西町児童公園に大きな石柱が立っている「知立城」です。
知立神社の神主でもある永見氏により築かれました。
今川 義元さんが桶狭間で討たれると、今川軍は敗走します。追ってきた織田軍により「知立城」は落城しました。
その後「刈谷城」の水野 忠重さんが、将軍の休憩・宿泊する為の御殿にリフォーム。
1699年の地震で倒壊しました。
と、ざっくりな説明なんですが、、、。
「知立城」である公園入口に車を路駐して、写真だけ写して移動しようとしました。
石碑や説明板はありますが、遺構は宅地化の為、消滅したようなので長居は無用だと思ったのですが、、、。
地元のおじいさんが説明板を見てる時、『今川 義元は沓掛からではなく、知立から出陣した』『時間と距離からして、知立城から桶狭間に向かった』と話しかけてきました。
と、このての話 大好物なので長居してしまいました。
帰って来て調べても、「沓掛城」の前日には「知立城」に本陣を置いた位しか解りません。
今後、この『沓掛城からではなく知立城から、桶狭間に向かった』説が通説になったら、知っていた。と、自慢しようと思います( ´∀`)
東海道の池鯉鮒宿がこの辺りです。
交通の要所だったようなので、今川 義元さん以外、メジャーな武将たちも、この地を通って行ったのではないでしょうか?
なんでもない児童公園が、桶狭間の合戦前の、勝利を信じる今川軍 が賑やかに軍義している様子、伝わってきます。
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