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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:富樫館 (2022/08/01 訪問)

寺中御台場からの転戦です。久安殿屋敷公園石碑付近(36.533916、136.630652)➡石碑(36.532237、136.621768)➡説明板(36.528817、136.620195)の順番で巡りました。

築城年代は定かではないようですが、1335年(建武2年)富樫高家が加賀国守護に任ぜられた後に、野々市に守護所を設けたものとされています。
1488年(長享2年)富樫政親は高尾城に籠って、加賀一向一揆を迎え撃ちますが敗れて自刃しました。
その後一向一揆に加担していた富樫泰高が守護として富樫館に入りますが、守護は名目上だけで実態は一向宗門徒が握っていたようです。
1570年(元亀元年)富樫晴貞は織田信長と結んで兵を挙げますが、一向一揆によって攻められ伝灯寺で自刃して富樫氏は滅亡しました。

遺構は残っていないので、石碑と説明板巡りです。
攻城時間は移動時間込で20分くらいでした。次の攻城先=高尾城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:寺中御台場 (2022/08/01 訪問)

堅田城からの転戦です。大野湊緑地公園駐車場(36.594857、136.597689)に駐車しました。

幕末期に外国船渡来に備え城下町防衛の為に加賀藩が築いた台場跡です。
現在は大野湊緑地公園として整備されており、説明板と共に土塁の一部が復元されています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=富樫館に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:堅田城 (2022/08/01 訪問)

津幡城からの転戦です。墓地入口橋の手前(36.609903、136.7049)に説明板あり、橋を渡り墓地の間を登ると終点に駐車スペースと登り口があります。
ただし、墓地終点の駐車スペースまでの道は狭く急坂ですから注意してください。

詳細は不明のようで、木曾義仲による築城伝説があるが詳らかではないようです。 現在の遺構は一向一揆によるものと推測されています。

現在は公園として遊歩道が整備されています。
主郭の切岸は高く、北側尾根に堀切があり、主郭北側に畝状阻塁があります。
最初、主郭西側にある二郭への登り口から登城しましたが、草が多く主郭に辿り着けず、三郭下の分岐点まで戻り三郭経由で登城しました。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=寺中御台場に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:津幡城 (2022/08/01 訪問)

森城からの転戦です。説明板前(36.673858、136.734328)に路駐しました。

1183年(寿永2年)木曽義仲の軍を迎え撃つ為に、平家軍の平維盛が、小高い丘に砦を設け布陣したことがはじまりと云われています。
1190年(建久元年)には、井上庄の地頭津幡隆家が居城としました。その後、1351年(正平6年)富樫氏春が籠って桃井直常と戦ったそうです。
1576年(天正4年)から一向一揆が立て籠もっていましたが、1581年(天正9年)織田方の柴田勝家らに攻められ落城しました。
1583年(天正11年)前田秀継が築城し居城とし、1584年(天正12年)末森城合戦の時、ここで前田利家と秀継は末森城救済の軍議を開いたそうです。
1585年(天正13年)前田秀継は越中国今石動城の守将となり、後に越中国木舟城へ移りましたが、地震により没しました。

物見櫓跡と呼ばれる土壇に城址碑が建てられており、その手前に説明板があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=堅田城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:森城 (2022/08/01 訪問)

御舘館からの転戦です。八幡神社鳥居前付近(36.715502、136.713352)に路駐しました。

詳細は不明のようですが、城主は村上左衛門と伝えられています。
八幡神社の祭神は応神天皇で、創建は841年(承和8年)で、1637年(寛永14年)森を領地とする野村佐馬丞重政は、信仰する八幡神社に神鏡を寄進しているそうです。
八幡神社の鳥居横に「八幡神社縁起」の石碑が建てられており、丘の上には、かって森城と云う砦があったそうです。

路駐付近から石段を登ると、すぐに山頂の八幡神社に到達します。境内には土塁の一部が残っています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=津幡城に向かいます。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:御舘館 (2022/08/01 訪問)

末森城からの転戦です。説明板前(36.803091、136.767396)に路駐しました。

詳細は不明のようで、城主は順徳天皇、岡部忠澄とも伝えられているがそれを裏付ける史料は残っていないようです。

案内板の背後の土手を登ったところが、城の周囲を巡る細長い郭の上で、その先に大きな堀があり、その先の一段高くなっているところが主郭のようです。
主郭の東側に土塁と空堀があります。空堀はそのまま主郭の空堀の周囲に伸びています。主郭の北側と西側は二重の空堀となっています。
主郭は整備されておらず深い薮に覆われています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=森城に向かいます。

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侍ホリタン

西国の伊達家9代の居城を訪ねて (2021/12/30 訪問)

伊達家といえば仙台を思い浮かべる方が多いと思いますが、宇和島藩も大阪冬の陣の武功として政宗の長男秀宗が宇和島城に入城してから伊達家9代が治めていくことになります。
現存12天守の一つですが、現在の層塔型天守は2代目宗利が藤堂高虎が建てた望楼型天守を撤去して新たに建てたものです。駐車場は桑折氏武家長屋門の近く観光情報センター隣の駐車場が便利です。天守は80mの城山頂上付近にあるので石段、登山道を登って行くことになります。

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おっちゃん

史跡備中松山城案内図 (2013/05/11 訪問)

現地案内板より抜粋

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おっちゃん

肥田城跡地図 (2017/12/29 訪問)

現地案内板より抜粋

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おっちゃん

飯盛城跡縄張図 (2017/02/04 訪問)

現地案内板より抜粋

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小城小次郎

人質の命と引き換えに (2022/02/23 訪問)

日近には日近奥平氏がいたが日近城の縄張は地方小領主のそれではないようだ。人質おふうの命と引き換えに徳川への忠誠を誓った見返りに、徳川が武田の攻撃にも耐えうるお城を日近奥平氏にプレゼントしたと考えたら考えすぎか。

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朝田 辰兵衛

沖縄で路線バス旅が展開されない理由は… (2022/03/19 訪問)

この日は,那覇バスターミナル→勝連城跡前間 路線バス(52番:与勝線)を利用しました。沖縄の路線バス利用は初めてではありませんでしたが,この日は遅延が顕著で約40分遅れの到着。本土では,10分でも遅れれば謝罪アナウンスを入れますが,一切ナシ。この地の路線バスでは「定時運行」というワードすら耳にしません。
さらに,本土の交通系ICが利用できないので「信号で停車している間に両替をしておこう」と両替を試みるも,「降りる時にしてください」と静止されました。どうやら,ドアを開けたタイミングでないと,両替機が作動しない仕様のようです。乗車人数に比例して遅れるのが簡単に推測できます。
また,那覇中心部から北へ向かうルートは,ほぼほぼ嘉手納基地を過ぎるまで同一ルートです。慢性的な渋滞が発生しています。
沖縄で路線バス旅が展開されない理由は,たぶん以上の理由からではないかと思います。
時刻表を確認しながら,キツキツのスケジューリングは泣きを見ます。みなさんは,「これが沖縄時間なんだ」と本土との差異を感じ,笑い飛ばすぐらいの余裕で受け入れてください。

勝連城についてですが,勝連城跡前バス停から,徒歩約3分であまわりパーク到着。
あまわりパークでチケットを購入しないと,勝連城には立ち入れませんのでご注意を。

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スキー小僧

犬山城と木曽川

犬山橋から撮影した犬山城です。

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稲葉正則 (2022/09/01 訪問)

 久しぶりに小田原城に行きました。平日でしたが、それなりの見学客の方がみえていましたね。時間の都合でさらりと回りました。石垣や水堀が魅力的で復元された門もすばらしいです。総構の遺構が好きで、昔、小峯御鐘ノ台大堀切東堀等を歩いて回りました。好きな遺構ですが今回は行っていません。時間をとってゆっくり散策したいと思っています。城びとの自分の投稿を見てみると2012年5月5日訪問(投稿は2018年)とありました。何回も来た覚えがありますが、前回からはそんなに経ってしまったのかと時の流れに苦笑しています。最初に来たときは本丸に象のウメ子がいて驚きました。

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徳川家康陣地 (2022/09/01 訪問)

 小田原駅よりバスに乗り今井バス停下車、約30秒くらいで石碑と案内板に行くことができます。

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県立大磯城山公園 (2022/09/01 訪問)

 大磯駅からバスに乗り城山公園前下車。徒歩1分くらいで城山公園の入り口に行くことができます。三井家別邸があったとのことで城の遺構はよくわかりません。さらりと散策して退却しました。

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奇栖庵明昇 (2022/09/01 訪問)

 隠居した大森氏頼が奇栖庵明昇と名乗ってこの城に入ったとされています。大雄山線家原駅より徒歩約15分で案内板に行くことができます。土塁等が残っていると知ったのは帰ってきてにのまるさんや赤い城さんの投稿を見てのことです。予習不足でした。

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侍ホリタン

世界遺産を訪ねて (2021/12/28 訪問)

世界遺産、正式名称→元離宮二条城
JR利用の場合、嵯峨野線二条駅から徒歩20分弱です。徳川幕府の京における宿館としての役割、徳川家康と豊臣秀頼の会見、二の丸御殿で大政奉還が行われるなど歴史的な出来事の舞台となった所です。二の丸御殿内部も素晴らしいですがやはり唐門の美しさも見逃せません。平日に訪問される方は火曜日に関しては二の丸御殿が閉館ですのでご注意下さい。更に現在本丸御殿は改修工事の養生で覆われており建物を見学できますせんが、本丸庭園、天守閣跡は見学可能です。
御城印、100名城スタンプは見学順路の最後に立ち寄れる休憩所にあります。

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POYO58

福井旅行part2 一乗谷城 (2022/08/14 訪問)

越前大野城の後は大雨の中、一乗谷城に行きました。実はこの日南越前町や敦賀で土砂災害が相次いでいました。そんな地獄の雨の中行ってきました。一乗谷城といえばあの朝倉義景。麒麟がくるでもいましたよね。明智光秀が好きな僕にとって一番楽しみにしていた城でした。まずは下城戸の大きな石垣をしっかり見ました。一つ一つ石が大きかったです。一乗谷城は小牧山城よりもずっと前に築かれたのですが、石垣があるのは想定外でした。その後、朝倉居館跡へ行きました。広すぎてびっくり。一乗谷城の広大さを実感しました。居館跡には礎石のほか一部土塁が残っていました。たくさんの石碑があり、通路や礎石建物と書かれていて、「よくこんなことがわかったな」と思いました。一乗谷城はもちろん姉川の戦いの後織田信長によって焼き払われてしまいますが、それらが全て地中に埋まっていたためにこんなに残っていたそうです。

ではここのベストポイントとも言える唐門へと向かいます。(続く)

評価
遺構:4
行きやすさ:2
建物:3(武家屋敷や唐門)

攻城時間
2時間くらい

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侍ホリタン

明智光秀公ゆかりの地を訪ねて(その1) (2021/12/28 訪問)

JR長岡京駅から徒歩約10分、途中に土塁、空堀跡があります。細川ガラシャ輿入れの城、山崎の戦いで敗れた明智光秀が最後の夜を過ごした城です。私が訪問した時は年末年始のお休みで中に入ることができませんでした。

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