みんなの投稿

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城好きのメガネ

「久能山城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★★★☆☆
久能山城は、垂直に近い崖で囲まれた駿河随一の要害である。武田氏が駿河支配の拠点として中世山岳寺院を改修した。武田氏滅亡後は徳川氏の支配下に入った。徳川家康の死後、遺骸が遺命によって久能山に葬られ、1617年12月には徳川秀忠によって東照社(現・久能山東照宮)の社殿が造営された。駿府城代支配の職である久能山総門番として交代寄合の榊原家(榊原康政の兄・清政の家系)であった。現在、武田氏築城時の伝山本勘助の井戸が遺されている。

<アクセス>
JR静岡駅 しずてつジャストラインバス「日本平ロープウェイ行き」下車すぐ

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チェブ

酷暑ドライブ。 (2020/08/29 訪問)

コロナ感染防止!
って、言うよりも酷暑で外出を控えていた、と言う方が正解だった8月。
この日も予想気温35度。
退屈な週末から脱出する為、東京の端っこから、あっちの端っこ板橋区の「赤塚城」に行きました。

千葉氏が「市川城」から引っ越し築城しました。
千葉県から?
説明板に千葉 実胤・自胤兄弟の名前が記載させていたので調べてみれば、
古河公方 足利氏VS関東管領 山内上杉氏の戦いで千葉兄弟と父は上杉方に加わりました。
千葉氏の重臣は古河公方側。
千葉家の内乱で逃れて来ます。 そこを扇谷上杉氏の重臣 太田 道灌さんが保護し「赤塚城」へ。
かなり端折りましたが、大まかな理由です。

都立赤塚公園が「赤塚城」の一部です。
長いドライブだったので、一番近くのコインパーキングに駐車しました。
溜池公園があり、釣りを楽しんでいる方々がいました。そちらに向かう途中に公園案内図があり逆に進んでいる事が判明、美術館の裏側が「赤塚城」です。
ぐるっと美術館を周り、シックなカラーのセブンイレブンを曲がると写真②の階段があります。
登った所が写真③の梅林です。その奥が本丸です。
盛り上がっている場所があり、土塁が低くなってしまったのかと思ったら、掘を埋めたとのこと。
土塁だと、はしゃいでしまった。まだまだですな。
この公園、不思議な事に違った意味で大人の遊び場でした。
溜池の釣り。お城巡り。美術館。
そして虫取アミを手にした、おじさまが2名。
みんな夢中です。

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城好きのメガネ

「戸倉城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
戸倉城は、狩野川が大きく蛇行した舌状丘陵上の先端に築かれた。今川氏が見張り所として築き、今川氏の勢力が衰退した後に、後北条氏の北条氏尭が城主となった。小田原征伐後、廃城となる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR沼津駅 東海バス「八幡神社前」下車すぐ

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城好きのメガネ

「泉頭城」 (2020/03/25 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
泉頭城は、交通の要衝であったことから1554年に北条氏康が武田氏の侵攻に備えるために築いたとされる。武田氏との最前線として重要な役割を担い、武田氏滅亡後は、徳川氏に対する最前線の城へと変わった。小田原征伐により、泉頭城は廃城となった。現在、柿田川公園として整備されており、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR三島駅 徒歩20分

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ぴろちゃん

烏城灯源郷 岡山城 (2020/08/29 訪問)

イベントに行ってきました。夜のお城もよかったです。秋にもあるそうなので、お隣の後楽園とともに、また訪れたいです。

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三浦の晃ちゃん

整備されていました。 (2020/08/28 訪問)

名城スタンプの設置場所である、高崎市役所箕郷支所に、行ったところ、ここ何年かで、かなり、整備をしたとのことでした。現地まで、車で行けました。熊出没注意の看板に、驚きました。

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イゾウ

雲ひとつない青空 (2020/08/29 訪問)

結婚してゆかりの地となった天草のお城、富岡城へ!ほどよく地形、石垣、縄張りがしっかりしているので、城跡に行ってる感がとても印象的でした

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朝田 辰兵衛

渡部城(新潟県燕市) (2020/08/29 訪問)

【わたべ じょう】渡部は地名で,かつては渡戸(わたりへ)と言われていました。船2隻が置かれており,佐渡への渡海拠点としての城だったようです。信濃川の氾濫を防止するため,大河津分水が作られ,城域の一部が開削されました。この時(1910年)に,渡部城に菅原神社が遷座したとのこと。
なお,多目的トイレは祀られておりません…<笑>。そもそも,トイレ自体が整備されておりません。あの方とは一切関係ないようです。

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ヒロケン

日本五大山城の一つ (2020/08/10 訪問)

観音寺城は滋賀県近江八幡市安土町にあった佐々木六角氏が築いた山城です。中世城郭としては全国でも最大規模で日本五大山城の一つとして数えられています。
自立性の高い有力国人の連合政権的な性格の強い南近江の支配形態がそのまま城跡に反映されているように、有力国人衆の広い屋敷を持つ郭を多数配し、単純な構造となっています。中でも平井丸、落合丸、池田丸は有名で、平井丸の平井定武の娘は織田信長の妹、お市の方が浅井長政に嫁ぐ前の前妻として有名です。

現在、曲輪・土塁・石垣・竪堀・虎口・堀切・井戸などが良好に残り戦国の名残を今に伝えています。

観音寺城は4度目の登城となりますが、実は!!過去3回は”大石垣”の存在を知らず見逃していました(;゚Д゚)。2018年12月25日の「にのまるさん」の投稿で初めて大石垣の存在を知り、いつか行こうと決めていました<(`^´)>。
今回は、繖山の麓からの登城は、時間がない!体力がない!暑い!との理由から、600円を支払い繖山林道を車で通行し、観音正寺手前10分位(観音正寺まで石段400段を上る)の駐車場に駐車し登城しました。(観音正寺拝観料500円を支払います)
合わせて1100円は少々痛かったが2年越しの念願、大石垣が見れ(*^-^*)満足した登城でした。

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だんご

酷暑の上田城 (2020/08/29 訪問)

正門から入り、表面のみ舐めるように歩いてギブアップでした。
次はきちっと散策します。
いい石垣でした。

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小城小次郎

神の砦の名を持つ特別な場所 (2020/07/24 訪問)

「神の砦」の名を持つこのチャシは単なる祭祀施設でも防御施設でもなく、恐らくはその双方の意義を兼ね備えた「民を守る神聖な空間」であったのだろう。今も爽やかな風が吹く、素敵な場所だった。

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カズサン

【三河石橋城】愛知県新城市 奥平氏流石橋氏の城 (2015/05/15 訪問)

 平成27年5月中旬三河亀山城を終えて直近の道の駅「つくで手づくり村」の国道301号線を渡って直ぐ北に在る石橋城(慈昌院境内)を初登城。車は道の駅にそのまま停めて。
 石橋城は国道301号線北の丘陵地先端を活用した方形城館、南、西が崖、北、東が土塁、堀で護られてる、石橋久勝は奥平氏2代貞久の2男でこの地に屋敷を構え石橋氏を称した、天文6年(1537年)石橋繁昌は主君への謀反が露呈し郎党40人余が奥平貞勝により成敗され討死、後年一族の死を哀れみこの地を奥平氏からもらい受け石橋山慈昌院とした。(案内板抜粋)
 
 三河亀山城の投稿にも書きましたが道の駅に旧作手村に点在する城跡の史跡巡り案内板が有る要参考。奥平氏の亀山城、石橋城、文珠山城、川尻城、塞之神城、武田氏侵攻の古宮城と案内図に載ってます、案内図に掲載されてない遺構も周辺に沢山有る様です。
 ぶらっと車で来られ一日中旧作手村の城跡を巡るのも一興です、この当時は続100名城に認定されていませんでしたが古宮城も近くに在り圧巻の武田氏土の城です。

 土塁、堀の写真を取り損ね投降出来ませんがご勘弁を!!

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赤い城

岐阜城を望む道三ゆかりの城 (2020/08/14 訪問)

今回は鷺山公民館駐車場に車を停めて登城。
登城口に石碑が立っています。
主郭部まではそんなに時間はかかりません。
派手な遺構はあまりないですが曲輪や堀切、竪堀っぽい部分を見ることができます。
東側からは岐阜城を望むことができます。
跡で調べて見ると心洞寺からの登城の方が良さそうかもしれません。

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カルビン

時崎城 [千葉県佐倉市六崎864] (2019/04/06 訪問)

JR成田線で久しぶりに佐倉城再訪を含めて周辺のお城巡りした時に、城びとに登録されてはいるものの遺構もお城を示すものも何も無いとされる城城ってどんなものか見てやろう(←なんとなく上からww)と思って行った際に立ち寄ったのが時崎城です。

実は城城の場所をgoogle mapで確認していた際に偶然時崎城を見つけたわけで・・・はい、城城から目と鼻の先にあります。
しかもJR佐倉駅からは城城より時崎城の方が近いし解説もあるって・・・登録すべきお城、逆じゃない?w

時崎城は私有地内のようで、管理者様のご厚意によって見学路が整備された丘城になっております。
遺構はそんなに無いものの、名前だけで何も残っていないのに比べればコチラのほうが全然良いかと。

林の中に土塁、奥の主郭跡地には井戸跡(良く見ると窪んでいるのがわかりました・・・落葉で埋もれていなければ解りやすいと思われますが・・・)、後は切岸や虎口と思われる地形が見られました。


この後ここから500mくらい離れた場所にある城城(と思われる場所)も見に行きましたが・・・本当にな~んも無いんですね。。。時崎城が無かったら納得いかずにイライラしていたかもしれません(ーДー;)
実は時崎城こそが城城の正体だった・・・・と言う事にして欲しい(;Д;)

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カズサン

奥三河作手奥平氏を代表する山城 (2015/05/15 訪問)

 まだまだ城廻りが出来ない状況が続いてますのでH27年5月中旬に探訪した新城市作手地区の亀山城を投稿します。
 亀山城は新城市の標高500m台の高原盆地、国道301号線奥三河旧街道の要所に在り、道の駅「つくで手ずくり村」北東直ぐの山手丘陵に在ります。
 駐車場は道の駅「つくで手ずくり村」または裏側北東200m程離れた亀山城大型駐車場(こちらが近い)

 今回の登城ルートは専用駐車場→東裾を廻り→西曲輪(その間東曲輪、本丸東下横堀、西曲輪下腰曲輪を観察)→本丸下東切岸、腰曲輪→西曲輪、土橋→本丸搦手虎口→本丸、周囲土塁→本丸大手虎口→二の丸→二の丸枡形虎口→二の丸北横堀、大堀切→国道301号線に回り西側丘陵の亀山城を眺める、大看板が良く見える。

 城跡は良く残り景観保全も良好、各曲輪と夫々の土塁、枡形虎口、横堀、堀切、本丸切岸が良く確認でき素晴らしい造りです。

 歴史的には上野国甘楽郡奥平郷より天授年間(1375年~1381年)作手領主山崎氏を頼り作手地方に移住、勢力人望を得て、川尻城経て亀山城を築き5代居城、国人領主として今川氏に従い義元倒れた後、武田氏、徳川氏の抗争の中、奥平貞昌(信昌)長篠城主に家康より命じられ長篠城籠城戦を耐えて設楽ヶ原合戦で勝利への軍功を挙げた。
 家康関東移封後は上野国甘楽郡へ3万石の領主、関ヶ原合戦後信昌の4男、松平忠明が作手藩1万7千石に封ぜられ亀山城が支配拠点に、再改修されたか? 慶長15年(1610年)伊勢亀山城へ移封されここは廃城と成る。

 道の駅「つくで手づくり村」の作手地区の案内板には作手史跡巡り案内が有り、亀山城をはじめ、石橋城、文珠山城、塞之神城、古宮城、川尻城、作手歴史民俗資料館、を巡る約10kmの各コースが紹介されてます。

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あるびの

会津若松城 (2020/08/27 訪問)

初めてのお城です。遠くから小田原城や松本を見てた事は有るんですが、実際に本丸に入ったのは此処が初めて。
これから色々なお城を訪ねたいと思います。

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入山神

長井戸城跡 (2020/08/26 訪問)

茨城県猿島郡境町大字長井戸991
長井戸香取神社の境内となっている。土塁、空堀の遺構あり。

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赤い城

ここにも済美高校 (2020/08/14 訪問)

加納城から徒歩で5分。
済美高校の片隅に石碑と説明板が立っています。
遺構はありません。
ここの済美高校は知りませんでしたが(ゴメンナサイ)「やればできる」を魔法の合言葉にこの後行軍致しました。
革手城というのが一般的なようです。

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小城小次郎

引き際が実に潔いではないか (2020/07/23 訪問)

新政府軍の接収を拒んだ南部藩士は12年間滞在した陣屋に火をかけ、胸を張って南部藩へと帰還したのだとか。今の時代、その是非についての判断はできないが、なんとなく胸のすく思いではある。

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キンヤ

主郭を囲む土塁がよく残る、三瀬氏の城砦 (2018/12/16 訪問)

北畠具教の家臣の三瀬左京が築いたとも云われ、具教を殺害した長野左京亮と同一人物との説もあるようです。

映画「忍びの国」では具教と長野左京亮が斬り合うシーンが印象的でしたし興味深いです。

主郭は、伊賀の城で見られるような土塁で囲まれ、分厚い土塁がよく残ります。
主郭の西側に隣接して、もう一つの郭があります。

今は土塁だけの防御に見えますが、かつては主郭の東側・北側には一部石垣と空堀があったともされます。

主郭東側以外の三方の下は川の急斜面で天然の要害です。

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