城内の井戸に金属製の釣瓶が吊られていたので「かなつるべ」城と名付けられたのだとか(ほんとか)。発掘成果に基づき柵列や木橋が整備されたがもしかしたら老朽化でそのうちなくなるかも、という噂も聞いた。早く見に行くべし。
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2022/05/11 23:00
早く見に行くべし (2022/01/08 訪問)
城内の井戸に金属製の釣瓶が吊られていたので「かなつるべ」城と名付けられたのだとか(ほんとか)。発掘成果に基づき柵列や木橋が整備されたがもしかしたら老朽化でそのうちなくなるかも、という噂も聞いた。早く見に行くべし。
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2022/05/11 22:04
姉川城と横竹城 (2022/05/01 訪問)
姉川城と横竹城は車で5分くらいの近さにあります、非常によく似た城郭で私が見た感じでは横竹城の方が規模が大きく公園になっています。
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2022/05/11 21:35
チャリでいく小田部城 (2022/02/27 訪問)
自宅からチャリで10分ほどの小田部城を訪ねる。
小田部氏の里城。北側と西側に堀を巡らせた構造で宝満宮を含む 100m × 140m の範囲が「小田部氏宅」推定地。築城の場所は、福岡講倫館高校の敷地であるというが、城館遺構の存在は見られない。
大友氏時代に安楽平城主となった小田部氏の本貫地で、小田部氏の館城とも考えられている。『福岡県の城郭』では宝満神社から北の西応寺付近を小田部城跡と推測している。
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2022/05/11 21:34
小さな公園と東名 (2022/04/30 訪問)
喜多見城からの転戦、徒歩で20分くらい。
わざわざ行くことも無いでしょうが野川と仙川に挟まれた高台に位置しています。
東名高速が走っていて遺構はありません。
小さな公園と大六天橋がある程度。
この日はGWの三連休中日で東名も比較的流れていました。
この連休、結局近場廻りとなりました。
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2022/05/11 21:31
高祖山登山と高祖城探訪 (2022/02/11 訪問)
市民のハイキングコースである鐘撞山から高祖山を縦走し、高祖城を探訪する。
建長元年(1249年)、原田氏の原田種継、原田種頼父子の築城。 怡土城の遺構を利用し、高祖山頂上に上ノ城(本城)と下ノ城がある。
一時少弐氏に奪われたが、最終的には大内氏の援助により原田氏が奪還した。 天正15年(1588年)豊臣秀吉の九州征伐により、城主原田信種は所領没収され廃城となる。
登り出しは小雨模様だったが、天気は回復傾向と読んで登る。鐘撞山で曇り空の展望を楽しみ、高祖山までの快適な尾根道を歩き、高祖山山頂直下の下の城址に着く。
ここのベンチでゆっくり昼食後、高祖山山頂までの高祖城の遺構を縄張り図を見ながら探索する。高祖山山頂(主郭)から急斜面を下り、姪浜堀と言われる堀切跡を探し、山頂周辺の曲輪跡を探索する。
帰路は鉢伏山観音へ下るコースを取って野外活動センターに出る。
下山した頃にはすっかり青空になっていた。
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2022/05/11 21:23
古処山~屏山縦走と屏山城探訪 (2021/12/05 訪問)
古処山城がある古処山から尾根伝いに隣にある屏山山頂(標高 928m)に位置する山城で、古処山城探訪前に古処山~屏山間を縦走し訪城した。
屛山山頂から嘉麻市方面の眺望を楽しみ、持ってきた縄張り図を見ながら屛山城の遺構を確認す
山頂東側の竪堀はやや不明瞭。西側の堀切2本はいずれも浅い。
屏山城は地誌類にはほとんど紹介されず、近年発見され、山名からこの名称が当てられているが、屏山は近世までは「宇土浦山」と呼ばれ、『福岡県地理全誌』の「宇土浦山」には「絶頂ヲ平家城ト云。」とあるためそれが本来の城の名称の可能性も考えられる。当然、城主等は不明である。(「福岡県の中近世城館跡」より)
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2022/05/11 21:08
古処山~屏山縦走と古処山城探訪 (2021/12/05 訪問)
山では紅葉も終わって落葉し、山城巡りに最適の季節が到来、戦国時代の国人領主秋月氏の本城である古処山城と屛山山頂にある屛山城を訪ねて古処山~屛山を縦走してきた。
古処山城は、戦国時代秋月に本拠を構え、天正年間には筑前の中・南部の一帯を支配した国人領主秋月氏の本城である。
五合目登山口に車を停めて出発する。渓流沿いの登山道は近年の水害の影響なのかところどころ荒れている。
水舟を過ぎて、古処山頂に直登するコースを分けてまずは古処山の山腹を巻き、屛山を目指す。
屏山山頂で屛山城の遺構を確認後、尾根伝いに縦走路を戻り、つげの原生林をかき分け古処山頂に着く。山頂直下のベンチで昼食をとり、その後、山頂から西側に延びる尾根周辺の曲輪や堀切を縄張り図を参考にしながら見て回る。
さらに山頂から南に延びる尾根上にある経ヶ峰を往復し、南側の郭群を見て回る。
初冬の落ち葉を踏み分けながらの充実した山城探訪となった。
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2022/05/11 20:57
御飯ノ山城散策 (2021/10/07 訪問)
職場近くにある御飯ノ山城を訪ねてみる。
香椎台の戸建て住宅街で造成されほぼ遺構は残っていない。案内板と山城の模型が公園内に残る。
『筑前国続風土記』では大友氏家臣の一万田弾正が籠ったとあり、立花山城の出城ともある。『筑前国続風土記拾遺』には香椎宮が城主を置いたところではないかともしている。『筑前国続風土記拾遺』には城ノ腰と呼ばれ東西二つの峰で構成されるとある。
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2022/05/11 20:53
英彦山登山と松尾城 (2021/10/02 訪問)
英彦山登山の帰路、黒田六端城のひとつである小石原にある松尾城を訪問する。
松尾城は戦国時代、秋月氏の家臣と考えられる宝珠山山城守の居城と伝えられ、黒田家入国後は、黒田六端城の一つとして仲間統胤が城主となったが、一国一城令で廃城となる。
標高は510mくらいだが駐車場からの比高は50mほどである。
城址までの山道は整備されていたが、主郭内部は丈の高いススキで覆われて入るのを躊躇われ、遺構もよくわからなかった。主郭南側の石垣、虎口の石垣を見て下る。
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2022/05/11 20:47
2022/05/11 20:42
風天山登山と綾部城探訪 (2021/06/24 訪問)
鎮西山城探訪後、宮山城(綾部城)を訪城する。
宮山城(綾部城)は、藤原通良によって築かれたと云われ、
鎌倉時代に通良の子通俊が綾部荘を賜わり綾部氏を名乗って居城としたらしい。その後、天正年間(1573年〜1592年)頃には龍造寺氏の家臣綾部鎮幸が城主となっていたらしい。
綾部八幡宮近くにある風天山公園駐車場に車を停めて、まずは綾部八幡宮にお詣り、神社の横から遊歩道を登る。登山道は夏草が生い茂って覆い隠されて歩きづらく、遺構も草に覆われてよく確認できなかった。やはりこの季節は山城巡りにはあまり適さない。
下りてきて参道の喜久屋というお店で名物の「あやべさんぼたもち」を買って帰る。
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2022/05/11 20:34
2022/05/11 19:17
スタンプのみ登城 (2022/05/06 訪問)
時間があまりなかったためスタンプのみ押印
JR小机駅そば 城郷小机地区センターの入口を入ってすぐの場所に、スタンプが設置されてました。
スタンプの横には小机城周辺ガイドマップも置いてありました。
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2022/05/11 18:18
2022/05/11 13:37
内濠と石垣 (2009/05/15 訪問)
木造復元三重御櫓からの続きです。
先に木造復元三重御櫓中心に東西南北の姿を投稿致しましたが、本丸を囲んでる内濠、余り探訪されない北側の裏の姿も今回、家内も同行して呉れ本丸一巡致しました、北側の内濠も広く、樹木、桜の葉っぱに覆われていますが周囲の石垣がちらちらと観る事が出来ます。
探訪したのが13年前の平成21年5月中旬で東日本大震災発生の2年前の写真投稿に成ります。それから震災大被害を被り石垣の修復も平成29年末には完了し昔の姿に戻って居り、本丸清水門の木造復元が計画されて居り令和5~6年度には姿を現しそう、期待して待って居ます。
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2022/05/11 12:02
木造復元三重御櫓 (2009/05/15 訪問)
日光・会津・松島名所名湯3泊4日定年退職旅行、家内の要望と私の城廻りを兼ね合わせ、前泊の鬼怒川温泉を出発し今回の2城目白河小峰城へ13年前の平成21年5月中旬登城。
車はレンタカー、二の丸南の専用駐車場に駐める。
過去に私は復元三重御櫓、城跡は探訪済みですが家内は初めて、二の丸、清水門跡、本丸、復元前御門、木造復元三重御櫓、登閣、本丸御殿跡、西の一段高い曲輪2重櫓跡、竹の丸、本丸水堀を回り込んで本丸北裏、バラ園、尾廻門、北側の内濠、北から西に廻り内濠とい石垣、三重御櫓も眺める、西から南に廻り、二の丸へ一巡する。
木造復元三重御櫓は平成3年、前御門は平成6年に竣工公開されてる。
現在残ってる石垣城跡は寛永4年(1627年)棚倉から丹羽長秀の嫡子長重が10万石余で入封し石垣造りに大改修し今日の姿を観る事が出来ます、しかし寛永20年(1643年)丹羽氏は二本松に国替え、二本松城の石垣造りの城郭に大改修、結構いじめられていますね? 小峰城も二本松城も石垣造り城跡を今日見る事が出来るのは丹羽氏のお陰です。
三重御櫓中心に写真投稿致します。
続きで内濠と石垣編を投稿します。
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2022/05/11 11:59
寺尾城 訪問 (2022/05/10 訪問)
2020年2月11日の鶴見れきぶん祭に参加し、寺尾城に関する講演
「戦国の城の楽しみ方、寺尾城の魅力」萩原さちこ氏
「小田原北条氏、東へ!~小田原城と寺尾城~」諏訪間順氏/枡野俊明氏/二宮博志氏
を聞いて以降、訪問したかったのですが訪問する機会がなくやっと訪問することができました。
車を殿山公園近くのコインパーキングに駐車し、殿山公園を通って主郭方面へ向かいました。
今は、住宅街となり寺尾城の遺構はあまりないですが、地形や地名はここに城があったのだと思わせるものでした。
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2022/05/11 11:36
小机城 訪問 (2022/05/10 訪問)
以前、小机城と同じ区内に住んでおりましたが、訪問するのは初めてです。
まずは、小机駅前のコインパーキングに車を止めて城郷小机地区センターで続100名城スタンプと案内パンフレットをゲットしました。
空堀などの遺構が良く残っておりなかなか良かったですが、第三京浜により分断されてしまっているのは残念です。
御城印は、横浜市歴史博物館で購入できます(通信販売もあります)。現在、小机城発掘調査記念の特別御城印が販売されています。
令和三年秋、横浜市による初めての発掘調査が行われたそうです。
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2022/05/11 11:25
榎下城 訪問 (2022/05/10 訪問)
以前、榎下城から車で10分程度の会社に勤めていましたが初めての訪問になります。
最寄りのコインパーキングに駐車して5分程度で榎下城址に到着しました。円城寺の境内には案内板もありました。
遺構はあまり残っていないようでしたが雰囲気のいい感じでした。
なお、御城印は横浜市歴史博物館で購入できます。(通信販売もあります)
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2022/05/11 08:09
膳所藩代官所(大阪府河内長野市古野町) (2022/04/20 訪問)
膳所藩代官所(城びと未登録)は、江戸期に錦部郡内の膳所藩領の代官所として設けられ、明治まで存続しました。
現在の長野こども学園の北東に位置し、絵図面によれば総坪数は300坪を超え、北側に門を設けた造りだったようですが、遺構は消滅しており、こども園の東側に石碑が、西側に説明板が建てられているくらいです。
なお、代官所は堺からの西高野街道に近接して設けられていたようで、説明板の少し南には九里の道標石が現存しています。さらに代官所から少し南(徒歩5分)の本町で京都からの東高野街道と合流して高野山へと続いており、人や物の往来が盛んな地であればこそ、この地に代官所を設けたのかもしれませんね。
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