過去のお城巡りの振り返り、第13段は岐阜県岐阜市の岐阜城。
長良川が山間部から濃尾平野に出る境い目。その比高約300mの金華山を要害とした城。
交通面では長良川の水運に加えて東山道(中山道)の通り道。
元々の城名は稲葉山城で、主な城主は守護代斎藤道三。
1567年に織田信長が美濃攻略と共に岐阜城へと改名し、その後は信長の子や池田氏が城主を務め、最後は信長の孫秀信の時に関ヶ原の前哨戦で落城となりました。
現在は岐阜公園として主に山麓部と山上部が整備され、2011年に金華山一帯が国の指定史跡となり随時発掘調査を展開中。
訪問時はまずロープウェイで山上部へ。
岐阜城が岩山の要害だったことを初めて知り、また尾根上の曲輪は狭く、道三や信長の軍を収容できたのだろうかと思いつつ歩きました。
戦国期は中腹や麓も戦いの城として計算されたつくりだったのかな?
最後は麓の谷間を利用した信長居館跡へ。
当時も発掘調査が行われていましたが、今はその範囲が大幅に広がったでしょうか?
滞在時間約3時間の岐阜城訪問でした。
+ 続きを読む