ふじおかじょう

藤岡城

群馬県藤岡市

別名 : 芦田城
旧国名 : 上野

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todo94

元日の攻城⑩ (2024/01/01 訪問)

本当は青山城を元日攻城のトリにして金さな神社に初詣に行くつもりでした。ところが神社の数km手前で渋滞となり全く動かなくなってしまって断念。近くの藤岡城に立ち寄った次第です。藤岡第一小学校の周りに遊歩道が整備されていてぐるりと一周することができます。学校の北側に残っている土塁の上も遊歩道になっていました。この後、高崎の実家近くの八幡宮へ初詣に行ったところで地震発生。神社の釣鐘が大きく揺れました。

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イタさん

跡地はほぼ小学校に (2023/01/12 訪問)

 天正18年(1590)に依田康勝によって築城されたと伝わる。康勝は依田信蕃(のぶしげ)の二男で、兄の討ち死に後に家督を継いだとも。依田家は武田の家臣だったが、徳川家に仕えるようになり、この地に所領をもらい築城したが、10年後改易され廃城になったと伝わる。
 城は方形単郭だったようで、跡は小学校になり北側の土塁のみ一部が遺っている。土塁の西隅に城跡地を寄贈した「井元たい女史」の顕彰碑が建っている。小学校の東にやや高い場所に建つ英霊殿があり、北側に遺る土塁の延長上になる。
 駐車させてもらった市民ホールには、和算家の関孝和は藤岡生まれと言われ・・云々とあり、関孝和像が設置されている。

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新ろくべえ

藤岡城に行ってきました 城レベル→3 (2023/01/06 訪問)

 高い土塁が残る城・藤岡城(芦田城)に行ってきました。
この城は、秀吉の小田原征伐後の1591年に築城されました。
築城したのは、元武田家家臣である依田信蕃の次男・依田康勝です。
依田康勝は德川家に仕え,家督を継いだ兄・康国と共に活動していましたが、
康国は小田原攻めの際、上野石倉城攻めで戦死してしまい、康勝が跡を継ぎ、
康国の遺領の小諸領春日城をつぎ、家康が関東に移ったことにより、
藤岡に三万石をもらい藤岡城を築きました。
しかし、1600年1月に、大阪の旅宿で同僚の小栗三助と囲碁をしていたとき、
小栗が囲碁に負け、小栗が康勝を罵ったことにより喧嘩口論になり、小栗を斬り殺してしまいます。
そのため、反省し大阪を出奔し、高野山に謹慎し、藤岡を改易されました。
その後、藤岡城は廃城となりました。


【城情報】
・形式       ❙平城
・築城年      ❙1591年
・廃城年      ❙1600年
・築城者      ❙依田康勝
・最後の城主    ❙依田康勝
・廃城理由     ❙康勝が改易されたため
・主な城主     ❙依田康勝
・遺構       ❙ 土塁
・主な建築物    ❙なし
・説明看板、石碑  ❙土塁下に芦田城と書かれたところあり
・駐車場、トイレ  ❙なし
・天守       ❙なし
・保存状態(自身判断)❙高い土塁が残り、城のイメージがつきやすい
・城レベル     ❙3(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考       ❙・藤岡第一小のちかくにある、
          ❙・昔は、土塁の下に堀があったらしい(今はない)
          ❙・駐車場がないため注意

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じゅんじん

小学校 (2018/07/08 訪問)

なかなかの高さの土塁がのこっていました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 依田康勝
築城年 天正18年(1590)
主な城主 依田(芦田)氏
遺構 曲輪、土塁
再建造物 石碑、説明板
住所 群馬県藤岡市藤岡城屋敷1848