ふなげじょう

船上城

兵庫県明石市

別名 : 明石城、明石古城、林ノ城
旧国名 : 播磨

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北西から
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水田に守られた本丸 (2023/06/11 訪問)

田植え後の船上城本丸の微高地は、全周、水田で囲まれています。更に、その北側〜北東側は、かつても堀であった古城川が守り、それ以外の方面は、田んぼ脇まで住宅が立ち並んで容易に人を寄せ付けません。
北西隅に田んぼに降りる通路が二ヶ所あり、畦道に行けます。靴の幅より少し広い畦道が微高地とを結びます。
城下に船着き場があったと。かつてより海岸は沖側に後退しているのでしょうが、今でも海岸まで歩いてそれほどかからなかったです。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ遠征1日目:船上城 (2022/07/20 訪問)

舞子台場からの転戦です。西新町駅から徒歩6~7分くらいで、船上西公園(34.647993、134.975544)に着きました。
城址の稲荷を確認しようと稲荷入口(34.647531、134.975352)付近まで行きましたが、私有地で立ち入り禁止で断念しました。
その後、17~18分くらい歩いて、明石城に移築された織田家長屋門(34.650229、134.988611)を確認しました。
織田家長屋門から明石駅に戻る途中、ライトアップされた明石城を確認。なかなか幻想的ですね。
明石城の攻城は2回目(1回目は2018/12/2)になります。

船上城は豊臣秀吉の命により、高山右近が築いたとされる城です(それ以前に別所吉親による築城説もあります)。
しかし、1587年(天正15年)に発令されたバテレン追放令によって右近は追放されることとなり、その後は秀吉の直轄領となって城番が置かれました。
「関ケ原の戦い」後は池田輝政が姫路城の支城として、八男・利政を城主としました。
「一国一城令」後には城としての機能はほぼ失われており、1619年(元和5年)に明石城が築かれると廃城となりました。

船上西公園と古城大明神の祠本丸跡の間の古城川は堀の役目をしていたような感じです。
明石城外堀沿いに移築現存された織田家長屋門も忘れずに。また、明石城の巽櫓は船上城の天守か櫓を移築したものと伝わっています。
攻城時間は移動時間も含めて35分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストで本日の宿泊先がある西明石駅に向かいました。明日から四国遠征です。

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おっちゃん

船上城跡散策地図 (2017/09/24 訪問)

現地案内板より抜粋。

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todo94

ふなげ (2021/11/13 訪問)

「ふなげじょう」と読むのですね。駐車場所には難儀しました。公共交通機関でのアプローチが正解のようです。

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城郭情報

分類・構造 平城、海城
天守構造 望楼型?[3重?/築年不明/破却(廃城)]
築城主 別所吉親
築城年 永禄年間(1558〜1570)?
主な改修者 高山右近
主な城主 蜂須賀氏、高山氏、池田氏、小笠原氏
廃城年 元和6年(1620)
遺構 曲輪、土塁、横堀(水堀)、移築長屋門
指定文化財 市文化財(長屋門)
再建造物 説明板
住所 兵庫県明石市林崎町、林、田町、船上町他
問い合わせ先 明石市教育委員会事務局地域連携課
問い合わせ先電話番号 078-918-5057