たかとめじょう

鷹留城

群馬県高崎市


旧国名 : 上野

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todo94

新年2日目の攻城③ (2023/01/02 訪問)

長野尚業が築城。長野氏の菩提寺・長年寺には尚業の墓がありました。存命中は武田信玄の侵攻を防ぎ続けた長野業政の墓もありました。長野氏の本拠は箕輪城に移りますが、箕輪城危急の際には白川口埋門から鷹留城に退避するとのことで、江戸城における甲府城みたいな存在の城なのでしょうか。山中にとても素晴らしい構えの城として存在していました。ただ登城ルートがとてもわかりにくかったです。「埋もれた古城」の鷹留城のページにウモさん手描きの地図がありましたのでプリントアウトして利用させて頂きました。ありがとうございました。この地図がなかったら絶対にたどり着けなかったと思います。

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カズサン

再挑戦、長野氏中世の山城 (2022/11/13 訪問)

 箕輪城の完成した本丸・蔵屋敷間木橋を充分堪能して、昨年10月本丸登城を失敗した鷹留城1郭、2郭登城しました。

 鷹留城へは箕輪城から西方直線約6km程の山中、箕輪城駐車場から北側に進み、群馬県立農林大学校を通り四辻交差点を左へ、榛名南麓広域営農団地農道/フルーツラインを道なりに進んで行く、中間辺り途中に榛名十文字うどん店が在る、更に進み小さい指示看板ですが道沿い入口に「鷹留城0.3km」が出ている。
 車は入口へ駐める(36°23'35"N 138°53'28"E)。軽トラの轍があるので幅寄せし軽トラが通れるスペースを残す。
 
 昨年失敗してるので今回は素直に1郭を目指して直登、登ると1郭の石碑が見える、また広い帯曲輪、北側の曲輪との間に幅広い堀切、1郭の東側切岸、斜めに付いてる人踏道を登り1郭に到着、中心に石碑(鷹留城死没者慰霊碑)と城名標柱、案内板、西側に石段が付いてる後世の構造物かも、降りて1郭西側へ、広い帯曲輪、西側が本来の虎口なのでしょう、1郭の隣の2郭へ、1郭・2郭間も広い堀切、2郭も石段が付いて居り、曲輪内に個人の立派な墓石が有る、結構広い曲輪、2郭の東側に大きい竪堀。(郭の名称は余湖図コレクションさん俯瞰図に依る)

 歴史と構造:明応年間(1492年~1500年)長野業尚築城、永禄9年(1566年)9月武田信玄勢のために落城(城主業通)長野氏4代70余年の居城。
 規模は並郭式であり、南北430m、東西300m、本丸高さ、東谷より70m。
 (以上1郭案内板に由る)

 3郭は昨年の失敗ながら大手門跡より竪堀と共に眺めて居るので今回パス、搦手側の土橋は1郭下から人踏道らしきものが無いので踏み込みませんでした。
 土の城で南北に連郭式、広い廓、郭間に広い堀切が有り、周囲には帯曲輪を備え、西方面には多段の曲輪が構えて、東方面の敵への構えの城、素晴らしく遺構も残り中世山城を探訪するのにピッタリの山城で皆さんにも是非とも探訪をお勧めします。
 長野氏は鷹留城から東の箕輪城に拠点を移したようです。(城郭放浪記さんによる)

 今回前回探訪の情報源は城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップに依ります。(グーグルマップを拡大すると鷹留城史跡マークが出ています)

※ イオさんへ
 白山平泉寺城のコメントありがとうございます。白山神社城郭と平泉寺城郭が先の投稿で結びつき早速の探訪と成りました、私も白山平泉寺城郭探訪はここ数年来内記憶に起こる探訪でした、数拾年の疑問が解決したのは大変大きな事柄でした。
 今後ともよろしくお願いします、投稿を楽しみにしています。
 

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カズサン

登城路間違い主郭に辿り着けず (2021/10/10 訪問)

 箕輪城を終えて搦手駐車場売店の方に鷹留城へのルートを聞き、前もって描いていたルートとであり駐車場から北へアスファルト舗装の広域営農団地農道/フルーツラインを通って約12km、途中8km程の所に売店の方推薦の十文字うどん店有り、時間も早いのでパス、そこから約4km程に鷹留城指示板が有る、2台駐車可能(36°22'08"N 138°53'27")。(手前に約100m程の所に2、3台可能な登り取り付け道が有る)

 車を駐めた所から道なりに登って行くと眼前に曲輪らしき城塁が見える、上に登る道と右の周遊道?が有り、古城盛衰記さんの右を信じて進行、ここが間違いの元、戻って確認すると古城盛衰記さんの駐車場と登城ルートが手前100m駐車場と成っていた。
 しかしそのまま歩き句碑が多く在り、上部には曲輪の城塁が確認出来、竪堀も有り、大手門跡に出る、大手門横の竪堀が素晴らしい、そのまま進み稲荷神社に着くが相当降りてるので間違いに気づくが、また戻るのもシダの茂りも有り里の降り、戻る道を里の方に確認して大回りにフルーツラインに戻る道を選択する。
 トボトボ歩いていると先程の方が軽トラで通られ仕事が済んだから帰る所と言って元の車を駐めた所まで送って貰いました、大感謝ですお礼を言って見送りました。

 また箕輪城の木橋完成した後に木橋の見学と鷹留城の再チャレンジをしたいと思ってます、ルートも駐車場も分かったので今度は攻めやすい。

 

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赤い城

曲輪が深い堀切で分断されている (2021/01/30 訪問)

フルーツライン沿いに城址の入口があり、看板も立っています。
近くの道路脇の広くなった所に駐車しました。
登城口から左に進むと搦手、綺麗な土橋が残っていました。
箕輪城の支城で、連郭式縄張になっていてそれぞれの郭の間は深い堀切で分断されていました。
大手の虎口には石積、二郭、三郭の下には竪堀も残っています。
なかなか見応えのある城だと思います。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 長野業尚
築城年 明応年間(1492〜1501)
主な城主 長野氏
遺構 曲輪、堀切、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡
住所 群馬県高崎市下室田町字城山