三の丸跡は本丸駒形諏訪神社南下から本丸、二の丸南下、箱井戸、田尻の池、三の丸堀、三の丸駐車場間を南側を通る旧箱根街道沿いに囲まれた地域に在ったようです。
現在遺構として残ってるのは、西側の三の丸堀で縦に畝を設け東側は水堀、水路、西側は長い空堀、中の畝が登城路で二の丸、西の丸、西櫓への通路。水堀の続きとして、田尻の池、箱井戸が残って居ます。
又三の丸跡には宗閑寺に小田原征伐山中城合戦の両軍戦死者の墓が有ります、山中城将松田康長、副将間宮康俊、隣に少し立派な豊臣方攻撃軍武将一柳伊豆守直末と並んで祀られて居ます、秀吉は勇猛な一柳伊豆守が戦死した事を大変嘆いたと言われて居り、美濃出身の同輩である堀尾吉晴、田中吉政などは関ヶ原後、数拾万石の太守と成って居り惜しまれる戦死でした。
三の丸跡旧箱根街道を歩いていると路傍に芝切地蔵尊が土塁櫓台かと思う所に有ります、その傍が南櫓跡、大手門跡とグーグルマップの史跡マークに出て居ましたが、案内板等は確認して居ません。
三の丸駐車場に戻り山中城本郭は終了し、岱崎出丸、岱崎砦の探訪に向かいます。
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