騎西(私市)城は1400年前後に太田氏が築いたとされる城です。
そして色々な戦国大名がここを中心に戦に臨みました。
《北条、上杉時代》
元々は足利氏の領土でしたが上杉氏、北条氏などが城主を務めました。
1560年に、小田助三郎が城主の時上杉謙信が関東征伐に来た時に、
一度は上杉方になりますが、兄の忍城主成田長泰が謙信に鶴岡八幡宮で、
辱められ(はずかしめられ)、北条側に離反し、助三郎も離反しました。
1563年(永禄6年)には、武田、北条連合軍に松山城を攻められ、
報復に騎西城を攻略しました。
さらに、1574年(天正2年)には北条氏照が関宿城を攻撃した際には、
騎西、古河、栗橋、舘林、菖蒲、岩付の埼玉、群馬、茨城三県の城を焼き払いました。
その後は主だった戦はありませんでしたが、1590年に豊臣氏による北条征伐が始まると、
落城しました。
《徳川時代》
その後は徳川領となり、松平康重が二万石を拝領しおさめました。
その松平康重が1599年(慶長四年)に亡くなると、大久保忠常が2万石をおさめましたが
祖父の大久保忠隣(ただちか)が改易になると、忠常も閉門に処せられてしまいました。
その忠常は1625年(寛永2年)に赦免されると元の通り2万石を拝領し
1632年(寛永9年)に美濃国加納城に転封するまで、城主を務めました。
転封後は廃城になり、代官所がおかれました。
《現在》
近くにある郷土資料展示室は、一見天守のように見えますが、
ここには天守が築かれておらず模擬天守であり場所も昔の堀の中です。
展示室には騎西城についての展示がありますが、滅多にあくことはありません。
入りたいのでしたら、事前に調べることをお勧めします。
唯一の遺構は天神曲輪あとの土塁しかなく、それ以外は何もありません。
【城情報】
・形式 ❙平城(沼城)
・築城年 ❙1400年前後
・廃城年 ❙1632年(寛永9年)
・築城者 ❙はっきりとしていない
・最後の城主 ❙大久保忠隣
・廃城理由 ❙大久保忠隣が美濃国加納城へ転封になったため
・主な城主 ❙足利氏→佐々木氏→小田氏→成田氏→小田氏→松平康重→大久保氏
❙ 北条氏 ❙ ❙ 徳川氏 ❙
・遺構 ❙土塁
・主な建築物 ❙郷土資料展示室
・説明看板、石碑 ❙両方有
・駐車場、トイレ ❙両方有 (トイレは資料展示室横の生涯学習センターで)
・天守 ❙模擬天守(郷土資料展示室)
・保存状態(自身判断)❙遺構が少なく、模擬天守と思われる展示室が堀の中にあるため
❙普通
・備考 ❙・沼を利用した城
❙・すべての曲輪が、何処なのかよくわからない
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