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T-Shionoya

お城EXPO 2021 (2021/12/19 訪問)

行ってきました! お城EXPO 2021。

今年は三浦と多古の、これまで私には馴染みのなかった時代を学習し、
セーシェル共和国?
アンティグア・バーブーダ?
何故か国旗のお勉強。

プランAが叶わなかった心残りはあるものの、プランBで充実!充実!

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー44城目 (2021/11/03 訪問)

小学館のビジュアルワイド「日本名城百選」に載っていたので続100名城選定の遙か前に訪れてその素晴らしさには触れていましたが、続100名城選定によって整備がどんどん進んで嬉しい限りです。昔はなかった駐車場もこんなに用意されているとは。案内所が出来てからは初めての攻城でした。個人的には、100名城の佐倉城以上、千葉県の城で最も好きな城です。ただ、セッテイ山には相変わらず整備の手が入っていません。いつか、きれいに整備されて壮大な空堀を拝めるようになりますように。

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イシテル

屏風折れ土塀が復元されたお城 (2021/12/18 訪問)

昨年、「屏風折れ土塀」が復元されたと城びとの記事「理文先生のお城NEWS解説」で紹介されていましたので、見てきました。
この「屏風折れ土塀」や「二之丸丑寅櫓」には人があまりおらず、本丸丑寅三重櫓ばかり写真撮影で人が集まっています。
こちらの方が全国でも珍しい復元なのに分っている人は少なく残念です。
地元の取組に感謝します。

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Tiger

変な場所にある畝状阻塁 (2021/10/03 訪問)

中部横断自動車道 富沢ICの近くにあります。

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イシテル

寺部城(愛知県西尾市):小笠原諸島を発見した幡豆小笠原氏の居城 (2021/12/17 訪問)

愛知県史跡整備市町村協議会が主催するイベント「あいちの史跡をめぐって」で西尾市西幡豆の寺部城を知り、行ってきました。
このイベントは指定された史跡を巡りその土地の指定施設で写真を見せると「御城印」や「御史跡印」を無料でいただけます。
寺部城は徳川家康の水軍を率いた幡豆小笠原氏の居城。
小高い丘の上に公園として城跡が整備され、本丸は三河湾を望み、本丸、本丸の土塁、二の丸、空堀の遺構があります。
歴史として城主の幡豆小笠原氏は、家康の関東移封に伴い、上総国周准郡の領地を賜り、江戸湾を守る御船手を務めた。
その後、家康に南海渡航の許しを得て、小笠原諸島を発見し、その名前がついたようです。
麓には、薬師如来の威光がかかった「寺部の立岩」がある。
この岩は、多くの石工が目をつけていたが誰も割ることが出来なかったと言われています。
一般的に知られていないですが行ってみると重要な歴史のある城跡でした。
このイベントが無ければ、知ることもなかった城跡ですが、出会えて良かった。

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ぴろちゃん

やっと行けました〜 (2021/12/19 訪問)

いつも近くまでは行くのに、寄れずにいましたが、今日はやっと念願かなって登城できました。時間が限られていたので櫓も展示もゆっくり見れませんでしたが、また次回の楽しみにとっておきます。

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小城小次郎

歴史的には意味深い城だが空中に消えた (2021/09/11 訪問)

上杉麾下にあった上田氏が伊勢氏の調略に乗り権現山城に籠ったことが上杉氏の武蔵支配に亀裂を生むきっかけになったという点で歴史的になかなか意味深いお城なのだが、肝心の城跡は幕末の土取りで空中に消えてしまった。

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TMN97

盛岡城址 (2021/12/18 訪問)

現在、盛岡城は修復中となります。

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TMN97

仙台城 (2021/12/19 訪問)

仙台城

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織田晃司

中世山城の教科書 (2021/12/18 訪問)

のような作りの城。(直線上に配置された曲輪。竪堀、畝状竪堀群、土塁を見事に配置。)

案内板が少ないので縄張り図をダウンロードして登城しないと見逃しが多くなりますよ。

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ミッピのパパ

世界遺産・ジオパークもセットで。 (2021/10/08 訪問)

新宮城の隣にある新宮市の施設に車を止めて(無料)攻略。
この城の一番の見どころはやはり『水の手』ですね。
遺構が整備されおり、川面からの風が気持ちいい。

この地域の城を攻略する際は、世界遺産の熊野三山や
鬼が城や橋杭岩に代表されるジオパークを見学しないともったいない。

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ちっち

この城は、いつか負けないが名城で紹介されます!・・・が、危険なルートは無理に行ってはならんです。 (2021/10/18 訪問)

 以前子供と大分県の水族館(うみたまご)に行った際、お土産ショップの中にあった中津市のパンフレットを持って帰ったのがきっかけで、黒田官兵衛ゆかりの地として紹介してあったこの城に興味を持っていましたが、100名城(続100名城)を優先していた事もありずっと行きそびれてました。しかし、コロナを機に近傍の名城を求め、決意新たに攻略にかかりました。
 また、この城を攻略するにあたり、ジーパンに長袖シャツというスタイルはもう通用しないと決心し、トレッキングシューズ、ウエア、帽子などを買いそろえました。ただこの時は、手袋を買い忘れてしまった事を後悔するとは思ってませんでした…
 当日は快晴。事前情報で4~5時間は掛かるという事でしたので、長岩城のパンフレット持参して見逃さない様に登城しようと思い、耶馬渓支所に寄りました。玄関付近にパンフレットがあるかと思ったのですが、見当たらずにキョロキョロしていると、受付の方、歴史課の方が連携して丁寧に対応してくださり、誠に恐縮で…登城前から耶馬渓のファンになり、暖かい気持ちになりました。
 車は長岩城の旗がなびく専用の駐車場に停め、攻略を開始しました。『石積櫓』は絶対に見たかったので、体力がある前半にそちらに向かい、後半で本丸に向かう計画でしたが、それは結果としてよかったと後から思いました。このお城は写真や言葉では伝えきれない程、石垣(石塁)が随所に残っており、本当に飽きる事はありません。ただ、『石積櫓』に行く際の梯子、その先の断崖上の通路は、他諸先輩方のコメント通り…本当に危険です。足腰に自信のない方、小さなお子様は止めた方がいいです。私も行きはそうでもなかったのですが、『石積櫓』からの帰りは恐怖で、頼りのトラロープではささくれが指に刺さり、地面を這うように手を付いた際は松の葉が刺さり、両手の指を負傷しながらも梯子を下りた時は「ホッ」としました。その後、本丸への道筋を進むと、長大な石塁が頂上側へ向かって連なるという壮大な景観に出会えます。こっちのルートは安全ですし、見応えも十分あるので、危険を回避したい方はこちらだけでも楽しめると思います!ちなみに、私は下山した際に別ルートで弓形砲座に行く体力が残って無かったので、無理せず撤退しました…


【駐車場】
長岩城駐車場:登山口付近の道路脇(向かって道路の左側です)
旧永岩小学校:長岩城駐車場のちょっと先(向かって道路の右側、臨時駐車場と表記あり)
【トイレ】
長岩城駐車場の横に、綺麗な水洗トイレがあります。
【装備】
トレッキングウェア&シューズ、帽子、手袋(必須)、トレッキングポール(梯子や断崖上では収納を)
【時間】
約4~5時間(本丸側だけなら2~3時間)
【目印】
カーナビ:永岩小学校(私のナビは10年前のトヨタ純正です…)
登山道:長岩城駐車場から記帳所を経由して登山道まで全体が見えます。
【親子】
本丸側:小学校 高学年~
石積櫓側:高校生~、足腰に自信のある方
【モデル】
中津市 耶馬渓支所 → 石積櫓 → 本丸 → 下山
【 + α 】
帰路の途中、山国町の道の駅で巨大な「なし」(3個で1200円)を買いました。ハンドボール位あったのでそのインパクトで家族が驚くかな~と思ってましたが、あまりの美味しさで直ぐになくなり、その味で家族を驚かせる結果になりました。来年も買おうと思ってます!

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ぴーかる

笑路城 (2021/11/28 訪問)

【笑路城】
<駐車場他>駐車場はなし。国道423号脇鳥居のある<34.974385, 135.520159>のポイントに駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切・石垣・枡形虎口・虎口礎石
<感想>笑路城は松尾山城とも呼ばれ永享年間(1428~1441)に弥勒寺別院庄西の笑路に入部した長澤(中澤)六郎正綱が築いたと伝えられます。長澤氏は戦国時代には波多野氏に従属して長澤家綱の代には明智光秀の丹波攻略に抵抗したがのちに和睦し光秀に従属した。家綱は光秀とともに山崎の合戦に従軍して討ち死にしたようです。
 順路は上記ポイントに駐車し谷小屋近くの登城口、グリップの付いたワイヤーを外して通ります(電気柵注意)。進んで網がかけられた害獣よけのフェンスを通ってここから山に入ります。あとは矢印の付いた火の用心の道標通りに進めば城跡東端の大堀切に出ます。
 城跡は東西に長い感じで山頂の主郭を中心に東側に大きい二郭があります。二郭の東端が先述の大堀切で谷に沿って2条程の竪堀、二郭の大切岸など見応えがあります。二郭内の東端に土塁があり大石が転がっているので大石でできた石垣造りだったと思われます。進入口周辺にも石垣跡が見られます。二郭中心の南側にも石垣造りの枡形虎口が明瞭に分かります。主郭は山頂部の帯郭より3~5m程高い土塁上、東西に長い削平地になっており西側一角に仕切石塁があります。東側に送電線の鉄塔がありますが整備されているおかげで石塁の南北2か所の虎口、北側の虎口は方形の礎石が見られます。主郭南側に石垣枡形虎口、脇に天守台跡が残ります。主郭の鉄塔側はかなり見応えがあります。主郭北西側に数m下がって腰郭がありそこを繋ぐスロープ状の遺構、内部に巨石が残ります。主郭西側は腰郭、さらに西が堀切になっています。堀切先が段郭になっているそうですが行きませんでした。
 天守台や主郭法面に所々に残る石垣や腰・帯郭に落ちた転落石が沢山あって、当時は主郭は石垣で取り巻いていたことが想像できます。高さ面積が大きいので光秀時代に改修されたものだろうか?高い技術力を感じました。当時の雰囲気を濃く残し感じ取れるいい城跡でした。JR亀岡駅の観光案内所に御城印販売しています。

<満足度>◆◆◆

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todo94

本佐倉城に向かう直前 (2021/11/03 訪問)

本佐倉城攻城の直前に立ち寄りました。縄張図、説明板が整えられています。空堀や土塁のような遺構も確認できました。郭の表示があると嬉しいです。

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にのまる

expo

参戦してきました。
中井均先生と平山優先生のプログラム受講がメインで、あとは行きたいお城のパンフレットもらったりお得な書籍をゲットしたり。城びとの投稿でかわいい♡と思った中城城のキーホルダーもいただきました!
「小・中学生 城の自由研究コンテスト」毎年すごいなぁと思って見ています。ひとつのお城に全力で向き合って疑問を解決し、自分の答えを導き出す。知りたい、やってみたいと思ったことには手抜きも妥協も一切なし‼︎見習いたいです!
…と言いつつ、明日はノー勉で「城好きNo.1決定戦」に立ち向かう予定です。。。

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まーく

北ノ庄城址・柴田神社 (2021/12/18 訪問)

雪の中の登城
駐車場は徒歩約5分の場所にあります

柴田勝家により1575年に築城が始まり、完成しないまま1583年に落城
その後、結城秀康が福井城を築城
現在の柴田神社の場所に天守閣があったと伝えられている
敷地内には柴田勝家、お市の方、三姉妹の銅像があります

御城印は柴田神社の社務所にて購入可能@1000円

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ヒロケン

家康公が眠る城 (2021/12/11 訪問)

甲陽軍鑑に「駿河に久能、甲州に岩殿、上州の吾妻」と並んで武田の三名城と称される久能山城は、武田信玄公が駿河の今川を攻め滅ぼせると築城した山城です。築城前は、山岳信仰の天台宗の寺であった久能寺で、この地は信玄公が立地的に重要とし、強制移転させたといわれています。こうして信玄公は馬場美濃守・山県三郎兵衛の二人に命じて、三方を断崖絶壁に囲まれた難攻不落の山城を完成させました。
武田氏没落後は、中村一氏が駿府城主となり、この久能山城を守備したが、1607年再び徳川家康公が大御所として駿府に入ると、堅固な城として、本多上野介が守備に就いた。
家康公は「久能山は駿府城の本丸と常に思召す」と言われるほど重要視していました。

現在の久能山城は、2代将軍秀忠公の命により徳川頼宣公が総奉行となり、大工中井大和守によって、1年7ヶ月で見事な社殿(国宝)を構える久能山東照宮として神君家康公を祀っています。また、家康公が眠る神廊があり、家康公のメッカとされています。
御祭神は徳川家康公 相殿豊臣秀吉公 相殿織田信長公を祀っています。

4度目の登城となりますが、2度目まではここが城であるとはつゆ知らず、いちご狩りしたあとに東照宮に参拝していましたが、城跡と知ってびっくり(@_@)城跡らしきものは残っていませんが、城跡としてみるとなるほどと納得する城跡です。


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ぶれいず

本丸から見た富士山 (2018/11/17 訪問)

晴れた日は真正面に富士山が見えます

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カズサン

織田信秀築城、圧巻壮観の横堀/切岸 (2021/12/11 訪問)

 守山城を終えて名古屋市東部城びと登録未踏の城廻り5城目、南へ直線で3.5km程の末森城を目指す、グーグルマップで確認した朱の大鳥居前あたりをナビで設定して当直するが大鳥居からは車で神社駐車場に行けない、駐車場案内図は有るが直ぐ南にコインパーキングが有り利用(110円/30分)

 探訪ルートは南より大鳥居を潜り、広い石段を登ると横堀が構え、横堀の上は高い切岸、横堀底に降りて探訪、切岸の高さに驚く、朱橋から二段目の石段を登ると本丸跡、現駐車場に成ってる、城山八幡宮の境内案内図が有り神社ぐるりと森林に覆われた空堀が有る事が図面に表されている、北に神社本殿境内、本殿周囲に空堀が在るが金網フェンスに囲まれて良く観えない微かに金網の網目より窺える、東側の本丸空堀、土塁は樹木が伐採されて居り良く観察できる、堀の深さ、切岸、土塁上は歩け土塁東下まで落ち込んで居る、東山台地を掘り切り刻んで居る様子が見て取れる。
 全体は探訪できませんが本丸東側の空堀、高切岸、二重土塁の高さで森林に覆われてる末森城の凄さが想像できます、神社が鎮座した事で遺構が良く残されたのでしょう、素晴らしい遺構を探訪出来ました、久しぶりの興奮でした。

 3時過ぎ陽は傾いて来ましたが参拝者は多く特にカップル、神社の裏手に当たるとこに良縁祈願の御神木「連理木」を有り裏手の空堀探訪も兼ねて参拝して来ました。

 末森城/城山八幡宮から東名名古屋ICは近く利便は万全しかしながら交通量が多く渋滞気味、まあぁ混んでも順序良く走行すると名古屋ICに辿り着けます、東名、新東名は順調で17時半には自宅着、一日楽しい城廻りでした、川口城の登城がきつかったのみでした。

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カズサン

櫓台の草が刈られ探訪易し (2021/12/11 訪問)

 名古屋市東部城びと登録未踏城廻り、小幡城を終えて4城目の守山城を目指しました、直線で南西に1.5km程の近さです、ナビを守山城の在る宝勝寺門前の駐車場に合わせましたがその駐車場は月極駐車場の様で近くの方にお聞きして横道を登って宝勝寺境内の駐車場を利用。

 探訪ルートは宝勝寺境内、本堂、山門、登り参道幅広階段、段丘の段差のある法面、切岸かな?本堂北奥の墓地、密集した竹林に堀が有るとの情報で覗うが金網フェンスが立憚り目視確認出来ず、土塁状の櫓台へ一旦本堂から東登り道から北へ、アパートの裏に櫓台土塁が有る、丁度草が刈られて居り見学し易い、櫓台西奥に立派な城名石碑が立って居る、結構高い土塁櫓台、南西側に空堀の痕跡を求めるが密集した竹林で確認する事が出来ない。
 守山城は庄内川支流矢田川の東側の丘陵を利用した城跡で見通しの良い所、小幡城も近く、龍泉寺城も近く庄内川で繋がってる。
 アパートの前に案内板が有る。 
 丁度草刈りされて居り整備保存の保存会の方、地元の方に感謝申し上げます。

 案内板には有名な守山崩れの事も記載されて居ります。「天文4年(1535年)徳川家康の祖父松平清康がこの地に大軍を率いて布陣、尾張攻略を図ったが、家臣に殺害された。」 前後は織田氏の城址で桶狭間合戦か長久手合戦の後に廃城と成った様です。
 

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