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諏訪大社上社前宮方面より (2022/03/19 訪問)

 諏訪大社上社前宮方面より登城しました。道は整備されていて登り始めれば5分くらいで城域に入ります。2郭と3郭の間の堀切の所にでます。主郭から4郭まで一部堀切を挟んで段々に配置されています。
主郭から貯水塔のある谷を挟んで長林砦があり堀切を見ることができます。

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諏訪氏の城 (2022/03/19 訪問)

 諏訪氏の居城で、武田晴信の信濃攻略の拠点となった城でもあります。山の上まで細い道ですが車で行くことができ駐車スペースもあります。その場所から城域といっていいと思います。すぐに堀切や竪堀などを観ることができます。東側に畝状竪堀がありますが、道を整備するため壊されていると思われるところもあり、また浅くなっています。板垣平へ下りて行く方には曲輪が展開しています。理昌院平方面には比較的広い曲輪が展開していました。

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旗本徳山陣屋公園 (2022/03/18 訪問)

旗本徳山氏の陣で「旗本徳山陣屋公園」として整備されています。名鉄「新那珂駅」より徒歩20分くらいでしょうか。

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POYO58

行きたかった明智光秀の城② (2022/03/20 訪問)

なんと立派な明智光秀の石垣。黒井城は明智光秀を凌いだ丹波の赤鬼とも呼ばれた荻野直正(赤井直正)が当時城主でした。
明智光秀は丹波攻めをするため、丹波亀山城を拠点にして黒井城攻めを開始。しかし、直正の強さと波多野秀治の裏切りによって、光秀ははじめて戦に大敗します。その後、光秀は石山本願寺や有岡城攻めを務め、疲れが取れなかったのか病にかかります。その時妻の煕子が看病しました。その後、光秀から病がうつったのか煕子が病にかかり、病死してしまいます。光秀は15日ほど涙を流したそうです。かわいそう。しかし、泣いている暇はなく丹波攻めを再び開始します。光秀はまず波多野秀治の城、八上城を攻め波多野と和睦します。その後秀治と共に黒井城を攻め、落城させました。その後、証に福知山城を築きました。また黒井城をこれからも引き続き守るため、頂上に石垣を作り、鉄壁の城に変えました。

評価(1〜5)
遺構:5
建物の美:-
行きやすさ:1

攻城時間
だいたい往復60分 休憩所まで20分くらい、結構きついです。その後本丸まで10分くらいです。今年の2月に熊の事件が起きてますので、熊には十分気をつけてください。特に朝。雲海を見に来る人がいると思いますが、朝は熊が出やすいので注意してください。

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POYO58

行きたかった明智光秀の城① (2022/03/20 訪問)

やっと行きました、福知山城。意外と復元天守が大きくて興奮してしまいました。
明智光秀は丹波攻めで丹波亀山城を本拠地にして黒井城を攻めました。しかし、黒井城主、荻野直正が光秀を苦しめました。さらに、八上城主の家臣、波多野秀治が裏切り挟み撃ちをされ、光秀は撤退せざるを得ませんでした。その後、秀治の居城、八上城を攻めた後、波多野氏と講和し、黒井城を再び攻め、落城させました。その後、丹波平定をした証に福知山城を建てたそうです。
石垣には墓石が用いられています。しかもそれが逆さまに置いてあります。この理由はただ単に石垣の石が足りなかったわけではなく、墓石は縁起が悪いものですが、それを逆さまに置くことによって意味を逆転させ、平和という意味で石垣に使ったそうです。
それを根拠づけるのが由良川にある明智藪です。これは福知山の城下町で問題になっていた由良川の洪水を防ぐために、堤防を作ったということです。明智光秀の優しい思いが表現されている重要な城です。

評価(1〜5)
遺構:3
建物の美:4
行きやすさ:5

攻城時間
天守だけだったら40分、光秀ミュージアムも行くなら70分くらい

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カズサン

いもり堀・鯉喉櫓台復元される (2010/04/30 訪問)

 平成22年4月24日河北門一般公開されて6日目5月の連休の初めに金沢城登城し河北門といもり堀、鯉喉櫓台も復元され、金沢城の復元整備が着々と進んで居ました。
 二の丸の北、内堀を挟んだ三の丸の北側の整備が進み綺麗に北下新丸の間の堀も整備され綺麗に成って居ました、また三の丸北側の二階多聞櫓90間長屋跡に一部ナマコ塀が復元されて整備が進んでる様子。
 平成22年後は橋爪櫓門、玉泉院丸庭園、鼠多門櫓と復元が進み、現在二の丸御殿跡の発掘調査が進み、二の丸御殿の復元計画が有る様です。期待されます私が生きてるうちに見る事が出来るか?厳しい状況かな?
 

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宗春

白河小峰城 (2022/03/20 訪問)

御城印と城カードを頂きに行ってきました。
青春18きっぷを使いたかったため新幹線や特急に乗れず、千葉県から片道5時間かかりました。(現地滞在時間は2時間程度)
2回目の訪問ですが、前回訪問時にまだ無かった御城印と城カードを頂いて来ました。

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カズサン

河北門復元なる❣ (2010/04/30 訪問)

 金沢城の河北門が平成22年4月24日に復元一般公開と成り浜松から高速を飛ばして5月の連休の初めに出掛けました。
 車は周辺の有料駐車場を利用。

 探訪ルート:いもり堀、玉泉院丸(発掘調査が終り公園化前工事中)、二の丸西下旧第六旅団司令部跡、黒門、大手堀、大手門跡、新丸、目的の復元された河北門へ、公開真近でしょうか大勢の人で河北門櫓への見学は順番待ち、真新しい河北門を見学撮影。浜松から飛ばしてきた甲斐が有りました。連休で天気も良く探訪日和暑いくらい満足の金沢城でした。

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T-Shionoya

西の守りの丸子城 (2022/02/12 訪問)

先月は、土の遺構が素晴らしいという静岡市の丸子城へ。

丸子城は比高約110mの三角山[ミカドヤマ]を城郭とした城。
藁科川(安倍川)河口の西岸、東海道宇津ノ谷峠の出入口にあたる丸子の小さな平地の西奥に位置しています。

駿府防衛の西側関門として重視され、今川家臣の斎藤氏が統治。
元々の城郭は大手口から北曲輪のエリアだったとか。
今川の衰退により武田軍が駿河へ進出すると、武田四天王の山県昌景が在城。
武田の滅亡後は徳川方の城となりますが、家康の関東移封で廃城に。
本曲輪や西側の防御施設は武田・徳川の時代に改修されたと考えられています。

現在は駿府の工房匠宿(泉ヶ谷)から大手口、北曲輪、本曲輪、誓願寺(大鈩)のルートがハイキングコースとなっており、実際に歩くと想像以上に急峻な山。
大手の深く巨大な三日月堀と、斜面が比較的緩やかな西側に築かれた長~い横堀や堡塁などの施設群は必見で、それらはまるで芸術的な彫刻作品。

大鈩曲輪には近付くことができませんでしたが、滞在時間は約3時間。
人気の高さを納得させられた、私の城巡りの118城目でした。

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ぴーかる

土山城 (2022/03/05 訪問)

【土山城】
<駐車場他>あいの丘文化公園駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁・堀切・横堀・虎口
<感想>「第13回 日本100名城、続日本100名城に負けない名城」の土山城に行ってきました。登城口の民家脇から森に入った所から既に城跡になっているので、山を登る苦労はありません。城跡は南北に連なる連郭式の曲輪を軸として主郭のすぐ北に2重堀切、主郭は深い堀で取り巻いています。主郭のすぐ南の曲輪Ⅱは堀で囲んだ馬出し、城跡の入口の曲輪Ⅴは枡形の虎口も堀で囲まれており特徴的です。秀吉によって改変されているかもしれないとはいえ、主郭の高土塁と高切岸や山の塁線に添った竪堀等甲賀地方の特徴ある遺構はそのまま残っています。縄張り図には無いですが、主郭から2重堀切の北側の茶畑辺りまでが城跡で広い曲輪、横堀、池の傍には馬洗い場のような窪地があります。見落としなく巡って下さい。

<満足度>◆◆◆

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ふゆづき

武蔵西部の詰城 (2022/03/19 訪問)

35年ぶりに八王子城に行ってみました。
週末だけ運行される高尾駅北口(高尾駅には南口から北口に行く自由通路は無いのでご注意)発の八王子城跡行きのバスにのり、10分少々。
八王子城のガイダンス施設があり、城の概要がわかります。
本丸へは、登山になるので、先ず御主殿方面を前に散策します。
この城は、居住区と戦闘区が分かれており、御主殿に向けた道には、滝山城のような復元された木製の曳橋と石垣で固められた虎口があり、関東における戦国時代末期に整備されたことを思い起こさせます。これは必見でしょう。
本丸へは、ハイキング感覚で向かいますが、途中で金子丸、柵門等の城内を感じさせる跡がありますが、馬出等の跡は確認できず、あまり城という感じは残っていません。
本丸近くにある八王子神社は、「八王子」の由来となった神社であるようです。
この八王子神社のある一角や隣接する松木曲輪は比較的広いですが、本丸は狭く、ここで長時間抵抗することはできないと思わされるものです。
ガイダンス施設でもらえるパンフレットには、本丸まで40分程度と記載してありますが、運動不足の身には、ほぼそれくらいかかるようです。
詰城や富士見台方面への進出は断念しました。
どうしても、滝山城と比較したくなりますが、城の設計やその場所などからみても、やはり西武蔵の統治は滝山城が中心であり、この八王子城はまさに戦うための城(詰城)だったのではないかとの思いが強くなりました。
なお、御城印はガイダンス施設では無く、八王子城を訪問したという証拠(写真やスタンプ)を持って、八王子駅にある博物館で購入するようです。ご注意ください。

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ミカン

五稜郭

五稜郭タワーから見ると、当たり前だけど全貌が良くわかる。

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todo94

県内の城めぐり2022③ (2022/02/27 訪問)

瑞応寺の先から城域に当たるようで御射山神社のあたりは出丸になります。山林の中に堀切遺構があるようですが、工事の作業中でしたので、入山は遠慮させて頂きました。

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にのまる

36見附めぐり㊱~大手門~

東と南の二面がお堀に面した外枡形で、内堀通りから捉えた高麗門と櫓門が威厳に満ちてかっこいいです。
東御苑散策のメインゲートで、枡形を抜けたところは三の丸。現在建て替え工事中の三の丸尚蔵館は来年秋に開館予定とのことですが、昨年、江戸時代初期のものと考えられる石垣発見というビッグニュースがありました。三の丸の堀はかなり埋められていますが、地面の下にまだ知られていない遺構があるかもしれない、長い石垣がそのまま残っているかもしれないと想像すると、見ることが叶わなくてもワクワクしてきます。
もう一つ毎度気になるのが郵便ポスト。なぜここに?いつからあるの?消印は?と気になりつつも確かめたことはないので、今度お手紙投函してみようかな?(自分宛てに⁉︎)

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ダイエティシャン

高越山城跡(北条早雲生誕地)7~番外編 (2022/02/25 訪問)

長々とご覧頂き、ありがとうございます。最後の巻きです。

帰りは、予定より4時間30分早い列車に。運良く、スタートレインに乗ることが出来ました、
経由駅の【清音駅】【新見駅】周辺にも、城跡があるそうなので、また、機会があれば。

因みに、井原市は、【デニムの聖地 井原】として有名。江戸時代中期から、綿栽培が盛んとなり、会い染め物が普及。

何年ぶりの列車旅でした。北条早雲のおかげで、【井原鉄道】にも、乗ることが出来ました。
JR西日本の大幅減便で、いつまで列車で城攻めが出来るか?時の流れとは言え、寂しいです。

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ダイエティシャン

高越山城跡(北条早雲生誕地)6~2、3郭、車道 (2022/02/25 訪問)

車道、駐車場もあるようです。退陣は、車道を通ったので、遠周りになりました。
退陣後、宝蔵院(北条早雲が修行した場所)の撮影をしました

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ダイエティシャン

高越山城跡(北条早雲生誕地)5~井戸跡、2、3郭 (2022/02/25 訪問)

井戸跡発見。登城路もいくつもあるようです。

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ダイエティシャン

高越山城跡(北条早雲生誕地)4️⃣~主郭 (2022/02/25 訪問)

【早雲の里荏原】駅~徒歩約1時間で主郭に到着。主郭からの眺めは良いです。

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ダイエティシャン

高越山城跡(北条早雲生誕地)3️⃣ (2022/02/25 訪問)

上へ上へと進軍。途中、車道と合流。徒歩だと、かなりの近道です。

きちんと整備されて、厠もあります

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ダイエティシャン

高越城跡(北条早雲生誕地)2️⃣ (2022/02/25 訪問)

駅名に、【早雲の里】え原と、命名されています。
駅近くの公園には、北条早雲公の像
北条早雲生誕地を知ったのは、以前の、小田原城攻めです。

【早雲お手頃コース】を、道標に従い徒歩で進軍。
だんだん、山城らしい登城路に

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