はさたにじょう

波佐谷城

石川県小松市


旧国名 : 加賀

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歳月の経過 (2024/08/01 訪問)

2021.12にまーくさんが登城、2021.11にしんちゃんさんが登城しておられます。その後、3年に満たないですが、ちと藪化が進み、標識類も えー味を出しています。本丸南西尾根の二重堀は、茂みをかき分け探索。山中の木の標識が、激しく損傷しているのは、人のせいか、獣のせいか?
 しんちゃんさんの「波佐谷城は前身である松岡寺とセットで訪問したほうが良いでしよう」とのアドバイスに従い、まず、松岡寺を目指しました。波佐谷城に行く途中で分岐すればよいのですが、勘違いして、直接、松岡寺へ登る道をしばらく探してました。幸い、磯前神社の右脇に登り口がありました(写真9)。松岡寺跡と波佐谷城登城道の途中には氷室跡も。
 登城前に公民館前で地元のおばあさんとお話しました。松岡寺(しょうこうじ)のご本尊は、今、公民館に納められており、地元では、松岡寺と言うと公民館を指すのですと。

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しんちゃん

本丸は二段構造で土塁を残す。松岡寺とセットで訪問するべき。 (2021/11/21 訪問)

波佐谷城は前身である松岡寺とセットで訪問したほうが良いでしょう。松岡寺跡も城の
郭として機能していたようで一部、土塁を残しているようです。
まずは北東の出丸から松岡寺に向かいます。遺構を確認した後は道標に従い本丸を目指します。
本丸は二段の構造になっていて、上段の郭の周囲にはわずかですが土塁が残ります。
松岡寺は蓮如の三子蓮綱兼祐の創建とされ、「三山の大坊主」の一つとされますが享禄4年(1531)
の錯乱で焼失。そのあと宇津呂丹波が城郭として築いたとあります。丹波は一揆方の武将の一人ですが
天正8年(1580)柴田勝家によって城は落とされ、丹波とその子、藤六の首は織田信長の下に運ばれました。
その後、波佐谷城には信長家臣、村上勝頼の一族の村上勝左衛門が入ったとされています。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ13日目:波佐谷城 (2022/08/01 訪問)

和田山城からの転戦です。波佐谷公民館駐車場(36.343030、136.481914)に駐車しました。裏手に登城口があります。

築城年代は定かではないようですが、宇津呂丹波によって築かれたと云われています。
波佐谷城の地には、かつて本願寺蓮如の子蓮綱が創建した波佐谷松尾寺があり「三山の大坊主」と呼ばれたそうです。
松尾寺は1531年(享禄4年)超勝寺方によって制圧され消失しましたが、その後に波佐谷城が築かれたと考えられているようです。
1580年(天正8年)柴田勝家の軍勢によって落城し、宇津呂丹波、藤六父子は討ち取られ首は安土に運ばれました。
この後、村上頼勝が小松城主となり、その一族の村上勝左衛門を波佐谷城主としたそうです。

波佐谷公民館のところに案内板があります。時間の都合で登城はパスしました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=御幸塚城に向かいます。

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まーく

加賀攻城編 ④波佐谷城 (2021/12/25 訪問)

一向一揆勢が居城したと伝わる山城
天正8年、織田方の武将柴田勝家に敗北した
宇津呂丹波・藤六の親子が城主と伝わる

駐車場はなく、公民館前に駐車させていただきました

御城印は那谷寺前の那谷食堂花山亭にて販売
こちらでは大聖寺城、松山城、小松城、岩倉城、
御幸塚城の御城印が購入可能です

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 宇津呂丹波?
築城年 戦国時代
主な城主 宇津呂丹波
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸跡、虎口
再建造物
住所 石川県小松市波佐谷町