ぶぜんまつやまじょう

豊前松山城

福岡県京都郡

別名 : 松山城、神田城
旧国名 : 豊前

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ろっし

お城探訪 (2022/10/22 訪問)

曲輪、土塁、石垣、石段など見れます。

頂上付近の遺構が良く残っていて見応えありました。

只、所々崩れていたりするので注意して見学しなければいけないので登城は自己責任で…

駐車場も封鎖されています。

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織田晃司

’18年の西日本豪雨による (2022/02/11 訪問)

崩落が発生。復旧も中々進まないため駐車場は使用不可。
ブルーシートで覆われた崩落箇所は当然ながら侵入禁止。
雰囲気の良い城なので早い復旧が望まれる。

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カズサン

黒田氏石垣が残存見応えの有る山城です (2020/11/21 訪問)

 今回の鶴丸城御楼門探訪をメインにした九州未踏の城廻り第一弾、2年前に山城サミット安来大会の後北九州未踏の城廻りをしたのですが最終日台風24号の日本襲来により日出城近く宿泊の夜半から風雨が強く成り最終日予定の平田城、豊前松山城登城を断念し浜松まで台風と競争、台風24号は被害が酷く我が家も被災。
 そうゆう因縁の有る豊前松山城で2年振りに念願かなって登城へ、しかし松山城も水害の被災を受け山頂部崩落し登山禁止状態で麓の駐車場は閉鎖されてました。
 案内板を撮影して引き上げようとした時に松山城を守る会の方に会い危険な所を避ければ登城できる旨を教えて頂き又松山城のパンフレットも頂く、車は駐車場前の三角コーナーギリギリ交通に邪魔に成らない1台やっと停める。
 登城路は丸太の土止め階段が直道に近い形で山頂までこれが結構きつい、案内では25分と有りましたが私は40分で本丸下まで、本丸下の横堀と土塁、切岸を斜めに登る階段で余湖図コレクションさん俯瞰図の4郭と5郭の間へ5郭に降りる石段更に下の曲輪、4郭に登る石段、4郭から2郭への石段、眼前に1郭本丸、1郭の有名な石段と北法面が崩落して青シートで保全覆われてる、本丸南下帯曲輪は立ち入り禁止、西に在る3郭西下も崩落、本丸に登れない。
 豊前松山城の歴史は天平時代からの歴史が有る様ですが黒田官兵衛に九州征伐後豊前12万石与えられた北の守りの松山城として石垣を含めた改修が有ったのではパンフレットには桐紋の瓦が出土と有ります。
 修復回収の見通しは未定の様ですが暫くは登城禁止状態が続く様です、気が引けた登城でしたが折角遠い所から来たのにと教えて頂いた方に感謝です。
 ナビは城跡南麓の駐車場、福岡県京都郡苅田町松山1279辺りに合わせる。
 ガイドと情報は何時もの城郭放浪記さん余湖図コレクションさん俯瞰図に依ります。

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ヒデタカ

備前松山城 (2016/01/09 訪問)

素晴らしい城跡です😊

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 藤原広嗣
築城年 天平12年(740)
主な改修者 長野助盛、細川氏
主な城主 藤原氏、神田氏、平氏、城井氏、大内氏、大友氏、毛利氏、黒田氏
廃城年 慶長11年(1606)
遺構 曲輪、石垣、土塁、竪堀
指定文化財 町史跡(松山城跡)
再建造物 説明板
住所 福岡県京都郡苅田町松山
問い合わせ先 苅田町生涯学習課まちの歴史担当
問い合わせ先電話番号 093−434−2212