人質として送られる嫡男竹千代(のちの徳川家康)を護送する任を受けましたが、敵方の織田家に寝返ったため今川義元の怒りを買い、攻められて落城し城主康光も戦死しました。
ただし、2010年後半になって岡崎城を織田氏に攻め落とされた松平広忠が自ら竹千代を人質に出したとする説が有力となったことで、戸田康光の裏切りそのものが事実として成立しなくなってしまいました。
加えて、田原城周辺の状況から天文16年の田原城攻撃の際には落城には至らず、実際に田原城が落城したのは1550年(天文19年)頃であったと推定されているそうです。
その後今川氏に属する城代が入るが、桶狭間の戦いの後、今川氏から自立した家康によって攻略され、松平氏譜代の本多広孝が城主に入って、東三河の旗頭として吉田城(豊橋市)を与えられた酒井忠次の指揮下に入った。
さらに1590年(天正18年)家康が関東へと移封すると代わって吉田城に入封した池田輝政の持ち城となり、田原城には重臣筆頭の伊木忠次が城主となって田原に在城しました。
江戸時代になると、田原城には三河の他の主な城と同様に譜代大名が置かれ、1万石そこそこと少ないながらも藩を形成しました。
はじめ田原戸田家の支族、戸田尊次が入り、その後1664年(寛文4年)に三宅氏が1万2千石で入封、そのまま明治維新を迎えるまで200年強支配しました。
廃藩置県後の1872年(明治5年)他の多くの城と同様に田原城の建築物も取り壊されました。

城址南の復興桜門や水堀となる袖池と桝池、及び石垣、巴江神社となっている本丸南の空堀、本丸に残る土塁、二の丸には復元櫓等、小規模な城址ながら良い城址だと思います。
攻城時間は20分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:高縄城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の16城目は高縄城です。
宇津山城から転戦。太平寺入口前空スペース(34.688212、137.336493)に駐車しました。
豊橋市立家政高等専修学校の正門前(34.690063、137.336350)まで徒歩3分位です。

高縄城は戸田氏の最初の居城として知られています。
戸田氏中興の祖とされる戸田弾正左衛門宗光は今川義忠に従い渥美半島に進出すると、1475年(文明7年)この城を築きました。
その後、1479年(文明11年)に田原城を築いて居城を移しましたが、以降も田原城の支城として維持されたようです。
「桶狭間の合戦」後の1564年(永禄7年)には三河統一を進める徳川家康によって攻略され、家康は戸田忠次を城主に任じています。
しかし、1590年(天正18年)の家康の関東移封にともない、忠次も伊豆下田に移ったため廃城となりました。

現在城址は豊橋市立家政高等専修学校の敷地となっており、校内に入らずとも正門脇に城址標柱は確認できます。また学校の北側に堀跡を確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:宇津山城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の15城目は宇津山城です。
千頭峯城から転戦。正太寺墓参用入口(34.755868、137.534936)進めば城跡に着く。

大永(1521年~1527年)の頃、遠州進出を図った今川氏親の家臣長池親能が浜名湖西岸に築いたといいます。
城主には長池親能、次に小原親高が入り享禄年間以降は朝比奈泰長が入りました。
1555年(弘治元年)氏泰が病没すると、その嫡男泰長が城主となります。
1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、自立を志す徳川家康が三河国統一に向けて邁進します。
1568年(永禄11年)12月、家康は酒井忠次を先鋒として、井伊谷三人衆の道案内により進軍し、小原鎮実(おはらしずざね)が守る城を攻め落とすと、松平家忠を城主にしました。
1572年(元亀3年)には松平清善が1,000貫文を賜って城番に命じられました。廃城になった時期は不明。
また山麓の正太寺には市の文化財に指定されている宇津山古城図が保存されており、宇津山城主の五輪塔が残っているようです。

現在城址には石垣が残っているようですが、雨の為に主郭のみの見学で引き返しました。
上記GPS座標から入り、先に進めば主郭付近まで車で登れます。5台以上停められるスペースもあります。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:千頭峯城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の14城目は千頭峯城です。
堀川城から転戦。城駐車場(34.818952、137.560573)に駐車しました。

千頭峯城は三岳城の支城として井伊氏一族の奥山氏によって築かれた城で、西方最大の拠点でした。
1339年(暦応2年)奥山朝藤が守る城を、北朝方の高師兼によって攻められ、3ヶ月の攻防の末に落城しました。
戦国時代には、今川氏が本坂峠及び奥三河筋に対して構えた境目守備の城でした。
桶狭間合戦で今川義元が討死したあとの1562年(永禄5年)には、今川氏真の将・朝比奈氏が今川家を離反する東三河の西郷氏の三河五本松城を攻撃した時、当城は駐屯地として利用されたようです。
また、徳川家康の遠江侵攻以後にも利用されたようです。

現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っています。
トンネル手前に駐車場と説明板があり、登城口はその先です。堀切、土塁などの遺構が残っています。
雨が降り始めた為、本曲輪から引き返しました。
攻城時間は35分くらいでした。

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退会済み
ユーザー

苅野丸山城 (2021/07/16 訪問)

大雄山駅から北側の「竜福寺」交差点を左折、神奈川県道78号線を西に向かい、「前田橋」バス停の最寄りの橋、一色橋(!)を左折します。道なりに走って正面に見える「丸山」が城跡です。道角に見える石碑のあたりが城跡の虎口とのこと。道の見えないひどい藪と、駐車スペースがまったくないことのため登城はあきらめました。

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赤い城

重要文化財よりも・・・ (2021/07/04 訪問)

彦部氏の子孫が今でも住んでいらっしゃる。
主屋と長屋門は江戸時代のもので重要文化財に指定されています。
が、我々にとっての見どころは搦手の桝形虎口や土塁。
長屋門の脇にも土塁が残っています。
この日は残念ながら休館日で先人様の書き込みにある案内は叶いませんでしたがざっくりと見学して退散しました。

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にのまる

【お城川柳】怖い話④

行く先々熊看板が待ちかまえ

甘く見てはいけない。

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のり巻せんべい

勉強会開催 (2021/07/15 訪問)

 岐阜県内の明智光秀にゆかりがあるとされる8市町(岐阜市、大垣市、
山形市、恵那市、瑞浪市、土岐氏、可児市、御嵩町)の地方議員による
「岐阜県明智光秀ゆかりのまち議員連盟」の勉強会を可児市の天龍寺で
開催されます。

 参加できるのは各議員と明智城のボランティアガイドのみです、内容を
勉強したい方はガイドを依頼すれば面白いことを教えて頂けます。
ガイドの申し込みは可児市観光課へ電話して下さい。

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もふもふ

《お城川柳》

閂を 解き放ちたる 春の朝

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牛若丸

今まで行った中で一番ハード (2020/09/22 訪問)

キングオブ山城です。
今まで行った中で一番ハードで、全部見て回るのは半日はかかります。
この城を築くのもすごいですが、落とすのはもっとすごいです。
ちなみに、本丸跡までは駐車場からマイクロバスでしか入れず、徒歩で行こうと思ったら1時間以上は歩きます。

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牛若丸

現存天守なだけあって (2020/09/22 訪問)

現存天守なだけあって遺構もよく残っています。
天守だけではなく、堀や石垣、虎口も要見学です。

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牛若丸

さすが信長 (2020/09/22 訪問)

昨年の9月に訪れました。
天守まで続く石段、随所に見られる石垣など「さすが信長」とうならせる見事な石のお城でした。
天守台は思ったほど広くなかったです。ただ、天守台から見る琵琶湖は絶景でした。
天守まで続く石段はかなりハードです!

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朝田 辰兵衛

【お城川柳】ここも次期名城候補になると思います。 (2021/07/12 訪問)

「浦添も 映える 琉球曲線美」

ちぇるちぇるランドの名城は全て世界遺産ということで,厳しい競争に漏れた浦添グスク。
沖縄県の次期名城候補筆頭と思っています。

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イオ

【お城川柳】出張!お城EXPO in 滋賀・びわ湖の開催決定を祝して

年末の 横浜行きは 果たせない

毎年、お城EXPOに行きたいなーと思いつつも、年末の週末は仕事の関係もあって果たせずにいますが、

秋の日の 長浜ならば 必ずや

去年は都合を付けられず無念をかみしめていましたので、今年こそは何としても! 長浜は先月行ったばかりですが、「ニッポン城めぐり」の滋賀県でのイベントも始まるようですし、楽しみです。その頃にはコロナワクチン接種済み……のはず(予約通りに接種できればですが…)。

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