ふなげじょう

船上城

兵庫県明石市

別名 : 明石城、明石古城、林ノ城
旧国名 : 播磨

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中央の台地部分が本丸跡
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イオ

船上城跡散策地図 (2019/10/13 訪問)

天正の国替えにより摂津国高槻から移ってきた高山右近により築城(改修)されましたが、右近はバテレン追放令にともなう改宗を拒んだことで追放されて、豊臣秀吉の直轄領となり、姫路藩の支城を経て、明石藩・小笠原忠政の居城となったも束の間、明石城の完成により廃城となりました。

田んぼの中の台地が本丸跡で、その北側を南東方向に流れる古城川が内堀代わりだったようですが、本丸跡は私有地のため立ち入りできず、船上城跡散策地図が設置されている船上西公園から古城川越しに眺めるだけです。
その他、明石城の南西には船上城から移築された織田家長屋門が現存し、明石城の巽櫓は廃城となった船上城の建材を用いて建てられたと伝わります。

この日は、明石城周辺をさんざん歩き回った上に、明石港から宮本武蔵の作庭とされる円珠院を経由して25分ほど歩いて登城したため、着いた頃にはそれ以上散策する気力がありませんでしたが、次の機会には船上城跡散策地図(現在と過去を対比してなかなか良くできてます)をもとに、かつての城下を歩いてみたいものです。
 

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シロマサ

船上城跡 (2019/05/08 訪問)

高山右近が築城した城で明石城の新城で消滅した。
パークンパーク新明町のコインパークを使用した。(台数9台)月極めがあるので注意。
隣にセブンイレブンがあります。
船上西公園の立看板の地図を参考に。
古城川に大きな鯉が泳いでいた。

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勝野武士

高山右近と海城の面影を探る。 (2019/03/31 訪問)

枝吉城へ行ったついでといいますか、高山右近つながりということで、日も暮れかかっているけど近所だし、行くっきゃないでしょう、船上城。

ということで、およそ10年以上振りの船上城を散策してきました。
明石警察署の裏手に公園がありまして、非常にわかりやすい説明板があります。今回はこれをもとに歩いてみました。

さぁ、いざ本丸へ!と思って説明板を見ると、
『私有地につき、立ち入りはご遠慮下さい』
と。
昔は畦道を通って普通に入れたんですけどねぇ…残念。
とりあえず公園から本丸跡を一望できますので、これにて我慢。
本丸跡は戦後に農地としてゴリゴリ削られながらも一画に祠が祀られて一部だけ残っております。
なぜここに祠が祀られているのか?ここが天守跡だから辛うじて残されたのかと勝手に邪推してみる。はい、何も根拠は御座いませぬ。

城の面影を残すものといえば、あとは本丸跡のすぐ横を流れる古城川でしょうか。これは当時の内堀の跡なんだとか。これを下流側に辿っていけば古波止(当時の船留場跡)になるようですが、これまた例によって宅地化されまくって何も残っておりません。

ただ、何となく痕跡っぽいものもいくらかあります。
高山右近が教会として使用した宝蔵寺や不自然な道の付き方(虎口の跡?)などがあります。
しかし、説明板にあった土塁跡は最後まで判らず。(望海浜公園北端辺り?)
そして暗くなってきた上にカメラの充電も切れてしまい、タイムオーバーでございます。

せめて要所要所に場所を示す説明書きは欲しかったなぁと思うのは贅沢でしょうか(泣)。
そして、もうちょっと下調べして、次は出羽殿堤とかもう少し細かく探訪してみようかと思います。
リベンジだ!

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織田晃司

船上城移築長屋門の (2018/12/09 訪問)

織田家長屋門。明石駅から西に約300m行ったところにあります。

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城郭情報

分類・構造 平城、海城
天守構造 望楼型?[3重?/築年不明/破却(廃城)]
築城主 別所吉親
築城年 永禄年間(1558~1570)?
主な改修者 高山右近
主な城主 蜂須賀氏、高山氏、池田氏、小笠原氏
廃城年 元和6年(1620)
遺構 曲輪、横堀(水堀)、土塁、移築長屋門
指定文化財 市文化財(長屋門)
再建造物 説明板
住所 兵庫県明石市林崎町、林、田町、船上町他
問い合わせ先 明石市教育委員会事務局地域連携課
問い合わせ先電話番号 078-918-5057