園部城祭りに行ってきました。
当日は、南丹お城サミットが開かれておりまして、園部城周辺ミニツアー、園部城記念講演会、南端市内のお城紹介など盛りだくさんでした。
そこで、メインは三浦正幸先生の記念講演会ですね。
三浦正幸氏は、今年の大河ドラマ鎌倉殿の13人の建築考証を担当されておりますね。
日本で最後に出来た園部城と云うタイトルでの講演でした。
園部城は、園部陣屋がスタートで有ります。
1619年に小出吉親が出石より園部へ転封し、園部陣屋を築造、同年七月に完成しました。
皆さんも知っての通り、陣屋では櫓を築造することは許可されませんでした。
1864年に江戸幕府に櫓門3棟、櫓9棟、本丸以外の土塀にも狭間を設けることを申請するも許可されませんでした。
1867年に江戸幕府より築城の内諾を得るも、大政奉還により無効と成りました。
1868年に新政府より築城許可が届きました。
1869年に園部城が完成致しました。
1873年に園部城の廃城が決定致しました。
上記のように明治維新の混乱に乗じて園部陣屋は園部城に昇格出来たのですね。
しかしながら、廃藩置県が待ってました。
だから、たった4年で園部城の廃城が決まってしまったのですね。
園部城で唯一残っている巽櫓は、二重櫓で一階のニ方向に石落しの出窓が有り、出窓の上に千鳥破風が有ります。
出窓の石落しは、全く役に立たない構造になっております。
強い軒反りを見ても寺社建築で有ります。
二階の床と梁が離れている構造になっております。
二条城の二の丸東南隅櫓を手本にしたか?
園部城で唯一残っている櫓門は、2階建の構造をしていて、通し柱、二階の低さは江戸後期の町家に類似しています。
軒反りの強さは、寺社建築に類しています。
石落しは有りません。
格子窓はあるが、低すぎる窓高となっております。
低すぎる内法高により、弓矢が使えません。
大筒狭間が二箇所に有ります。
大筒狭間がある城としては、丸亀城天守一階正面と鳥羽城天守と石田城の土塀となっております。
鳥羽城天守は、取り壊されて今は有りません。
鳥羽城天守は、水軍九鬼氏が建築しました。
石田城の土塀は、幕末の海防の為に築城しました。
小麦山櫓が三重櫓で天守代用でした。
今は有りません。
南丹市内には、園部城以外にも八木城、埴生城、今宮城、宍人城等が有ります。
その中でも、一押しは八木城ですね。
南北約950m、東西約800mの山中に広がる全国最大級の山城で有ります。
尾根と谷筋が複雑に入り込む全国一の複雑な城地です。
尾根上に曲輪を並べ、土塁と堀切を要所に配置する典型的な中世の山城で有ります。
尾根上の曲輪は、本丸、二の丸と本丸を守る出城が有ります。
極めて特色のある山城を形成しております。
山麓には、家臣の屋敷群が有りました。
内藤氏の居城で、1575年に明智光秀に攻められ落城と云われております。
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