前身となるのが1553年(天文22年)頃に毛利元就の命により備後地方の豪族である渡辺氏が市街中心部の丘陵に築いた鞆要害である。その規模・構造はよく分っていないが、1576年(天正4年)には京都を追われた足利義昭が毛利氏の庇護の下、この鞆要害で亡命政権を樹立した。
江戸時代に入ると安芸備後を与えられた福島正則により鞆要害の築城が開始され、鞆城と呼ばれ、丘陵部の本丸を中心に二の丸、三の丸が囲み、その城域は、南は鞆港、東は福禅寺、北は沼名前神社の参道まで達する大規模なものであった。この時、3層3階の天守も建てられたといわれている。
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