津川インターより直進。
麒麟山酒造を過ぎて城山橋通過すると麒麟山。
左手に駐車場。トイレあり。登山口あり。
ハイキングコースはお稲荷様まで。
それより上は登山靴必要。岩滑りやすい。
山頂付近からの眺望はみどころあり。
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2022/06/12 16:40
2022/06/12 11:50
道案内役の城 (2022/06/12 訪問)
小牧長久手の戦いにおいて三河中入りをする池田恒興、森長可の案内役を務めたとされる落合氏の城です。
竹藪の中に案内板と城址碑があります。竹藪に突入すると土塁、空堀と思われる遺構を見ることができますが、写真にすると竹が多くよくわかりませんね。
名鉄小牧駅からあおい交通のバス(2022年6月現在交通系ICカード使用不可)に乗り上末バス停下車。徒歩1~2分で案内板のある場所に行くことができます。
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2022/06/12 11:07
「仙台藩 龍ヶ崎陣屋」 (2020/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
仙台藩龍ヶ崎陣屋は1606年、江戸幕府から仙台藩・伊達政宗に与えらえた飛び地である。当地は戊辰戦争により代官をはじめ陣屋役人が仙台に戻るまで仙台藩による支配が続いた。廃藩置県以降は陣屋跡には学校の敷地となり、現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
関東鉄道竜ヶ崎線 竜ヶ崎駅 徒歩15分
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2022/06/12 10:56
「馴馬城」 (2020/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
馴馬城は、南北朝時代に南朝方であった春日顕国が拠点としたとされる。現在、遺構は消滅している。私有地であるため見学の際は注意が必要である。
<アクセス>
関東鉄道竜ヶ崎線 竜ヶ崎駅 徒歩15分
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2022/06/12 10:15
202206遠征(対馬&五島&北部九州)1日目:須崎台場 (2022/06/05 訪問)
御飯ノ山城からの転戦です。天神駅から徒歩12~13分で、須崎台場石垣付近(33.598177、130.398326)に着きました。
1863年(文久3年)に福岡藩によって築かれた台場の一つです。
須崎台場は県立美術館の前にある須崎公園の辺りに築かれていました。
この須崎台場と波奈台場は福岡藩が築いた台場の中でも一際大きなもので、福岡城の北の海を東西から固めていました。
須崎公園の南北にある石垣が遺構で、かつては海に面していたそうです。
攻城時間は5分くらいでした。
本日の城巡りは、ここがラストで、明日の対馬攻略の為、博多港に向かいます。
船中泊での移動なので、博多埠頭第2ターミナル近くにある「みなと温泉 波葉の湯(9:00~25:00)」で入浴してから乗船します。
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2022/06/12 10:06
202206遠征(対馬&五島&北部九州)1日目:御飯ノ山城 (2022/06/05 訪問)
蔦ヶ嶽城からの転戦です。香椎駅に着いた時は小雨になっており、そこから徒歩25分ちょっとで、香椎台おいの山公園説明板付近(33.655560、130.458666)に着きました。
詳細は不明のようです。立花城の支城とも考えられており、城主は一万田弾正と云われています。
御飯山城の遺構は残っておらず、香椎台おいの山公園に説明板があるのみです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=須崎台場を目指す為、電車で香椎駅から天神駅に向かいます。
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2022/06/12 09:53
202206遠征(対馬&五島&北部九州)1日目:蔦ヶ嶽城 (2022/06/05 訪問)
元寇防塁からの転戦です。教育大前駅から徒歩15分くらいで、城山登山口(33.814491、130.591442)に着きました
蔦ヶ嶽城の別名は赤間山城、蔦岳城、蔦山城と云います。
築城年代は定かではないようですが、1200年(正治2年)には宗知宗が赤間山城に住んだとされています。
1336年(建武3年・延元元年)宗像氏俊は九州落ちした足利尊氏を宗像館に招き、赤間山城を修築して蔦山城としました。
1551年(天文20年)大内義長の支援を受けて白山城を拠点とした宗像氏貞は、1559年(永禄2年)宗像鎮氏の侵攻を受けて大島へ逃れました。
1560年(永禄3年)毛利元就の支援を受けた氏貞は鎮氏の拠点である許斐岳城を攻略して旧領を回復し、蔦山城を大改修して現在の規模にし岳山城としました。
1569年(永禄12年)大友氏と争っていた毛利氏が周防に侵入した大内輝弘の為に筑前から撤退すると、氏貞は飯盛山の陣を引き払い岳山城に籠もりました。
毛利勢を追撃した大友の軍勢は岳山城の麓を取り囲み岳山城を攻めたが落とすことができず、大友氏は城の明け渡しなどを条件として和議を結ぼうとしたが氏貞はこれをのまず、若宮・西郷の地を割譲することで和議が整った。
登山道はハイキングコースになっていますが、大雨の為、登城することを諦め、登城口で引き返しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=御飯ノ山城を目指す為、電車で教育大前駅から香椎駅に向かいます。
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2022/06/12 09:47
202206遠征(対馬&五島&北部九州)1日目:元寇防塁 (2022/06/05 訪問)
小田部城からの転戦です。下山門駅➡生の松原地区石塁(33.585758、130.308483)➡小戸公園南土塁(33.590611、130.313544)➡姪浜防塁石碑と土塁(33.592676、130.322755)➡姪浜駅に向かう予定でしたが、GPS投入の順序を間違えました。
最初に小戸公園南土塁に向かってしまったことを現場について気づき、慌てて生の松原地区石塁に向かいましたが、大雨の中、姪浜防塁石碑と土塁に向かう気力はなく、下山門駅に戻りました。
1276年(建治2年)鎌倉幕府が九州の御家人に命じて築かせました。
1274年(文永11年)元によって侵攻された鎌倉幕府が、元の再侵攻に備え海岸線に石の防塁を築きました。
現在元寇防塁と呼ばれる防塁は、当時は『石築地(いしついじ)』と呼ばれていたようです。
1281年(弘安4年)に再侵攻してきた元軍は、防塁の築かれた博多湾からは上陸することができませんでした。
九州の御家人は各国ごとに割り当てられた区画があり、所領に応じて防塁を築く長さが決められていました。
生の松原の元寇防塁は肥後国の御家人が分担し、所領一町につき一尺の長さを担当したそうです。
福岡市には12か所、現行防塁が現存するようですが、自分は2か所(生の松原地区、向浜地区(小戸公園))を見学しました。
①生の松原地区:肥後国が製造を担当。当時の石塁は埋められていますが、復元されています。
②向浜地区:石塁はなく、説明板のみです。
攻城時間は移動時間も含めて35分くらいでした。次の攻城先=蔦ヶ嶽城を目指す為、電車で下山門駅から教育大前駅に向かいます。
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2022/06/12 09:32
感動しかない (2022/01/10 訪問)
あの琵琶湖のほとりのあれではなく、姫路市書写にある赤松氏の守護所だったところ。14世紀に始まり16世紀はじめに廃絶したと思われる有力大名の守護所が現在も地表面にその痕跡を残していることには感動しかない。
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2022/06/12 09:14
202206遠征(対馬&五島&北部九州)1日目:小田部城 (2022/06/05 訪問)
自宅最寄り駅から飛行機と電車を乗り継いで6時間かけて次郎丸駅に着きました。
次郎丸駅から徒歩14~15分くらいで、有田宝満神社(33.560615、130.334965)に着きました。
詳細は不明のようですが、大友氏時代に安楽平城主となった小田部氏の本貫地で、小田部氏の館城とも考えられているようです。また、それ以前の大内氏の時代に庄崎氏が居たとも云われています。
小田部城は月城、堀内城などと呼ばれており、現在の福岡講倫館高校付近に築かれていたと云われています。
有田集会所に『月城通り』に関する案内板があり、高校の地に「月城」があったと記しています。
現状は宅地などとなって遺構は残っていないようです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=元寇防塁を目指す為、徒歩で室見駅へ向かい、そこから電車で下山門駅に向かいます。
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2022/06/12 08:04
一重山全域に見応えある階層的連郭曲輪 (2022/06/09 訪問)
尾根筋に12の曲輪が南から北に連続しており、各曲輪には表示されている。
曲輪と曲輪は堀切や竪堀がうたれており、
かなり高低差の大きな箇所もあり見応えは十分!
斜面には、「信濃の城郭の一つの基準型」とある雛壇状の腰曲輪があるのだが、雨のため断念。
私が注目したのは、立地。
長野県立歴史館を囲むように、屋代城と共に森将軍塚古墳も眼下を見下ろす。
その壮大な立地には圧倒される。
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2022/06/12 07:58
2022/06/11 22:37
上津部田城跡 (2022/06/10 訪問)
一身田駅から徒歩30分程でした。駐車場は三重県総合文化センターに停めれます。トイレは城跡にはありませんでした。下草が酷くて主郭の建屋跡や井戸跡など少し見にくい所もありましたが発掘調査をもとに整備されて公園になっていましたので寒い時季に散策をすればと思いました。特に主郭南側から東側に土塁と横堀がしっかりと確認できました。ちなみにここから津城跡までは徒歩50分程でした。
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2022/06/11 22:17
2022/06/11 22:10
【下総・雷神社】千葉県旭市 東国の総鎮守 (2022/05/30 訪問)
見広城址を探訪し雷神社駐車場を利用、トイレ完備。参拝させて頂いたが由緒の看板を読むとすごいことが記載されてる。
住所:千葉県旭市見広1371 二の鳥居の東約300m程、広い農道に当たる所に一の鳥居が有ります。
雷神社由緒:雷神社(ライジンジャ)は、第12代景行天皇が皇子日本武尊の東征の跡を御巡幸された際、椿湖を望むこの地に立たれ、東国の総鎮守として創建された。
古来より見広嶋田三河守始め、千葉氏・源氏・松平氏等の崇敬も篤く、江戸時代からは海上郡13郷の総鎮守として今日に至ってる。
御祭神は天穂日命(天照大神の御子)、別雷命。
椿湖、椿海は雷神社東方犬吠埼方向に東西12km南北6kmの広さで江戸期まで在ったそうです。また本州最東端近くで一番早く太陽が昇る良い地点だったのでしょう。
パワースポットにも成っているとか。
立派な神輿が二基、神社拝殿横に展示されて居り、素晴らしい造りです。
参拝し、拝殿に「山城ガールむつみ」さんの見広城、長部城を含むパンフレットが有りましたので頂いて来ました。
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2022/06/11 22:01
感状山城跡ガイドマップ (2021/11/21 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/06/11 21:59
英賀保めぐり案内図 (2016/11/06 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/06/11 21:57
有岡城惣構 (2016/03/21 訪問)
現地案内板より抜粋。
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2022/06/11 21:32
2022/06/11 20:33
「ときは今 あめが下知る 五月かな」 (2022/05/28 訪問)
丹波亀山城は、天正5年頃織田信長公の命を受けた明智光秀公が丹波攻略の拠点として築城しました。一国の拠点となる城として総構えで築城されており、他の丹波の地の城とは異なっていたとのことです。
また、光秀公はこの城より、信長公を討つべく本能寺に向かい出陣したことは有名です。「ときは今 あめが下知る 五月かな」亀岡にある愛宕神社にてこの句を詠み出陣したとのことです。「土岐氏一族の自分が天下を治めるのは今だ」ということらしいですが、本当の事は分りません。本能寺の変後は、羽柴秀勝・小早川秀秋・前田玄以等が城主となりますが、徳川譜代家臣の岡部長盛の頃、天下普請で西国大名を動員し、亀岡城を整備しています。その後も城主が入れ替わりましたが、最後は、形原松平家が八代続き明治維新を迎えています。
現在の丹波亀山城は大本教の本部が置かれ、教団の管理下に置かれています。なかでも、天守のあった地は神苑で立ち入りが制限されています。遺構としては、石垣の一部と堀の一部が往時の面影を残しています。
大本のみろく会館受付にて、拝観料300円を支払い受付、スタッフの方から城跡に関する説明を受け(二度目の訪問なので今回は説明を遠慮させて頂きました)ホールには城跡のビデオ上映もされており、VRもあるそうです。大正時代に新宗教として当時の政府から本部を爆破・破却されたということなので、少し怖いイメージがありましたが、今回も気さくな方で「明治まで五層五階の天守があったんだよ」等々、優しく丁寧に教えて頂きました。
ただ、主郭となる場所は、神域なのでセンサーが設けられていたので、皆さまもご注意下さいませ。
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