あおがだいじょう

青ヶ台城

神奈川県横浜市

別名 : 青ケ台城、青ヶ城、青ケ台城山
旧国名 : 武蔵

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にのまる

三浦半島のんびり路線バスの旅 (2022/10/29 訪問)

 近くなのでいつでも行けると先延ばししていた三浦半島の6城を一日かけてまわってきました。(写真⑤の順です。)
青ケ台城跡地は宅地化され旧状は不明とのことです。(大系より)
金沢文庫駅からとりあえずいちばん近そうな公園「釜利谷赤坂公園」へ徒歩で向かいました。途中から急坂で、山を切り崩した団地であることは一目瞭然。
城ピンの場所は公園から写真②の階段を上ったところでした。見晴らし最高。ここが砦を築いた山上だったのかもしれません。せっかくなので城ピンちょうどの場所に立ってみました。あと、近くの消火栓……。

“ニアミス判明”は何度かありましたが、今度は場所が場所だけにびっくりです。
先に赤い城さんの苅谷丸山城レポを読んでいたら少し踏み込んでみたかもしれないし、当日、時間が重なってお見かけしていたら、距離おいて、しれーっとついていったかもしれない(¬_¬)し、情報聞きだそうとしたかもしれないです^^;

ちなみに神奈川県コンプのめどは立っていません(-_-)zzz

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赤い城

近くの能見堂には城の匂いが (2021/12/20 訪問)

京急の金沢文庫駅から徒歩で30分くらい。
お城EXPOへ行く前に立ち寄りました。
城跡を示す場所は住宅地になっていて遺構はありません。
執権北条氏一門の金沢氏の居城とされています。
高台にあるので何となく城の気配は感じることができます。
金沢文庫駅からここに来る途中のハイキングコースにある能見堂緑地に空堀や土塁がありました。
当時の物かどうかは不明ですがこの辺りまで城域だったのではないでしょうか。
しかし城があったとされる記録は今のところ無いようです。

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チェブ

青ヶ台=阿王ヶ台。 (2021/05/02 訪問)

鎌倉幕府の執権で北条家一門の、金沢 貞顕さん貞冬さん親子の「青ヶ台城」です。
どちらかと言うと、貞冬さんの居城のようです。

住所検索して向かいましたが、『青ヶ台』の名がありません。
住所で到着した場所は住宅街と団地です。
近くに公園があり、気付きました。
『青ヶ台』=『あおうがだい?』=『阿王ヶ台!』
です。
阿王ヶ台公園には土塁のような物がありましたが、遺構かは分かりません。
サッカーの練習をしている阿王ヶ台キッズが元気にボールを追いかけてました。

『青ヶ台』の方が読みやすいのに、なぜ『阿王ヶ台』に改名したか気になる「青ヶ台城」攻めでした。

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城好きのメガネ

「青ヶ台城」 (2020/03/24 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
青ヶ台城は鎌倉幕府の執権であった北条貞顕が築いたとされる。北条貞顕は、金沢流北条顕時の子で、六波羅南方に任じられる。その後、北条高時が病気で執権職を辞職して出家すると、高時の子・邦時が成長するまでの中継ぎとして擁立され、15代執権に就任する。しかし、北条高時の弟・泰家や安達氏の反発にあい、わずか10日で執権職を辞して出家した。1333年、新田義貞が鎌倉に攻め寄せた。この時、貞顕の嫡子の貞将らは、巨福呂坂で討死にした。貞顕は高時と共に北条得宗家の菩提寺である鎌倉・東勝寺に移り、新田軍と善戦した後、自刃した。現在、遺構は消滅している。

*金沢文庫は、金沢北条氏の北条実時が創設した武家の文庫である。顕時・貞顕・貞将の三代にわたって受け継がれた。金沢北条氏が滅亡後、文庫は隣接する菩提寺の称名寺(国史跡)によって管理された。金沢北条氏歴代(実時、顕時、貞顕、貞将)の肖像画(いずれも国宝)は必見である。

<アクセス>
京急電鉄 金沢文庫駅 徒歩15分

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 金沢貞顕
築城年 鎌倉時代
主な城主 金沢氏
遺構 消滅
住所 神奈川県横浜市金沢区釜利谷東4