本丸が高い土塁と水掘りに囲まれているままの姿が残ってます。
水堀から高い土塁を臨む景色は城跡だとわかる雰囲気です。
二代将軍秀忠が築かせてから戊辰戦争までの250年で16代の城主が変わったとの事、裏を返すとそれだけ続いた歴史ある城という事ですよね。
すごい。
本丸は季節の花を楽しめます。
桜、つつじ、藤など。
訪れる時期によっては加えて楽しめる事柄もあるのでは。
駐車場があり、車は容易に停めることができます。
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2021/12/21 07:37
高い土塁と堀に囲まれた本丸 (2021/05/06 訪問)
本丸が高い土塁と水掘りに囲まれているままの姿が残ってます。
水堀から高い土塁を臨む景色は城跡だとわかる雰囲気です。
二代将軍秀忠が築かせてから戊辰戦争までの250年で16代の城主が変わったとの事、裏を返すとそれだけ続いた歴史ある城という事ですよね。
すごい。
本丸は季節の花を楽しめます。
桜、つつじ、藤など。
訪れる時期によっては加えて楽しめる事柄もあるのでは。
駐車場があり、車は容易に停めることができます。
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2021/12/21 07:36
西播磨の山城群 (2021/12/18 訪問)
白旗城、上月城を見学した足で、登城できないとは知りつつも利神城に寄りました。遠望から非常に萌える山城で、最近は毎週火曜日にガイドさん付で登城できるようになっているので、是非登城⇒レポートしたいと思います。現在は冬場でツアーが中断されており、聞くと3月から再開されるとのことでした。平福の城下町は風情があり、またお洒落なお店もたくさんあり、見どころ満点でした。
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2021/12/21 07:25
西播磨の山城群 (2021/12/18 訪問)
尼子氏が滅んだ城として有名な上月城は以前から一度は登城したいと思っていた城でした。山頂の本丸までは徒歩で15分ほどと非常に短く、激戦があったお城の割には非常に小規模な縄張りに驚きました。本丸からはかつて美作、備前、播磨という三国のちょうど中間位置近くにあり、交通の要衝地であることがわかる眺望でした。またこのお城は織田、毛利という強大な勢力のはざまで戦乱の渦に巻き込まれた城で、秀吉の攻略により惨殺された赤松氏一族の秘話や、上月城の戦いの舞台になった城としても有名です。上月城の戦いでは尼子勝久は毛利氏に降服し自害し、また山中鹿介も捕らえられ殺害されたと本で読みました。現在は土塁と石垣址、空堀、堀切などの遺構が残るほか、本丸に赤松氏の墓所、麓には尼子氏の供養塔が残されています。
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2021/12/21 06:36
主郭未踏 (2021/11/13 訪問)
神社からの新道や秀吉コースではなく車道を行けるところまで行って攻めて参りました。相変わらずのリサーチ不足で出丸である大山構のみの攻城になってしまいました。再訪の際には主郭にも脚を伸ばし、土塀跡や畝城竪堀なども確認したいと思います。折角、太子町まで足を伸ばしたので、久しぶりに斑鳩寺の重文・三重塔をチェックしてきました。
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2021/12/20 22:39
怯えてしまった城址 (2021/12/19 訪問)
わざわざここまで来たのに・・・心霊スポットと聞いていたので入口まで行き中に入らず。家に帰って来たら何故入口で辞めてしまったのか後悔して止みません。
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2021/12/20 22:30
湯築城の背後を守る城 (2021/01/06 訪問)
穴だらけの山城、横山城。河野氏の居城、湯月城の背後を守っていたとされている。
大きく分類すると、本丸、馬乗り駄馬、出丸に分かれる。
レインボーハイランドに車を停めて15分くらいで、主郭に達する。
歩き始めて、すぐ堀切があり、竪堀を流してある。それが連続して数カ所ある。
主郭には太鼓岩と呼ばれる大きな岩があり、そこにある柱穴から推測して、物見があったと思われる。
水対策として、雨水を溜めていたのだろう大きめの穴もある。
周辺の廓にも、岩を削って開けたと思われる柱穴が多く見られる。今治市の能島城に似ている。
整備されてはいるが、トレッキングシューズで散策する事を勧める。
水分はレインボーハイランドで買っておくのが良いだろう。
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2021/12/20 22:29
墓地になった陣屋 (2021/12/18 訪問)
残念ながら遺構らしい所が見つかりませんでした。
大洗港で美味しい山かけ丼を食しました。
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2021/12/20 21:58
【備中足守陣屋】岡山県岡山市 木下家陣屋 (2011/07/15 訪問)
平成23年7月中旬夏の暑い盛りでしたが吉備路を1泊2日で城跡、寺社を廻りました。
足守陣屋は秀吉の妻、北政所ねねの兄、杉原家定/木下家定からつながる足守藩2万5千石で明治まで継承されてる。
車は足守観光駐車場を利用、足守川を葵橋で渡り約200m程程の観光駐車場、トイレ完備。
住所は岡山県岡山市北区足守
観光駐車場から西の足守小学校方向へ約200m程で陣屋跡、途中に旧足守藩侍屋敷(家老杉原家旧宅)を見学し陣屋跡、水堀、木下利玄生家、足守藩庭園近水園、吟風閣と廻り、城下町の家並を廻る落ち着いていい町屋が並んでます、暑さの中、観光駐車場の休み処の氷がホッとした心地よさ。
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2021/12/20 20:38
パシフィコ横浜までの寄り道① (2021/12/17 訪問)
前夜祭まで,約3時間。東急電鉄反町駅からパシフィコ横浜の北側を攻めにかかりました。
まずは,青木城。青木小学校を確認すれば,そこからほぼ延長線上に位置します。
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2021/12/20 18:56
2021/12/20 18:42
2021/12/20 17:05
徳川の付城 (2021/12/11 訪問)
高天神城から、この城の付城として築かれた横須賀城に回りました。
公共交通機関を使うと、一度高天神城から掛川駅まで戻り、東海道線で二駅先の袋井駅で下車。
袋井駅前から出ている横須賀車庫行きの秋葉バス(静鉄バスの車両を使っていましたが)に乗り約20分の七軒町バス停で下車すると、左手に外掘跡が広がっており、少し進むと東大手門跡の石垣と盛上土(土塁?)が見えてきます。
城跡は公園となっており、二の丸、西の丸と本丸といったこの城郭の主要部分が残されております(その他の部分は宅地や畑になっており、あまり残されておりません)。
この城の最大の見所の丸石垣は西の丸と本丸に築かれています。
この石垣は、ここからほど近い駿河との境にある天竜川の河原から持ってきた丸石で築かれたものであり、他に例を見ないだけに大きな見所。見応え十分です。
高天神城の付城として築かれたということですが、僕の目では本丸から高天神城を確認することはできず(本丸の比高もそれほど高いものではありませんでした)、その点は少し残念でしたが、高天神城攻略の本拠地という性格は、水路などを使った物資の集積のしやすさ、周辺からのアクセスの良さ及び高天神城からの距離を考えると、この場所が敵地であることが良くわかります。
この地域の中心である掛川城も近く、緊密に築かれた遠江の徳川氏の城郭群が、武田氏に対抗している様子が良く分かる訪問でした。
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2021/12/20 16:45
お城検定2!このURLからやってみてください。https://kentei.cc/k/1575426
今回は満点合格にしました。お城を100箇所以上行っていればできるはずです。
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2021/12/20 14:10
2021/12/20 13:21
#15 渭山城 (2021/12/18 訪問)
石垣の石の質感がちょっと独特なものがある。ポケモンの人々が多数おられました。
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2021/12/20 12:37
赤松氏3大山城(続々100名城) (2021/12/18 訪問)
赤松氏3大山城の最後の城である白旗城跡に登城してきました。当日は午前中が大雪で登城を諦めるか迷いましたが、山城への情熱に負け、意を決して登城してきました。遺構は標高440mの急峻な白旗山上にあり、東西約560m、南北約400mにわたって残っています。急峻な大手道?を登る途中破却された石垣址が鮮明に残っており、見どころ満点でテンションが上がりました。尾根筋に入ってまず櫛橋丸が出現。眺望が素晴らしく、街道や、登城してくる人が監視できるように作られているのが分かります。更に尾根伝いに進むと広い二の丸、その奥に本丸があり、その奥に三の丸などの主要な遺構が見られました。城跡の各所に堀切や石積、土塁などの防御施設が残り、戦乱に耐られる強固作りであることがわかります。さすが「落ちない城」で有名なことだけあるなと感じました。帰りに赤松公民館で「落ちない城絵馬」を購入。価格は白旗城パンフレット、鉛筆3本、絵馬でなんと500円。記念にぜひ購入を。
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2021/12/20 09:43
名城だった👍 (2021/12/11 訪問)
初めての名古屋城🏯名城と言われている意味を自ら感じられました✨👀✨
名古屋城本丸御殿の見学は楽しかった🎵
城内の無料ガイドはお願いすべし⤴️
今は天守には上がれないのが残念❗️
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2021/12/20 08:56
旧本城を中心に再訪 (2021/12/12 訪問)
毛利元就が国人領主だった頃の旧本城を目指す。
三万の尼子氏の軍勢を迎え撃った舞台(?)とも言われているが、行ってみると確かに毛利軍二千が立てこもるには狭い感じだ。郡山合戦で尼子軍が陣を敷いた青山、光井山は本丸から目と鼻の先に見える。
旧本城と本城を比べれば毛利家の躍進が一目瞭然だ。
なお、旧本城方面の案内は明確だが、最後の本丸切岸を登る箇所は不明瞭でこんなとこを登る!という岩肌だ。
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2021/12/20 08:50
天守再建60周年 (2018/10/03 訪問)
紀州攻めの後、羽柴秀吉の命により羽柴秀長が藤堂高虎を普請奉行として築いた城で、桑山氏が城代(後に城主)を務めましたが、関ケ原の戦いの功により浅野幸長が城主となりました。浅野氏の広島藩転封の後は徳川頼宣が入城し、御三家・紀州徳川家の居城として明治まで続きました。廃城令により建物の多くが撤去(移築)される中、遺された国宝指定の天守群も和歌山大空襲で焼失しましたが、戦後、市民の強い要望によりRC外観復元で再建され、現在も虎伏山の上に聳え立っています。
虎伏山に本丸や天守曲輪、山麓に二の丸をはじめとする各曲輪を配した平山城で、豊臣期には大坂を守るための城として南東側(現在の岡口門あたり)が大手とされましたが、浅野期になると、逆に大坂への抑えとして北東部に蔵の丸、下の丸を設け、北東隅の市之橋門を大手としました。豊臣滅亡後の徳川期には、御三家の居城に相応しく大規模に拡張されて西の丸、砂の丸、南の丸が設けられ、「南海の鎮」と呼ばれる巨城となりました。
和歌山城は小学生の頃にプラモデルを作ったり遠足で訪れたり、子供が小さい頃には城内の動物園に連れてきたり、40年以上にわたって馴染みの深い城で、100名城のスタンプラリーも和歌山城から始めていますし、仕事ついでのちょい寄りで(続)100名城の中で最も多く訪れている城なんですが、あまりに身近すぎて、これまでちゃんと投稿したことがなかったな…ということで、過去の登城から何度かに分けて投稿させていただきます。
3年ほど前になりますが、再建60周年を記念して天守が無料開放されていましたので、仕事ついでに登城しました。東内堀越しに天守を仰ぎつつ現存の岡口門から入ると、岡口門内側の石垣には多聞櫓に上る合坂が設けられています。岡口門から東内堀沿いに巽櫓まで続く土塀は漆喰が剥がれ落ちて無惨な有り様です。貴重な現存土塀なんですが…。
表坂を上って天守曲輪へ。和歌山城の天守群は三重三階の大天守に玄関のある小天守が連結し、天守二の門、二の門櫓、乾櫓、台所を多聞櫓で結んだ連立式で、台所には岩盤をくり抜いた埋門が設けられ、水の手曲輪に通じています(通常非公開)。天守はさほど大きくはありませんが、眼下に天守曲輪、遥かに紀の川河口を見渡すことができます。また、天守内には紀州徳川家ゆかりの品などが多数展示されています。
この日は天守再建60周年の横断幕やのぼり旗をあちこちで見掛けましたが、戦災で焼失はしたものの、図面や様々な方向からの写真が数多く残っていたため、往時とほとんど違わない姿で再建された天守群を今も虎伏山に仰ぐことができるのは嬉しいことですね。徳川御三家のお城はやはり県民の誇りです。
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2021/12/20 07:37
お城EXPO 2021 (2021/12/19 訪問)
行ってきました! お城EXPO 2021。
今年は三浦と多古の、これまで私には馴染みのなかった時代を学習し、
セーシェル共和国?
アンティグア・バーブーダ?
何故か国旗のお勉強。
プランAが叶わなかった心残りはあるものの、プランBで充実!充実!
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