佐伯城は地元では鶴屋城と案内板等に記されてる八幡山頂上に鶴が舞う様な縄張で天空の総石垣造り、本丸に天守台が載り西に二の丸、西の丸が続く、北に北の丸、山麓に三の丸、三の丸大手に櫓門が現存する。
歴史的には関ヶ原後毛利高政が日田より2万石で入封する、高政は元の姓は森で秀吉の配下、本能寺の変で秀吉と毛利氏の高松城戦和睦の折高政が人質と成るが毛利輝元に気に入られ、森と毛利の呼称が似てる事から輝元より毛利に変えたらと言われ秀吉の許可を受け毛利高政に改姓したいわくが有る。
慶長7年(1602年)築城が始まり慶長11年(1606年)にほぼ完成し以後毛利氏が江戸期を継承して明治を迎える。
13年前の平成21年6月中旬、大分県宮崎県城廻り2日目で5城目。
竹田市の岡城を充分に堪能し地道山道を東方向に進行し佐伯市佐伯城を目指す、車は佐伯城三の丸櫓門の前に駐車エリアが有り利用する。
登城ルートは三の丸大手石垣、櫓門、歩きやすいと言われてる「独歩碑の道」を選択して登城する、結構しんどい、案内図では400mと有りましたが曲がりくねって汗をかきかき、休み休み、頂上本丸虎口石畳へ、石畳が斜め急で滑りやっとの事で登り切る、本丸石垣城塁、石階段を登り天守台へ、本丸石段は後世の造りとか?二の丸へ本丸虎口から堀切廊下橋、二の丸に入り先に石垣に挟まれて渡櫓門跡、西の丸、櫓台跡、虎口、戻って、北の丸、櫓台、水の手門跡、頂上からは佐伯の城下、豊後水道海が見える、寅さんも佐伯ロケが有り城に登って眺めてたシーンが有った様な?
来た道を降りて三の丸に在る文化会館のロビーに展示されてる、佐伯城立体模型を見学、石垣と櫓群、三層天守閣が山頂に聳えていたのかと往時の姿に驚き感嘆する、2万石でここまで良く出来来たものだと?
山麓の山際小路を巡り昔の姿に残ってる通り家並みを散策する、櫓門から国道に出る通りが馬場広場、突き当りに大手門が有った。
2019年に新聞報道が有り発掘調査で本丸北側の石垣に4段のハバキ石垣が発見されたと有り修復整備された模様、ピーカルさんカルビンさんの投稿写真に同石垣が写真投稿されてますので又何時か訪ねたいと思ってる所です。
三の丸の中に有った文化会館は櫓門の前に現在歴史資料館が建設され、専用駐車場も立派に完備しています、グーグルマップで確認した内容です。
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