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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:城びと未登録(静岡県浜松市)堀川城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の13城目は堀川城です。
気賀陣屋から転戦。説明板前(34.803274、137.646321)に路駐しました。

堀川城は今川氏の家臣、斎藤為吉が村人らの協力を得て築いた城です。
「桶狭間の戦い」後に今川氏から独立した徳川家康は遠江に侵攻し、刑部城を落とした翌年の1569年(永禄12年)、3千の兵で攻め寄せました。
一方、堀川城は農民らが立てこもり抵抗しましたが落城しました。
大久保彦左衛門によって書かれた「三河物語」によれば「徳川勢によるなで斬りがおこなわれた」とされます。

現在城址に遺構はありません。長居は出来ませんが、三角形に仕切られた場所に説明版と石碑&首塚があります。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:城びと未登録(静岡県浜松市)気賀陣屋 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の12城目は気賀陣屋です。
刑部城から転戦。気賀小学校前空スペース(34.809611、137.654405)に路駐しました。

気賀陣屋は近藤秀用の次男である近藤用可によって築かれた陣屋です。
「近藤五家」や「引佐五近藤」のひとつである気賀近藤氏は、用可以降12代にわたって気賀関所を預かり、1869年(明治2年)の関所廃止まで代々この地を支配していました。
なお気賀関所は、箱根関所・新居(今切)関所とともに「東海道の三関所」と呼ばれていました。
1871年(明治4年)には陣屋跡に気賀小学校が設立され、現在も残っています。

小学校の前に毎年幕府に献上したという陣屋ゆかりの椎の木があり、天然記念物に指定されています。今回は椎の木と説明板を確認して撤収しました。
近くに気賀関所がありますが、以前、次男と「井伊直虎ゆかりを巡るツアー」で訪問している為、今回は素通りです。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:刑部城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の11城目は刑部城です。
堀江城から転戦。金山神社空スペース(34.804669、137.6603)に路駐しました。

刑部城の築城年は不明です。今川義元の家臣である新田美作入道の居城です。
三方を都田川に囲まれた、姫街道の要衝でしたが、1568年(永禄11年)に近藤康用・菅沼忠久・鈴木重時ら井伊谷三人衆の案内により侵攻した徳川軍に攻められ、落城しました。
その後は菅沼氏が城主として入城しています。
1572年(元亀3年)12月、武田信玄は「三方原の合戦」に勝利すると、祝田から刑部に軍を移して翌年まで滞在しています。

現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っており、二の丸跡には金山神社が建立されています。
主郭への攻城は、金山神社左側より直登しようとしましたが、雨&気持ち悪い鳥の鳴き声にたじろぎ、やめました。
後で調べたのですが、県道261号線の交差点付近に登城口がありそうでした。(付近に説明板もありそうです)
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:堀江城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の10城目は堀江城です。
米津台場から転戦。堀江陣屋跡付近(34.765244、137.614824)に路駐しました。そこから、北側石垣(34.765865、137.616274)まで徒歩4分くらいでした。

堀江城は中臣鎌足や藤原道長の子孫にあたる名門・大沢氏の大沢基久が鎌倉時代に築城したと伝えられています。
戦国時代も大沢氏が城主であったが、今川氏の勢力下に入り、宇津山城、浜名城などとともに、三河に対する抑えとして機能したようです。
1569年(永禄12年)大沢基胤は徳川家康に攻められ、遠江における今川方最後の拠点として激しく防戦したが、結局は和睦する形で降伏しました。
基胤の子、大沢基宿は1550石を与えられ旗本になり、1603年(慶長8年)に高家となり幕末まで続きました。
だが、明治維新に乗じて不正に石直しを申告して大名になろうと画策して一旦は成功したものの、廃藩置県後に不正が発覚して処罰されたそうです(堀江藩)。

現在城址には遊園地「浜名湖パルパル」とホテル九重の敷地になっていますが、ホテルも遊園地もやっていません。
遊園地北側の石垣を確認したくて進入禁止エリアに立ち入ってしまいました。(🙇)すみません。
攻城時間は10分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:米津台場 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の9城目は米津台場です。
浜松城から転戦。入口付近空スペース(34.671118、137.706497)に路駐しました。

米津台場は1855年(安政2年)幕府の命により、浜松藩が武士と付近の農民に築かせた砲台です。
江戸時代の終わり頃には、日本に近づく外国船を警戒するため、沿岸部に数多くの砲台(台場)が築かれました。

現在は、高さ6mほどの高まりが残存しています。
攻城時間は5分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:浜松城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の8城目は浜松城です。
頭陀寺城から転戦。城公園駐車場(34.713205、137.726646)に駐車しました。(➡駐車料金は無料です)天守まで徒歩6分

浜松城は2回目の攻城です。
1回目は2017/12/17にクラブツーリズム「女城主井伊直虎ゆかりの浜松と静岡100名城めぐり2日間」のツアーに次男と二人で参加しました。
2回目の今回は続100名城スタンプ押印の為に攻城しました。スタンプは天守門にあります。
攻城時間は20分くらいでした。

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昌官忠

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目:頭陀寺城 (2021/06/30 訪問)

JR飯田線/身延線沿線城巡り4日目の7城目は頭陀寺城です。
鳥羽山城から転戦。途中、頭陀寺第一公園(34.698679、137.755961)で石碑を確認して、頭陀寺参拝者用駐車場(34.6995234、137.756653)に駐車しました。

地元の伝承では別名市場城とも云うようです。
頭陀寺城は曳馬城(引間城)の支城で、松下氏によって築かれた城です。
松下之綱は飯尾氏に仕えていましたが、1564年(永禄7年)に曳馬城主・飯尾連龍を今川氏真が攻めた際に、頭陀寺城も攻められ焼失して廃城となりました。
江戸時代は、松下之綱の長男暁綱の家系が、松下屋敷の当主となって1905年(明治38年)まで居住したようです。
1551年(天文20年)頃から約3年間、まだ無名の豊臣秀吉が松下之綱(松下加兵衛)に仕えたと『太閤素生記』に記されています。

現在は城址の西側にあたる部分が「頭陀寺第一公園」として整備されており、園内の北東寄りに松下屋敷跡の案内板等があります。
頭陀寺の南側山門近くに歴史など詳しい説明板があります。
攻城時間は10分くらいでした。

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もふもふ

《お城川柳》

江戸城址 守るは異界 摩天楼

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もふもふ

《お城川柳》

殿様の 背中が見える 天守閣

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にのまる

【お城川柳】

ひとつとして意味なき石などなかりけり

裏込石も間石も。
人間も。

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赤い城

関東七名城の一つ、石垣だけではない。 (2021/07/04 訪問)

東武太田駅から徒歩で60分。
駐車場もあります。
駐車場から階段を登るとすぐに西城の喰違虎口。
西に行くと見附出丸があり虎口の外側に堀切もあります。
西城から実城に行く間にも2つの大きな堀切、
さらに進むと物見台下の岩盤を削った堀切。
この辺りから石垣が見られます。
馬場曲輪と三の丸の間の堀切、そこから月の池。
さらに本丸虎口へと続きます。
日の池から登ると実城本丸の新田神社ヘ。
裏側に石垣も残ります。
本丸と二の丸の間から北城に向かうと大きな堀切。
北城はこの時季笹薮となっていました。
引き返し本丸南の南木戸石垣などさすがに見どころは多いです。
麓のガイダンス施設にパンフレットがあり、ここも見どころですね。
新田氏の城でしたが戦国期には北条氏のものとなり、秀吉の小田原平定により廃城となりました。

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まゆ

設楽の山城 (2021/07/15 訪問)

愛知県設楽町の山城が熱すぎます(●´ω`●)
道の駅したら、にて、各山城のリーフレットが無料でもらえますが、これも秀逸。
ご城印もありますが、何より
城郭図入りリーフレットが秀逸

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ぴーかる

閉鎖中で (2021/07/10 訪問)

【百名城58城目】
<駐車場他>城跡駐車場無料あり
<交通手段>車

<見所>堀・曲輪・土塁
<感想>1泊2日沼津・三島の城巡り旅2城目。到着し城跡の大駐車場が閉まっていたので、おかしいなと思いつつ、茶屋に駐車すると、なんと先日の大雨で土塁が崩落し7/16まで閉鎖となっていました。岱崎出丸の方は開いていたのでこちらのみの見学となってしまい、さらにすごい霧で見通しは最悪でした。逆に箱根旧街道は幻想的な雰囲気を醸し出し良かった。松田康長・一柳直末の墓地も手前にロープが張られ奥まで行けず遠目でお参り、スタンプ押印・御城印購入は茶屋でできたものの、肝心の本丸を含む半分以上の城跡部分が攻められず無念が残る中、これではプロフィールにある信念に反するので再訪を誓いあとにした。茶屋のおばちゃん曰く、昨年工事で盛土したところが崩れたそうです。入口から見える三の丸の堀の土塁の崩落部分が見れたので添付しておきます。満足度は暫定評価と致します。

<満足度>★★★☆☆(暫定)

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朝田 辰兵衛

【お城川柳】上ノ国には,天の川が流れとる! (2021/07/09 訪問)

「花沢で 七夕伝説 回想す」

上ノ国町,花沢館のすぐワキには「天の川」が流れてました。七夕が過ぎたばかりということもあり,引っ掛けてみました。
洲崎館から徒歩約20分で登城口到着です。

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カズサン

【お城川柳】伐採景観整備で一句

 ・ 木を切りて 高土塁出現 勝間田城

 ・ 茶畑を 登りて圧巻 二段土塁

 勝間田城は戦国前期、近くの諏訪原城、高天神城ほど有名では有りませんが牧之原台地の谷筋丘陵にひっそりと存在し、今年3月末までに牧之原市で城址の景観整備で3曲輪北側の樹木を伐採し3曲輪の二段高土塁、横堀、虎口がはっきりと確認目視出来る様になりました、麓の茶畑から登って眼前に飛び込んでくる高土塁上部から自然地形谷筋下まで樹木が綺麗に排除された姿は圧巻ですので詠んでみました。

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てぬき親父

お城川柳

お堀端 いつも笑顔の デート道

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てぬき親父

お城川柳

城巡り 自分をちょっと 好きになり

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黄金虫

【お城川柳】

城山は 元気象台 現役場

二の丸。昭和50年のつくば移転までは気象測器製作所。

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黄金虫

【お城川柳】

小金城 達磨口跡 犬散歩

石柱は達磨口、説明板は達摩口。どっちなの?市教委。

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黄金虫

【お城川柳】

「上様」が ご案内する 姫路城

松平健が音声ガイドのナレーションを担当。でも有料。

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