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TMN97

忍城址 (2020/08/31 訪問)

忍城址

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カズサン

奥平信昌築城の豊川断崖城 (2015/05/15 訪問)

 平成27年5月中旬新城市作手地区の古宮城、亀山城を終えて標高約500mの高原地から急な九十九道国道301号線を降り新城市街地へ新城市役所に寄り新城城の情報を求めるが特に無し、城跡の在る新城小学校へ北から校門を入り駐車場に停める、外に出ていた教員の方に了解を頂き初登城探訪。
 校門の近くの門、渡り廊下が御殿屋敷風、遺構は校庭の南側に土塁、石碑が有るのみ、南の豊川崖は樹木藪で見る事が出来ない、校庭が本丸跡、余湖図コレクションの新城城俯瞰図によると南側豊川崖を利用した崖城、コの字型に堀を切り土塁で固めていた様子が描かれてるが現在は痕跡が無い。

 歴史的には奥平信昌が設楽ヶ原、長篠合戦後天正3年(1575年)に築城、長篠城から移るが家康関東移封によって信昌も上野宮崎に移った。後年井伊谷三人衆の一人菅沼氏の流れで交代寄合旗本7000石で入封陣屋を築く以後明治に至る。

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カニカニ

順路制限の前に巡りました (2013/06/11 訪問)

近隣で車中泊をし、朝一番で登城。
雲海の季節でもないので半日いたが登城者は数人しか見かけませんでした。

大手口前の 【観音寺山城 200m】 の道しるべに誘われ見附櫓跡の石垣下を回り込んでみた。
観音寺山城への道は草木に覆われハチたちがブンブンと飛びまわっているので断念。

大手口の枡形虎口に入る前から、すでに横矢がかかる構造になっている。
北千畳から三の丸と二の丸の横を抜ける花屋敷へ向かう道は、何度も枡形で曲げられ少しずつ登っている。
その枡形も土で覆われ坂になっている場所もあるが、やはり石段になっているようだ。
四角い曲輪の花屋敷は両サイドに石塁が残っているが、向う正面にはそれらしき塁はない。
花屋敷から下へ降りる道は通行止めになっていた(残念!)
石塁には鉄砲狭間があるといわれるが、これが? って感じの凹みがあった。
櫓跡と思われる出角あるが、それほど防御性の高い曲輪とは思えない。
いま来た道を戻りかけて納得。   本丸方面からの攻撃にバッチリさらされる構造になっている。
南千畳へも何度も曲げられ、そのたびに少しずつ下っている。(本丸方面からなので当たり前か)
広く平らな曲輪の石垣には大きくはないが折れがあり横矢がかかる。
城外からの虎口も、北千畳ほどの防御性は高くない。

大手口へ戻り、あらためて二の丸から本丸を目指す。
スロープ状の坂を登った先の本丸への虎口は、櫓台が控えている。
天守台横の急階段を降りると、左右に中仕切り門跡が。
急階段も途中で狭くなっているしスロープ側虎口に比べ、こちら側は厳重。
途中から狭くし敵を登りにくくするだけなら最初から狭くすれば良いのに。
それとも櫓門か埋門的なことになっていたのか?  櫓門からなら天守台に登れそうだが…。
天守台に登ってみると、南北の千畳方向の狭くなった地点に確実に攻撃ができるのが良くわかる。
南千畳側の仕切り門が北千畳側よりも複雑なのは、南側が弱いと考えての事なのか?

登れる櫓台跡は全部登り、立てる石垣の天端には全部立ってみた。
(こんな見学者がいたために順路制限が設けられたのかも、と チョット憂いてます)
城内どこをみても石垣の面が揃っていないし、各曲輪や櫓台の高さも違う。 
死角が無いように計算しつくされた縄張りですね。
思うに、花屋敷と南北の千畳は、敵に占拠されるのは想定内の縄張りなのかも。

竹田城を十分に堪能し南千畳の虎口から下城。
【山名氏・赤松氏、両軍陣没諸霊供養塔】には、太田垣氏の末裔の方々の御名前も刻まれていた。
この地をめぐり多くの血が流され、石垣造りの鉄壁の城が出来たころには平和になるなんて皮肉ですね。

登城当時はまだ順路に制限がなく自由に廻れました。
史跡保存の観点からは仕方がないことかもしれませんが、城好きとしてはとても残念でなりません。

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昌官忠

西日本遠征・続100名城制覇 (2019/11/06 訪問)

案内図付近(35.334062、134.396716)を目指します。ここで舗装は途切れますが、さらに砂利道を進むと馬場付近に駐車場があります。駐車場から本丸までは徒歩10分位です。続100名城スタンプは二の丸作業小屋前(冬季以外)にあります。
石垣が印象的な城跡です。攻城時間は60分位でした。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/06 訪問)

最上山公園駐車場(35.010159、134.5380)に駐車して攻城。
ここは尊敬する黒田官兵衛ゆかりの城です。駐車場に行く途中、落葉の掃除にたくさんの人がいらっしゃって、駐車場も掃除をする方の車で一杯でした。登城路は複数個所に腰をおろせる休憩場所があり、100m単位に山頂までの残表示があります。見所は堀切、竪堀、堀といった所です。攻城時間は60分位でした。

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昌官忠

西日本遠征 (2019/11/06 訪問)

山崎歴史民俗資料館の駐車場(35.002892、134.5393)に駐車して攻城。
資料館は早朝でもあり、まだ開いていませんでしたが、城址内のいたるところに表御門跡や内堀跡などの碑や説明板があるので、それを巡ってみるのも面白しかもしれません。見所は移築された紙屋門、土塀だと思います。攻城時間は30分位でした。

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和太郎

佐倉城 (2020/06/14 訪問)

佐倉城。全国の花が植えられていました。
見応えありました。綺麗でした。

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和太郎

鉢形城 (2020/03/21 訪問)

4城目鉢形城。桜綺麗でした。

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和太郎

江戸城 (2020/02/01 訪問)

江戸城。改修工事行われてました。

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和太郎

箕輪城 (2020/03/21 訪問)

3城目は箕輪城。綺麗に整備されてました。

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和太郎

100名城 (2020/01/26 訪問)

水戸城に登城。
昔は水戸藩校だったのですね。

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中川藤兵衛尉

砂山城 (2020/08/30 訪問)

南北朝期に神感寺を要塞化して築かれた寺院城郭。少しずれた所に、八代龍王神感寺があります。寺院城郭らしく、削平地がずらっと並んでいます

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中川藤兵衛尉

鷲尾城 (2020/08/30 訪問)

南北朝期に興法寺を要塞化して築かれたで、現在は鷲尾山興法寺。動乱で焼失するも、後に再建されました。城の面影はありません

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赤い城

ミニチュア模擬天守は必要なのか? (2020/08/14 訪問)

時間に余裕が無かったので登城口だけ、と心に決めて訪問。ここまで来ると登りたくなる。
で、間を取って?はじかみ林道コースより登ることにしました。
少し登ると左は急な崖、とてもここを攻め登ることはできないかと。
猿馬場や虎口などを見ながら山頂へ。眺めは素敵でした。
で、皆がいらないと言うミニチュア模擬天守。
何やかんやでしっかりフォトジェニックな存在になっているような・・・。
次来ることがあれば健脚コースでしっかり遺構を観察します。

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カルビン

高取城 [埼玉県入間郡越生町大字越生1051] (2019/01/02 訪問)

高取城といえば真っ先に奈良県の100名城を挙げられると思いますが、埼玉県越生にも同じく山城の高取城があります。

この地区の山城は素晴らしい場所が多いものの、熊の多発地帯でリスクが大きく行き辛いのですが、越生にある高取城は駅からも近く、越生神社の裏手にある登山道からという比較的近い所から行ける為、熊のリスクは0では無いものの少な目の様です。

ものすごいキツイ登りって程では無かったものの、それなりに高い所まで登る事になりますので、有る程度の装備と覚悟は必要かと。

規模は小さく遺構はあまりありません。。。山頂と思われる主郭に祠があり、その周囲は一段下がって南は帯曲輪、北は横堀くらいのものでしょうか。
一応主郭手前の階段のところにお城を示す標柱があるので、「お城行ったぞ~!」的な気分にはなれますw

その規模から山城初心者には登りの練習に丁度良いレベルかと思います。


ここから北の同じくJR八高線・越生駅から徒歩圏内にある岡崎薬師が岡崎氏館であるので、史跡を数訪問したい方ならセット訪問推奨です。(こちらは遺構皆無に近いかと。。。雰囲気はあるかも)

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がっくん

安良里城 投稿一番槍(笑) (2020/08/29 訪問)

西伊豆の黄金崎ちょい南に安良里港があり、海に出ている丘陵部にその城はあった。
長浜城、下田城の間に位置する後北条の水軍拠点である。 城跡周辺には道標や案内板は何もなく、「西伊豆歩道」という
比較的整備された遊歩道を網屋崎方面に1kmほど(約20分)山中を登った先に城跡を発見。
主郭と思われる所には東屋があり休憩所となっている。 木々がなければ駿河湾を見下ろす良いロケーションだ。
主郭下には三重の帯曲輪が確認出来、隣接郭とは堀切で隔てられている。
海側からは急傾斜なので、大きな天然岩もあって攻めるのは難しいであろう。

港周辺は私有地が多く、駐車スペースが限られているが、私は遊歩道入口の50mほど手前のカーブに2台ほど停められる
スペースがあったのでそこに停めた。 山中の歩き途中にタヌキと遭遇したのが気持ちがほぐれて一番の収穫だったかも。

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エグ1394

小口城 (2020/08/30 訪問)

小口城は織田広近の居城として知られています。織田信長の尾張統一の際に攻め落とされ廃城となりましたが、「小牧・長久手の戦い」において、一時的に秀吉方の前線基地として再興されました。現在は小口城址公園として整備され、高さ17mの物見櫓が建てられています。

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カッチン

暑くて登り階段 (2020/08/29 訪問)

ロープウェイを降りての長い階段は大変だったが最上階からの長良川、名古屋地域が一望、織田信長の戦国夢の跡か?

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小城小次郎

神々が交錯する場所 (2020/07/24 訪問)

石狩川が大きく湾曲する神居古潭は恐らく様々な神々が交錯する場所。近くにあるはずのストーンサークルには辿り着けなかったが、来るものを拒む姿勢こそが神威古潭(神の住む場所)の本質なのだろう。

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カズサン

大堀切が見所の武田氏築城 (2015/05/15 訪問)

 続100名城に登録前の平成27年5月中旬約1km南の亀山城、石橋城を終えて初登城、車は白鳥神社より30m程東の駐車エリア利用、案内板は神社前。
 亀山城、道の駅「つくで手づくり村」から国道301号線を北に約1km超を県道436号線を東に入る約100mで白鳥神社、植林杉林に覆われた独立丘陵が古宮城です。
 現在は城郭関連本が多く出てますが以前は歴史読本各号、特集版が城情報を得るツールでした、全国石垣、建物の残ってる城郭はそこそこ回り終えて次に廻る城を模索してる中歴史読本平成21年5月号に「特集日本の城都道府県別ベスト10」が掲載されており次回探訪城郭の参考と成りました、その中で愛知県ベスト10で第3位に古宮城があり認識を新たにしました、そうこうしてるとネットその他で古宮城が取り上げられ今回愛知県新城市城廻りと成りました。

 攻城は白鳥神社東横の道を縦に登ると本丸下の帯曲輪を通り本丸枡形虎口、本丸へ、内部は杉林で鬱蒼として暗く、熊笹が茂ってる、歩きは土塁上が無難、本丸の西に2の丸(西曲輪)その間に南北に大堀切が走り圧巻、底から見上げると恐怖感を覚える、土橋で本丸、2の丸行き来が可能、本丸から見下ろすと周囲ぐるりと土塁、曲輪が林間から確認できるが杉が多すぎて写真撮り困難、案内表示板も無く確認しずらい、また笹藪で各曲輪に入りづらく歩ける所を歩いて探訪したがよく知ってる方にガイドをお願いしたい城である。
 近くの亀山城と同じような景観整備をお願いしたいが如何なものか? 5年後の令和2年の整備は如何に?

 歴史的には武田氏三河侵攻、奥平氏従い、元亀2年(1571年)頃に武田氏家臣馬場信春築城と伝わる、天正元年(1573年)奥平氏が離反し亀山城を放棄し、徳川、奥平氏の反撃で古宮城落城、設楽ヶ原、長篠の戦の2年前。

 素晴らしい城なので是非整備保全、景観整備、遊歩道整備、ガイダンス施設など叶うと有り難い。

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