おくだいらじょう

奥平城

群馬県高崎市


旧国名 : 上野

投稿する
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

チェブ

奥平 信昌さんのモミアゲ。 (2023/10/30 訪問)

奥平氏と言ったら「長篠城」を思い出し、鳥居 強右衛門さんの勇気ある行動や、長篠の戦いの鉄砲戦術、と言う具合に頭に浮かんできます。

「奥平城」は鎌倉時代頃に甘楽郡司になった赤松氏が奥平氏を名乗り築城されたようです。
8代目が、三河の作手に移り歴史を動かしました。
家康さんが関東に入ると、奥平氏も甘楽郡に戻りました。

「奥平城」は里山を想わせる畑の所にポツンと説明板がありました。
駐車場はありません。路駐して登城口へ行き、またもやパチリ。少し登ると畑があります。
路駐と私有地?との心配で退陣しました。
近くの『奥平氏発祥の地』を目指しました。
写真⑤、集落に入る道端に石碑があります。Googleで指した所は民家の奥でした。
奥平氏のルーツ探しにしては、諦めの早い退陣です。

2023年大河ドラマ『どうする家康』での奥平 信昌さん、格好良かったですね。
ドラマの本編とは別に、あの『モミアゲ』が肖像画と同じで、違う意味で感激しました。

里山風景の中に、あのモミアゲを思い出した「奥平城」攻めでした。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

奥平氏の苗字の地なのだ (2021/10/16 訪問)

豊前中津10万石の奥平氏の苗字の地。同じ上州出身ということになっている徳川氏にとってはそういう意味でも家康の実娘を送り込むには相応しい家柄だったのかもとか余計なことを考えるが、城自体は拍子抜けするくらい遺構が薄い。

+ 続きを読む

モト

雰囲気が漂う城跡でした (2021/12/31 訪問)

土塁、曲輪が残っています。
城跡は畑などになってはっきりわかるのは土塁、曲輪でした。
屋敷跡なども竹藪になっていて遺構はここがそうなのかなという感じでした。
しかし、城跡を示す碑がある場所付近や入口から登城すると土塁がそうなのか不思議と城跡の雰囲気をプンプン漂わせておりました。
すごい遺構だぁということではないのですが強く城跡を感じる事ができる城跡でした。
少しでも遺構を残していただき感謝です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

奥平氏故郷の城 (2021/10/10 訪問)

 北新波砦を終えて南方面の山名城を目指したのですがナビ登録の駐車場に辿り着けず断念、次の目的地奥平城の登城口を目指して進行、今度は奥平城標柱の有る登城口(36°16'32"N 138°57'50"E)に到着、駐車場は無く少し広めの川手前に路駐。

 奥平城標柱から登りそのまま2曲輪と本曲輪の堀道、本曲輪は崖の上で現在は畑、奥に2の曲輪、草が茂りその奥は竹が茂ってる、3の曲輪は崖下道で削られ分断、現在畑に成ってる、連郭式の造りで南東に突き出た台地上に造られ北、南が川で削られてる、両河川は3の曲輪先端で合流、川、台地、崖を活用した城郭でこじんまりして居ます。

 奥平氏は在城200年の奥平城を引き揚げ8代貞俊愛知県新城市作手盆地に先ず川尻城を築き亀山城始め城砦を造り長篠合戦では長篠城を死守し有名です、後中津城10万石で明治を迎える、浜松から近くで在り作手の奥平氏の故郷との事で登城しました。
 ガイド案内と情報は古城盛衰記さん余湖図コレクションさんに由ります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 奥平氏
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な城主 奥平氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、屋敷跡
指定文化財 市史跡(奥平城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 群馬県高崎市吉井町下奥平
問い合わせ先 高崎市文化財保護課
問い合わせ先電話番号 027-321-1292