再挑戦、長野氏中世の山城
(2022/11/13 訪問)
箕輪城の完成した本丸・蔵屋敷間木橋を充分堪能して、昨年10月本丸登城を失敗した鷹留城1郭、2郭登城しました。
鷹留城へは箕輪城から西方直線約6km程の山中、箕輪城駐車場から北側に進み、群馬県立農林大学校を通り四辻交差点を左へ、榛名南麓広域営農団地農道/フルーツラインを道なりに進んで行く、中間辺り途中に榛名十文字うどん店が在る、更に進み小さい指示看板ですが道沿い入口に「鷹留城0.3km」が出ている。
車は入口へ駐める(36°23'35"N 138°53'28"E)。軽トラの轍があるので幅寄せし軽トラが通れるスペースを残す。
昨年失敗してるので今回は素直に1郭を目指して直登、登ると1郭の石碑が見える、また広い帯曲輪、北側の曲輪との間に幅広い堀切、1郭の東側切岸、斜めに付いてる人踏道を登り1郭に到着、中心に石碑(鷹留城死没者慰霊碑)と城名標柱、案内板、西側に石段が付いてる後世の構造物かも、降りて1郭西側へ、広い帯曲輪、西側が本来の虎口なのでしょう、1郭の隣の2郭へ、1郭・2郭間も広い堀切、2郭も石段が付いて居り、曲輪内に個人の立派な墓石が有る、結構広い曲輪、2郭の東側に大きい竪堀。(郭の名称は余湖図コレクションさん俯瞰図に依る)
歴史と構造:明応年間(1492年~1500年)長野業尚築城、永禄9年(1566年)9月武田信玄勢のために落城(城主業通)長野氏4代70余年の居城。
規模は並郭式であり、南北430m、東西300m、本丸高さ、東谷より70m。
(以上1郭案内板に由る)
3郭は昨年の失敗ながら大手門跡より竪堀と共に眺めて居るので今回パス、搦手側の土橋は1郭下から人踏道らしきものが無いので踏み込みませんでした。
土の城で南北に連郭式、広い廓、郭間に広い堀切が有り、周囲には帯曲輪を備え、西方面には多段の曲輪が構えて、東方面の敵への構えの城、素晴らしく遺構も残り中世山城を探訪するのにピッタリの山城で皆さんにも是非とも探訪をお勧めします。
長野氏は鷹留城から東の箕輪城に拠点を移したようです。(城郭放浪記さんによる)
今回前回探訪の情報源は城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。(グーグルマップを拡大すると鷹留城史跡マークが出ています)
※ イオさんへ
白山平泉寺城のコメントありがとうございます。白山神社城郭と平泉寺城郭が先の投稿で結びつき早速の探訪と成りました、私も白山平泉寺城郭探訪はここ数年来内記憶に起こる探訪でした、数拾年の疑問が解決したのは大変大きな事柄でした。
今後ともよろしくお願いします、投稿を楽しみにしています。
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