説明板には、岡部藩は天正18年家康の関東入国後、家臣の阿部信勝が榛沢郡岡部などを拝領した5,250石を基に発展した。嫡男・信盛は上杉討伐や大坂の陣で功を挙げ、大番役などの役職を務めた。江戸幕府初期の寛永13年(1636)、三河国内に4,000石加増、慶安4年(1649)に摂津国内に10,000石を加増され大名になる。その後20,250石となった岡部藩は、岡部を本拠地にしながら摂津・三河の領地を分割統治し、移封・転封もなく幕末まで続く・・・。
高橋秋帆幽囚の地との案内もある。蘭学者で高島流砲術の創始者。天保13年(1842)に中傷により獄に投ぜられ、弘化3年(1846)から嘉永6年(1853)まで岡部藩の預かりとなった。碑がある場所辺りに幽囚されていた・・・。と説明板に載る。
周囲は民家・畑地になり陣屋を想像させる遺構が見当たらない。
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