勝龍寺城は信長の上洛の折(永禄11年1568年)、三好衆が守る勝龍寺城を織田軍が攻略し西の守りを固める、元亀2年(1571年)信長の命で細川藤多が要害改修、天正6年(1578年)細川藤孝嫡男忠興と明智光秀三女お玉がここ勝龍寺城で結婚し新婚時代を過ごしたといわれる。
又山崎合戦で敗走した光秀は勝龍寺城に帰城するも秀吉の追撃を受け、坂本城に落ち延びる途中に落命した。
現在は平成4年(1992年)勝龍寺公園化され整備保全されて居る。
構造は南側に枡形虎口、南側、東側、北側に水濠・腰巻石垣・鉢巻石垣・土塀が三方を廻ってる、北東角には隅櫓が復元されて居る、北西角には北桝形虎口が石垣で固めれれちる。南西には城郭櫓風の二層の管理棟が有る。
本丸南西角に出隅状に櫓台、天守台が腰巻石垣で残り、西側の沼田丸間に土塁が北枡形虎口まで繋がってる、本丸西側土塁には沼田丸への通路が有り沼田丸間の空堀には土橋も有る。
駐車場は公園南西に有り利用した。
今回は14年前の平成20年1月、例年開催してる関西在住の中学時代同級生に依る新年会で大阪に行きましたので、宝塚の兄に車を出してもらい出掛けました。
補助のコンパクトデジカメで撮影写真が少なく撮ってない処も有り、沼田丸、西側の土塁、忠興お玉の石像の映像は残念ながら撮って有りませんでした。
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