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カズサン

本丸復元内堀と修復石垣、周囲石垣探訪 (2009/06/10 訪問)

 本丸南の水堀は埋めたてられて居ましたが、発掘調査し復元整備され水堀が甦りました、同時に面してる南石垣の解体修復整備も進められ三の丸から北側を眺める景観が往時の姿に復元整備されました。
 その情報も知り中津城を訪ねました、4泊5日大分県宮崎県城廻りの1番目です。今回は列車とレンタカーでの探訪です。

 中津城は皆さんご存知の黒田官兵衛築城です、秀吉九州征伐後天正15年(1587年)豊前6郡16万石を与えられ中津に城を構えた、黒田官兵衛の実績なら百万石でも良さそうなのですが、秀吉の警戒心でしょうか? 関ヶ原後は黒田氏福岡に52万石で転封、代わって細川氏が入封し、小笠原氏奥平氏へと変わり奥平氏で明治を迎える。

 探訪は先ず、復元成ったばかりの本丸南側の内水堀、水堀跡地で発掘発見された金箔瓦、秀吉との繋がりが窺えます、それに沿った解体修復整備された本丸南石垣をじっくり味わい観察する修復されたばかりで草も無く綺麗に整備されて居ました、本丸内部から東側の石垣、薬研堀越しに石垣と模擬復元天守、2層櫓を眺めて北側、中津川沿いの西側の本丸石垣、鉄御門跡、ここは石で塞がれて通行不可で石垣で繋がってる様に成ってる、同脇櫓台石垣、絵図では3層櫓が建っていた?、戻って本丸西の水門跡石垣と廻りました。
 
 模擬天守閣2層櫓編に続きます。

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赤い城

網代城 東京都あきる野市 (2022/04/17 訪問)

武蔵五日市駅から徒歩で30分、武蔵増戸駅から徒歩で20分。
(この日は戸倉城から徒歩で転戦しました)
貴志鴨神社参道が登城路となります。
少し登ると貴志鴨神社方面と弁天山方面の分岐があり、弁天山方面に進みます。
弁天山山頂には寄らず右の道を行くと城山山頂方面となります。
ここからの坂が大変!
段はついているもののかなりの急坂、心折れそうになります。
登り切ると尾根道となり、主郭の城山山頂へ。
主郭には説明板が立っていますがそんなに広くはありません。
南側を降りると帯曲輪、さらに下には小さな堀切がありました。
帰りは西側の高尾神社方面に向かい、尾根道を進みます。
途中堀切があり、この辺りまでが城域だったのでしようか。
こちら側の道、東側以上にアップダウンが大きい。
結構大変でした。
ですがハイキングコースにはなっているので体力さえあれば歩きやすいかと思います。

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カズサン

13年前陣屋は畑にビニールハウスでした (2009/05/31 訪問)

 現在陣屋内部の畑地は無くなり修復整備保全が進んで居り、大変見学探訪し易い状態と成って居りますが、13年前の平成21年5月下旬は陣屋内は畑耕作地、本丸御殿の在る上段はビニールハウス、茶畑などの成って居りました、樹木も茂り、虎口大手周りの石垣が確認できる状態でした。
 車は身延街道国道52号線沿いの龍津禅寺駐車場を利用させて頂きました、参拝も致しました。
 
 城びとの投稿システムのお陰で撮りためた城写真DVDR、CDRの整理が進み13年前の平成21年2009年のデーターまで漕ぎ着けました古い写真ですが古を偲んで投稿致します。1番目の写真は2022.02.24投稿の整備された大手三段石垣を比較の為掲載。
 最新の情報は2022年2月24日登城の投稿をご参考に。
 
 余談ですが撮りためてたDVD約200枚の内、12年目の2010年のDVDR2枚が読み取り不能になって居ました、再生を依頼しましたらDVDは5年過ぎたら読み取り不能に成る事も有ると、東京の専門ショップに依頼いて貰いましたが読み取り不可の判断、急いでHDに取り込みそれもHDの寿命を考えると5~10年で再更新する必要が有るとか、データー保存は難しいですね?

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ゆき

4月29日 (2022/04/29 訪問)

松本城

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ryu

長岩城探訪(2015年)(2) (2015/11/28 訪問)

長岩城探訪の続き。まだまだ見所が多く第2弾。

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ryu

長岩城探訪(2015年)(1) (2015/11/28 訪問)

全国的にも珍しい石積み櫓や石塁が残る長岩城を訪城。

長岩城は急峻な円錐形をした扇山(標高530m、比高230m)と、その一帯の支峯や谷窪などに築かれている。
下毛郡の支配者であった豪族野中氏22代390年間の居城。初代城主野中重房が、建久9年(1198年)創築し、南北朝、戦国時代に増改築された。天正16年(1588年)黒田長政の大軍に攻め落とされ、以後廃城となる。
一帯は険阻な断崖絶壁地帯で天然の要害を巧みに取り入れ、断崖の合間などの敵の侵入し易い所には人工的に石塁や、砲座、塹壕などの防備施設を補完した独創的にして要害堅固な山岳城。
石積櫓「楕円型砲座」は、石造の櫓としても、のぞき穴の設置としても、わが国最古のものであり、全国に類例を見ない貴重な遺構で、石積みの石が扁平な鉄平石状のものに統一してあるのも特徴である。【中津耶馬渓観光協会】

今回、地元の長岩城址保存会の板迫さんたちがガイドしていただけるということで、愛好家たちが集まった。
中津市役所耶馬溪支所前に集合し、津民川を遡り登山口まで車で上がる。登山口の記帳所で名前を書き、鹿よけのネットを外して山中に入る。
二之城戸、三之城戸と登り石垣のような石塁が山の中に延びている。
長岩城は谷を挟んで右手に本丸、左手に陣屋跡や石積み櫓、弓形砲座などの遺構が残っている。
まずは、東之台を経由して本丸へ向かう。東之台から本丸にかけて続く石塁は見事である。
山頂(本丸)から西之台を経由して三之城戸に戻り、谷の反対側を登りかえし陣屋跡の石塁に至る。さらに少し登ると食糧の貯蔵や武士の休息に使われたという洞窟があり、この付近で軽く昼食をとる。

昼食後は、いよいよ石積み櫓を目指す。断崖に懸けられた6~7mほどのはしごを登って両側が切れ落ちた稜線に出て、やせ尾根を上り下りした先に石積み櫓がある。よくもこんなところまで石を運んで築きあげたものである。
石積み櫓から戻り、「危険につき立入禁止」とあるロープをくぐって三角岩といわれる大きな岩の手前まで進む。遠くに弓形砲座が見えているが、この先はやせ尾根が崩れて危険とのことで一度、谷を下って林道に出て、そこから登り返す。
林道からの登りも急斜面とやせた尾根でロープ沿いに登ると目指す弓形砲座にたどり着く。

今回のルートは、両側が切れ落ちた絶壁が続くもののルート上にはロープが張られ、単独でも迷うことはない。しかし、地元の方に案内していただいたおかげで長岩城の歴史や地元の保存へのあつい思い等を知ることができ、とても有意義な探訪となった。

探訪順路:一之城戸~二之城戸~三の城戸~東之台~石塁~本丸~西之台~陣屋跡、砲座跡~石積櫓~弓形砲座

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しんちゃん

岐阜城に行く前に (2020/06/29 訪問)

岐阜城に行く前に

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しんちゃん

家族と別行動 (2020/10/27 訪問)

家族と別行動

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しんちゃん

戸倉城の関係が良く分かる (2021/12/24 訪問)

戸倉城との関係が良く分かる

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しんちゃん

今のうちに (2021/12/24 訪問)

今のうちに

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しんちゃん

今のうちに (2021/12/24 訪問)

今のうちに

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しんちゃん

カレイから (2022/03/28 訪問)

カレイから

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しんちゃん

模擬天守だけど (2022/03/30 訪問)

醍醐寺の帰りに

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しんちゃん

昼飯前に (2022/03/29 訪問)

昼飯前に

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しんちゃん

朝一番で (2022/03/29 訪問)

朝一番で

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しんちゃん

朝一番で (2022/03/28 訪問)

朝一番で

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POYO58

木曽川と一緒に

木曽川と一緒に撮りました。天空の城の魅力が伝わってきます。

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ぴーかる

【城と標柱】

登城途中の倒れた標柱。
金毘羅大権現の表彫と横に文化六年の文字

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ぴーかる

【究極の1枚】

落ちたらヤバい!(>_<)
けど絶対落ちない八丈岩、日本城郭検定受験の皆様へお守りに差し上げます。

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ぴーかる

高富陣屋 (2022/04/03 訪問)

【高富陣屋】
<駐車場他>美里会館駐車場
<交通手段>車

<感想>1泊2日郡上の旅7城目。5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の異母兄、本庄道芳の孫、本庄道章が縁故で旗本に取り立てられて1705年に1万石の大名として高富に入ったことから高富藩が立藩した。高富陣屋は1806年、8代藩主の本庄道昌の時に岩滝陣屋から移転しここに陣屋を築いた。現在遺構は残っておらず、美里会館駐車場に陣屋跡碑が残るのみです。
 降雨のため今回の旅は他の攻城を取りやめここにて終了にした。時間が余ったので帰路は下道で大阪に戻った。走行距離540㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

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