武田に追われ絶対絶命の窮地にあった諏訪頼重が最後に立て籠もったのは本城の上原城ではなく支城の桑原城。道を間違えて別の山に登ったりと散々な登城だったが雨に煙る桑原城にはなんともいえぬ雰囲気があった。
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2022/09/21 21:37
2022/09/07 22:10
上原城の支城 (2022/08/15 訪問)
国道20号線の山手に看板があり、その方向に向かって上って行きます。
と女には咳と説明板があり、さらに車でも行けそうですが砂利道で細く急。
車はここに置き徒歩で行くことにしました。
10分くらい登ると城域に、さらに登ります。
首塚の案内板があります。
さらに進むと主郭と二郭の間の堀切に出ます。
上原城の支城で諏訪氏の居城。
武田信玄に攻められ諏訪頼重が籠城、自害した城です。
主郭から諏訪湖を望むことがです。
この日は曇ってて眺望は今ひとつでしたが晴れていたら綺麗なのでしょう
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2021/12/25 23:53
2021/07/10 07:10
JR飯田線/身延線沿線城巡り2日目:桑原城 (2021/06/28 訪問)
JR飯田線/身延線沿線城巡り2日目の19城目は桑原城(2日目のラスト)です。
金子城から転戦。登り口空スペース(36.02808、138.13810)に一旦駐車しましたが、車で登れそうなので、そのまま中腹まで車で登りました。。
桑原城は築城時期等については不明ですが、桑原氏によって築かれたと伝わり、諏訪総領家の本拠・上原城の支城としての役割を果たしていたようです。
1542年(天文11年)武田信玄が諏訪へ侵攻し、上原城の諏訪頼重を攻めると、頼重は上原城を焼き払って桑原城へ退却し籠城しました。
しかしその後、頼重は降伏し甲斐へ連行され、切腹することとなり諏訪氏は滅亡し、桑原城はまもなく廃城となったそうです。
現在、城跡は標高981m(比高差約190m)の山頂や尾根に、本丸跡、二の丸跡、東郭、西郭、土塁、空堀などの遺構が残り、本丸跡、二の丸跡からは諏訪湖が一望できます。
右足膝痛なので、県道沿いの登り口から続く細い道を中腹まで車で行きましたが悪路です。空濠、堀切などが残されています。
途中、本丸下に首塚があります。
攻城時間は25分くらいでした。(今日はホテルでマッサージかな?)
2日目の攻城徒歩数=20603歩、攻城徒歩距離=16.07Kmでした。
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
天守構造 | 不明 |
築城主 | 諏訪氏 |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 諏訪氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
指定文化財 | 県史跡(諏訪氏城跡) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 長野県諏訪市四賀5386他 |