むつうらじんや

六浦陣屋

神奈川県横浜市

別名 : 金沢陣屋
旧国名 : 武蔵

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チェブ

ガードをくぐってタイムトラベル? (2021/05/02 訪問)

横浜市の金沢八景にある、六浦藩主 米倉さんの「六浦陣屋」で写真をパチッ。
疾きこと風の如く退陣しました。

もともと武田氏に仕えていた米倉氏。武田家滅亡後、徳川家に仕えます。

金沢八景駅近くのコインパーキングに車を駐車し出陣。写真③の高架下のガードをくぐると左手が「六浦陣屋」です。
遺構は石段が当時の物とあり、道路からパチッ。
今でも米倉氏の末裔の方がお住まいの御宅があるという情報に、それ以上は控えました。
引き返し、写真②の右側が「六浦陣屋」です。

帰って来て横浜・横須賀の海近くに「六浦陣屋」があった事を確認し、外国船に慌てたんだろうな、なんて、、、。

風の如く退陣した「六浦陣屋」の米倉氏は長い歴史を繋いでます。

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🏯城好きのメガネ

「六浦陣屋」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
米倉氏は甲斐武田氏の家臣であり、米倉重継は武田信玄・勝頼の二代に仕えた。甘利昌忠に属して信濃刈屋原城攻めで功をあげ、武川衆の頭目となるが1575年、長篠の戦いで戦死する。武田氏滅亡後は、徳川家康に属し、旗本となる。米倉昌尹は、3代将軍・徳川家光に拝謁し、御小姓となり、米倉家の家督を継ぐ。信任も厚く、目付や若年寄などを歴任し、1万石を与えられたことで大名として諸侯に列し、武蔵金沢藩主となる。その後、下野皆川に移封されて1万5000石を加増され皆川藩初代藩主となる。米倉忠仰は、5代将軍・徳川綱吉に側用人として仕えた柳沢吉保の子である。皆川藩3代藩主・米倉昌照の養子となり、跡を継ぐ。8代将軍・徳川吉宗に拝謁し、六浦へ移封となり六浦藩初代藩主となり、陣屋を築く。幕末には新政府側に付き、警備や人馬継立などを協力したとされる。陣屋近くにある泥牛庵は藩主の見晴台ともいわれた。*現在、陣屋跡は私有地となっているため六浦陣屋跡ゆかりのある泥牛庵を紹介する。

<アクセス>
京急電鉄 金沢八景駅 徒歩15分

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青春の巨匠

子孫が今も住んでいる (2018/04/30 訪問)

金沢八景の裏手。旗本の子孫が今も住んでいる。家に向かう石段が唯一の遺構らしい。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 米倉忠仰
築城年 享保8年(1723)
主な城主 米倉氏
遺構 石段
住所 神奈川県横浜市金沢区六浦