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カズサン

本丸南は圧巻の高切岸 (2021/10/11 訪問)

 群馬県埼玉県未踏の城廻りチョイ寄り登城の3日目、本日前橋IC近くのホテルから遠い神梅城/深沢城からの攻城、ナビで約40km超の距離、渡良瀬川渓谷の道を北上県道70号線、日光、足尾の道路標示が続きます、わたらせ渓谷鉄道本宿駅を過ぎて宿廻信号機を左折し後にキックスする県道335号線山道を約800m程登りと深沢城、正圓寺の案内看板が有る右に曲がり約200m程で正圓寺駐車場に着く、駐車場の南が堀を挟んで低い所に本丸が有る。駐車場は8~10台程可能(36°29'06"N 139°15'16"E)

 探訪ルートは草が刈られて居り良く曲輪が分かる、駐車場から二の丸、二の丸南の傾斜路から本丸二の丸間の広い堀に出る、二の丸南、本丸南は広い帯曲輪、本丸南から本丸を見上げると圧巻の切岸、約10メートルは有るのではないか、二の丸もほぼ同じ、二の丸南下帯曲輪の東は木々が多く良く観えなかったが崖で崩れて居り足がすくみそうな崖、本丸の下帯曲輪の西は樹木が茂り良く分からないが南側は急峻な谷に成って落ち込んでる。
 本丸は北と東に幅広の空堀、本丸、二の丸の北に三の丸で正圓寺境内、三の丸北は高土塁と深い堀で護られ東側から南にカギ型に落ち込み二の丸東の堀に続いてる、二の丸には中間に南崖に落ち込む空堀が有り、東端に続く土塁が二の丸南北中間に残ってる。
 本丸は三の丸、二の丸からは低く約50m方形でわらび、ゼンマイの自然畑か?良く茂って居り周囲の端は草刈りされて居り歩き易く成ってました。
 案内解説板は経年変化が激しく表示の絵から文字の面がひび割れ状態で良く判明出来ませんが草刈りの整備は抜群の保全です。
 
 正圓寺西は墓地に成って居りその中に城主一族阿久沢氏の墓石がまとまって祀られてる。
 阿久沢氏は古くからの歴史が有る様で康平5年(1062年)源家から深沢郷を与えられ、建武年間に築城したと、小田原の戦いでは小田原に籠城し敗戦後当地に帰農し廃城と成った、帰農した方々が良く城域を守って居たのでしょう遺構の保全状態が素晴らしく残って居ます。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。
 

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カズサン

とっとりの乱世/令和3年企画展 (2021/10/17 訪問)

 鳥取城馬場跡/鳥取球場跡に建つ鳥取県立博物館で2021/10/9から11/7に掛けてのイベント 令和3年企画展 「とっとりの乱世」❖因幡・伯耆からみた戦国時代❖ が開催されています。
 母の113回忌法要の翌日17日雨の中でしたが車を吉川経家像の前にある県庁駐車場を利用して、堀端道を通り復元擬宝珠橋、復元仲の御門表門を見学し久松山を眺めつつ北御門より県立博物館を訪ねる。
 入館料は大人700円70歳以上は500円、200円安く入館出来ました。
 入ると玄関二階まで打ち抜けのエントランス階段上面の壁に山中鹿介のイラスト大画面いっぱい(イラストは獅子猿)大迫力で圧倒されます、更に小振りで左右に2名ずつ武将が同イラストで尼子経久、山名豊国、加須屋武則、池田恒興描かれており全体良く出来ています。
 鳥取県因幡伯耆は山名氏・尼子氏・毛利氏・織田氏のせめぎ合いがあり、当時の古文書、刀剣、兜、現代の兜甲冑のディスプレイ、山中幸盛(鹿介)の兜展示、レプリカも有りこれは触れます、後に色々ありますが私の頭に残ったのは「よみがえる鳥取県の山城」のコーナーで県の埋蔵文化財課で最近発掘調査された山城の展示パネル4点「狗屍那城跡」「川上所在城跡」「蛇山城跡」「鵯尾城跡」が有り縄張図、写真、説明文と有り最新の情報です、また動画放映ドロンに由る空中撮影で因幡伯耆に関連する周辺国の山城も含めて月山富田城、吉田郡山城、若桜鬼ヶ城、上月城、妙見山城あと何城か?合わせて30分の放映です、中々空中からの映像は見れませんのでありがたい情報でした。
 1時間半ほど堪能致しましたが博物館から駐車場までが吹きつけるような雨に成り傘で頭は覆いましたが裾はビショビショ状態。

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カズサン

北側に残る高土塁は圧巻です (2021/10/10 訪問)

 奥平城を終えて時間も有り今回の群馬県埼玉県未踏の城廻りのリストに挙げて無かったのですが近くの藤岡城に狙いを定めて進行、車は目的城跡に在る藤岡第一小学校の北門を入り体育館前の駐車エリアを利用させて頂いた。

 小学校北門手前から自由に入って北側に伸びる高土塁を見学する事が出来る、土塁上、土塁下、土塁北側の住宅地側からと探訪する、県道40号線横の土塁、上に神社が在るがここも小学校北側高土塁の続きの様です、余湖図コレクションさんの藤岡城の図では方形単郭で周囲には堀が廻らされて居た事が伺えます。
 この高さ規模は圧巻です、北側の4分の1の残りですが遺跡として残ってくれてありがたい。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

 10日は蒼海城、石倉城、総社城、箕輪城木橋、鷹留城ミス登城、里見城、北新波砦、山名城は断念、奥平城、藤岡城と廻りこの後は暮れて来ましたので昨日泊まった前橋IC近くのホテルへ移動。

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カズサン

奥平氏故郷の城 (2021/10/10 訪問)

 北新波砦を終えて南方面の山名城を目指したのですがナビ登録の駐車場に辿り着けず断念、次の目的地奥平城の登城口を目指して進行、今度は奥平城標柱の有る登城口(36°16'32"N 138°57'50"E)に到着、駐車場は無く少し広めの川手前に路駐。

 奥平城標柱から登りそのまま2曲輪と本曲輪の堀道、本曲輪は崖の上で現在は畑、奥に2の曲輪、草が茂りその奥は竹が茂ってる、3の曲輪は崖下道で削られ分断、現在畑に成ってる、連郭式の造りで南東に突き出た台地上に造られ北、南が川で削られてる、両河川は3の曲輪先端で合流、川、台地、崖を活用した城郭でこじんまりして居ます。

 奥平氏は在城200年の奥平城を引き揚げ8代貞俊愛知県新城市作手盆地に先ず川尻城を築き亀山城始め城砦を造り長篠合戦では長篠城を死守し有名です、後中津城10万石で明治を迎える、浜松から近くで在り作手の奥平氏の故郷との事で登城しました。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

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テンちゃん

杉山城 登城 (2021/10/20 訪問)

武蔵嵐山駅の嵐山町ステーションプラザで御城印購入、嵐山町役場で続100名城スタンプを押印後、現地に向かいました。
駐車場から中学校の中を通り抜けて杉山城大手口に向かいます。事前に調べて通りの技巧的な縄張りと遺構がしっかり残っていることに感激しながら見学しました。

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todo94

城カード櫓シリーズ (2021/10/04 訪問)

緊急事態宣言一斉解除直後でしたので10月2・3日の土日はまだ玉藻公園は閉園していました。月曜休みの恩恵を享受できました。無事、城カード櫓シリーズをゲットすることが出来ました。桜御門の復元工事が進められています。2022年春に竣工の予定だそうです。また、行かなくっちゃ。

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テンちゃん

菅谷城登城 (2021/10/20 訪問)

久しぶりに登城再開です。
嵐山史跡の博物館で続100名城スタンプの押印、御城印の購入、展示物の見学をしたあと城跡を見学しました。
思っていたより広く、堀、土塁も残っており感激しました。この後は、杉山城に向かいました。

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にのまる

水攻め (2021/09/07 訪問)

 深谷めぐりの帰りに途中下車して寄りました。
 雨が降り出したので凹みながら向かったのですが、着いてみるとリアル水攻められ中のごとき景色が広がっていて、Wow~🤩ってなりました。御三階櫓から雨に霞んで周囲がほぼ何も見えないのも却って想像力を掻き立てられました。

【お城川柳133】
浮き城の雨にけぶりていとをかし

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赤い城

古墳が残る公園 (2021/10/02 訪問)

京成津田沼駅から徒歩で8分位。
鷺沼城址公園が城跡となります。
遊歩道から切岸を見上げながら進むと城址公園への入口。
そこから登りました。
公園が主郭で石碑が立っています。
低くなった土塁もあります。
古墳も残っていますが城の機能としてどうだったかはわかりません。
遊具の近くには堀っぽい部分もありますがこれは後世のものでしょう。
今では市民の憩いの場でこの日も数組の家族が遊んでました。

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小城小次郎

12世紀に掘られた二重堀がこんなに綺麗に残っているとは (2021/07/24 訪問)

「玉葉」の「藍津之城」がこの城であるとの説は、発掘遺物が全て12世紀である点を踏まえると実に説得力がある。そういう目線でこの城を見つめると、12世紀に掘られた二重堀がこんなに綺麗に残っていることには感動しかない。

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朝田 辰兵衛

山口ポチっとな① (2021/10/11 訪問)

JR山口駅前にある,「福武貸自転車」にてレンタサイクル利用。2時間で300円が,スタート料金。1時間増すごとに100円かかります。ものすごくリーズナブルだと思います。高嶺城登城もありましたので,4時間利用となりました。それでも,500円で済むという…。
7~80代と思しき老夫婦が経営されてました。末長く頑張っていただきたいと思います。経営のほうは大丈夫なのか…?
宜しければ,みなさんも応援してあげてください。
そうそう,電動アシスト自転車はありません。ママチャリオンリーですのでご注意を。

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退会済み
ユーザー

本格修理事業 (2021/10/19 訪問)

現在は本丸御殿の修繕中。

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退会済み
ユーザー

令和の大改修 (2021/10/19 訪問)

烏城公園は令和4年11月まで改修工事のため立ち入りできません。

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退会済み
ユーザー

鶴城(愛宕山)遠景 (2021/10/18 訪問)

夕方に近くまで寄ったので、鶴城跡である愛宕山を堀川橋から撮りました。橋の南側に、大石内蔵助の妻「大石りく遺髪塚」がありますが、その山頂は鶴城の出城である「備後衆山砦」だそうです。

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カズサン

方形の城館跡綺麗に復元されてます (2021/10/10 訪問)

 里見城を終えて東方向へ約4、5km程の北新波砦を目指す、ナビを砦東側の駐車場(36°21'56"N 138°58'12"E)に合わせて走行、満勝寺、幼稚園、田園の傍に復元整備された北新波砦に着く、東側の駐車場を利用。

 良く復元整備された方形の城館跡、土塁が周囲を囲み、南北に虎口、周囲は堀跡で砂利を敷き詰め堀を表してる、南虎口側には出隅の横矢が掛かる造り、内部は芝が張られ丁度芝刈り後、裸足で走り回りたい心境、よくせいびほぜんされてます。

 歴史的には箕輪城の長野氏の多くの支城の一つ、永禄9年(1566年)武田信玄に由る箕輪城落城の時、殉死した新波新左衛門が砦として伝えられている。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

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カズサン

里見氏の故郷 (2021/10/10 訪問)

 鷹留城を登城ミスで終えて完備された広域営農団地農道/フルーツラインを南下し約4、5km程の所に在る里見城を目指す、駐車位置を城山稲荷神社にナビ設定して走行、近くの鷲の峯カントリークラブ側から入り細い山道を通り城山稲荷神社参集殿駐車場に着く2台可能(36°21'34"N 138°54'60"E)

 稲荷神社から周囲を見渡し、上部果樹園、奥の山手、草茂り、墓地など案内板、指示板も見つからず奥に在るだろう本曲輪に足を踏み入れに躊躇し、3曲輪下の城山団地、2曲輪の果樹園、城山稲荷神社の周辺を見て終了としました。

 城山稲荷神社由緒に由ると新田義重の子義俊が新田氏の所領である里見郷に居を定め築城したもの、鬼門に稲荷大明神を祀った。と有ります、この辺りは新田里見氏の故郷で安房里見氏、戦国大名として活躍する礎の里の様です。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

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カズサン

登城路間違い主郭に辿り着けず (2021/10/10 訪問)

 箕輪城を終えて搦手駐車場売店の方に鷹留城へのルートを聞き、前もって描いていたルートとであり駐車場から北へアスファルト舗装の広域営農団地農道/フルーツラインを通って約12km、途中8km程の所に売店の方推薦の十文字うどん店有り、時間も早いのでパス、そこから約4km程に鷹留城指示板が有る、2台駐車可能(36°22'08"N 138°53'27")。(手前に約100m程の所に2、3台可能な登り取り付け道が有る)

 車を駐めた所から道なりに登って行くと眼前に曲輪らしき城塁が見える、上に登る道と右の周遊道?が有り、古城盛衰記さんの右を信じて進行、ここが間違いの元、戻って確認すると古城盛衰記さんの駐車場と登城ルートが手前100m駐車場と成っていた。
 しかしそのまま歩き句碑が多く在り、上部には曲輪の城塁が確認出来、竪堀も有り、大手門跡に出る、大手門横の竪堀が素晴らしい、そのまま進み稲荷神社に着くが相当降りてるので間違いに気づくが、また戻るのもシダの茂りも有り里の降り、戻る道を里の方に確認して大回りにフルーツラインに戻る道を選択する。
 トボトボ歩いていると先程の方が軽トラで通られ仕事が済んだから帰る所と言って元の車を駐めた所まで送って貰いました、大感謝ですお礼を言って見送りました。

 また箕輪城の木橋完成した後に木橋の見学と鷹留城の再チャレンジをしたいと思ってます、ルートも駐車場も分かったので今度は攻めやすい。

 

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小城小次郎

15世紀前半の姿をそのまま残している (2021/07/24 訪問)

新宮氏は応永27(1420)年に葦名氏に攻められ新宮城を失った。その後、新宮城が使われたという記録はなく発掘された遺物も15世紀前半までだそうだ。つまり会津新宮城は15世紀前半の姿をそのまま残しているということだ。

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BUGTI

浅井攻めの拠点城 (2021/10/16 訪問)

麓にある石田屋敷跡を訪ねた後に登城。西の尾根にある二重堀切は一番の見どころ。北城からは伊吹山や琵琶湖が一望できた。また、小谷城や上平寺城と連携するに相応しい立地であることが良くわかる。ハイキングコースが整備されているので、歩きやすいのもありがたい。

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BUGTI

南北朝期前から続く国人領主の館 (2021/10/16 訪問)

国指定史跡になり、昨年から土日だけ公開されるようになって見学しやすくなりました。運営のボランティアの方々が詳しく説明してくださりました。土塁や堀など遺構の残り具合が良く、見ごたえがありました。

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