ぶぜんまつやまじょう

豊前松山城

福岡県京都郡

別名 : 松山城、神田城
旧国名 : 豊前

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にのまる

北九州空港の近く。 (2026/05/29 訪問)

諸々の用事を済ませに実家に滞在中、隙を見て出かけてきました。

駅から登城口までは約2km。
「松山城登城口」に停車するコミュニティバス(ゆめシャトル)がありますが時間が合わなかったため徒歩で向かいました。

登城口で作業をしていらした方にご挨拶したところ「ゆっくりー」と見送ってくださいました。
登城路は案内板、杖、階段、ロープと至れり尽くせりです。苅田町作成のPDF版ハイキングマップで土塁、石段、虎口、主郭などを確認しながら、15分ほどで山頂に到着しました。立入禁止区域も多かったですが、大切な遺構の保全と登山者の安全のため。守る会の方々に感謝です。

久しぶりの山梨県外の🏯でした。

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送りバント

20170909豊前松山城(福岡県京都郡苅田町) (2017/09/09 訪問)

南麓の専用駐車場から急勾配の登山道を登ること20分ほどで一の郭へ

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藤原広嗣 (2024/12/27 訪問)

 天平12年(740)に、反乱を起こした藤原広嗣が築城したと伝えられています。中世には周防の大内氏あるいは毛利氏と豊後の大友氏の間で攻防戦が繰り広げられました。豊臣秀吉の九州平定後は黒田氏、細川氏が慶長11年(1606)に破却されるまで城番を置いていました。
 縄張り図を見ると、かなり見どころが多くありそうな城址ですが、平成30年7月の大雨による土砂崩れのため、多くの場所が立ち入り禁止となっています。登って下りてくるだけの登城になりました。事前にネット情報で知ってはいましたが、残念です。

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小城小次郎

織豊系の城だが歴史は古い (2024/03/02 訪問)

どこから見てもいかにも城山っぽい山に織豊系のお城を仕立て上げたのは黒田氏だが、最初に利用したのは天平年間の藤原広嗣だというから古い。崩落による立入禁止区域があるのは残念だが綺麗に整備されている。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 藤原広嗣
築城年 天平12年(740)
主な改修者 長野助盛、細川氏
主な城主 藤原氏、神田氏、平氏、城井氏、大内氏、大友氏、毛利氏、黒田氏
廃城年 慶長11年(1606)
遺構 曲輪、石垣、土塁、竪堀
指定文化財 町史跡(松山城跡)
再建造物 説明板
住所 福岡県京都郡苅田町松山
問い合わせ先 苅田町生涯学習課まちの歴史担当
問い合わせ先電話番号 093−434−2212