別名「霞城(かじょう)」「霞ヶ城」と呼ばれています。城郭構造の基礎は、最上善光の時代に作られ、鳥居忠政の時代に現代の形に整えられました。
江戸時代には山形藩の政庁が置かれ、現在は武家屋敷群のあった三の丸が市街地化しており、本丸、二の丸跡は霞城公園として整備されています。山形城の建造物は、大手南門が万松寺山門として移築され現存しています。
現在、本丸全体の発掘調査を行っており、本丸枡形門の復元を完了することを計画しています。三の丸跡からは奈良時代~平安時代のものと推定される竪穴住居跡6棟が発見されました。
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